『老子』世界の名著・中央公論社

担当:大木・大頭・江西・高島


1、道の特性を叙述している部分を抜き出してください
  
 第一章。第四章。第八章。第十四章。第十六章。第二十一章。第二十三章。第二十四章。第二十五章。第三十章。第三十二章。第三十四章。第三十五章。第四十章。第四十一章・・・
 

2、道ということばを考えるにあたって、道ということばから滲み出ているニュアンスを考えてみよう。そして、老子のいう共同性をかんがえてみよう。

 我々が道ということばを、イメージするときどのようなものを想像するだろうか?それは、形が与えられたものではないだろうか?老子は、道を形がないものとしている。これは、老子のロジックに矛盾を引き起こさないだろうか?
 第二十五章において、老子は「道」を字(あざな:仮の名)としている。真の名を付けるとすれば「大」であるという。これは、老子がこの自己矛盾ともいえる点を、をあらかじめ理解した上で、さらにその矛盾を説くためにかいた一説ではなかろうか?
 
 老子は、「道」を2つの意味で使っていると思われる。一つは、それ自体で存在する「道」。もう一つは、人間が個人個人で理解する「道」である。前者は、人間社会というレベルからは離れたものであり、人間がどのような行動をとろうが、たとえ滅びようとも、変わることなく「道」であり続ける。
 しかし、後者は、人間の道理解というべきものである。個人個人によって異なるものであり、さらに時代によって異なるものでもある。これは、完全に人間社会というレベルと同じところにある。

 一口に道と行っても、個人あるいは時代によって異なるのだから、そういったいろいろなパーソナリティをもつ、人間が作る共同性もまた、多種多様に存在する。(例:国、村、家族)そういった、多様な共同体は何故、存在するのだろうか?わたしは、そういったすべてのものの存在の根元を「道」とすることで、全てのものの存在を認めてしまったのではないかと思った。

 しかし、老子が生きた時代のような戦乱の時代の存在を認めつつも、老子は、むかしの人民全員がうまい具合にまとまっていたといわれる聖人の時代を出してみたり、小国寡民を数ある国家のモデルの中から出すあたり、やはり、老子個人は戦争はない方がいいと考えていたのではなかろうか。
 

3.老子の人間観が滲み出ている部分を「無為(行為を為さない)」という言葉をキーワードにして説明してください。

キーワードは当初の予定より増えてしまいました。陰陽、背後、低位、無為、そして人間観というふうにつなげてゆきます。
以下に、キーワードを抜出せる箇所を一覧にしておきましたが、数が多いので、参考程度に考えてください。これらのキーワードを用いることによって老子の考えていた人間観に迫りたいと思います。テーマは複雑性についてです。番号は章を表わしています。

陰陽:ものごとは二つの側面から成り立つ。
1、「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。この二つは同じもの(鋳型)から出てくるが、・・・
2、天下すべての人が皆、美を美として認めること、そこから醜さ(の観念)が出てくる。
36、(あるものを)収縮させようと思えば、まず張り詰めて・・・
26、重いものが軽いものの根本であるように、・・・
39、その昔の「一」(の原理)を獲得したもののなかでは、・・・まことに「貴いものは賤しいものを根本にして立ち、高いものは低いものをその基礎とする」。
42、「道」は「一」から二つ(のもの)が生まれ、二つ(のもの)から・・・。すべての生物は背を陰にして陽をかかえるようにする。

背後:人間の拠って立つ立場には背面ができる。
3、もし我々が賢者に力を持たせることをやめるならば、・・・
7、天は永遠であり、・・・。それゆえに聖人は(人の)は以後に身を置きながら、実はいつも前方に・・・
8、上善は水の若し。水を善く・・・
9、器を手に持って、いっぱいにしたままでおくのは、・・・
28、雄さ(の力)をしりつつ、雌さ(のまま)にとどまるものは、天下の(何者をも受け入れる)谷間のようなものとなる。
38、徳の高い人間は・・・
35、大いなる象をしっかり握るものには、・・・
31、優れた武器は、不吉な武器である。
38、高い「徳」のある人は、「徳」を自慢することがない。・・・
41、最も優れた士は「道」について聞いたとき、力を尽くして・・・。「明らかな道ははっきり見えず、前へ進むべき道はあともどるように見え、・・・
42、・・・。ところが王や公たちは、それら(のことば)を自称とするのだ。・・・
44、名誉と身体、どちらが(人にとって)より切実であるか。・・・
45、最も完全なものは何か欠け落ちているように・・・。
50、生き延びる道と、死におもむく道があるときに、・・・
56、知っているものは、しゃべらない。・・・
60、・・・精霊たちが威力をふるわないといういうよりは、彼らは威力を持ちつつ、人民を傷つけない(というべきだ)。
68、すぐれた戦士は荒々しくはない。・・・
69、戦術家に次の言葉がある。「わがほうは(攻撃の)主動者となろうとしないで、・・・
73、・・・。天の道は、争わないで勝ち、ものもいわないで応えることにすぐれているし、・・・
81、信義のあることばは美しくない。美しいことばには信義がない。・・・

低位:あえて、低きに設定する。
61、大きな国は(川の)下流であって、天下の(すべての流れが)交わるところである。・・・
63、それゆえに、聖人は決して(みずから)大となろうと派しない。だから大となることを成し遂げる。
66、大江(揚子江)や海が幾百の川や谷の王である理由は、(この二つが)優れて低い地位にあるからだ。・・・
67、わたしには三つの宝がある。・・・。第一は自愛、第二は倹約、第三は天下の(人々の)先頭に立たないことである。・・・
72、それゆえに、聖人はみずからを知るが見せびらかさない。みずからを愛するがみずからを持ち上げようとはしない。
80、国は小さく住民は少ない(としよう)。・・・

無為:何も為さないことによる安定性。
10、落ち着きを無くした魂を迷わぬように・・・。しかも何の手出しもせずに・・・
47、・・・何の行動もしないで(万事を)成し遂げる。
48、・・・いつでも(よけいな)手出しをしないことによって取るのである。
57、・・・。しかし、天下を勝ち取るのは、手出しをしないことによってである。

人間観:基本的に個人主義、不干渉。
13、寵愛と屈辱は(人を)狂ったようにさせるものだ。・・・自分の身だけを大切にすることが、・・・。
63、行動しないようにせよ。干渉しないことを事とせよ。・・・
75、人民が飢えに苦しむ。それは上にあるもの(統治者)が税金をとることが多すぎるからであって、・・・。人民が治めにくいのは、・・・上にあるものが干渉するからであって、それゆえに治めにくくなる。
 

4、老子の自然観が表れている箇所を抜き出してください。

5章 天地は仁あらず。
6章 谷神は死せず、是を玄牝という。玄牝の門、是を天地の根という。綿綿とし
て存するが若し。これを用うれども勤きず。
7章 天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自ら生せざるを以ってなり。故に能く長生す。
8章 上善は水の若し。水は善く万物を利してしかも争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。
25章 人は地に法り、地は天に法り、道は自然に法る。
32章 たとえば道の天下に在ること、猶川谷の江海におけるがごとし。
39章 昔の一を得る者は、天は一を以って清し、地は一を以って寧し、神は一を以って霊なり、谷は一を得て以ってみつ。万物は一を得て以って生ず。候王は一を得て以って天下のかしらと為る。
43章 天下の至柔は、天下の至堅に馳テイす。有無くして間無きに入る。吾是を以って無為の益有ることを知る。
66章 江海の能く百谷の王と為る所以の者は、其の善く之に下るを以ってなり。
78章 天下に水より柔弱なるはなし。しかも堅強なる者を攻むるに、之に能く勝つことなし。

 老子は自然を「道」に沿うもの、とみた。それは自然を使って「道」の天下におけるありかたをたとえていることからも伺える。
 自然:それ自身でそうであるもの(25章)であるから、無為とは、それ自身であろうとすることである。→具体的には、欲望をできるかぎりもたないこと(7章)、自分自身の命を育てようとしないこと(7章)、争わないことをさす。
 老子は水を「道」に近いものとしている。水は、あらゆる生物に恵を施し、しかもそれ自身は争わず、それでいてすべての人がさけずむ場所に満足している(8章)そしてしなやかであるため堅強なものにも勝るのである。(44章、78章)

・無為について 
 

・永遠について
 

・持続可能な発展と老子の関係についての問題。
 

5、老子は、自分についてどういうふうに述べているでしょうか。

彼は欲を持たず、世人と違い、楽しむことがない。重く沈んでいる。だが、違いは…
・第20章(特に後半) 
老子は自らの内面を孤独におき、関わりを絶って、純粋自己(赤子のように何もせず何かを知ろうとしない状態)に帰ろうとする。それは一見共同性を断つ行為にみえて実は、あらゆる考え方を受け入れようとしているのである。
 

6、老子の思想の歴史的背景について考えてみてください。特に、儒家の思想との関連において考えてください。

【老子が受けた影響】
儒家など諸子百家の思想に刺激され、仁愛や、大義名分や、礼、智を逆説的に捉えた。
それぞれ、儒家や法家などの求めるものは、普通の意味で使われる「道」と呼びうるものであり、老子はそれらの「道」という言葉をあえて使ったようにも思われる。

・第5章  老子は「仁」が天地や聖人はその治める対象に対し、存在しないという。
・第16章 虚に向かって一心に進み、静寂を守ると、生物はどれも盛んに伸びる。
・第18章 「大道廃れて、仁義有り」儒家にとっては仁義が大道。逆説的。
・ 第19章 知恵・仁をなくしてしまえば、利己心を少なく、欲望を抑えるだろう
・第32章 「道は常にして名無し」
  
【後世への影響】
今日、道教思想といわれるものでも、不老不死や仙人という後世の代表的な思想が老子の思想から影響されている事が読み取れる個所。
・ 第34章 「道」は自由な存在。
・ 第35章 音楽や食物と違って、「道」は面白味がないことのようであるが、なにものにもとらわれない。

以上の個所などで、「道」に従うものは、なにものにもとらわれないから、なんでもできる。そういう、無為自然に生きる方法が人に適用される場合、理想的なのが不老不死という思想や仙人という思想につながっていったと思われる。それにしても、道教思想の祖と言われる老子の少ない言葉達から、後世の人々は豊かに想像力を膨らませ、姿のなかったはずの「道」に、具体的に「理想」(仙人など)をあてはめて、世俗に広まっていったと思われる。
 

7、持続可能な発展という近代の発想と老子の思想の関連性を考えてみてください。

※ 持続可能な発展とは、開発や資源の搾取をこのまま続けていくと、地球環境や生物、人間の生態系がくるうので、人間が短期の発展でなく、長期の発展を考慮する、発展政策をたてること。


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