小島教授
 

新学部設立について議論され始めたのは1986年で、その頃は総合政策学部ではなく、国際関係学部を構想していました。その当時は、国際系の学部が人気を博し、つぎつぎと設立されていきました。文部省(現・文部科学省)が国際系大学の設立を抑制し始めたのがこのころでもあります。ですから、関学は国際系学部ではない新しい学問分野の学部の設立の計画を練り始めたのです。一方で、新学部には情報教育の充実を図ろうと早い段階から考えていました。というのも、上ヶ原キャンパスには、情報教育が十分でありませんでしたし、将来コンピュータが使えないと生きていけない時代が来るだろうと容易に予測できたからです。

§ 総合政策学部の全貌―3つの案―
 国際関係学部の設立が難しくなり、新しい学問分野の模索をしていたころ、世界では環境破壊が進み、特に地球規模の環境破壊が問題視されるようになり始めました。大学審議会では以下の3つの案を審議しました。
本案―人間環境学部(心理学「社会保障」などからのアプローチ)(B+C案)
B案―社会環境学部
C案―世界環境学部
 新学部は「言語教育」を大事にする学部にしようという構想も生まれてきました。具体的には、まず外国語教育も充実させるため、英語の授業は通常8単位であるのに対し、新学部は18単位必要であることも指摘しました。簡単な挨拶や会話ができ、文法もひとかじりしただけの生半可な教育は学生のためにはなりません。また、外国語がただ話せるだけでは不十分です。1967~68年は、ドイツ付近で「ユダヤ教弾圧についてのキリスト教の責任」について大きな問題になっていました。それは、民族的なことであり、その背景には「宗教」があります。それらは、価値体系であるわけです。ですから、言葉はコミュニケーションのツールであるというよりも、「環境」という意味合いのほうが強いのです。エコロジーという概念は、環境と言語が合わさったものと考えるといいのではないでしょうか。
 当初は、ヒューマンエコロジーという学問が芽生えだしたころですから、新学部の名称は「ヒューマンエコロジー学部」にしようかと強く考えていました。19世紀の縦割り型のシステムに切り口を入れる学部としては、期待が高まりました。
 環境問題を正面から考える学部を構想していたわけですが、一方で就職に弱い学部ができるのではないかと懸念していました。言い換えると、企業からの評価が低くなるのではという思いです。ところが、企業のトップに伺うと、意外にも新学部の設立に賛成が多かったのです。理由は、企業の中でも「エコロジー」という考え方が必要不可欠になっているからということです。

§ 基礎演習について
 基礎演習という科目を初めて取りいれたのは、関西学院大学経済学部でした。昭和30年のことでした。目的は、近年の学生の特徴である「受験勉強で知識はあるが、ものを読み取って考える力が低下」を改善し、人間関係の希薄化を防止するためです。
私は、時折ゼミ生に「新聞・歴史は自分で書け!」と言いました。というのは、新聞・歴史には、必然的に価値が入ってくるからです。例を挙げると、ベトナム戦争で、日本は情報のほとんどをアメリカのAP/UPIから入手していました。アメリカの通信社が書いた記事ですから、やはり1つの視点から見たベトナム戦争の様子のみわかるわけです。しかし、一方でフランスの通信社AFPは、北ベトナムにも南ベトナムにも赴き、2つの視点から記事を書いています。日本人は一般的に1つの新聞社の新聞を購読しています。しかし、先ほどもお話しましたように、新聞には価値が入っています。となると、1社ごとに考え方も違いますし、事件などの見方も様々なわけです。ところが、フランス人は仲間同士で各新聞を購入し、それを読みまわします。そうすることによって、彼ら自身の見解が確立し、1つの考え方に縛られないようにしているわけです。フランスの高級紙「ルモンド紙」は、各新聞社の記事を列挙し、「ルモンド紙」独自の見解を述べるような形式をとっています。
基礎演習の目的は、結局は学生が自分から問題を考え、その考えを発表できるようにするということです。

§ 学生へのメッセージ−複眼的思考を身につけること−
 基礎演習についてでもお話しましたが、現在の学生には「複眼的思考」をみにつけていただきたいのです。また、知識の量のみを求める学生ではなく、それらをいかに実践するかを考える学生が必要ではないでしょうか。

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