4.まとめ

「革新」を信じる人々の視点には、他者に対する思いやりが欠けているのではないでしょうか。なぜなら、「革新」の出発が「自由」な個人にある以上、根本的に他者との関係はすべて自己利益という視点でしか語りえないのですから。だから、彼らのいう思いやり、すなわち「他者愛」は本質的でなくあくまで二次的であって、胡散臭く、偽善的です。

本当の「保守」とは「関係」に基づく生き方です。「私」が「伝統」によって、「社会」によって、「他者」によって生きていると自覚する生き方なのです。個人はその中においては「自由」であり、「他者愛」を持ちえるのです。この「関係」に基づいた「愛」が本来の意味の愛でなくてはならないのです。

今、日本人は、国際社会においてどのような態度をとるべきか、差し迫った選択を迫られています。自衛隊のイラク派遣を例にとってみましょう。イラクに混乱があるから「自衛隊」が行って抑えなくてはならないのなら、それによって引き起こされた新たな混乱は何によって「革新」されればよいのでしょう。できるわけありません。革新的で派遣に賛成する人々には、アメリカに追従しようとすることをその理由であるとする人が多いことはとても残念です。

さらに、グローバリズムという問題においても、私達がその問題や危険を表面的にではなく、根本的に解決しようとするならば、問題の本質的原因にまで言及して取組まなくてはならないのです。グローバリズムの「革新」によって先進国に実質的に植民地化され、後戻りできなくなった発展途上国の人々は、どんな「革新」によって発展できるというのでしょうか。

これらの緊急を要する問題には、いずれも「伝統」との「関係」から切り離された人間が、自らを「自由」であると思い込み、「関係」を省みることなく傲慢に振舞ってきたという背景があります。彼らは「革新」が問題を解決する最もよい方法であると信じて問題解決の方法として「革新」を取り入れます。しかし、それは目に見えるものにしか問題意識を持たず、問題の表面的な解決方法にしかすぎないのです。

また、「革新」に終わりはありません。「革新」によって生じた問題は「核心」によってまた図られます。これが「革新」の「循環」です。「革新」の力を信じ込み、すべてをそれにゆだねるからこそ、この「循環」が生じるのです。

自らの「自由」と「力」を信じる人たちが、その過信によって引き起こした問題を「革新」の力を過信しつつ乗り越えられると考えるのは愚の骨頂です。革新されたものは必ず古くなり、また革新が必要となるのです。革新される時に争いや混乱が起こるであろうことは、過去の革命や今回のイラク戦争を見ていただければよく分かるでしょう。毒を持って毒を制することは世界を毒してしまいます。私達は、人間として、このような矛盾から抜け出す試みをしなくてはならないのです。

一度「伝統」との「関係」を考えてみてください。決して難しいことではありません。身近にいる、家族、友達、また住んでいる町のことを考えてくだされば十分です。その時、自分が決して一人で成り立っているのではないと実感できるはずです。それが、「伝統」との関係と共に生きること、の第一歩なのです。

そして、あなたを作り出したこの「関係」を感じながら、日本人として、あるいは人として、あなたが確かにそうであるということが分かるはずです。あなたがすべき「選択」は、その日本という「伝統」と共にある一人の人間として判断されなくてはならないのです。