マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』

担当者:大木竜児、吉良敦岐、守尾慎一


「世界の名著」マリノフスキー・レヴィ=ストロースを読んで以下の設問に答えて下さい。

マリノフスキー

1)マリノフスキーは、民族学の調査をどのような方法によって行わなければならないといっているか。

2)マリノフスキーは、本文の中で現代経済学の問題点を指摘している。その部分を抜き出せ。

3)クラ貿易が行われる地域の人々にとっての「労働」とはどのようなものか?そしてそのような現地民の性行を西洋人がどのように捉えているか?

4)組織的労働と共同労働の違いは何か?

5)マリノフスキーは「正確な民族学的調査困難である」と指摘しているが、それはなぜか?

6)原住民のクラ観によると、呪術は非常に大きな位置を占める。原住民は呪術についてどのように考えているか、まとめて書いて下さい。

7)クラ貿易とは何故行われるものなのであろうか?そこに見いだされる価値観とは?

8)もしクラ貿易が「その特定の地域だけに存在する手法」でなく、「人間による一つの行動形態の雛形」と捉えると、クラ貿易によって我々は現代人の行動を根本から見直さなければならないといえる。あなたの身の回りに、クラ貿易は存在するのか?あなたにとってのクラ貿易はいかほどの意味があるのか?

レヴィ・ストロース読書案内

1)レヴィ・ストロースの生きた時代の社会学とは、どのようなものだったか。彼が批判しているについて述べよ。

2)彼は、民俗学の研究以前に、哲学を学んでいる。彼の、哲学に対する認識を述べよ。

3)彼は、存在や事物に対して、どのような観察者の立場をとっているか。シニフィアンとはどのようなものか。

4)彼が、フロイトやマルクス、地質学の知見から得た方法とは何か。また、現象学、実存主義に対してどのような批判をしているか。

5)ヨーロッパの旅行者がサンパウロの風景を見て、狼狽するのは何故か。

6)カドゥヴェオ族が写真を撮られた時に行う行動を彼は、どのように解釈すべきであるといっているか。

7)人間、社会、習俗の体系はどのように成り立つものか。

8)カドゥヴェオ族の芸術に見られる二元主義とはどのようなものか。その特徴を述べよ。また、その二元主義とグァナ族やボロロ族を社会学的次元で比較している部分を述べよ。

9)ナンビクワラ族の首長の権力とはどのようなものか。特徴をのべよ。また、その権力がどのような必要から生じるものか述べよ。

10)彼は、社会学の内に、個人の心理を重要視しているが、それは何故か。また、どのように捉えているかについて「個人的な差異」という言葉を用いて説明せよ。


発表用レジュメ

マリノフスキー

1)マリノフスキーは、民族学の調査をどのような方法によって行わなければならないといっているか。

 この問題で最も参照しなければならないのは以下の部分であろう。

「1、部族の組織とその文化の解剖学は、明瞭で確実な枠組みの中で記録されなければならない。具体的な統計的資料の作成が、このような枠組みを作る方法である。2、この枠組みの中に、実生活の不可量部分と行動の類型が盛られなければならない。それらは、詳細な観察によって集められ、原住民の生活との密接な接触によって作られる一種の民族誌日誌というようなかたちで記録される。

3、民族誌学的な供述、特色ある物語、典型的な発言、伝承や呪文などは口碑文として、つまり原住民の考え方の記録として発表されなければならない。(P93上)」

 私はマリノフスキーの研究を以下の等式で現せられると思っている。

     マリノフスキーの研究=理論+フィールドワーク+観察者の個人差

 まず理論だが、この部分は「いかなる学術的研究でも先入観は有害になるが、過去において検討を経た問題は、科学的にものを考える人の基本的な財産であって、これらの問題は、理論的研究を行うことによってはじめて観察者に明らかとなるのである(P76下)」、「ある珍しい現象を記録するものが、同じ学問の研究者達に考えてもらうために自分の報告を譲り渡すことは、特権であるといっても良かろう。だが、それは特権であると共に義務でもあるのだ(P331下)」というところを参照してみる。ここでは科学の本質は「伝達されるもの」という点が強調されているが、これはデュルケム以来の社会学の影響であろうか?。そして、フィールドワークの強調は。上の記述の2番に注目してみる。ここで使われている実生活の不可量部分とは「資料を調べたり算定したりするのでは記録できない一連の現象(P87上)」であり、行動の類型とは「ある行事に見られる行動の仕方と形式(P89上)」で、これはフィールドワークによって明らかになるとマリノフスキーは述べている。

 また、マリノフスキーは「観察者の個人差」というところも考慮に入れて科学を考えている点が特色であろう。仮説検証型の学問は、まず仮説(理論)を作りだし、フィールドワークで確認するというものである(もちろんその仮説がフィールドワークに裏打ちされている場合もあるが)。しかし、仮説検証型の学問では完全性・客観性を過度に求めるがあまり「観察者の個人差」という点が見過ごされているのではないだろうか?マリノフスキーの方法では「観察者の個人差はあるが、事実をいて語らしめるように努めるべきである(P89上参照)」ということになる。あくまで客観的になろうと「努める」のである。

2)マリノフスキーは、本文の中で現代経済学の問題点を指摘している。その部分を抜き出せ。

 まずは原始的経済人という概念から押さえる。「それは現代の経済学の教科書に書いてある原始的経済人という考え方である。・・・この幻想的な原始人ないし野蛮人は、あらゆる行為を私利私欲を求める合理的な考え方にうながされて行い、目的を直接に、かつ最小の努力で達成する。(P129上)」

 ところが、マリノフスキーはトロブリアンド人は労働によって得られた収穫のほとんど全部が、努力した彼自身ではなく、親類のものになってしまうというところに着目する。また、クラで取引されるヴァイグアが実際には役に立たないものだというところも注目すべきであろう。これを見ても分かるよう、経済学の前提である「合理的個人」の概念は、その根底から崩れさる。しかし、崩れるといっても「貨幣と効用」の関係ですべての人間を表すことができるという側面においてである。

 マリノフスキーは、労働した個人は結局のところ他人から「賞賛」を得ることができるため、その点では功利的だといえるため、「人間は完全に功利的ではない」とまでは言い切らない。また、P131の脚注を見ても分かるが、マリノフスキーはすべての経済学的視点に対して「無意味だ」といってはいない。経済学的視点は一つのアプローチとして持つべきであり、ただ「問題を簡単にするために、経済学的視点だけに論点を集約することが間違いなのだ」といっているのである。ただ、それでもなおマリノフスキーの発言、つまり「人間は必ずしも合理的ではない」は力をもつ発言であろう。

 ここでは、「人間は完全に功利的な動物か」という問題が残るが、この辺はJ.S.ミル・ベンサムを読んだ後で検討する必要がある(といって逃げときましょう)。

3)クラ貿易が行われる地域の人々にとっての「労働」とはどのようなものか?そしてそのような現地民の性行を西洋人がどのように捉えているか?

 「彼らは部族の慣習によって、定められた義務の為にいやおうなしに労働するか、あるいは、慣習と伝統に支配される野心や価値の為に進んで労働するかのいずれかである(P198上)」という点を参照してみよう。これを見ても分かるように利得という概念が、原住民の労働意欲になることはなさそうである。しかし、白人がこの利得という概念によって原住民を動かそうとするから問題が生まれてくるのである。いくら給料を上げても原住民はその利得の為に働かないので、白人は「原住民は怠惰だ」という判断を下すのである。

 しかしこの問題は、文明社会の中だけでも、問題として十分取り上げることができるであろう(もちろん未開社会と向き合うとより明確になるのだが)。ウェーバーのいう「伝統主義」がこれと酷似しているのではないだろうか。ウェーバーは、人間は利潤を追求するという「資本主義の精神」と、習慣としてきた単純に生活をする「伝統主義」で人間の欲求を捉えており、お互いが相いれないものであることを指摘している(つまり一方が強い集団では、他方が弱い)。この問題を広義で捉えようとすると、「価値観はそれぞれの人間によって違い、それは伝わらない」というところまで見えてくるであろう。

4)組織的労働と共同労働の違いは何か

 組織的労働の定義は「組織的労働とはいくつかの社会的、経済的に相異なった要素の共同を意味する。しかし、これは大勢の人が技術的な分業もなく、社会的な機能の分化もなく、ただ並んで同じ仕事をするのとは全然違うのである(P200下)」である。共同作業の具体的な例は、多数の人がいっしょにカヌーを紐で縛ったり、詰め物をしたりする作業である。つまり、共同作業とは一つの目的のために、多数の人間がグループを作り、協力することであろう。共同労働は、組織的労働よりも刺激的でおもしろく、競争心が起きるため仕事の質も良くなり、作業の進行をかなり促進するのである。これは広い範囲に渡っての相互援助、奉仕の交換、仕事における連帯性を意味する。

 ここで注目しないといけない点は、村の酋長と村民の関係は「ブルジョアージとプロレタリアート」ではないという点である。カヌー造りで行われるカブトゥという共同労働の形式では働かせる人(酋長など)は、手伝ってくれるすべての人に食物を与えなければならない。「すべての人々を結合し、それぞれの作業を遂行させるものは、慣習と伝統への服従(P200上)」なのである。このような酋長の権力構造は「悲しき熱帯」に記載されているナンビクワラ族にも見れることができる。

5)マリノフスキーは「正確な民族学的調査困難である」と指摘しているが、それはなぜか?

 民族誌学者は、原住民の行動を抽象化し説明しようとするが、「私が直接の助けなしにというのは、我々が概括的に結論を導き出すためには、原住民から聞いた間接の資料に全面的にたよらねばならないからである(P295下)」点にまず注目すべきであろう。つまり研究は対象(客観)を分析するのである。そして「民族誌学者の仕事にもそれと同じように創造的な能力が必要とされているのである。しかしながら、自然科学の原理が経験的に得られると同じ意味において、民族誌的社会学の究極の包括も経験的に得られる。なぜなら、それらは、調査者によってはじめてはっきりと説明されたものではあるが、にも関わらず、客観的に示された人間の思考、感情、行動の生の姿だからである(P297上)。」というところを参照しても分かるように、客観的なデータと主観的な想像力によって、民族学の研究は進むのである。これを図式してみる。

<<マリノフスキーの研究方法モデル>>

事 象    原 理
│      ↑
(原住民に聞く)│      │(原住民に聞く)
↓      │
個人の中で総括的な原理を構成する

 これを見ても分かるように、未開社会と文明社会の接点は「原住民との会話」の間に生まれてくる。そして、そこでかわされる言葉が問題になってくるのである。そこで、P295上から記載されているところを参照してみよう。原住民は自分たちの信仰を考えるときでも、いくつかの基本的な前提条件を設けており、その前提条件を疑うことはない。民族誌学者がその前提条件のところに立ち入ろうとしてあらゆる疑問を投げかけても、原住民はもともとそのような領域を表す言葉が存在しないのである。仮に質問の意味が原住民に伝わったとしよう。それでも、既にこちらの観念が相手の考え方の中に流れ込んでいるため、原住民の見解は既に歪曲している。と、このような問題に対してもマリノフスキーはある程度自覚的といえよう。果たして、本当に未開社会を理解することは可能なのであろうか?いや、他人を理解することは可能なのであろうか?

6)原住民のクラ観によると、呪術は非常に大きな位置を占める。原住民は呪術についてどのように考えているか、まとめて書いて下さい。

 この問題に関しては容易にまとめが見つかる「原住民にとって、呪術は、特別の部門を成す。それは、本質的に人間的で、自立的で独立的な行為を含む特殊な力である。この力とは、社会の伝統と、一定の遵守規定によって資格を与えられた人間が、ある行為を行いながら発する一定のことばの性質の中に潜められている。そのような言葉と行為は、それ自体この力を有しその作用は直接的で、なんら他の力の仲介をへない。その力は、霊とか悪魔とか超自然的な存在の権威から引き出されたものではない。またそれは自然から苦労して引き出されたものとも考えられない。言葉と儀礼の力は根本的且つ普遍の力であるという信仰が、彼らの呪術の信仰の基礎となっている信条である(P330上)」ここから分かることは、呪術は人間の力を越えたものでありながら、なおかつ人間と切り放された存在から生まれてくるものではないという考え方である。つまり。呪術は「超日常的な神話の世界」と「正常な世界」との間の架け橋をするものである。

 西欧社会では、このような考え方は生まれてくるであろうか?西欧社会の場合、「超自然的な世界」と「日常的な社会」をつなぐものは信仰であったが、その信仰とはただ信じることによって(つまり絶対他律)のみ、神とつながることができるのである。しかし、このクラ貿易が行われている地域では、「超自然的な世界」と「日常的な社会」との間を結ぶものは呪術であり、呪術はある目的があって、個人が唱えるものである(つまり自律的)。つまり、西欧社会では人間という存在は「超自然的な社会が個人に働きかけて目的を達成」するのであり、未開社会では「超自然的な社会に個人が働きかけて目的を達成する」のである。

7)クラ貿易とは何故行われるものなのであろうか?そこに見いだされる価値観とは?

 クラ貿易が行われる点をマリノフスキーは以下のように要約している。「クラのもう一つの特異な特徴は、その本質そのものを成している取引自体の性格である。半ば商業的、なかば儀礼的な交換であるクラは、ものを所有したいという深い欲望を満たそうとして、それ自体を目的として行われるのである。しかし・・・特殊な型の所有であって・・・所有の状態は恒久性の点では完全ではないが、その代わりに、次々と所有する人間の数の点ではたいしたもので、累積的所有とでもいったら良かろう(P332上)」また、流通するヴァイグアは、自分に威厳を付けくれるもの、自分の存在を高めてくれるものであり、ヴァイグアを所有することはそれ自体が最高の安息なのである。

 つまりクラ貿易では以下の二点が重要なポイントである。

1)ヴァイグアの価値は、流通自体と流通の性格にある
2)ヴァイグアの価値は、所有することによる安息である

もしあなたが、これを二項対立とみるなら、「流通と所有が相異なるものだ」という視点に立っているからであろう。しかし、この問題を取り扱うときは「流通」「所有」とは何を意味するのかというところまでと、問題を深化させなければならない。

 私たちは所有というと個人的所有を考える。しかし、ここでクラ貿易が行われる地域でヴァイグアを所有している、つまり全体でヴァイグアを所有しているという概念を原住民が持ってるとしよう。だが、「彼らは社会構造の全体的輪郭について、知識を持っていない。自分自身の動機は知っているし、個々の行為の目的や、それに該当する規則も知っているが、これからどのように全体適性度が形作られるかという問題は、彼らの知能の範囲を超えている(P148下)」という記述を見ても、原住民にクラ貿易が行われる地域全体を見通す視点はないということが分かる。つまり全体的所有という概念は間違っているのである。

 本文に記載されている原住民の所有観は以下の通りである。「すべての人類と同様、クラの原住民達も所有することを好み、従って獲得する事を願い、失うことを嫌うけれども、ギヴ・アンド・テイクに関する諸規定という社会的な掟から、彼らの生来の利欲的傾向よりはるかに強い力を発揮しているのである。・・・しかし、重要な点に、彼らにとって所有することは与えることだという点である。(p162上)」

※これは調べてみてもおもしろいかも知れないが、現地の言葉で「所有する」と「与える」が同じ単語である可能性もある。

 「流通」という概念には二つの考え方ができると思われる。つまり、貨幣は「価値があるから流通する」という考え方と、「流通するから価値がある」という考え方である。後者の考え方をマリノフスキーは新たに提示したのではないか。つまり、一つの流通する事のできる空間(=構造)中に存在するから、貨幣は価値が存在するという考え方である。

8)もしクラ貿易が「その特定の地域だけに存在する手法」でなく、「人間による一つの行動形態の雛形」と捉えると、クラ貿易によって我々は現代人の行動を根本から見直さなければならないといえる。あなたの身の回りに、クラ貿易は存在するのか?あなたにとってのクラ貿易はいかほどの意味があるのか?

★なぜこの設問を作ったのか?

 マリノフスキーは「進化の問題に関心をもつ理論の専門の研究者にとっては、クラは、富と価値、商取引と経済関係一般の起源について考える手がかりを、なにか与えてくれる(P338上)」と締めくくっている点を見ても分かるように、未開社会に見られるクラ貿易を文明社会の分析に使おうとした。本書の中では、「クラ貿易から見た文明社会の交換概念」については記載されていない。しかし、マリノフスキーが見た民族学の可能性は、未開の文化から近代文明を見直すということである。当時のマリノフスキーにとって、それをすることは困難だったのかもしれないが、彼は「科学の本質は伝達すること」と考えていた。したがって、「西太平洋の遠洋航海者」を読んだ読者は、一人の学者としてこの問題について考えてみる必要がある。だから、拙いながらも各自の頭(もちろん自分も含めてですよ)で考えてもらうことにしたのである。

★一つの回答例

 これは7番でも記載したことであるが、個人的には貨幣がそれに値すると考えている。8番と問いかけ自体を読むと、ついつい「これはクラ貿易的交換を行っていて、これは近代経済学的交換を行っている」と分断して考えがちになるが、一つの交換形態は「クラ貿易的」か「近代経済学的」かというように、一つの交換形態の範疇に収まるのではない。貨幣を例に取ると、

 貨幣は価値があるから交換する(近代経済学的)

 貨幣は交換するから価値がある(クラ貿易的)

というように、「クラ貿易的」「近代経済学的」両方の概念が見えてくるのである。

 それまでの学問は、もの(貨幣)が先に存在し、そこから敷衍していく形で関係(流通、交換)というものを捉えてきた。しかし、マリノフスキーの研究により「関係性」というもの自体を科学が捉えようとするようになったのである。これが後に構造主義とつながっていくことになったのではないか。

 ただこれだけは間違わないでいただきたい。「人間は完全に構造の中に組み込まれている」というように断言をしているのではない。近代経済学的な視点もしかり、クラ貿易的は視点もしかりである。両方が影響を請け合って(もしかすると見えない第3極も)影響しあって、全体として存在しているのであろう。ここまでいうと言い過ぎかも知れないが、その極が多数に増えたものが「複雑系」ではないだろうか。


レヴィ・ストロース

1) レヴィ・ストロースの生きた時代の社会学とは、どのようなものだったか。彼が批判している点について述べよ。

 かつてインドの「カースト制度」について本を著したこの哲学者は、まず現地へいって観察した方がいいかもしれないなどとは、ただの一瞬も自問してみず(「もろもろの出来事が満ちてくるなかで、姿を保ちつづけているのは制度だけだ」と、彼(*1)は昂然と1927年の序文に書いた)、原住民の置かれた状態は、民俗学の調査にゆゆしい影響を及ぼすはずである、ということなど考えてもみなかったのだ。しかし、官製の社会学者の中で、こうした無関心を示しているのは彼だけではなく、そのような学者の見本は、確かに今でも存在しているのである(*2)。p388

(*1)セルスタン・ブーグレ。レヴィ・ストロースにブラジル行きを勧めた人物。

(*2)いわゆる「肘掛椅子の人類学者」で、現地調査を行わない。

<<他の社会科学との関係>>

 ここのところではただ社会学にこだわるよりも「社会科学」という眼で見ていただきたいと思います。例えば、ジョルジュ・デュマの例は避けて通れないところでしょう。レヴィ=ストロースはブラジル社会とヨーロッパ社会が結合している断片は以下の二つの集約できるといっている。

1、南ヨーロッパのプロテスタントの一家系

2、熱帯で悠然と暮らしているきわめて洗練された、そして幾分退廃した一つのブルジョア社会

デュマはこれが考古学的結合を持っているということに気づかなかった。彼が目移りして、地主達のブラジルを見つめ続けていたのである。したがって、当時の社会科学では未開に対する理解が少なく、社会的にインディアンを人間と認めた上で研究を行うという思想がなく(生物学的には同じ人間として認められていたが)、見せ物と化していたのである。

 研究対象に時間的な視点を持ってきたとき、一体自分の視点をどこにおけばいいのであろうか?レヴィ=ストロースもこのことに関して悩んでいる。「ブラジルの野蛮人の研究は、どの時代に行っていたら、最も純粋だという満足をもたらすことができ、また最も変質していない姿で、彼らを紹介することができるのであろうか(P384下)」というようなところである。また、「このように考えてくると、私は二者択一の隘路に追い込まれる。昔の旅人として、目を見張る様な光景に向かい合うか、又は現代人の旅人として、既に消滅してしまった現代の後を追って走り回るか(P385上)」というような記述もある。レヴィ=ストロースは、「現代人として現代の事象の中に過去の空気を感じとる」こと、つまり現代の事象から構造を抜き取ることによって文化人類学の基礎を築いていったのである。

2) 彼は、民俗学の研究以前に、哲学を学んでいる。彼の、哲学に対する認識を述べよ。

 哲学のクラスに入ってみると、私は自分が好んで正当化し、補強しようとしていた一種の理知主義的一元論が、漠然とではあるが私の中にしみこんでくるのを感じた。p393

 こうして私は、すべての重大なものでも些細なものでも、いつも同じひとつの方法を適用することによってけりをつけられるということを学んだ。p393

 こうした修練は、思考する変わりに一種の駄洒落を労することであり、結局のところ、言葉の上だけの問題になっていしまう。すなわち、それは、用語の間の類音、同音、多義などといったことであり、それらは次第に、純粋に観念的な見せ場を作り出すのに役立つことになり、立派な哲学研究とは、それを上手に行ったものということになるのである。p394

 この観点からすると、私の受けた哲学の教育は、知能を練磨すると同時に、精神を枯渇させてしまうものであった。

(私見)

 レヴィストロースの受けた哲学教育というものは、思考能力を鍛えるためのものであり、単に、道具として哲学を見ていたようである。その、道具を実践する場を欲して、あるいは、他の個人的な理由も加わり、彼は民族学に興味をひかれていったようである。たとえば、p404に著わされているように、「私がそこでであったのは、本から借りてきて、すぐに哲学の概念に変形させられる知識ではなく、原住民社会での生活の体験であり、しかも観察者が原住民社会に深く参与しているために、意味がそこなわれずにたもたれているような体験であった。」とある。

 レヴィ=ストロースは、サンパウロ大学で「すべての問題はいつも同じ一つの方法を適応するだけで解決する」ということに気がついた。その形式は以下の通りである。

@問題を伝統的な二つの見方を対置させる

A常識を正当化させることによって第一の見方を導入する
Bその正当化を第二の見方を使って崩す
C第三の見方の助けを借りて、第一と第二のものを背中合わせにして送り出してしまう

 この形式は何かとディベートに似ているのではないだろうか。ディベートの問題点でも指摘されるのだが、「この方法はどこにでも通じる合い鍵を提供してくれるだけでなく、豊富な思考の題材の中に、ただ一つのいつも似たような形式しか認めないようにしむけてしまうのである・・・この観点からすると、私の受けた哲学の教育は、知能を錬磨すると同時に、精神を枯渇させてしまうものであった(P394下)」という欠点が存在する。レヴィ=ストロースは既にその問題点にも自覚的であった。

 そしてサンパウロの哲学は「ロマネスク様式とゴシック様式のどちらが美しいか」という問いかけにいたり、価値観の問題を語り始めるようになった。つまり「知的な技巧が、真理への愛好にとって代わっていたのである。(P395上)」これが、哲学から彼が去っていく原因になったのである(しかし、これはサンパウロ大学で行われていた哲学だということをお忘れなく!)

3) 彼は、存在や事物に対して、どのような観察者の立場を取っているか。シニフィアンとはどのようなものか。

 まず、私は、「合理的なもの」の彼方に、よりいっそう重要でより有効範囲の広い、もうひとつの範疇が存在するのを知った。それは「意味を表わすもの(シニフィアン)」という範疇で、「合理的なもの」の最も高度の存在様式である。(中略)ついで、フロイトの著作は、私にこれらの対立は実際に対立しているのではないということ掲示してくれた。なぜなら、外見は最も情趣的な振る舞い、合理的なものからは最も遠い行動、前論理的とされている表現こそが、同時に、最もゆたかに「意味を表わすもの」だからである。ベルグソン主義ーーそれは、さまざまの存在や事物を、いったん粥のような状態に還元してしまったうえで、それらのものの言うに言われぬ本性をよりよく取り出そうとするのであるがーーの信条や不当前提の代わりに、私は、存在や事物は、その輪郭ーー存在や事物相互の境界を明らかにし、それらのものに、理解しうる一つの構造を与えるような輪郭ーーの明確さを失わないままに固有の価値観をもちづけうる、ということを知った。p400

 景観の全体は、最初見た目には、人がそこにどのような意味を与えることも自由な、ひとつの広大な無秩序として現われる。しかし、農学の考察や、地理学上、問題になるような出来事や、歴史時代、先史時代のもろもろの変換の彼方に、すべてをつなぐものとしての峻厳な「意味」があり、それらが、他のものに先行し、命令し、そして、かなりの程度まで、他のものについての説明を与えるのではないだろうか。p400〜401

<<無意識とシニフィアン>>

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌────┐        ┌────┐┃
┃│ 合理 │        │非合理 │┃
┃│ 知的 │ ←二律背反→ │情緒的 │┃
┃│ 論理的│        │前論理的│┃
┃└────┘        └────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

意味を表すもの(シニフィアン)=無意識

 外見は最も情緒的な振る舞いでも、その振る舞いはシニフィアンに立脚したものだといえる。したがって研究対象になるのである。それは本文の「外見は最も情緒的な振る舞い、合理的なものからは最も遠い行動、前論理的とされている表現こそが、同時に最もゆたかに『意味を表すもの』だからである。ベルグソン主義の信条や不当前提の代わりに、私は存在の事物は、その輪郭の明確さを失わないままに固有の価値を持ち続けうる、ということを知った。(P400上)」というところに記載されている。これが、レヴィ=ストロースが構造主義に目覚めた原因ではないか?

4)彼が、フロイトやマルクス、地質学の知見から得た方法とは何か。また、現象学、実存主義に対してどのような批判をしているか。

 過去の痕跡を手がかりとして、数千年の停滞の跡をたどり、急な傾斜ができ、地滑りが起こり、やぶが生え、耕地になり、といったあらゆる障害をのりこえて、小径(こみち)にも柵にもお構いなしに経過してきた停滞を進んでいくとき、人は、時間の中を逆方向に働きかけているように見える。ところで、この反抗は、支配的な一つの意味ーーおそらく見極めにくいであろうが、しかし、他のそれぞれの意味は、その部分的なあるいは変形された置き換えであるような、、支配的な一つの意味ーーを取り戻すことを、唯一の目的としているのである。p401

 私がフロイトの一連の理論に接したとき、それらの理論は、地質学が規範を示している方法の、個々の人間への適用であるように思われたのは、まったく自然なことであった。どちらのばあいも、研究者は、外見からは、どうにも人の理解を許しそうもない現象の前に、いきなり立たされるのである。p402

 しかし、私にとっては、マルクスが、歴史のかくかくの発展を正しく予見したかどうかを知ることが問題なのではない。マルクスは、物理学が感覚に与えられたものから出発してその体系を築いていないのと同様、社会科学は、事象という次元の上に成り立つのではないことを、ルソーにつづいて、私には決定的と思われる形で教えてくれたのである。p403

 マルクシズムは、創始者がそれに与えた意味において理解する限り、地質学や精神分析学とは、実在の中での異なった次元で、しかし同じやり方で働くように私には思われた。三つのやり方が、いずれも明らかに示しているのは、理解するということは、実在の一つの型(タイプ)を別の1つの型に還元することだ、ということであり、真のの実在は決して最も明瞭なもののではない、ということであり、さらに、真実というものの本性は、真実が身を隠そうとするその配慮の中に、すでにありありとうかがわれる、ということである。p403

 現象学は、実際に体験されたものと、実在とのあいだに連続性を求めようとする限りにおいては、私に反発を感じさせた。後者が前者を縫合し、説明することを認める点では賛成できたが、私が私の三人の先生から学んでいたことは、2つの領域のあいだの通路は不連続であるということであり、実在に到達するためには、まず体験されたものをいったん拒否すべきであり、体験されたものを、いっさいの感傷を抜きさった客観的な総合のなかにふたたびくみいれるにしても、それはその後のことであるということであった実存主義の中に開花しようとしていた思想の動向についていえば、(中略)その使命とはつまり、存在を私との関係においてでなく、存在自身との関係において理解するということである。p404

「私がフロイトの一連の理論に接したとき、それらの理論は、地質学が規範を示している方法の、個々の人間への適応であるように思われたのは、まったく自然のことである。それは一つの状況を含む諸要素の一覧表を作り、それを評価するために、彼の素質の繊細な部分、感受性や勘や観察力などを精いっぱい働かせることを求められる。地質学者と精神分析学者が対象とする歴史派、時間の中に、物理的、心理的世界の基礎をなしているいくつかの財産を、活人画にいくらか似たやり方で、投影しようとするのである。」

「マルクスは事象という次元の上に成り立つのではないということを教えてくれた。社会科学が目的としているのは、一つのモデルを作り、そのモデルの特性や、そのモデルの実験室でのさまざまな反応の仕方を研究し、ついで、これらの観察の結果を、経験できる次元でおこることがらの解釈にてきおうすることなのである。」

「三つのやり方(フロイト、地質学、マルクス)が、いずれも明らかに示しているのは、理解するということは、実在の一つのタイプを、別の一つのタイプに還元することだ、ということであり、真の実在は決して最も明瞭なものではない、ということであり、さらに真実という本性は、真実が身を隠そうとする配慮の中に、すでにありありとうかがわれる、ということである。」

「マルクシズムと精神分析学という、一方は社会を、他方は個人を視野に持つ人文科学に属する学問と、地質学という自然学とのあいだに、民族学は独自の世界を築いて自立している。なぜなら、私たちが、空間の制約以外には無制約と考えているこの人類は、地質学的な歴史が残してくれた地球のさまざまな変遷に、一つの新しい意味をつけ加えているからである。民族学は、人類と私に共通の理法のおおいを一挙にはぎ取ってみせる。すべての人間が等しく理解できるあの差異や変化を、民族学は人間のうちにおいて見当するからである」

 現象学については以下の批判を加えている。「現象学は、実際に体験されたものと、実在の間に連続性を求めようとする限りにおいては、私に反発を感じさせた(P404上)」「二つの領域の間の通路は不連続であるということであり、実在に到達するためには、まず体験されたものをいったん拒否するべきであり、体験されたものを、いっさいの感傷を抜き取った客観的な統合の中に再び組み入れるにしても、それはその後のことであるということであった(P404上)」

 実存主義に関しても、レヴィ=ストロースは批判を加えている。実存主義は「主観の幻影」に対して好意的な態度を示しているが、レヴィ=ストロースはこれは有効な思考法にならないといっている。つまり、個人の心意に関わることがらは、オフィスガールのおしゃべりと同じで、哲学の問題と呼ぶに値するものではないということである。

<<現象学、実存主義>>

@自分の実存を人間の根本におく(要するに自分がまず存在する)
Aそれから、構造について働きかけていく(構造を変えることができる)

 これを見て分かることは、実存主義の時間というものは不可逆性をもつものであるが、自分が自由に未来を選びとることができ、その結果として自分の過去も改編することができるのである。したがって、人間は構造の時間的な軸でさえ改編できる可能性がともなっているのである。

 ところが・・・

<<構造主義>>
@まず、構造(=シニフィアンか?)が存在する。

 これはユングのいう原始類型的なものであって、人間の存在に先立って存在するのである(無意識のレベルで)。しかし、ユングのいうように世界の誰もが根本的に持っているというところまでは言い切らない。これはあくまで「その人が生まれたところの文化(=シニフィアン、構造)」である。

Aそして、人間がその構造を取り込むことによって、それに立脚した形で個性を発揮する。

 これはピアジェのシェマという概念にかなり近いものを持っているのではないか(ピアジェも構造主義者なんで)。つまり、人間は自由であるが、その人間がたっている場所の構造を選ぶほど自由なのではないのである。

5) ヨーロッパの旅行者が、サンパウロの風景を見て、狼狽するのはなぜか。

 ヨーロッパ人の旅行者は、彼の伝統的な範疇のどれにも当てはまらないこの風景に狼狽する。われわれは、人の手の加わっていない自然というものを知らない。われわれの風景は、明らかに人間に隷従している。時として、ヨーロッパの風景は、われわれの目に野生のままのように見えることがある。しかし本当にそうなのではまったくなく、ただ、人間と自然のあいだにとりかわされる交換が〔森の場合にそうであるように〕、より緩慢なリズムでなされているからなのである。p427

 さらに、山の場合のように、提出された問題があまりに複雑なために、人間がそれに系統だった答えを与える代わりに、何世紀ものあいだ、こまかい数多くの行動によってそれに反応してきたからなのである。それらを要約した総括的な解答は、いまだかつで、はっきりと求められたことも、こうした考えられたこともなく、外見は元のままの自然の姿で、人間の前に現われている。このような解答から、人々は、風景を真に野生のものと思いがちであるが、実際はそれらは、一連の意識されない発意や決断の結果生まれたものなのである。p427

6) カドゥヴェオ族が写真を撮られたときに行う行動を彼は、どのように解釈すべきであるといっているか。

 しかしながら、この種の術策に逆らったり、さらには、それを退廃、いや金もうけの証拠と考えることさえも、民族学的にはなはだしい誤りであったというべきであろう。なぜなら、移し変えられた形態のかげに、このようにして、原住民社会の特徴というものが、ふたたび姿を現わしていたからである。すなわち、高い身分の生まれの女性の持っている自じと権威、外来者の前での虚勢、低い身分の人々に対する尊敬の要求などがそれである。おんなのよそおいは、その時の好みや気分次第のものだったかもしれない。が、この女を駆り立てていたあのような振る舞いは、元の意味をそっくりたもっていたのだ。それを伝統的な制度の脈略の中で復原するのが私の仕事である。

7) 人間、習俗、社会の体系はどのように成り立つものか。

 一つの民族の習俗の相対には、つねに、ある様式を認めることができる。すなわち習俗はいくつかの体系を形作っている。私は、こうした体系は無数には存在していないものであり、人間の社会は個人と同じく、遊びにおいても、夢においても、さらには錯乱においてさえも、決して完全に新しい創造を行うことはないのだというころを教えられた。社会も個人も、全体を再構成してみることも可能だと思われる理想的な総目録の中から、いくつかの組み合わせを選ぶに過ぎない。観察された、あるいは神話の中で夢想された習俗のすべて、さらに子供や大人の遊びの中に表わされている習俗、健康なまたは病気の人間の夢、精神病患者の行動、それらすべての一覧表を作ることによって、ちょうど元素の場合のように、一種の周期律表を書くことが可能になるかもしれない。その表のなかでは、いっさいの、実在にあるいは単に可能性として存在する習俗が、さまざまな系列にまとめられて姿を現わすことになるだろう。そして、もはやわれわれは、社会が実際に採用している習俗を、その周期律表によって確かめさえすればよいことになるであろう。p461〜462

(私見)この問題に関する点が、レヴィ・ストロースの構造主義を表わしている。構造主義の方法を実践する部分を抜き出す。「2つの社会のおのおのが、相互に類似した型の人間を、異なった社会的機能を充足するために用いるその用い方の等価の体系を、一種の格子窓をつけることによって設定することができるとしたら、2つの社会の関係はもっと容易になるに違いない。」p361ここに見られるように、二つの文化を見る視点として、異なった構造を持つそれらの文化が、同質でなある要素から成り立っていることを示している。次の言葉も拾ってみたい。「彼らの文明は、我々の社会が、古くからある一つの遊びの中で夢想して楽しんでいる文明を思い起こさずには置かない。つまり、騎馬の戦士であるこれらのインディアンは、<トランプの絵姿>に似ているのである。」p463「この地方に探検を試みた16世紀のあるドイツ人は、この関係を、当時中央ヨーロッパに存在していた封建領主と農奴との関係に比している。」p463「私は絵について語るのに、あえて紋章学の用語を使っている。というのも、カドゥヴェオ族の模様に見られる規則のすべては、どうしても紋章の原理を思い出されるからである。」p475

8) カドゥヴェオ族の芸術に見られる二元主義とはどのようなものか。その特徴を述べよ。また、その二元主義とグァナ族やボロロ族を社会学的次元で比較している部分を述べよ。

 前の論文でも指摘しておいたように、カドゥヴェオ芸術は、一種の二元主義ーー男女の二元主義ーーによって特徴づけられる。一方は彫るものであり、他方は描くものである。前者は多くの点での様式化にもかかわらず、ものを表象する、自然主義的なスタイルに執着している。これにひきかえ、後者は非表象的な芸術に専念している。いま、この女性の芸術だけに考察を限ると、そこにもさまざまな面で二元主義が現われていることを、私は強調したい。p474

 大部分の作品は、2つの主題を交互にあんばいすることによって成り立っている。そしてほとんどの場合、図柄と地とがほぼ等しい面積を占めているので、2つの役割を入れ替えて考えることによって、構図を2通りに読み取ることが可能である。つまり、おのおののモティーフは、陽画としても、陰画としても見ることができるのである。p475

 このようにして、」カドゥヴェオの様式が、なぜ我々のトランプの様式をさらに微妙なものとして想起させるかを説明することが可能になる。トランプのカードに描かれたおのおのの絵姿は、2つの機能をになっていなければならない。そして、その機能は二重である。すなわち、一個の客体(オブジェ)であること、そして向かい合った2人のパートナーのあいだの対話に、あるいは対決に役立つことである。さらにおのおのの絵姿は、一つの集合つまり一組の札の中のオブジェとして、おのおののカードにあてがわれた役割を演じなけばならない。

 この複雑な任務から、いくつもの要求が生じてくる。機能に基づく対称性の要求、そして役割に応ずる非対称性の要求である。問題は、対称的でありながら、しかし斜めに対称であるという構成を取り入れることで解決される。このようにして、役割には満足を与えるが、機能とは合いいれない完全な非対称の形式も、そして、これとは反対の結果をもたらす完全に対称的な形式も、とらないですむ。p476

 これらの種族は、3つの階級に分けられており、少なくとも過去においては異なる掟を持っていたように思われる。これらの階級は世襲で、それぞれの階級内で婚姻していた。しかし、ムバヤ族に関して前述してたような危険は、グァナ族においてもボロロ族においても、2つの反俗への分割によって、部分的には避けられていた。ボロロ族については、半族が階級を分断していたことが知られている。

 異なる階級の成員間の結婚は禁じられていたにせよ、それとは逆の義務が2つの半族には課せられていた。つまり一つの半族の男は、もう一方の半族の女をめとる義務があり、それは相互的なものであった。したがって、階級の非対称性が、ある意味で半族の対称性によって均衡を与えられているということである。p478

 グァナ族とボロロ族の体系について、私はごく簡単に叙述しただけであるが、この体系が、カドゥヴェオ芸術に関して様式の次元で私が取り出した構造に類似した構造を、社会学的な次元で示していることは明らかである。p479

9) ナンビクワラ族の首長の権力とはどのようなものか。その特徴を述べよ。また、その権力がどのような必要から生じるものか述べよ。

 あとでみるように、首長の権威は非常に弱いものであるが、この場合も、他のすべての場合と同様に、最終決定は、公衆の意見を前もって探ったうえでなされるらしい。指名される首長の後継者は、大多数の人々によってもまた最も好ましいとされたものである。しかし、新しい首長の選定は、集団の願望や好みだけによるのではない。選定は同時に、指名されるものの意図にも合うことが必要である。p548

 首長の政治力は、共同体の必要から生まれたものではないように思われる。むしろ集団のほうが、集団に先立って存在している首長になるかもしれない男から、集団の渇地や大きさや更には発生の由来など決まった性格を授けられるのである。p546

 ナンビクワラ語で、首長をさすのに用いられる言葉は、さらに意味深長である。「ウリカンデ」は、「統一するもの」または「いっしょにつなぎあわせるもの」を意味するように思われる。このような語源は、さきに私が強調した現象、つまり、首長は、集団が集団として成り立ちたいという欲求の原因として現われてくるものであって、すでに形成された集団によって感じられる、集権的な権威の必要の結果から生まれるのではないという現象を、原住民の精神が意識していることを暗示している。p549

 同意が権力の権限であり、彼が首長の地位にあるこの正当さを保っているのも、この同意なのである。p549

 それゆえ、彼が示さなければならないのは、全権を掌握した君主としての力量ではなく、むしろ、不確定な多数の同意を維持しようと努める政治家の手腕なのである。p550

 権力の武器として、まず第一に、そして最も重要であるのは、気前のよさである。p550

 実験はないが、報酬を受ければいつでも力になるという一,二の人を別にすれば群れの受動性はその指導者の積極的な働きぶりと奇妙な対照をなしている。まるで群れは、ある優越を首長に譲った代わりに、首長が完全に群れの利益と安全を守ってくれることを、彼に期待しているように見える。p552

 首長の実質的な特権である一夫多妻は重い任務を負った彼を元気付け、なぐさめるものであり、同時に、首長に、その重任を果たす手段を与えている。p552

 「同意」は、権力の源であると同時に、権力を制限するものである。p555

10) 彼は、社会学のうちに、個人の心理を重要視しているが、それは何故か。また、どのように捉えているかについて「個人的な差異」という言葉を用いて説明せよ。

 たくさんの男たちが、権力を避けるのも、こうした理由によるのである。しかし、なぜたの男たちはそれを引き受け、あるいはそれを求めさえするのか。心理的な動機を判断することは、いつも難しいことであり、私たち自信の文化とは著しく異なる文化を前にした場合には、そうした試みはほとんど不可能になる。いずれにせよ、一夫多妻の特権が、どれほど性的、情緒的、社会的に見て魅惑的なものであろうと、それだけでは、首長の仕事を志望する十分な動機にはならないということはいえるであろう。一夫多妻婚は、権力のむしろ技術的な条件である。個人の満足という観点からすれば、それは、副次的な意味しか持ち得ない。そこには、何かそれ以上のものがあるはずである。ナンビクワラ族のさまざまな首長の精神的、心理的な特徴を思いだしてみると、また、彼らの人格の中に感じ取られるあの移り変わりやすさ(それは、科学的分析によってはつかむことができないが、しかし人間としての交渉や、友情のさまざまな思い出に基づく直感では確かにそうと思われるのだ)を捉えようとする考えれば、否応なしに、次の様な結論に導かれるーー首長になる人間がいるのは、どのような人間集団においても、仲間とは違って、特権そのものを愛好し、責任を持つということに引き付けられ、そして公の仕事の負担そのものが報酬であるような人間がいるからである、と。こうした個人的な差異は、おさまざまな文化において、それぞれ異なった度合いで、発達し、作用させてきたものであるに相違ない。しかし、ナンビクワラ族の社会のように、火曜相違式による刺激がほとんどいない社会にも、このような個人の差が存在するということは、この差異がすべて社会的なものからのみ生まれたのではないことを示唆している。この際はむしろ、あらゆる社会がそれによって耕地記されているところの、人間の心理に関わる未加工の材料の一部をなしているのである。人間は、みな同じようなものではない。社会学者が、なんでもかんでも「伝統」によって圧しつぶされたものとして描いてきた未開社会においてさえ、こうした個人の差異は、「個人主義的」といわれている私たちの文明におけるのと同じくらい細かく見分けられ、同じように入念に利用されているのだ。


レヴィ・ストロースの構造主義について

 この著作で、あえて構造主義と呼ばれているものは、強く主張されていないようにおもえます。著作中に見られるのは、ほのめかし程度のものです。それというのも、この文章がエスノグラフィ、すなわち民族誌と呼ばれるものだからで、紀行文めいたものだからです。そこで、わたしたちなりのレヴィ・ストロースの主張する構造主義についての見解を説明して行きたいと思います。文化人類学の研究の方法は、マリノフスキーにもみられたように、具体的な部族社会というものが、対象となります。『悲しき熱帯』のキーワードの中にシニフィアンという言葉が出てきますが、これは何を意味しているのでしょうか。レヴィ・ストースは、文化に見られるシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)との関係を説明しなければならないとしています。具体的に、読書案内3に見られるように、シニフィアンは存在や事物のもつ輪郭といったもので、文化でいうと、ある大きな器を想定してください。器を器として扱わなければならないということです。しかし、その器は空っぽで存在するのではなく、内容を盛りだくさんに含んでいるのです。その内容物は、器によって意味され、規定されるのです。この器を文化の体系としましょう。そして、読書案内7を参考にしてもらいましょう。個人、習俗、社会などといったシステムは、さまざまな要素から成り立っており、まるで、ある一定の限られたパーツの中から組み合わせを行い、ひとつのマシンを作るといった感じでしょうか。ハードとソフトの関係に置き換えることもできるのではないでしょうか。社会に属している人たちは、伝統や習慣に従って行動をする。けれども、なぜそのような行動をするようになったのか、そして、そのような行動をする体系の「文化」とは何かを問われると、その人たちは、分からないでしょう。つまり、その人たちにとって、自分たちの文化が、どのようなものかということは、意識されていないわけです。具体的な行動は、彼らに意識されてはいるが、意識されていない部分に、文化人類学の解明すべき余地があるといえます。このことは、編者前書きのp36に著わされています。このような、隠された情報を拾い出す分析方法を、彼は、フロイトやマルクス、地質学から学んだといっています。。隠された情報を読み取る作業を著わした例として、読書案内6のようなものがいえるのではないでしょうか。読書案内4をご覧ください。これによると、彼は、感覚によって得られた情報をいったん拒絶しています。なんだかデカルト的ですね(笑)。ただ、デカルトのように、思考のみを便りにしようという発想ではありません。隠されたものを見極めなければならないといっており、その点に関しては、現象学に対する批判によく表れています。要するに、体験されたものは、そのまま実在にはならないということです。ついでに、実存主義に対する批判も説明しておきましょう。存在を観察者自身との関係に着目するよりも、存在自身との関係において理解すると言っております。すなわち、シニフィアンとシニフィエの関係はどうなっとるんだといいたいのでしょう。実存主義の、構造主義に対する批判は、人間の意志と理性の不在ということですが、私には、そのようには思えません。なぜなら、読書案内10に見られるように、個人の心理というものを認めています。おそらく、構造主義という切り口だけで、社会を見ようとするならば、個人の心理が観察の対象外にならざるを得ないということだと思います。

 さて、この構造主義の方法というものが、つまり、シニフィアンとシニフィエの関係に注目する方法が、文化の構造を理解するのに役立つといっております。シニフィエに属する領域であるもの、たとえば制度や芸術といったものは、ある程度決められた選択肢の中から選ばれた形をとるのですが、なぜそのようなことに気付いたのでしょう。それは、未開社会の中にも、西洋文明と同質な制度、芸術というものが認められたからだと思います。読書案内7の(私見)や、おなじく読書案内8にも書きましたが、彼は、文化が相対的側面を持つことを指摘しています。一部の宣教師や、開拓者たちがインディアンを野蛮人とみなしていたのに対し、なんとヒュ−マニスト的発想。彼が、彼自身の豊かな感受性によって、ヨーロッパ文明と同質のものを未開社会の中に見出したせいかも知れません。しかし、そんなことよりも、彼が、文化体系を成す要素は有限であることに気付いたことの方が重要に思われます。なぜ有限なのかという論拠はどこにも見出せませんでしたが。皆さんはどのようにお考えでしょうか。

 一方、彼が、文化の同質性だけに着目したわけではなく、隠された情報を読み取る方法は、文化の異質性とも言える点をとりあげています。読書案内5に見られるように、一般ヨーロッパ人が、熱帯の自然風景を当惑の目で見てしまう根拠を述べています。ついで、読書案内9では、未開社会の権力構造の一例を取り上げていますが、その理由は、ここで示された権力の発生が、集団の同意によるという一見奇妙なものに思われたからです。


講義録

担当:志摩健治、佐藤輝展

 従来の仮説検証型の科学(仮説+フィールドワーク)に観察者の個人差を考慮するという視点をくわえ、より客観に近づこうとする方法でクラ貿易を研究し、従来の流通の概念である「価値があるから流通する」に加えて、新たに「流通するから価値がある」という考え方を提示し、現代経済学の不備な点を指摘することにより、近代にありがちな、問題を簡単にするために経済的視点だけに論点を集約することの愚かさを明らかにした。未開の文化から近代の文明を見直そうとしたといえます。