マンハイム『イデオロギーとユートピア』、オルテガ『大衆の反逆』

担当:生島卓也 佐藤輝展 橋爪尚子


●担当者より
 マンハイム・オルテガとも様々な視点からの読み取りが可能だと思われますが、当時のヨーロッパにおけるファシズムとの関連を中心に置いて読書案内と発表を用意させて頂きました。

●簡単な紹介(詳しくは世界の名著「マンハイムとオルテガ」を参照)
 カール・マンハイム(1893-1947)/ ハンガリー/社会学者
ドイツ留学から帰国後、革命的文化主義者としてハンガリーで積極的に活動する。1919年3月に革命評議会政権の樹立に伴い、ブダペスト大学の哲学教授に迎えられたが、同年8月の反革命に出会い、まもなくドイツに亡命した。ドイツではイデオロギーの科学的把握を目指す知識社会学の確立に没頭した。そんな中で書かれた「イデオロギーとユートピア」は各方面で脚光を浴びる。1932年ヒトラーが政権を握り、再度の亡命を余儀なくされ、イギリスに亡命した。

 オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)/スペイン / 哲学者
スペインの国立大学で学んだ後、ドイツに留学し、新カント学派のもとで研究を行った。帰国後、マドリッド大学の教授となり、著述活動を精力的に行う。左右の政治勢力への分極化か極点に高まった当時のスペインに強い危機意識を持ち、その問題意識に沿って「無脊椎のスペイン」という論文も発表している。著作の中でも「大衆の反逆」はヨーロッパの思想界や社会に彼の名を知らしめることになった。スペイン戦争の暗雲がたれ始めた1936年にフランスに亡命したのを皮切りに、45年まで亡命生活を送る。

●マンハイム・オルテガをとりまく当時の状況

1922 イタリア、ファシズム政権樹立、ソビエト社会主義共和国連邦樹立宣言
1929 マンハイム「イデオロギーとユートピア」発表、世界経済恐慌開始
1930 オルテガ「大衆の反逆」発表
1932 ドイツ、総選挙でナチス第一党
1933 ドイツ、ナチス政権成立、国際連盟脱退
1936 スペイン内乱
1939 第二次世界大戦勃発

●読書案内

マンハイム

1 マンハイムの主張する知識社会学が当時の社会状況において目的としたものは何か?
2 マンハイムの行ったイデオロギーの分類を発展段階順にあげよ
3 台頭しつつあったファシズムに対するイデオロギーという観点からの分析をあげよ。
4 マンハイムの行ったユートピアの分類を発展段階順にあげよ
5 当時のヨーロッパにおけるイデオロギー的なもの、ユートピア的なもののおかれた状況はどんなものであったか

オルテガ

1 オルテガは大衆をどのように定義しているか
2 オルテガが大衆によってもたらされるとする当時のヨーロッパの危機的状況とはどんなものか?
3 オルテガの言う国家主義とは何か?
4 大衆はどのようにファシズムにつながるのか?
5 オルテガが当時の状況を解決する手段として主張していることは何か?

共通問題

1 マンハイムとオルテガに共通するファシズムに対する危機意識はどのようなものであるか?
2 マンハイムとオルテガが到来するであろうと予想した社会はどのようなものであるか?


発表用レジュメ

発表者:生島、佐藤、橋爪

●マンハイム

1、マンハイムの主張する知識社会学が当時の社会状況において目的としたものは何か?知識人と現実社会との関わりを考慮しあげよ。

「人々が実際にどのように思考しているかという問題をとり扱う」p.97上段L.1 

(思考の在り様が変化した社会状況)

「伝統や教会の力を後盾にしていたこれまでの創造伝説にかわって、世界の形成という考え方、それも世界を構成する各部分は知的制御に従うものだという考え方」p.113上段L.11

(後盾のない現実社会を知的制御できるのは新しい知識人)

「この新しい知識人には固有の社会組織が欠けている。だがそのおかげで、逆にかれらの思考や経験の方法は、他の諸階層を包含したもっと大きな世界で相互に公然と競争しあっている声に耳を傾けることが許されてきた」p.109下段L.5

2、マンハイムの行ったイデオロギーの分類を発展段階順にあげよ

「われわれはこの第一の語義を部分的イデオロギー概念、第二を全体的イデオロギー概念と名付ける」p.166上段L.16

「研究の次のステップにとって決定的な意味を持つものは、普遍的かつ全体的なイデオロギー概念の段階で没評価的なものと、評価的なものとの二つの類型を区別しておくことである。」p.191上段L.16

3、台頭しつつあったファシズムに対するイデオロギーという観点からの分析をあげよ。

「歴史性は、ファシズム的な行為の非合理性の前では消失してしまう。」p.250上段L.9
「社会学的に見れば、これは暴動主義に立つ集団のイデオロギーの形態である。」p.255下段L.3
「結合度の高い社会的集団勢力の代表だと自任している指導者層にたいする対抗イデオロギーである。」p.257上段L.7

4、マンハイムの行ったユートピアの分類を発展段階順にあげよ

 至福千年説 pp.328-336
 自由主義 pp.337-348
 保守主義 pp.348-358
 社会主義 pp.358-366

5、当時のヨーロッパにおけるイデオロギー的なもの、ユートピア的なもののおかれた状況はどんなものであったか

「芸術からの人道主義的要素の消失、男女間や建築に現れているドライな「即物性」、スポーツにおける衝動的なものの発散、いったいこれらを現代の新しく成長してきた世代の意識から、ますますユートピア的なものが退潮していることの兆候として、解釈してはならないのだろうか」p.375上段L.5


●オルテガ

1、オルテガは大衆をどのように定義しているか

 「大衆とは、みずからを、特別な理由によって-よいとも悪いとも-評価しようとせず、自分が<みんなと同じ>だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになると、そのような人々全部である。」p.390下段L12

   (補足)p.460下段L.11-p.461上段L.13

2、オルテガが大衆によってもたらされるとする当時のヨーロッパの危機的状況とはどんなものか?

 「公権は、大衆が直接行動するとき、つねにこのようであった。全能でありながら、一時しのぎなのである。大衆人とは、生の計画がなく、波間に浮かび漂う人間である。だから、かれの可能性と権力とが巨大であっても何も建設しない。」p.420上段L.4

4、大衆はどのようにファシズムにつながるのか?

 「理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないでひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れた」P.439下段L.16

3、オルテガの言う国家主義とは何か?

 「国家主義は、規範として確立された暴力と直接行動のとりうる最高の形態である。国家を通じて、またこれを手段として、大衆という無名の機械がひとりでに動く。」p.483下段L.2

5、オルテガが当時の状況を解決する手段として主張していることは何か?

 「歴史の知識は、老いた文明を維持し、継承するための第一級の技術であある。」p.456上段L.2

 「一つの大国民国家としてのヨーロッパを建設することこそ<五カ年計画>の勝利に対抗できる唯一の事業である、と私は考える。」p.542上段L.7


●共通問題

1、マンハイムとオルテガに共通するファシズムに対する危機意識はどのようなものであるか?

★歴史的視点の欠如★

マンハイム:「歴史性は、ファシズム的な行為の非合理性の前では消失してしまう。」p.250上段L.9 

オルテガ:「反歴史的で時代錯誤の方法」p.456下段L.19

★暴力性★

マンハイム:「社会学的に見れば、これは暴動主義に立つ集団のイデオロギーの形態である。」p.255下段L.3

オルテガ:「大衆を駆ってあらゆる面の社会生活に介入させるもとである心の閉鎖性は、同様に大衆をただ一つの介入の仕方に否応なく導いていく。それは直接行動である。」p.440下段L.14

2、マンハイムとオルテガが到来するであろうと予想した社会はどのようなものであるか?

マンハイム:「もっとも合理的に自己を支配する人間が衝動のまま動く人間になり、長い間の犠牲に満ちた英雄的な発展のあとで自覚の最高の段階に到達した人間がユートピアのさまざまの形態の消滅とともに、歴史への意志と展望とを失う。」p.380下段L.4

オルテガ:「もしもこの型の人間がヨーロッパの主人であり、ものごとを最終的に決定する人であるならば、ほんの三十年もすれば、われらの大陸はまた野蛮状態に戻ってしまうだろう。」p.422下段L.12


講義録  

担当者:池田和代、倉辺喜之

 マンハイムは人々の実際の思考の問題を取り扱う知識社会学を確立した。知識社会学は相関主義や歴史主義に基づき、集合的無意識を連関の中で捉え認識し、イデオロギーの科学的把握を目指すものである。イデオロギーを部分的イデオロギー概念と全体的イデオロギー概念にわけ、全体的イデオロギーのなかでも没評価と評価的なものとを区別し、評価的イデオロギーが理論と実践の懸け橋となると考えた。彼はこの理論から、当時台頭しつつあった歴史を一つの虚構としか評価しないファシズムや、伝統や教会などの後ろ盾のなくなった社会情勢をみて現実社会を知的制御できるのは、固有の社会的組織に属さない自由浮動的インテリゲンチャであると主張している。

 オルテガは大衆を「自分を良いとも悪いとも評価しようとせず、他人と自分が同一である事を快く思う人々」と定義する。大衆は歴史をある目的への過程や計画の実現の過程と評価しないため、直接行動主義ーファシズムを安んじて受け入れてしまう。歴史を尊重して支配、服従の関係を取り戻す事により想像性がうまれ、このような危機を回避することができると主張し、マンハイムと同様、知識人が担い手となり国家を制御すべきであるという貴族主義を提唱している。