ゼミ・グループ3

日本語ローマ字化改め「日本語かな文字化の影響」

 

#3018 吉元善雅 #3069 山村美緒 

#3081 岡本峻輔 #3111 瀧本のぞみ

 

ローマ字化の起こり

    幕末から明治にかけて、字数が多く読みの複雑な漢字教育は非効率であるとして「漢字廃止論」が唱えられた。まず、ローマ字化の主張が現れたのは、1869(明治2)年の南部(なんぶ)義籌(よしかず)による「修国語論」である。ローマ字は、その合理性から当時の欧化主義の知識人に支持され、1884(明治17)年にはローマ字論者の「羅馬字会」が結成された。現在でも、日本語ローマ字化の普及活動している団体に「日本ローマ字会」がある。現会長の梅棹忠雄氏は、日本語ローマ字化することで以下のようなメリットがあるという。

@       同音異義語を減らすことができる

A       分かち書きにより、言語構造がわかりやすくなる

B       習得が早い

C       外国人学習者にもやさしく、結果として日本語が国際語になる

D       タイピングの簡素化

 

海外の事例

漢字を廃止した国のひとつに韓国が挙げられる。韓国では、1948年にハングル専用法が制定され公文書もハングルで表記するようになる。70年代に入ると、学校での漢字教育が廃止され、漢字を知らないハングル世代も増えてきた。現在、日常のほぼ全てがハングル表記となり、学校では選択科目として漢文の授業が行われているが、日常でも受験でも漢字を必要としないため、若い世代の漢字学習に対する意欲は低い。

 

かな文字化への経緯

日本語をローマ字化した場合はどうなるのか。漢字かな混じりの表記法や古典文学の歴史的仮名遣いなど日本独特の文化を失うことになる。また、いくら英語が普及している現代であってもアルファベットだけで日本語を書き表すことには違和感があり、国民にとっても受け入れにくいだろうと考える。

しかしながら、私たちは「かな文字」という日本独自の表音文字を持っている。そこで私たちは、漢字を廃止する場合、韓国のようにローマ字ではなく独自の文字で表記する方が現実的ではないかと考えた。

 

新たな表記法の考察

 日本には漢字以外に「ひらがな」と「カタカナ」という2つの文字が存在する。そこで、私たちは「ひらがな(外来語はカタカナ)」、「カタカナのみ」「ひらがなカタカナ混じり」3つの表記法を考えた。この際の条件として、すべての表記法において分かち書きをするということと、同じく全ての表記法で外来語はカタカナ表記するということ、そして「ひらがなカタカナ混じり」表記では和語をひらがな、漢語をカタカナで表記するという方法をとることにした。

 まず、私たちは「ひらがなカタカナ混じり」の表記がもっとも見やすく読みやすく感じた。しかし、タイプする場合や、和語と漢語を区別するのが(特に漢字を学習しなくなる世代で混乱が予想される)困難であった。最終的に私たちは一番慣れ親しんでいる「ひらがな(外来語はカタカナ)」表記がもっとも適しているのではないかという結論に達した。これは見易さ、読み易さよりを追求したものでなく、聴いて、話すトーク重視型言語、文字に依存しすぎないラジオ言語ということになる。

 

かな文字表記による影響

 では私たちの提案する「ひらがな(外来語はカタカナ)」を採用するとどのような影響が及ぶのかを考えてみる。

まず日本語(国語)の習得に関して、「ひらがな」と「カタカナ」を覚えるだけで済むので子供や外国人にとっての日本語(国語)学習の負担はかなり軽減される。

次にかな文字化で表現法の制限も挙げられる。たとえば文学において、漢字かな混じりの表記では、細やかな内容まで具体的に表現されるが、一方で具体性を主張し、表現を読者に押し付けてしまうことにもなるので、表現法に関しては一長一短であると考えられる。

さらに歴史や古典などの文化学習の際に、漢字があれば表意文字であるので読めばわかったが、かな文字表記になると読んでも意味がわからない場合がでてくる。そうなると学習、教育の方法が板書主体の「読む」、「書く」というスタンスから会話主体の「聴く」、「話す」というスタンスにシフトすることが予想される。これは決して文化学習に留まらない。

そして、言文(話し言葉と書き言葉の)一致ということも予想される。漢字かな混じり表記では漢語(熟語)を多用してしまい、音声では同音異義語が区別されにくい。反対にかな文字表記では書き言葉では意味が伝わらないので漢語(熟語)を避けるようになり、結果として話し言葉と書き言葉が一致することになる。

他にはローマ字化と同様にタイピングの簡素化、新聞・雑誌等が読みやすくなるということ、漢語を避けることによる外来語の流入・多用、新生児につけられる名前のバリエーションの増加なども挙げられる。

 

まとめ

 普段からまさか日本語をかな文字化するとどうなるかということなど考えない。しかもかな文字化には現実味のある話ではない。しかし、漢字が無くなってしまうとどうなってしまうのか、今までとは全く違う世界が拡がっていくのではないかと考えられる。今日、私たちは漢字に依存した生活を送っている。漢字は見ただけ意味を読み取れるので、本や資料を飛ばし読みすることもできる。

 私たちは書き表すことによって相手も当然理解してくれるものと思い込みがちである。現在の日本は漢字がわかることが前提の社会であり、子供、外国人、そして障害者たちにとって生活の妨げになっているということも理解しておく必要がある。

 このグループワークを通して、漢字廃止について、またかな文字化についての知識を得て、将来の日本語表記について考える「きっかけ」なればと思います。