フロイト『精神分析入門』

発表者;生島卓也、大木竜児、西澤真則


<<読書案内>>

(1)フロイトは精神分析は、分析者の報告だけではその方法はわからないと述べているが、そのことは、この療法のとる手段に起因すると思われる。その原因となる特殊な療法とは何か?

(2)フロイトは、「文化」をどのようなものであると考え、または言及しているか?

(3)しくじり行為とはどのような現象であるか?

(4)フロイトの目指す心理学とは、現象をただ記述したり、分類するのではなく、どのように捉えるべきだと言っているか?

(5)フロイトがしくじり行為や夢を精神分析の資料として扱うのは、どういう理由からか?

(6)フロイト以前の学問、特に医学と哲学は夢に対してどのような意味を与えているか?またその医学者と哲学者に対してフロイトはどのように言及しているか?

(7)フロイトは小児の夢を取り上げているがそれは何故か。

(8)夢の解釈において、夢の持つ象徴性に対して、フロイトの協力者であった人間もが反対する理由とは。

(9)フロイトの言う男性器や女性器の象徴の例を抜き出し、その特徴を述べよ。

(10)あるフロイトの患者の息子が池の中を熱心にうかがう様子が本書中に登場するが、この少年は、一体何をしており、またフロイトはこのことを何と関連づけているか。

(11)顕在夢と潜在夢の関係をフロイトはどのように捉えているか?

(12)エディプスコンプレックスをフロイトがどう定義しているかを抜き出せ。

(13)近親相姦のタブーについてどのように言及しているか?

(14)フロイトは、苦痛な内容の夢(不安夢)でさえも、願望充足であると言っているが、それはなぜか?

(15)脅迫行為に、フロイトが「無意識的な心的過程」を見るのは、何故か?

(16)フロイトは、ノイローゼ症状を治すための糸口をどう考えているか。

(17)リビドーについて説明していると思われる箇所を抜き出せ。

(18)これまでの問題の中で本文からの抜き出しができないものがあると考えられるが、それはどの問題か?


発表用レジュメ

〜最初の問い〜

『精神分析学入門』を用いて、あなたは社会の仕組みを捉えることが可能ですか?不可能ですか?

→ その理由を教えてください。   FROM フロイト班

〜発表の進行〜

1 最初の問いについて考えよう
2 読書案内の<問い→答え>について
3 最初の問いについて更に考察を加える

1 フロイトの考えによれば、分析者の報告のみでは、精神分析の方法はわからない。このことは、精神分析療法のとるある手段に起因するとおもわれる。ところで、その原因となる手段とは何か?

「ところが残念なことに、精神分析ではすべての事情が違います。分析治療では、分析を受けるものと医師とのあいだには、ことばの交換が行われるのみである。患者は語るのです。過去の体験と現在の印象について物語り、嘆き、その願望や感情の動きをうちあけます。医師はこれを傾聴し、患者の思考の歩みを導き、あることをよびさまし、注意を特定の方向に向かわせます。・・・・・ことばは、もともと魔術でした。ことばは、今日でも昔の魔力をまだ残しています。私どもは、ことばの力によって他人をよろこばせることもできれば、また、絶望におとしいれることもできるのです。ことばによって、教師は生徒に自分のもっている知識を伝達することもできるし、講演者は満堂の徴収を感動させ、その判断や決意を左右することもできます。ことばは感動を呼び起こし、人間が互いに影響しあう普遍的な手段となっています。ですから、心理療法でことばを手段として用いることを軽視してはならないのです。」『精神分析学入門』p.73〜74

2 フロイトの考えでは、(文化)はどのようなものであるか?

「文化は生活の必要に迫られて欲動の満足を犠牲にしてつくりだされたものである、と私どもは信じています。文化の大部分は、人間共同体のなかに新しく入ってくる個人が、全体のためにその欲望充足をくりかえし犠牲にすることによって、たえず新たに作り出されるものなのです。このように他に転用された欲動力のうちで性的の欲望は大きい役割を果たしています。それは昇華され、すなわち、本来の性的な色彩をもたぬ目標に向けられます。しかし、この構造は不安定ですし、性の欲動は制しがたいものですから、文化的活動に従うべき個人に対して、性の欲動がこのように昇華されることを拒むという危険もなくなってはいないのです。

 性の欲動が解放され、その本来の目標に立ち返るときに引き起こされる文化の脅威ほど危険なものはない、と社会は思いこんでいます。社会は、社会の根底をなすこのきわどい部分にふれるのを好まず、性の欲動の強さが公認され、個人にたいしても性生活の意味が解明されればいいという関心は全然もっていません。」『精神分析学入門』p.81

3 しくじり行為とはどのような現象であるか?

「私どもがしくじり行為に関して提示しながら、まだ未回答のままになっている興味ある問題は、一方は妨害する意向、他方は妨害を受ける意向と呼ぶことができる二つの異なる意向が干渉し合う結果、しくじり行為が起こる、ということです。妨害を受ける行為には特にこれ以上問題とされることはありません。しかし、もう一つの妨害する意向については、まず第一に、他の意向の妨害者として現れる意向とはどんなものだろうかということ、そして第二には、妨げるものと妨げられるものとはどのようなかかわり合いをもつのか、という二点が問題になります。」『精神分析学入門』p.120

「言いまちがえて反対のことを言うときは、ほとんどすべての例で、妨害する意向が妨害される意向の、反対を表していて、このしくじり行為は合致しがたい二つの意向間の葛藤の表現なのです。」『精神分析学入門』p.120

「妨害は、実はそれよりちょっと前に、その本人を捉えていた思考過程からでてくるものであることがわかります。・・・・・人為的に、時としてはひどく強制的な連絡路を通って結ばれているわけです。」『精神分析学入門』p.121〜122

「ところで、私どもは、どのような意向が軌道をはずれて他の意向の妨害者となるのかという問題に長く触れずにおりましたが、この主題に戻りたいと思います。」『精神分析学入門』p.122

「第一群は、妨害する意向を語り手が自分で知っているばかりではなく、言い間違いをする直前に自分でもそれに感づく例です。・・・・・いったんはそれを口に出そうとしたが止めてしまったということを認めているのです。

 第二群は、これとは別で、語り手は妨害する意向が自分の意向であったことを認めていますが、言い間違いをする直前にその意向が、自分の心の中で活動していたこととは全く知らない場合です。ですから、語り手はその言いまちがいに対する私どもの解釈を受け入れはしても、ある程度はそれに驚いてしまうわけです。このような態度の好例は言い間違いの場合より、他のしくじり行為についてもっとたやすく見られます。

 第三群は、妨害する意向の解釈が語り手によって拒否される場合です。語り手は妨害する意向が言い間違いをする前に自分の心の中に働いていたことを否定するばかりでなく、そのような意向はもともと自分には全く関係のないことだと主張します。第一群、第二群では、妨害する意向は語り手によって承認されています。・・・・・<何かを言おうとする意図が現存するのを押さえつけることが、言い間違いを起こす不可欠の条件なのだ>」『精神分析学入門』p.122〜124

「私どもは、いまや、しくじり行為を理解する上で大きな進歩をしたと主張してよいでしょう。私どもは、しくじり行為が、その意味と意図とを認めることのできる心的行為であり、二つの互いに異なる意向の干渉から生じることを知ったばかりではありません。そのほかにも、この二つの意向のうちの一つは他の意向を妨害することを通して姿を現すために、その遂行に一種の抑制を受けたに違いないことも知ったわけです。」『精神分析学入門』p.124〜125

「現象を心の中のいろいろな勢力の角逐のしるしとしてとらえること、すなわちときには協力し、ときには対抗しながら、ある目的を目指して働いているもろもろの意向の表現としてみることを望んでいます。私どもは心的現象の<ダイナミックな把握>を求めているのです。」『精神分析学入門』p.126

4 現象をただ記述したり、分類するのはフロイトの目指す心理学ではない。では、現象をどのように捉えるべきだと言っているか?

「現象を心の中のいろいろな勢力の角逐のしるしとしてとらえること、すなわちときには協力し、ときには対抗しながら、ある目的を目指して働いているもろもろの意向の表現としてみることを望んでいます。私どもは心的現象の<ダイナミックな把握>を求めているのです。」『精神分析学入門』p.126

「確かにみなさんは、生体の諸機能とその障害を解剖学的に根拠付け、科学的、物理学的に解明し、生物学的に捉えるというような教育は受けてきました。しかし、驚くほどに複雑な生体の機能の頂点ともいうべき心的活動に、みなさんの関心は向けられませんでした。ですから、みなさんは心理学的な思考法には慣れておらず、その種の考え方を不信の目でながめ、その科学性を認めず、それを非専門家、詩人、自然哲学者および神秘家に委ねるというのが習慣になってしまっているのです・・・・・精神医学者自身、全く記述的に自分たちが積み上げたものを学問だといってよいかどうか迷うようになります。これらの疾病像を構成した症状も、その発生の由来やメカニズムや相互の結びつきについては道のままです。症状に対応して、心の解剖学的器官である脳の変化が証明できるわけでもなく、また、そのような変化から逆に症状を説明することもできません。精神障害に対して治療が効果を示しうるのは、その精神障害が何か他の器質的な疾患の副作用だと認められる場合だけです。」『精神分析学入門』p.78〜79

5 フロイトは、しくじり行為や夢を精神分析の資料として扱っている。それはどういう理由からか?

「夢の研究はノイローゼ研究のもっとも良い準備となるばかりでなく、夢そのものが実にノイローゼ的な症状であるという点で、私どもにとって、はかりがたい利益をもつものだからです。ほんとうに、そればかりではなく、もしすべての人が健康であり、ただ夢をみるだけだとしても、私どもはノイローゼの研究によって得られる洞察のほとんどすべてを、その人たちの夢から得ることになるでしょう。
 そこで、夢は精神分析の研究対象となります。夢もまたしくじり行為と同じように、ありふれたとるにたりない現象であり、一見したところでは、実際的な価値もないようにみえます。夢は健康な人にも現れるという点でも、しくじり行為と共通しています。しかし、その他の点では、私どもの仕事の条件としてはしくじり行為の場合よりも、むしろ悪いのです。しくじり行為は学問的に無視されていただけですし、私どももしくじり行為をとりあげてみても、別に恥ずかしいことではなかったのです。」『精神分析学入門』p.143

6 フロイト以前の学問、特に医学と哲学は夢に対してどのような意味を与えているか?またその医学者と哲学者に対してフロイトはどのように言及しているか?

「夢は医学者たちにとって、心的行為としてではなく、むしろ身体的な刺激が心的活動に現れたものだとして受け取られていました。
 解釈とは隠れている意味を見いだすことですが、夢の働きの、いま述べたような評価では解釈についてはなにも言及されておりません。ヴント、ヨードルそのた、近代の哲学者たちの夢の記述を見て下さい。彼らは夢を軽視しようとする意図を持って、夢の生活と覚醒時の思考との偏りを数えあげることに満足し、夢の中での連想の崩壊、批判の中止、あらゆる知識の締め出しなど、能力低下の目印となることを指摘しています。
 私どもが夢の意味を見いだす研究をしようとしていると聞いたら、精密科学はどんなことを言うだろう、とみなさんはお考えでしょうか。精密科学はそれを見落としていたではありませんか。」『精神分析学入門』p.146

7 フロイトは小児の夢を取り上げているがそれは何故か?

「これらの小児の夢は歪みを欠いている。ですから解釈の必要はないのです。顕在夢と潜在夢は合致しています。」『精神分析学入門』p.190

「先に夢の歪みという疑問を精神分析の技法で克服しようとする試みをする前に、この難問は避けて通ることにして、歪みのない夢を取り上げて問題にする方が最上の策かもしれない私どもが求めているような歪みのない夢は小児の場合に見られます。」『精神分析学入門』p.190

8 夢のもつ象徴性を解釈することについて、それまでフロイトの協力者であった人間もが、反対する理由とは?

『精神分析学入門』p.218     

9 フロイトのいう男性器や女性器の象徴の例を抜き出し、その特徴を述べよ。

10 あるフロイトの患者の息子が登場して、池のなかを熱心に窺う。この少年は一体何をしており、またフロイトはこのことを何と関連づけているか?

11 顕在夢と潜在夢の関係をフロイトはどのように捉えているか?

「潜在夢を顕在夢に置き換えるあの働きこそ、<夢のはたらき>なのだ。」『精神分析学入門』p.236参照。

12 エディプス・コンプレックスをフロイトはどう定義しているかを抜き出せ。

13 近親相姦のタブーについて、フロイトはどのように言及しているか?

『精神分析学入門』p.278参照。

14 苦痛な内容の夢(不安夢)でさえも、願望充足である、とフロイトは言っているがそれはなぜか?

「不安無は、いわばむき出しの願望充足なのです。もちろん願望充足とはいっても好ましい願望の充足ではなく、忌まわしい願望の充足なのですが、検閲の代わりに不安が生じてきたのです。」『精神分析学入門』p.285

15 脅迫行為の中に無意識な心的過程をフロイトは見ているが、それはなぜか?

「<無意識的な心的過程>の存在について言及する場合には、私どもはこのような事態に注目しているわけです。この事態についてもっと正確な科学的方法で説明してくれるように求めてもよいのでありますし、もしそれができたときには、私どもは喜んで無意識的な心的過程という過程を断念しようと思います。しかし、それまでは、私どもはあくまでこの過程を固執するでしょう。そして、もし誰かが、無意識的なものとは、この場合、科学的に意味において実在するものではなく、それは応急処置的なものであり、一つの言いまわしである、と異論を唱えるならば、私どもはあきらめて方をすぼめ、わけのわからないことを言う人だとして、拒否しないわけにはいきません。実在しないものから、脅迫行為のように現に実在する結果がでてくるなどと言うことがあるでしょうか!・・・・・しかし、私どもは次のような告白をせざるをえません。すなわち、脅迫ノイローゼのこれらの症状、つまりこれらの観念と衝動―それは、どこから来るのかはわからないが、とにかく現れてきて、ふだんは正常な心的生活のあらゆる影響力に抵抗して、あたかもどこか未知の世界からきた非常に力の強い客であり、、死すべきものの群に混じり込んだ不死なるものであるかのような印象を患者自身にあたえるのですが―そうした観念と衝動とのなかに、たぶん他の領域の心的活動からは隔離されたある特殊な領域があることが、きわめてはっきりと示されている、という告白です。それらの観念と衝動から、心の中に無意識的なものが存在することを確信させる、迷うことのない一本の道が通っています。そして、それならばこそ、意識心理学のみにたよる臨床精神医学は、これらの観念と衝動とを何か得意な変質様式の徴表だと称する以外には、いかんともする術がないのです。むろん、強迫観念と脅迫衝動それ自身が無意識的なものではないことは、脅迫行為の実行が意識されないものではないのと同様です。もし脅迫行為や脅迫衝動が意識に上らなかったとすれば、それらは症状とはならなかったでしょう。しかし私どもが精神分析によって推論する心的な前提条件や、私どもの解釈を通じてはめ込まれる諸連関は無意識的なものです。少なくとも、私どもが分析作業によって患者にそれらを意識させるまでは、無意識的なものなのであります。」『精神分析学入門』p.350〜351

16 ノイローゼ症状を治す為の糸口を、フロイトはどう考えているか?

「症状の形成は、表面にでないでいるある別のものの代理なのです。ある種の心的過程は、正常な場合には意識がその存在を知っているほど広範囲に発展すべきはずだったのです。ところが、そうはなりませんでした。そのかわり、中絶させられ、何らかの意味で妨害され、無意識の状態にとどまらざるをえなかった過程から、症状が生じたのです。ですから、すり替えのようなことが起こったわけです。このすり替えを元に戻すことに成功すれば、ノイローゼの症状の治療はその使命を果たしたということにあります。・・・・・私どもの療法は、無意識的なものを意識的なものに帰ることにょって効果をあらわし、この変換を成し遂げうる限りにおいてだけ効果を上げるのです。」『精神分析学入門』p.352〜353

17 リビドーについて説明していると思われる箇所を抜き出せ。

「私どもは自我がその性的欲求の対象に向けたエネルギー配備を<リビド>と名付け、自己保存の欲動から送り出される他のすべてのエネルギー配備を<関心>と名づけました。」『精神分析学入門』p.493

18 以上の設問のなかで、本文からの抜き出しができないものがあると考えられるが、それはどの設問か?


講義録

担当:橋爪、倉辺

◎講義のメインポイント

 現在、脳科学の発達により、思考過程が生理学的・生化学的に解明されてきた。医療面においても脳内物質の外的摂取によりある程度の心的コントロールが可能な段階に差しかかっている。このような現状において、無意識を仮定しそのなかの意味をときほぐすことによって成立しているフロイトの精神分析学はどのような位置付けをもつのであろうか?

◎フロイト班の発表に基づく進行

 まず発表班から、最初の質問として、「『精神分析学入門』を用いて、あなたは社会の仕組みを捉える事が可能ですか? 不可能ですか?」が提示された。発表班の見解は、漠然とではあるが、可能ではないかというものであった。その理由として、フロイトが見えない部分としての無意識を意味ある現象としての捉えている点、及び、文化的背景を言及している点、個人と社会の関係への言及などがあげられる(個人の症例を通し、類型化し、社会への応用を試みているのではないか。また人間が社会と接する上で無意識という領域を重視してタイプ分けをしている)。これに対して、フロアの反応としては「フロイトはドイツにおけるノイローゼ患者の治療経験からの演繹をしただけにすぎず、これを全世界の社会に適応することはできないのでは?」また、「人間が社会を規定するのか、社会が人間を規定するのかという議論も入って来るため、『精神分析学入門』により社会を捉えるのは不可能なのではないだろうか?」などの意見があった。

 次に、読書案内にそって、フロイトの特徴に関する言及がおこなわれた。

1 無意識という領域の重視は、人間の急所をつくようなタブーへの言及であるといえるのではないか

2 無意識の心的過程の分析の為に対話という方法を用いる。これは。観察者と被分析者との対等性を前提とする(読書案内 第1問より)

3 フロイトは精神分析学入門の中で、対象から離れた遠近法的分析に終始しているのでは? フロイトの分析する際の視点は客観的分析者の位置としてとられられる(神様の位置)。

4 フロイトの時代背景…人間が複雑化していく社会のなかにおいて変化していく様子(第1次世界大戦など)。この様子から精神分析の時代的要請が伺える。

などに絞られる。特に性愛の抑圧を中心としたフロイトの無意識の重視を発表班はフロイトの思想の中核として強調していた。

◎フロイトの意義

 精神分析学の方法を樹立した功績。そして、精神分析学に留まらず、以降の芸術・政治論に大きな影響を及し、現在の思想のひとつの基盤として機能している。