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川本悠介
私が哲学を専攻している鎌田ゼミに入ろうと思った動機は単なる好奇心から
だと思われる。それまでの私の哲学に対するイメージは何か訳のわからない小
難しい事をやっているというようなものであった。ただ単に本を読み、皆が知
らない知識を身につけたと思い、言葉を使いまわして遊んでいる、そんな否定
的なイメージしか持っていなかった。実際私は普通に生活を送る中で哲学の恩
恵を受けていると感じたことはなかった。そしていざゼミを決めるという段階
で今まで全くといっていいほど興味のなかった哲学というものに少しずつ興味
を引かれていったのは、近年倫理の崩壊が叫ばれる中でもしかしたら哲学とい
うものがそれを解決できる糸口があるかもしれない、そういう現実の問題に即
した答えを求めて活動しているのが哲学かもという自分勝手な思い込みとそう
することによりさまざまな問題に対する確固とした自分の意見が確立できるの
ではという期待があったからである。
そしていざゼミに入り驚いたことは何を言っているのか訳が分からないとい
う事である。諸先輩がたの圧倒的な知識の量に毎回驚きと戸惑いを感じるだけ
だった。しかしどうしても腑に落ちないことがあった。実際読む本の量は膨大
な物であるにもかかわらず、これらの知識が実生活で一体何の役に立つのかと
いう疑問が常に頭の中にあった。デカルト、アリストテレス、ジンメルなどの
古人の書物を読むが私には社会に出ても役立つものとは考えられなかった。
それらは書かれていることはすごく難解にもかかわらず普段の生活に使えるの
か、役に立つものかと考えても一向にそうは思えなかった。授業でも訳の分か
らない言葉を使いまわして自己満足しているのかといういるという感は否めな
かった。
しかし私は大きな思い違いをしていることに気がついていなかった。私は哲
学という思想の分野の学問を学ぶことにより、多くの知識を身につければそれ
らをすぐにいろいろな諸問題に当てはめることによりその問題に対する答えを
見つけられるのではと思い知識を溜め込むことが自分の意見を確立させる事だ
と思っていた。ゼミが始まった当初は多くの著書を読みそれ身につけることが
意見を持つことと思っていたのである。知識を身につけること=意見を持つ事
とおもい違いをしていたのである。知識を身につけそこから自分の頭で考えて
様々な思考を駆け巡らせた結果自分の意見というものが出来あがる、実際今ま
でそうしてきたはずなのにである。哲学をやろうと思う以前からも様々な問題
に対して未熟ながらも自分の意見は持っていた。
多くの高等な本を読みそれらの知識を吸収すれば即自分の意見をして活用出
来ると考えてた。しかしそれはとんでもない間違いだった。知識を身につけた
うえで自分で考え、自分で決断をしなければ決して自分の意見とはなりえない
と思った。こんな当たり前のことを哲学という学問の前に忘れていた自分の怠
慢を反省するとともにこれからはそれを忘れずに学んでいきたいと思う。