「大脳生理学VS精神分析ディベート」

担当:朝山 由美子 生島 卓也


 前回の授業では「フロイトの言う『無意識』は脳科学が進む現在も意味を持つのか」という議論と行動心理学と認識心理学との間で論争がなされてきたということを踏まえて、「大脳生理学的なアプローチは、人間の心理装置・心理プロセスをすべて解明することができるか。」をテーマにディベートを行った。

 パブロフ、ワトソンらの自然科学的心理学の立場に立つ大脳生理学の肯定側は物質とその反応から人間の心は解明できると主張した。客観科学は人間のおこす反応は外部からやってきて、ある信号に変わるという反射を明らかにした。この反射によって心的装置、心情はわかるというのである。また、心は共通認識の得られない主観として捉えられてきたが、数字などによってデータの積み重ねをすることによって共通認識の得られる客観として捉えられるとした。

 一方フロイト、ケーラーらの人文・社会科学的心理学の立場に立つ否定側は個人レベルの脳しか扱っていない大脳生理学は心理プロセスを解明できないと主張した。社会制度、歴史、文化の規制を受けている人間は様々な集団システムの一部として存在せざるを得ない。しかし、大脳生理学が分析しているのは個人ひとつひとつの脳でしかなく、集団システムの中で生きている人間の心理プロセスを捉え切れてはいないというのである。

 ディベートは立論で述べられたそれらの主張を両者が尋問、最終弁論を通して貫くという形で進められた。尋問では肯定側が社会などの集団システムについても機械的に扱えること、心的装置はあくまで客観的に捉えられるべきだと主張し、否定側が大脳生理学的なアプローチが心的装置を時間的にも空間的にも周りのものと切り離して扱っていることを指摘した。

 最終弁論では否定側が大脳生理学的アプローチは個人の分析に過ぎず、パターンに還元する時点で分析者の主観が含まれているため、人間の心的装置の解明はできないと主張し、肯定側はあくまでデータをパターンに還元すれば心的装置は客観的に解明できると主張した。

 陪審員の判定でディベートは否定側の勝利に終わったが、その理由として否定側の具体例のわかりやすさが多く挙げられた。また全体の講評の中で脳生理学さらには総合政策が主観と客観の間で問題をどのように設定し、解決していくのかということやフロムの言うような「正気の社会」や「法治国家」を作り上げてしまうことで社会が正しい方向に進むのだという考え方がどのような意味を持つのかということが指摘された。