近代諸科学の歴史と争点:講義録

担当:守尾慎一、吉良敦岐


<<近代諸科学の歴史と争点>>

 科学とは何か・・・自然科学、社会科学、人文科学
   データ収拾 > 仮説 > 実験(検証) > 証明
                  ↑
                 客観的に

 近代の科学とはこのようなプロセスを経て行われてきた。 しかし、科学とはこのような容易なものなのであろうか。 (容易とはプロセスが決定していて、そのとおりやれば結果が得られるということに対して用いていると思われる。)現に、人間と自然、人間と人間の間にも問題がうまれてきている。(Human Ecology) 私達は前述のような近代科学の方法を問いなおす必要がありそうだ。

 まず、我々は科学を考える場合、自然科学であってもその他であっても、まずデーターを集め、データを見て仮説をたてる。仮説を元にして検証する。そして、それがあっていると仮説が正しかったとして前に進むのである。私たちはいっさいの先入観を持ってはいけないし、客観的にデータを取り扱わなければならない。しかし、それをすることは難しいのではないか。これは第二次世界大戦以後に気づいたことである。

 人々は幸福に向かって進んでいると思っている人が多いが、問題はますます複雑になってくる。環境問題というのはこの氷山一角である。これだけで終わると、近代の問題に対してその場しのぎをしているだけである。この問題を考えるときは近代市民社会まで考えて、問題に対してアプローチしないといけない。

 近代科学の方法は、データをいろいろなところから持ってきて、仮説を作るが、仮説はデータを集めるだけでできるのであろうか。仮説をたてるのであれば、データを集めた人間の目の付け方が関わってくる。つまり客観的なデータといっても主観が関わってきているのである。このどんなにデータを集めても主観が入るということを認識しないと、「私は客観的だ」といって他人に自分の主観を押しつけることになる。

 社会科学の古典を読むことによって、その問題点が見えてくるのではないか。もしデータが客観的ならば、最新の物を読むことによってすべてのデータは理解することができるはずである。しかし、現実にはそのことは不可能である。