『ケインズ、レーニン』発表用レジュメ

発表者:大木、倉辺、橋爪


レーニン 「マルクス主義の戯画」、「帝国主義的経済主義」読書案内解答

1、レーニンによると、帝国主義(独占資本主義)はなぜ政治的民主主義と対立するのか。

・新しい経済の上に、独占資本主義〔帝国主義は独占資本主義である〕の上に立つ政治的上部構造は民主主義から政治的反動へと転換する。自由競争に照応するのが民主主義で、独占に照応するのが政治的反動だ。 p423

→レーニンは帝国主義は経済の一形態であると断っている。すなわち、政治的なタームとしては用いない。

・対外政治でも国内政治でも同じことだが、帝国主義は民主主義の破壊を、反動を目指している。その意味で明白なのは、帝国主義が民主主義一般、あらゆる民主主義の「否定」であって、民主主義の諸要求のどれか一つ、たとえば民族自決と言ったものだけの否定では決してないと言うことである。p424

→つぎに、社会がどのような政治的上部構造を(たとえば、君主制、共和制など)そなえていようとも、経済的構造が、帝国主義だと民主主義は実現されないと述べている。では、帝国主義時代の先進国の政治は民主主義ではなかったのか。

・いったい、どうして、資本主義が民主主義と両立しうるのか。資本の絶対権力を間接的に行使するというやり方によってなのだ!そのための経済的手段は二つある。
(1)直接の買収
(2)取引所と政府との同盟

〔我々のテーゼでは、これは、つぎの言葉であらわされている−−−金融資本は、ブルジョワ機構のもとでは「どんな政府や官吏をも自由に買収する」と〕商品生産、ブルジョワジー、金権が支配しているかぎり、買収〔直接の、あるいは取引所を通じての〕は、どんな統治形態のもとでも、どんな民主主義のもとでも、「実現可能」である。 p428

→このような社会では真の民主主義は「実現不可能」であるとのべる。真の民主主義への願望が社会主義につながってい行くものと思われる。

2、ノルウェーのスウェーデンからの独立をめぐって、この独立の特徴とはなにか。どういった論理の具体例であるのか。

・我々のテーゼに挙げられているのは、こうである。金融資本は「いかなる国」をも、「たとえば独立国であろうとも」支配することができる。だから、金融資本の立場から見て、民族自決は「実現不可能」だと言う議論はすべてまったくの混乱である、と。ノルウェーで、その分離以前にも分離以後にも、外国の金融資本がはたしてきた役割についての我々の主張を裏書きしている資料が、まるで我々を反駁しているかのような形で引用されているのだ!!!金融資本についてのおしゃべりに時を過ごしているうちに政治問題は忘れてしまう−−−これで、いったい政治を論じるといえるだろうか。

 とんでもない。「経済主義」が論理的な誤りを犯したからと言って、政治問題は消えてしまうものではなかった。ノルウェーでは、その分離以前にも以後にも、イギリスの金融資本が「活動していた」のだ。ポーランドでは、この国がロシアから分離するまで、ドイツの金融資本が「活動していた」し、今後も、ポーランドのどのような政治情勢のもとでも「活動する」だろう。 p434

・民族的自決と言うのは、彼らの政治的独立のことである。帝国主義はそれを破壊しようとしているが、要するにそれは、政治的併合のもとでは、経済的な併合が、しばしばいっそう便利で、安上がりで〔官吏を買収し、利権を入手し、有利な法律を実施しやすい〕、重宝で、安全だからである。そしてこれは、帝国主義が民主主義一般を寡頭政治にとり換えようとするのと全く同じなのである。 p425

3、帝国主義諸国で起こるプロレタリアートのブルジョワジーに対する反乱は、低開発で後進的な国の被抑圧民族にどのように作用するのか。

・先進国のプロレタリアートがブルジョワジーを打倒し、その反革命活動を撃退しているあいだにも、低開発民族や被抑圧民族は、手をこまねいてはいないし、生きるのをやめもしなければ、消えてなくなりもしない。彼らは、社会革命に比べたらちっぽけな1915〜1916年の戦争といった帝国主義ブルジョワジーの危機をも、蜂起のために利用している〔各植民地、アイルランド〕のだから、先進国における内乱と言った重大な危機を彼らが蜂起のために利用するのは当たり前であり、疑う余地がない。

社会革命というものは、先進国のブルジョワジーに対するプロレタリアートの内乱と、低開発で後進的な被抑圧民族の幾多の民主主義的革命運動−−−民族解放運動を含む−−−とを結び付けている一時代?

なぜかって?なぜならば、資本主義は不均等に発展するものであり、しかも客観的現実は、高度に発達した資本主義的民族と並んで、経済的に極めて低い、または全く未発達な民族がかなり多く存在することを示しているからだ。 p444

4、レーニンの「抑圧」に対する見解を述べてください。また、「抑圧」のない、より好ましい社会の状態を彼はどのようなものとして描いているか。

・資本主義のもとでは、被抑圧階級が自分たちの民主的な諸権利を「実現」させることのできないような状態が、個々の偶然ではなく、典型的な現象として、ごく当たり前なのである。離婚の権利は、資本主義のもとでは多くの場合、実現を見ないで終わっているけれども、これは、抑圧されている性(女性)が経済的に押しひしがれているためでありまた、婦人がどんな民主主義のもとでも、資本主義の場合には依然として「家内奴隷」、つまり、寝室や子供部屋や台所に閉じ込められた女奴隷となっていいるからだ。p459上

・マルクス主義者であるからには、民主主義が階級的抑圧を取り除くどころか、かえって階級闘争をいっそう純粋に、いっそう広く、いっそう公然と、いっそうはげしくさせるだけであること、そして、それがわれわれにも必要なのだということを知っているはずだ。離婚の自由が完全になればなるほど、婦人を「家内奴隷」にさせている原因は資本主義であって無権利などではないということが、彼女たちにますますはっきりしてくるだろう。国家機構が民主的になればなるほど、悪の源泉となっていいるのは資本主義であって無権利などではないということが、労働者にますますはっきりするはずだ。民族の同権〔それは、分離の自由なしでは完全ではない〕が完全になればなるほど、問題は資本主義にあって無権利などにではないということが、被抑圧民族の労働者にますますはっきりするだろう。以下、これに準ずる。p459下

・ところが、ここに問題の核心がある。およそ、「民主主義」なるものは、資本主義のもとではその実現性がはなはだ乏しく、きわめて条件付きでもある「諸権利」を宣言し、これを実現することにあるのだが、しかし、このような宣言なしには、今すぐこれらの権利を目指して闘うことのなしには、このような闘争精神を大衆に植え付けることなしには、社会主義は不可能なのだ。 p460上

・社会主義は、二つの意味から、民主主義なしには不可能である。すなわち、

(1)プロレタリアートは、民主主義のための闘争で自らを鍛えることなしには、社会主義革命を成功させることができない。
(2)勝利を収めた社会主義は、民主主義を完全に実現することなしには、その勝利を保持して人類と国家の死滅へと導いてゆくことができない。p460下


講義録

担当:志摩、西沢

 アダム・スミスの「神の見えざる手」という考えの下に市場での自由放任が認められた資本主義は、その成長の過程で徐々にひずみを見せ始めてきた。レーニンはこれを資本主義の再考檀家として捉え、これを帝国主義の経済的側面として定義した。この帝国主義の下では、貧富の差がその社会構造によって生み出され、大きくは本国と植民地また小さくは資本家と労働者の関係がその構造にあたる。帝国主義によって形成された経済社会では、経済ですべてを説明することができる社会へ社会が自ら強化する方向で成長し、問題を一面からしか捉えることのできない(経済一元論)社会へと進んだ。ここにレーニンはパラダイムの転換として革命をその手段として考えているのである。