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フロイト「人間モーセと一神教」
発表者:堀川、吉本
99/4/25
レジュメ

文責:吉本陵
(6月18日update)

1.フロイトはモーセがエジプト人であると主張し、その根拠を二つあげています。それを指摘してください。(1:エジプト人モーセより)

 @モーセの名がエジプトに由来する。
 Aモーセは棄児伝説より、第二の家庭であるエジプト王家が彼の実の家庭である。

2.ユダヤ教の成立について段階をおって説明してください。(2:モーセがエジプト人であったとすれば・・・)

 引用:
 (モーセの)偉大な過去についてこの伝承こそ、いわば背景から作用し続け、次第に人々に力を及ぼすようになり、ついにヤーヴェ神をモーセの神に転化させ、数世紀以前に導入されながらその後捨てられたモーセの宗教をふたたび蘇らすに至ったのである。(p.366)


 ユダヤ人はエジプト王アメンホーテプが奨励した一神教アトン教がモデルとなって生まれたモーセ教を信じていたが、カディーシュにおいて神神の山を棲家とするデーモンのヤーヴェ神を受け入れ、それを自分たちの神とした。モーセはユダヤ人によって殺されるが、モーセ教の考えは世代を超えて太古の遺産として伝承され、それがユダヤ一神教理念につながる。

3.心的外傷から神経症発症までの過程と「トーテムとタブー」の内容をモデルにして、モーセ教からユダヤ教への移行を説明してください。(B潜伏期と伝承、C類似、D応用、E難点より)

 引用:
 早期の心的外傷→防衛→潜伏→神経症の発生→抑圧されたものの部分的回帰(p.332)


 「トーテムとタブー」の中からこれと関連するモデルを図式化すると、@父親の支配A兄弟による父親の打倒B兄弟間での社会契約の成立Cトーテム動物の人間化D原父の復権、となる。これと、上の引用とをモーセ今日からユダヤ教への移行に照らし合わせてみると、まず一神教のモーセ教があり、それがモーセの殺害によって一神教は人々の頭から消えてしまう(潜伏期)。この潜伏期の間は一神教は抑圧されている。しかし、神経症が記憶痕跡によって潜伏期を生き延びるように一神教の理念も「太古の遺産」として人々の無意識のレベルでの伝承として生き延び、ユダヤ教として一神教が復活する。

4.フロイトの宗教観について述べてください。(d 欲動の断念より)

 引用:
 この欲動の断念は、不快を生み出すことは避け難いが、その他に自我に対して快感利得、いわば代償満足をもたらす。自我は高められたと感じ、勝ちある業績を誇るようにこの欲動の断念を誇ることになる。(p.360)
 超自我は、個人の行動をその生涯の初期において監督していた両親(および教育者)の後継者兼代理人であり、両親(および教育者)の機能をほとんど変更せずに継続する。(p.360)
 偉大な人間とはまさに権威であり、その権威のために業績がささげられる、そして偉大な人間自身父親と似ているおかげで影響を発揮する以上、集団心理学の中で偉大な人間に超自我の役割が与えられても異とするにはあたらない。(p.361)


 個人のレベルで超自我の源になっているのは父親である、すなわち、父親の権威を内面化することで超自我は形成される。ユダヤ人にとってはモーセがその超自我の源であった。そしてその教えに絶対的に服従することがユダヤ人に欲動充足の断念が生む代償満足につながる、とフロイトは考えた。したがって、宗教とはそれが持つ超自我に信者を服従させることで、信者に代償満足を与えるものであると、フロイトは考えていたと思われる。

5.神聖さ(p363)と宗教との関連を説明してください。

   引用:
 われわれは、神聖なものに固く付着している禁止性格を出発点にしたい。神聖なものとは、明らかに触れられてはならぬものである。神聖な禁止は非常に強く情緒的に強調されるが、本来合理的な根拠を欠いている。(p.363)
 族外婚というものを消極的に表現すれば近親相姦忌避ということになるが、この族外婚の掟は父親の意志のうちにあり、父親除去後この意志を引き継ぐものであった。そこからこの掟の情緒的強調の度合いが強くなり、合理的な根拠付けが不可能になってくる。つまりこの掟の神聖さが生じてくるのである。神聖なる禁止のほかのあらゆる事例を調べても、神聖さとは元来引き継がれた原父の意志以外の何ものでもない(後略)。(p.364)
 父親に対する関係一般を支配しているのは両価性なのである。(p.364)
 割礼は、原父がかつて完璧な権力を行使して息子たちに課した去勢の象徴的な代替であり、この象徴を受け入れたものはそれによって、父親からどんなにつらい犠牲を強いられても父親の意志に服する覚悟があることを示したのである。(p.364)


 神聖さの持つ禁止性格はわれわれに欲動の断念を要求する。しかし、神聖さは情緒的に強調されたものであって、そこには合理的性格はない(例えば近親相姦に対する拒絶の感覚)。一方で近親相姦に対するの拒絶は原父の意志の現れである。(p.362)ここで、神聖さと原父の意志とがリンクする。原父の意志(原父への畏怖の感覚)を内面化したものが超自我であり、信者にとって神が超自我になる。
 例えば、モーセはユダヤ人に「神聖なる」割礼をユダヤ人に導入することによって、ユダヤ人は他の民族とは異なるより高位の精神性を持った民族である、という超自我による代償満足を与えるととともに、原父の意志(またはそれを内面化した超自我)に服する覚悟を示させる働きがあるのである。

6. 「しかしそれは物質的真理ではなくて、歴史的真理なのだ。」(p.370)とありますが、これはどういう事を言っているのでしょうか。説明してください。

 引用:
 われわれも、敬虔な人々の解答が真理を含んでいると信じている。しかしそれは物質的真理ではなくて歴史的真理なのだ。そしてわれわれは、この真理が回帰したさいに経験したある種の歪曲を修正する権利を行使する。(p.370)
 さてわれわれは全人類のもっとも初期の体験についても同じことを想定することができると考える。これらの作用のうちの一つは、唯一なる偉大な神という理念の出現であろう。この理念は、確かに歪曲されてはいるが、全くもっともな記憶として承認せざるをえないものである。そのような理念は強迫的性格を持っており、必然的に信仰されることになる。理念が歪曲されている限りはこれを妄想と呼んで差し支えない。理念が過去のものの回帰をもたらす限りはこれを真理と呼ばなければならない。(p.371)


 全人類のもっとも初期の体験は、何らかの抑圧を経て、もう一度立ち現れてくる。そのたち現れかたは歪曲されたもので、抑圧の前後で異なったものとなってしまう。この意味では、この事は物質的真理を含んでいるとはいえないが、それを回帰と呼ぶなら、そこに歴史的真理が含まれているといえるのである。

7.〈近代ユダヤ人の性格的特徴(p. 351、352)に影響を及ぼした〉人間モーセと、近代ヨーロッパ人の類似点をあなたの考えで述べよ。

 この本はフロイト(生1959ー没1939)の晩年の作品なため、時代背景は第一次対戦と第二次世界大戦の間である。ここから彼はファシズムの台頭期にこの文献を書いた事が分かる。一神教の特徴とモーセによる人々をひきつけ方法は近代のファシズム的リーダーシップと重なる。故にフロイトは近代ヨーロッパの人々の個人による意思決定、自己確立を義務ずけられたことから起こる不安を見、その心の拠り所として大衆を支配したファシズムの状況からエジプトにおけるユダヤ人の一神教への関心を捉えたのである。


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