レジュメ
文責:川本悠介 国広創(06/11/99 update)


(1)集団においてフロイトの提示した集団心理学とそれ以前の主要な違いはなにか?  
「その他、社会学や集団心理学の著者たちの説明として、我々に与えられたものは、名称こそかわるがいつもおなじ一つの呪文、すなわち暗示Suggestionという呪文に帰着する」P210

「このようにして暗示は(より正しくは、被暗示性は)まさにそれ以上還元できない根源的現象、人間の精神生活の根本事実である、とすぐにも主張されるかもしれない」P210
「それゆえ集団の中では、自己愛的な自分に対する愛情が制限され、集団の外では制限されないとすれば、どう見ても集団形成の本質は、集団の成員相互のあらたなリビドー的結合のうちにあることが示唆されるであろう」P221

解答:フロイトが提示する以前は、集団における個人と個人の結合をになうものを暗示としている。ルボンはその集団における個人の状態を催眠状態とみなして、催眠状態であるから暗示がかかり、個人から個人へと伝染するとしているが、その暗示の源泉がどこにあるかについては言及されていない。トロッターは生物学的見地から集団の形成が行われるとしている。マックドゥガルは集団と共にする、また権威に服従することが安全につながるという原理から、集団は形成されているとしている。つまり、彼等は暗示そのものに言及せず、それ以上は還元できないものとしている。しかし、フロイトはこの暗示という言葉によってごまかされていたものを解明しようとした。


(2)同一視とほれこみについて、そのメカニズムを示せ。
「同一視は、リビドー体制の最初の口愛期の流れを汲んでいるのであって、渇望し尊重する対象にこれを食べてしまうことによって同化し、また、そのようにして対象を滅ぼしてしまう」P222

「ほれこみとは、多くの場合、直接の性的満足を目標とする性的衝動から対象備給に他ならないが、その満足は、この目標達成とともに消滅するのであって、それは、ありふれた、感覚的な愛とよばれているところのものでる」P22

「第一に、同一視は対象に対する感情結合の根源的な形式であり、第二に、退行のみちをたどって、同一視は、いわば対象を自我に取り入れることによって、リビドー的対象結合の代用物になり、第三に、同一視は性的衝動の対象ではない他人との、あらたに見つけた共通点のあるたびごとに、生じうることである」

解答:
同一視
  同一視は、対象に対して大きな対象を自我に取り込むことで成立する。
ほれこみ
  ほれこみは、対象を自我理想の代わりとして、自我を対象に与えてしまう。対象が自分の自我と同じように扱われているために、ほれこみの状態では自己愛的リビドーが大量に対象にそそがれている。そのように対象が愛されているのは、自分の自我のために、つまり自分の完全を求めるために(自己愛の満足)そうなるのである

(3)指導者と個人の結合のほうが個人と個人の結合よりも決定的になるのはなぜか。
「暗示の現象に見られる集団形成の無気味で強制的な性質は、おそらくまちがいなく原始群族にその由来を帰してよいであろう。集団の指導者は依然として恐れられている父祖であり、集団はつねに無制限な力によって支配されることを欲している」

解答: 原始群族において、父祖はまだ神格化されていなかったわけだが、父祖が嫉妬から息子達に禁欲を強いることによって、禁欲をしいられているという感情結合が生じた。それが集団心理の原因であるが、息子達は父祖から迫害されたことで、祖父を恐れるようになりやがて神格化されていった。その原始群族の古代の遺産が現代にも伝わっているために、指導者と個人の結合が決定的になっている。


(4)対象を保持する同一視はあるのか。もしあるとすれば対象と自我の関係は?


(5)無意識的な衝動の抑圧をすてることのできるという条件で集団にはいるとあるが、どういう作用で無意識的な衝動の抑圧はすてられるのか。

「我々の意識的な行為は特に遺伝の影響によって作られた無意識的な基体によって左右される。この基体は種族の精神を構成している世襲の遺産を無数に含んでいる。我々の行為の自認する動機の背後に我々には知られていない秘密の根拠があるに違いない」

「我々の行為の大多数は我々の知らない隠れた動機の作用に過ぎない」


(6)集団において、意識、無意識はどのように作用するか。集団にはいると精神の上部構造が取り払われるということあるが、そこにおいて意識はどのような状態にあるのか。