『孫文、毛沢東、ガンジー、ネルー』

発表者:生島、池田、志摩、任


孫文『三民主義』
1. 列強の世界主義と孫文の世界主義の違いはどこにあるでしょうか。また、レーニンは帝国主義を経済の一形態と捉えましたが、孫文はどのように捉えたでしょうか。
2. 自由を争う革命であったヨーロッパ革命に対し、孫文はあくまでも三民主儀による革命にこだわった。それはヨーロッパと中国の自由に関する状況にどのような違いがあったからでしょうか。また、個人と国家の自由にどのように言及しているでしょうか。
3. 物質を歴史の中心としたマルクスに対し、孫文が歴史の中心と考えたものは何でしょうか。

毛沢東 『実践論』『矛盾論』
1. 弁証法的唯物論の認識論とは何ですか?
2. 毛沢東は「秀才、門を出でずして、すべての天下の事を知る。」という言葉を用いて、一体何を説明しようとしていますか?
3. 毛沢東が言っている認識論の過程は2つがありますが、どんな事ですか?
4. 人類の認識史においては二つの世界観があるが、どんな世界観ですか?
5. 矛盾の普遍性が持っている2つの意味は何ですか?
6. 毛沢東は問題を研究する時に主観的、一面的、表面的であってはならないと言っていますが、その中の主観的、一面的、表面的というのはそれぞれどういう事ですか?

ガンジー『自叙伝』
1. 自叙伝を書くことについてなんと言っているか。
2. キリスト教に対してガンジーはどんな考えを持っているか。
3. サッティーヤグラハとはどんなことを意味しているか。
4. 自己抑制を強調する中で中心にあるのは何であると言っているか。
5. 『バガヴァット・ギーター』を読んでガンジーが理解したというのはどんなことか。
6. ヒマラヤの誤算の中で強調したかったのはどんな点か。

ネルー『自叙伝』
1. ネルーはガンジーの非暴力に何が欠けているといったか。
2. ネルーの農民に対する考え方や態度はどういうものか。またガンジーの考えとの違いは何か。


発表用レジュメ

孫文毛沢東ガンジーネルー

<<孫文>>

1、列強の世界主義

 彼らはかかる独占的地位を永久に維持し、もはや弱小民族の再起を許すまいと考え、それで毎日毎日世界主義を宣伝し、民族主義はあまりに視野が狭いという。その実彼らの主張する世界主義は、形を変えた帝国主義、もしくは形を変えた侵略主義に他ならないのである。(p130)

 世界の文明は、進歩しなけらばならない、人類の眼光は、遠大でなければならない、民族主義はあまりに狭くて、すこぶる適当ではない、だから世界主義を提唱すべきだ(p133)

●孫文の世界主義

 我々は、世界主義がどこから生まれてきたかを知らなければなりません。それは民族主義から生まれてきたのです。世界主義を発達させようとすれば、まず民族主義を固めなくてはならない。(p134)

 ヨーロッパ人が今日説いている世界主義のごときは、実際は、強権あって功利なき主義に他ならない。・・・このような、戦うことを説かないという立派な道徳こそ、世界主義の真の精神なのです。(p140)

2、ヨーロッパで起こった革命が自由を獲得するためのものであったのに対し、孫文が中国に必要であると考えた革命は、

 中国人には自由が多すぎるからこそ、中国には革命が必要なのである。中国革命の目的は、ヨーロッパ革命と正反対である。・・・我々には自由があまりに多いために団結がなく、バラバラの砂になっていた。(p174)

 というように自由(←このじゆうとは?)の弊害を取り除くための革命であった。

3、マルクスが物質を歴史の重心としたのは間違っている、社会問題こそ歴史の重心であり、社会問題の中では生存が重心である(p180)

 三民主義とは詰まるところ、救国主義である。


<<毛沢東>>

1、弁証法的唯物論の認識論は何ですか?

「理性的認識は感性的認識に依存しており、感性的認識は理性的認識にまで発展させられるべきものであること。」(P357)

2、毛沢東は「秀才、門を出でずして、すべての天下の事を知る。」という言葉を用いて、一体何を説明しようと思いますか?

「本当に身をもって知っているのは・・・・・・間接に「天下の事を知る」ことができるのである。」(P352)

「だから一人の人間の知識は、・・・・・・どのような知識も直接の経験からきりはなすことはできない。」(P353)

3、毛沢東が言っている認識論の過程は2つがありますが、どうなことですか?

「認識の過程の第一歩は外界のことがらに接触をはじめる事であり、感覚の段階に属する。第二歩は感覚的材料を総合し、整理、改造をくわえる事であり、概念、判断、推理の段階に属する。」(p356)

4、人類の認識しにおいては2つの世界観があるが、どんな世界観ですか?

「1つは形而上学の見方、1つは弁証法の見方である。」(P367)

5、矛盾論が持っている2つの意味は何ですか?

「1つは矛盾がすべての事物の発展過程に存在するという事であり、いま1つは個々の事物の発展過程には、始めから終わりまで矛盾の運動が存在しているという事である。」(P373)

6、毛沢東は問題を研究する時に主観的、一面的、表面的であってはならないと言っていますが、その中の主観的、一面的、表面的というのはそれぞれどういう事ですか?

 主観的というのは問題を客観的にみるすべを知らぬ事。
 一面的というのは問題を全面的に見るすべを知らぬ事。
 表面的というのは矛盾の全体と矛盾の各側面の特徴をみようとせず、事物の中に深く入って矛盾の特徴を精密に研究する必要を認めない事である。

7、矛盾の普遍性と矛盾の特殊性の関係はどんな関係ですか?

「矛盾の普遍性と矛盾の特殊性の関係は・・・・・・それゆえに、相対的である。」(P388〜P389)

8、例え多くの矛盾が存在するばあい、どうすればいいですか?

「これによって分かるように・・・・・・問題はすべてたちどころに解決される。」(P390〜P391)

9、矛盾の同一性と闘争性とはなんですか?同一性と闘争性の関係はどうですか?

「第一に・・・・・・これがつまり同一性といわれるものである。」(P396)

「レーニンは・・・・・・互いに闘争する事によって起こされたものである。」(P401〜P402)

10、矛盾の闘争性の問題には敵対とはなんですか?

敵対は矛盾の闘争形態のすべてではなく、1つの形態にすぎない。

『実践論』

1、実践は理論より大切だ。二つの例
 1)「秀才、門を出でずして、すべて天下の事を知る」
2)「虎穴に入らずんば虎児を得ず。」

2、弁証的唯物論の認識論の説明。一つの例 (山峡ダムの建設)

3、理論と実践が互いに依頼する関係

『矛盾論』

1、二つの世界観の特徴

2、矛盾論の普遍性の意味と意義

3、矛盾論の特殊性・・・環境問題の例を用いて、人類の認識運動の順序を説明する。

1)問題を研究する場合注意しなければならない事
2)矛盾の普遍性と矛盾の特殊性の関係

4、主要な矛盾と矛盾の主要な側面、矛盾の各側面の同一性と闘争性、と矛盾における敵対の地位の部分は読書案内を参考しながら、簡単に説明する。


<<ガンジー>>

1. 自叙伝を書くことについてなんと言っているか。

 わたしは単純に、わたしの行った真実に関する実験について話しをしようと思っているに過ぎないのである。わたしの生涯は、これらの実験だけでできあがっているのだから、話しといえば自叙伝の形をとってしまうことは間違いない。(p.66)

2. キリスト教に対してガンジーはどんな考えを持っているか。

 キリスト教の精神によれば、人間のみが霊魂を持つものであって、ほかの生物は魂を持たず、死ねば、それは完全に消滅してしまう、というのである。一方私の抱いている見解は、それとは正反対のものである。私はイエス・キリストを殉教者、犠牲の体現者、そして神聖な教師としては受け入れられた。しかし、古今を通じて、最も完全であった人間としては受け入れられなかった。(p.158)

3. サッティーヤグラハとはどんなことを意味しているか。

 真実(サッティヤ)は愛を包含する。そして堅持(アグラハ)は力を生む。したがって、力の同義語として役立つ。こうしてわたしは、インド人の運動を「サッティーヤグラハ」、すなわち、真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力と呼びはじめた。(p.248)

4. 自己抑制を強調する中で中心にあるのは何であると言っているか。

 自己抑制はすべて霊魂にとっては益があることを疑わない。確実なことは精神が中心である。汚れを意識している精神は、断食でも清められない。食事を変えても、それには効果はない。強烈な自己点検、神への服従、それから最後に恩寵による以外、精神から情欲が根絶されることはない。(p.238)

5. 『バガヴァット・ギーター』を読んでガンジーが理解したというのはどんなことか。

 無所有に関してギーターの教えていることは、救いを求める者は莫大な財産の管理はするが、そのうち一銭たりとも、彼の私有とみなしてはならない、ということであると知った。無所有と平等は、心情の変化、態度の変化を前提とする(p.215)

6. ヒマラヤの誤算の中で強調したかったのはどんな点か。

 人が市民的非服従の実践に適するようになるには、その前に国家の法律に積極的且つ尊敬をこめた服従を行っていなければならなかった。たいていの場合、私達は法律に違反すると罰せられる恐れから法律に服従している。(p.346)

 けれどもこのような服従は、サッティーヤグラハに要請されている積極的自発的な服従ではない。サッティーヤグラハ運動者は社会の諸法律をよく理解し、そして彼自身の自由意志からそれに服従する。(p.347)


<<ネルー>>

1. ネルーはガンジーの非暴力に何が欠けているといったか。

 「私達の敵は、常に、私達が必ず闘争を中止してしまうようになる状況を作り出す力を持っている事になる、と思った。こうした事は、非暴力の方法それ自身の欠陥だろうか、それともガンジージの解釈の欠陥だろうか。」441頁下段〜442頁上段

 「『あなたが皮膚苦渋運動の停止を宣言なされたと聞いた時には、私は悲しい思いでした。・・・すっとあとになって、私はあなたの声明を読みました。が、それは今日まで私がなめた最も大きなショックになりました。」44ページ上段

2. ネルーの農民に対する考え方や態度はどういうものか。またガンジーの考え方との違いは何か。

 「『ガンジーとネルーとの間には、貧農国インドについての考えかた、態度に大変な違いがあった。ガンジーは農民の中に神を見て礼拝した。ネルーは農民の眼差しに身を震わせて感動詞、農民と一体である事が理解できた。だが、後年明らかになった事であるが、ネルーは、ガンジーが賛美したとも思えるほど重視した貧農の生活に、少しも魅力を感じなかった。ネルーは、フェビアン的な社会主義の知識を借りて、農民を単純で無知で貧乏な生活から引っ張りあげて、農村地方にと快適な文化生活を広げたいと、都市から働きかけたのだった。そのためにネルーは、生産を増やすための工業化が、貧困と落魄と失業と屈従をインドの生活から取り去る唯一の道だと確信した。」38頁下段〜39頁上段

 一方、ガンジーは近代文明の象徴である機械失業者を増やすものとしてを厳しく批判非難している。ヴィシュヴァバラティ大学の学生ラマチャンドランとの対話の中で次のように述べている。

 「現在は、一部の小数のものが、大衆の搾取によって生活する事を機械は助けている。この少数者の行為は、人道や人間愛ではなくて、貪欲と欲望である。私は全力を挙げてこれと戦いたい」


●孫文、毛沢東、ガンジー、ネルーを扱って 12/18/97(文責:生島)

 今回いずれの文献の中でも「自立」することが強調されているように感じられた。西洋からの自立、民族の自立、市民の自立、教条化に対しての自立などである。いずれの立場も帝国主義を否定し、被抑圧民族、植民地の民族の自決をうながしたレーニンと共通しているであろう。その視点を貫くことによって確かに中国も、インドも植民地支配からは脱している。

 しかし、現在その「自立」はどのようになされているのであろうか。「自立」というのは本当に実現されているのであろうか。また、帝国主義を排して民主主義をとったからといって、帝国主義によって入ってきた帝国主義によってはいってきた西洋的価値観の影響、帝国主義によって残された経済格差を無視できるのであろうか。中国、インドに限らず、日本、アフリカなどの非西洋についても共通の問題を抱えているのではないだろうか。

 また「自立」するという発想自体が帝国主義の発想と根底で繋がっているような気がしてならない。「自立」もその民族にとっての「自立」であれば、結局のところ自分の価値観に植民地を取り込んでいく帝国主義の発想とは変わらないのではないだろうか。もっともだからといって、民族主義、帝国主義の代わりに「世界共同体」を持ち出して解決できることなのかどうかは良く考えてみる必要があるであろう。

●提題案 現在中国やインドは西洋から、また市民が「自立」しているかどうか。