主体性を取り戻す取り組み

2003年大晦日、日本は生まれ変わる!

 ご存知の通り、今年2003年大晦日に、K-1「Dynamite!!」でボブ・サップと曙が対決します。私たちはこの両者の背景に、「革新」としてのK-1、PRIDEと「保守」としての相撲というバックグラウンドを重ね合わせました。K-1は言ってみれば「革新」そのものです。つまり、世界中からあらゆる格闘技の猛者達を呼び集め一つのリングで白黒決着をつけるのです。既成概念の破壊と新たな秩序を作り出していこうという意欲に溢れています。相撲界が伝統にいつまでも縛られていると感じていた曙は、そのような「革新」の精神に触れ、K-1への憧れをもったのかもしれません。しかし、この「革新」は、エンターテインメントの享楽的性格とは紙一重です。観客が新たな刺激、新たな興奮を求めるようになり、主催者もそれに答えるようにどんどん刺激的になれば、K-1の魅力そのものではなく、「刺激」だけが人々を惹きつけるようになるのです。現代はこの「革新」が、「保守」よりもむしろ主流であるようです。

 ここまでで、私たちは「主体的であること」を主張してきました。K-1や他の「革新」的な格闘技、エンターテインメントをただの刺激として観てはいけません。それでは、次なる刺激を求める際限のない欲望に従うだけになるでしょう。そのようなあり方が日本の、世界の後退を進めるのです。私たちは、K-1がその裏に持つ本質、ドラマを見なくてはなりません。そして、そのドラマを娯楽として楽しみつつも、時にはその全体俯瞰的に見つめ、そのような見方をしている自分に対して警告、反省をしなくてはなりません。小難しい事をいっているのではありません。そのように見ることで、ボブ・サップと曙の対決がより魅力的になると信じています。曙がK-1のリングに上がり、「革新」とエンターテインメントの申し子であるサップと戦うのは、それ自体「革新」的です。そして、その裏に日本人のあり方、世界の未来を占うような潮流が渦巻いている事を想像するだけで、ますます大晦日が楽しみになってくるではありませんか。

今からでも遅くない、選挙に行こう!

 秋の衆議院選挙に行かれたかどうか、冒頭に問いました。行くか行かないか、その意味が今になれば鮮やかに浮かび上がってきます。私たちは日々の生活で常に決断を迫られているのです。その決断を回避し、その瞬間を生きるような生き方の根底にはニヒリズムが潜んでいます。「革新」も「保守」も、その政治的態度はどうであれ、個人の主体性が発揮するためにどうすればよいかという問題意識に基づいており、また、そこに主体性の失われる危険が内在しています。それはまさに、紙一重の攻防であり、そこには緊張感すら感じられるのです。その攻防を放棄し、ニヒリズムに陥る事は簡単ですが、それは人間としての幸福、また人間性そのものを放棄することにもなるという意識をもたなくてはなりません。なぜなら、ニヒリズムには常に「あきらめ」があるからです。日常生活で私たちが政治的態度を表明する場、それが選挙です。そこには、政治体制決定の一役以上に、主体的な個人としてその立場を表明するという事の方が重要なのです。選挙権を放棄する人は、「どうせ私が投票しても何も変わらない。」とあきらめています。しかし、そうではありません。投票することであなた自身は確かに変わるのです。個人が主体的である事なしに、世界の矛盾や争いを、日本の後退を食い止めるということは不可能なのです。なぜなら、イラク問題やグローバリズムは、大衆が主体性を失くしたために、「革新」や「保守」など価値規定するものの本質を捉えず、表面的に受け入れていることに原因があるからです。あなたが投票に行って、主体性を表現することが、世界を変える第一歩になるということを考えてください。