3.特に虐待された子のケア

 

虐待された子供たちが出来ないことがある。それは、愛すること、愛されること。当たり前だよね、そんなことされてきてないんだから。運良く親から引き離すことが出来た子供たちとそれをケアする人たちがまず頑張らなくちゃいけないことが、愛着を形成すること。簡単に言うと、けっこう最近のシャカイの風潮で求めている人の多い”私ってこのままでいても良い?”ということを認めてもらう・認めさせることをしなくちゃ、子供はそのケアをする人を受け入れることが出来ない。

 そういう受け皿になるべくとされている自動養護施設(別に被虐待児専用ではない)は寮長・寮母の家で子供たちと一緒に住んで、更に手伝いをするために働きに来る人という形が一番多い形で、法律じゃ「児童指導員および保育氏の総数は、通じて、満3歳に満たない幼児おおむね2人につき1人以上、満3歳以上の幼児おおむね4人につき1人以上、少年おおむね6人につき1人以上とする」と書いてある。つまり、べったりいつでも一緒の”お母さん”は出来ない。職員サイドから見れば、常に一緒なら逆に神経が磨耗してしまうバーンアウトと呼ばれる行為が行われる危険があるから、という意図なんだろうけれど。確かに愛着形成が出来た子供はそれでも大丈夫だろうけど、慢性的に人手不足のこの施設で虐待が起こった例もあるわけで。カウンセラーも少ないし。まぁ財政難の現代にこんなこといってもなぁとも思うけど。

 

 なぜ、こんなことになっているかというと、制度の最も発達した国がアメリカで、日本はアメリカのスキル・制度の輸入をすることであんなに高速に対策を打ち出したわけで。(だって問題は昔っからあったけれど認知されなかったのに、認知されだして10年そこらで体制がいきなりゼロの部分から出来るはずがない。)それだけに、日本の陰湿な風土に似合った制度が出来ていないのだ。陰湿のニュアンスは日本製とアメリカ製のホラーを比べたらわかると思う。おんなじ”怖い話”とカテゴライズされるものなのに、日本とアメリカはこんなに違う。

 

 実は、虐待を受けないために子供たちに拒絶etcのコミュニケーションスキルを教えているNPO・CAP(もちろん発祥はアメリカ)のトレーナー主催でのアサーティブネストレーニング(簡単に言って、自己表現の訓練)というのを学校でやってたから行ってきたんだけれど、すごぉく嫌だった。みんなの前で、断る練習を、するんですか?・・・ってカンジ。上がり症だからそう思うのかな?実際、みんなの前で断る(または頼む)練習をしていたのを見たけれど、私なら言えないと思った。その言えないと思うものを越えちゃえば、トレーニングになったってことなのかなぁとか思ったけれど、それでも嫌だった。

 

それから、日本とアメリカの決定的に違うのが、精神科の病院やカウンセラーのポジション。最近やっと鬱が病気扱されてきたけれど、まだまだ相談したいと思って病院や相談に行けない人は多いと思う。実際のニーズは少ないんだから、もちろん立場というのも低いし、実際その職についている人は少ない。だから、虐待のケアにカウンセラーの人員不足をバーンアウトを起こしそうな勢いで仕事をしているのだ。そうなればケアが手薄になるのは当然だ。

 

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