マンハイム『イデオロギーとユートピア』


1.「ソフィスト」(P106)は、当時の社会においてどのような役割をもったのでしょうか?知識社会学の観点から説明してください。

解答:
マンハイムの「知識社会学」について「この書は人々が実際にどのように思考しているかという問題を取り扱うものである。」と冒頭にある。それは、哲学者、科学者などの思考様式は、「人の思考」に過度に注目することで、個人の内的な認識や反応を研究対象とするが、実際に社会で行動する個人が「世界の理解とその構造を追求せん」と欲求するなら、科学者たちの考える「一種の思考構造」とは、特殊なものである。言い換えるなら、一つの思考構造では社会を捉えきれないのである。このような「多様に思考が分化した社会」、「そのなかで一定の集団に属す人間」を研究対象とするのであれば、その研究では、解明しきれないのである。
  そして知識社会学とは、人間の思考がいかに社会という外的要因からの作用によって左右され、社会が形成されていくのか、いかにそのなかで個人の認識・思考・行動がなされているのか、という個人と社会の「生きた連関」をいかに問うのか、という学問である。マンハイムによれば

「知識社会学における主要命題は、思考の社会的起源が曖昧のままに放置されているかぎり、その的確な理解には達しえない思考様式なるものが存在する」

ということである。
再度換言すると、「知識社会学」は、ミクロに個人の認識という「認識論」、「心理学」のみではなく、その個人の集合をマクロに分析する「社会学」のみでもない。多様化した社会において個人がいかに行動するのか、という「生きた」、「動的な」社会、個人の連関を研究する学問である。

そして、アテナイの民主政下の「ソフィスト」の役割とは、この知識の多様性を生み出す「懐疑主義」を生み出したことである。当時の社会において、支配的貴族による規範が社会を形成していた。そのなかでの個人の思考は、その支配的な規範・解釈によって形成されており、いわば「集合的―無意識的な動機」によって社会は支配されていたのである。しかし、そのような支配的な考えを、ソフィストは「勇気ある行動」によって打ち砕き、社会全体が満足するような民主主義を求めたのである。それはその思考様式、規範を根底から問い直すということから始まったのである。
この「ソフィスト」の行動によって社会がどのように変遷したかというと、支配的な規範によって「集合的―無意識的な動機が意識的なものになってゆく過程」であり、知識社会学はこのような「まったく特殊な状況」を対象としているのである。
そして、「ソフィスト」は前段で述べたような「生きた」、「動的な」社会、個人を生み出した最初の人々あり、知識社会学という学問を生み出した人々といえる。

引用:
 「この書は人々が実際にどのように思考しているかという問題を取り扱うものである。」(P97)
「だが、思考なるものについて述べる場合、かれら哲学者の念頭に浮かぶのは、何よりもまず、かれら自身の歴史、つまり哲学の歴史であり、さらに数学とか物理学といったまったく特定の認識の分野であった。それだけに、この型の思考はまったく特殊な環境のものでしか通用しない代物である。」(P97)
「自己の生きている世界の理解とその構造とを追求せんとしている生きた人間存在にとっては、必ずしもその欲求を満たすことのない存在次元としか関わりを持たないのである。」(P97)
「実際に行動する人間の思考方法、つまり、それを手立てとしてわれわれがみずからのもっとも重大な決定に到達し、またそれと通じてみずからの政治や社会の運命に関する診断や教導に努めるところの思考の方法が、理解の外に放置されたままになっているということ、したがって、知性による制御や自己批判を受けがたい状態にあるということは、現代の変則状態の一つとみなされるべきだ、という見方である。それどころか、現代においては、往時の社会とは比較にならないほど、多くのものが状況についての正しい熟慮に依存していることを思い浮かべるならば、変則を通り越してむしろ奇怪といった観さえ生まれかねない。もともと、社会的認識の重要性なるものは、社会過程に対する規則的な介入の必要性が増大するのに比例してますものである。」(P97−98)
「知識社会学における主要命題は、思考の社会的起源が曖昧のままに放置されているかぎり、その的確な理解には達しえない思考様式なるものが存在する、ということである。」(P98)
「知識社会学は、さまざまに分化した個人の思考を徐々に生み出すところの歴史的・社会的状況の具体的な仕組みをとらえ、その中で思考を理解すべく努める。・・・・一定の集団に共通する立場を特徴的に表した一定の典型的な状況に対して,際限なく繰り返される一連の反応のなかで、ある特定の思考様式を発展させてきている人間、つまり一定の集団に所属した人間こそ、ここでとりあげられるべき存在なのである。」(P99)
「知識社会学の方法を特徴付ける第二の特徴点は、それが具体的に実在している思考様式と、集合的行為連関とを切り離さないという点である。」(P100)
「価値観や、集合的無意識や、意思衝動などによって彩られた、ある連関のなかで行われるのである。」(P102)
「これまでわれわれの思考や活動を動機付けてきた無意識的なるものが、徐々に知覚の次元にまで高められ、それによって制御を受け入れるまでにいたっているということも偶然ではない。われわれに認識の社会的淵源について反省することを強いているものが、特殊な社会状況である、ということにもしきづかなかったならば、それが今日のわれわれの窮状といかなる関係にあるのかということも、認めがたくなるにちがいない。」(P102)
「集合的―無意識的な動機が意識的なものになってゆく過程は、どんな時代においても見られるものではなくて、まったく特殊な状況においてしかみられないものだということは、知識社会あがくの基本的識見の一つである。」(P102)

P103−104より要約
水平的と対力的ということの二つの型の社会移動は、この思考様式の多様性を明らかにするために、じつにさまざまな面で作用する。 ・水平移動:一つの立場から他の立場への移動 ・垂直移動:人々に自分たちの伝統的な世界観に対して疑念や会議を抱かせる上での決定的な力を振るう要因
「アテナイの民主政下において、西方世界の思考の歴史のなかで最初の懐疑主義の大波を巻き起こしたのは、この社会的上昇の過程ではなかったのだろうか。そして疑惑という態度を表明したのは、ギリシア啓蒙期におけるソフィストたちではなかっただろうか。」(P106)
 「以前から保持されてきた規範や解釈が一点の曖昧さも含まれぬほど一義的なものだという考え方が、しだいに打ち砕かれてきていること、さらに、そこで満足の行く解釈は、さまざまな矛盾について根底的な疑問を発し、それらについての思考を徹底させる場合にのみ可能となるものであること」(P106)
「個人的な意味や価値を形成する要素の全部を排除するのではなく、その一部だけを排除するというやり方で、彼自身の自我に没入する者だけが、意味を含んだ疑問に対する回答を見出せる立場にいるのである。」(P115)


2.「イデオロギー」と「ユートピア」の類似点と相違点を説明してください。

解答:
イデオロギーとは、支配集団の利害にとらわれたものの見方、換言すれば、ある社会状況をみるときに、都合の悪い部分を捨象して社会の安定性を確保したいという欲望が現れたものである。一方、ユートピアは抑圧された集団の現状否認、つまり、現状認識に願望が入り混じり、そのために現状のある側面を覆い隠すものである。両者に共通する性格として、現状を正しくとらえていない、より正確に表現するならば、現状に対して意識的・無意識的な検閲を加えている、ということが言えるだろう。

引用:
「『イデオロギー』という概念は、政治上の葛藤から得られた例の発見を反映している。すなわち、支配集団というものは、その思考にさいして、あまりにも利害に縛られた態度で状況に対する傾きがあるため、その支配感覚がそこなうおそれのある迷にたいしては、とかく目をつぶりがちだ、という発見である。」(P.141)
「この『イデオロギー』という言葉は、一定の集団の集合的無意識は、一定の状況下では、社会実状を自己および他人の目から隠し、そうすることによって社会の安定をはかるものだ、という意味を暗に含んでいる。」(P.141)
「一定の抑圧された集団というものは、精神面において、社会の特定の状態の絶滅や変革にたいして熱烈な関心をいだくものであるため、知らずしらずのうちに、状況を否認する傾向をもった契機にしか目を注がなくなるおそれがある、という発見である」(P.142)
「ユートピア的心性においては、願望の入り混じった表象や行為への意志などによって手引きされた集合的無意識が、現実の一定の側面を人々の目から覆い隠すのである。」(P.142)
「イデオロギー思想とユートピア思想とに共通するもっとも重要な点は、そこで虚偽意ッの可能性がゥ覚されるところにある。この虚偽意識こそ、イデオロギー思想とユートピア思想のもっとも深い意義である。」(P.165)


3.「部分的イデオロギー」と「全体的イデオロギー」とはなぜ使い分けられているのでしょうか?

解答:
部分的イデオロギーとは、自分の考えと敵対する個人、および集団に対してその考えの内容を批判する、という概念である。それは敵対する言説の嘘を暴くことが目的とされている。対して、全体的イデオロギーは、歴史の連関の中である集団の考えがどのような位置にあるかを述べる。したがって、心理学的平面から相手の欺瞞を暴露するというよりもむしろ、精神論的平面から、その思考の持つ時代性や精神(Geist)を見るのである。この全体的イデオロギーは、「われわれの外部に世界が存在する」という素朴な認識論に対するコペルニクス的転回として現れた。そこに歴史性、民族精神という概念が加わり、一つの世界像という統一体の自己運動が考えられるようになった。最後に、民族精神が階級という概念に変わることで、いま問題となっている全体的イデオロギーという概念が作り上げられた。つまり、カント、ヘーゲル、マルクスを通じて現れた概念といえるであろう。そして、部分的イデオロギーと全体的イデオロギーという流れは合流することになる。相手の言説の嘘を暴く際に、それが単に「嘘である」と言うのではなく、「このような歴史的、精神的基盤から出てきた言説である」ということで、相手の言説の相対性が暴露されるのである。ここまでくると、その批判する自分自身の言説さえも、イデオロギー的であると認める必要がある。

引用:
「部分的イデオロギー概念が問題となるのは、イデオロギーという言葉によって、たんに敵対者の特定の『理念』や特定の『考え』が信じられない、という程度のことを意味するからである。」(P.166)
「人は、ある時代のイデオロギー、ないし時代や社会によって具体的に規定されたある集団――たとえば階級――のイデオロギーについて語ることができる。この場合には、イデオロギーという言葉によって、その時代なり集団なりの、全体としての意識構造の特徴や性格が考えられている。」(P.166)
「むしろ主体の存在位置の函数と解釈することによって、主体の存在位置に関連させてとらえる、ということである。」(P.167)
「個人というものを集合的主体の方向へ超えるためには、精神論的平面に立つことが必要となる。」(P.169)
「意識哲学がなしとげたのは、『世界』はわれわれの外に確固不動のものとして存在する、という存在論的独断論にたいして、最初の鉄槌を加えたことである。」(P.177)
「しかし今はじめて、この統一性は、歴史の生成を通じてみずから変化してゆくのだ、というわれわれにとって決定的な思想がつけ加わる」(P.177)
「ところが今度は、まだあまりにも包括的なこの民族精神という概念にとってかわって、階級意識、より正確には階級イデオロギーの概念が出現する。」(P.179)
「このような全体的イデオロギー概念を普遍的に把握する立場からすれば、人間の思想は、党派や時代にかかわりなく、すべてイデオロギー的であり、それを免れるものはまずありえない。」(P.188)


4.「虚偽意識」とは、何ですか?

解答:
虚偽意識とは、「現実を正しく捉えていない意識」である」ということである。ただ、その意識は、幾つかに類型化される。
第一の類型化は、その存在自体を疑うという見解である。その存在自体を虚偽とするという意識を考え出したのは、ナポレオンから始まる。ナポレオンは、形而上学者、神学者たちを非難するために、その神の概念、その思考を支える意識を否定するために彼らを「空論家(イデオローグ)」と罵ったのである。この場合、形而上学者たちの思考の前提となる「神」「形而上学的なもの」の「存在自体」を否定するという、その存在自体を「虚偽」とし、結果的にその形而上学者たちの思考、意識も「虚偽」となるのである。
しかし、マンハイムの知識社会学の研究対象となる多様で動的な社会とそのなかでの個人の思考を前提とするのであれば、言い換えるな、絶対的な価値基準が失われ、社会に価値判断が氾濫するのであれば、相対的に互いの意識が間違っていると非難するのであり、この場合には相対的に「意識が虚偽」のものである。
そして、存在自体に絶対的な価値基準が存在しない、言い換えるなら、人間の意識によって存在に「アクセント」が加えられる。そして、例えば、過去の存在の認識をそのまま変化させないのであれば、そして、ある集団で人間の思考が一つに集中し、その集団に神話めいた絶対的価値基準が存在し、その集団が無意識的に他からの批判をそれによって回避しようとするのであれば、その意識は「虚偽」である。そして、このような虚偽意識は、

「永遠に変化することのない絶対の存在をとらええないから、そういわれることではない。新しい精神の歩みのうちに、新しく形成される存在をとらえていないから、虚偽だといわれるのである。」

引用:
「現実を正しくとらえていない意識もありうるということは、素朴な形では大昔から知られていた。起源をたどればそれは、それは宗教に由来するものであり、その意味では近代に固有のものではなく、古くからの遺産として近代人に受け継がれた思想上の財産の一つである。」(P181)
「近代的意味でのイデオロギー概念がはじめて生まれたのは、ナポレオンが、専制主義的野心をもつといって彼を攻撃したこの学者(形而上学者)たちの一団を、軽蔑した意味をこめて、「イデオローグ」〔空論家ども〕と罵ったときであった。これによって、この言葉ははじめて、「空論的」、「非現実的」という、今日まで保たれてきている軽蔑の意味をおびることになったのである。」(P182)
「もはや、ある時代の産物が、単純に絶対的なものと受けとられることはないだろうし、――さまざまな規範や価値は時代や社会に拘束されているものだ、という洞察は二度とうしなわれることはない――、存在自体がアクセントをもつという考え方は、問題を別の方向へ転進させるだろう。存在自体のもつアクセントによって、まったく同じ時代のさまざまな規範、考え方、方向づけの枠のうちで、新なるものとそうでないもの、正しいものとそうでないものとが区別されるようになる。この場合、「意識が虚偽である」といわれるのは、永遠に変化することのない絶対の存在をとらええないから、そういわれることではない。新しい精神の歩みのうちに、新しく形成される存在をとらえていないから、虚偽だといわれるのである。」(P205―206)
「まず倫理の面で、ある意識が規範にのっとろうと努め、与えられた存在の段階で最高の善意をもっていても、なおかつその規範にかなったように行為することができないような場合、その意識は虚偽である。」(P206)
「次に心理学上の自己解釈の面で、意識が虚偽だといわれるのは、慣習化した意味づけ〔さまざまな生活や体験の形式、世界や人間についての考え方〕にひきずられて、人が新しい反応や新しい人間形成を押し並べて覆い隠したり妨げたりする場合である。」(P206)
「環境の「現実の基盤」がその間に変化にするにつれて、この要求は、しだいにイデオロギー的なものになりさがっていた。」(P207)
「もはや生命を失ってしまった絶対的なものにすがって、探究に伴う不安をごまかしたり、「神話」めいたものをほしがったり、「無二の偉人」を崇拝したり、「理想主義的」であったりすることで、無意識のうちに――はたからは簡単に見やぶられているのだが――事実上一歩ごとに自分自身を見つめるのを回避したりするのも、すべてこの意味で虚偽なのである。」(P207)
「虚偽の意識、イデオロギー的な意識とは、その環境のとらえ方の面で新しい現実に追いつくことができなかったために、時代遅れのカテゴリーで新しい現実を本来的に覆い隠している意識を意味する。」(P207)
「人が「現実」をとらえそこなうのは、現実が動的だからだという事実、同一の歴史的―社会的空間のなかにも、さまざまな形の虚偽の意識構造がありうるので、「同時代の」存在を思想上追い越す場合も、まだ追いつけない場合もあるが、いずれにしても、それは覆われてしまう,という事実、さらには、ただ実践のうちにおいてのみ姿を現す「現実」、こういった事実を、このイデオロギー概念はふまえている。」(P209)


5.「歴史についての、この第一の没評価的見方は、必ずしも相対主義に帰着するとは限らない。そこが行き着くのは相関主義である。」(P197、下段)における「相対主義」と「相関主義」の違いを説明してください。

解答:
何らかの要因によって、これまでの社会の絶対的価値観から人々が解放された時、自分を絶対化するために互いの思想を批判しあう。これは、単に自分の独自性からくるだけではない。自分を正当化するために、自分の不完全さを補うために、相手を批判するのである。この場合、「相対主義」という相手を批判する見解となる。
  しかし、問題文にもあるように
「歴史についての、この第一の没評価的見方は、必ずしも相対主義に帰着するとは限らない。そこが行き着くのは相関主義である。」(P197、下段)
というように必ずしも、相対主義に陥り、そのなかで最も良い思想を絶対化するとは限らない。それは、個人の思考はたえまない社会との連関によって成立するからである。先述の「相対主義」に関しても、個人の思想は、その個人の独自性からのみ生まれるのではなく、「個人」という「要素」が、その「社会」という体系のなかで、互いに「連関」しあうことによって生まれるのである。
したがって、連関主義においての研究の手法は、個人の意志の形成など、その社会全体から、個人が生み出され、さらにその個人の社会への影響を考察することによって、常に「社会」、「歴史」という全体性を意識することが必要である。

引用:
「現代の状況、つまり今までのこれほど徹底して追及されえなかった、現代や歴史上のさまざまの脈絡が、ようやく目に見えるようになってきたという事実を、重視するであろう。」(P196)
「ある思想の内容と闘うにあたって、従来、人はかえってますますかたくなに自分のほうを絶対化してきた。今では、価値も等しく精神的力も同じようなあまりにも多くの立場がたがいに相対化しあっているために、ある一つの思想内容なり立場に固執して、唯我独尊を僭称することはできまい。こうした社会が解体しつつある状況においてこそ、どのような歴史的立場も部分的なのだという事実が現れてくる。ふつうの場合には、広く支配している社会の安定性と、特定の内容にたいする惰性となった慣れとによって、この事実は覆い隠されている。」(P196―197)
「眼前の要求を満たすために避けがたい独善性を捨て、自己崇拝のたえまない反省を通じて常に相対化すること、こういう仕方で、自己の不完全さを補ってくれるものにたいして、いやでも自分の開いていること、これこそ、われわれの時代における歴史研究の〔そうしてあとでふれるように、ある特定の社会層の〕果たすべき役割なのである。」(P197)
「いっさいのものが、一挙に透明になり、歴史が、そのさまざまの構成要素や構造を、率直にあらわにするこの歴史的瞬間には、われわれの学問的思想を、あげて状況の高みに立つことが肝心である。なぜなら、――歴史上これまでもしばしば繰り返されたように――たちまちにしてこの透明さが消え失せ、世界がただ一つの像に凝りかたまってしまうということは、珍しいことではないからである。」(P197)
「相関主義とは何かといえば、それは、ただあらゆる意味の要素が相互に連関しあっていること、および、それらがたがいに基礎づけあいながら、ある特定の体系のうちで意味をもつということにすぎない。しかし、この体系は、ある特定の種類の歴史的存在にとって可能であり、妥当するにすぎないし、それが、この歴史的存在の適切な表現形式でありうるのは、しばらくの間だけにすぎない。存在が変化すれば、前にそこから「生み出された」規範の体系も、その存在には当てはまらなくなる。」(197―198)
「形式化や定式化は、その前提にそのつどどういう理論や概念の体系的枠組があるかに依存しているからである。」(P198)
「〔実際に考えている〕諸個人が、背景としてどんな歴史的存在状況に置かれているかによって決まる。」(P198)
「したがって、没評価的イデオロギー研究の主題は、そのつどの認識や、その認識に含まれている基礎的諸要素が、いかに意味や歴史的な存在の全体の脈絡へいつも関係づけられているか、それを明らかにすることである。」(P198) 「こうして見てくれば、この流動のなかに、現実との関連を超えたもの、よくいわれるいろいろな「絶対的なもの」を見つけだそうとすることは、はたして努力に値する真の課題なのかどうか、まったく疑わしくなってきた。おそらく静的な考え方を捨てて、相関的なかつ動的な考えることを学ぶところにしてこそ、より高い課題があるのではなかろうか。」(P198) 「しかし今日、絶対なもの、無制約的に当てはまるものを求めているのは、多くは行動的人間ではない。長らく慣れ親しんできた自分の安寧幸福のために、事象の固定化を願う連中である。泰平のムードのうちでは、人は日常の偶然的な姿そのままを――そのなかには、今日、ロマン主義的に美化されているもの〔「神話」〕もある――自分の手から滑り落ちないように、不動の絶対者へとまつりあげたがる。こうして、かつては神以外には、使ってはならないものであった絶対者というカテゴリーが、ひたすらことなかれを願う日常生活の隠蔽用具になるという、近代のいまわしい転回が行われる。(P199)


6.「没評価的イデオロギー」から「評価的イデオロギー」への形成の過程を説明してください。

解答:
 自らの事物認識に含まれる前提を反省的にとらえ、常に自己を相対化しつづけるという態度をとりつづけることで、その認識は歴史的なもののなかに自らを見出すことが出来る。このようなものを没評価的イデオロギーという。しかし、この没評価的イデオロギーの中にはすでに評価的イデオロギーへむかう契機が含まれている。なぜなら、歴史の中に区切りを入れることは評価的な行動に他ならないからである。この評価的イデオロギーは没評価的イデオロギーを経たものであるから、単なる独善的なものではない。現実の認識はこの評価的イデオロギーの段階で達成される。さらに、この事実認識は一つの思想や生活の連関の中で作り上げられるため、同じ事象が様々な観点からとらえることが可能となる。この部分性という認識から全体性の認識へつながっていくのである。

引用:
「しかしながら、そのつど、このような余儀ない、眼前の要求を満たすために避けがたい独善性を捨て、自己崇拝をたえまない反省を通じてつねに相対化すること、こういう仕方で、自己の不安全さを補ってくれるものにたいして、いやでも自分を開いていること、これこそ、われわれの時代における歴史研究の・・果たすべき役割なのである。」(P.197)
「したがって、没評価的イデオロギー研究の主題は、そのつどの認識や、その認識に含まれている基礎的諸要素が、いかに意味や歴史的な存在の全体の脈絡へいつも関係づけられているか、それを明らかにすることである。」(P.198)
「アクセントをつけなければ歴史に区分をほどこすことは不可能であるが、しかしアクセントをつけ、重点を割りつけることは、すでに評価と存在論的決定への第一歩だからである。」(P.205)
「存在自体のもつアクセントによって、まったく同じ時代のさまざまな規範、考え方、方向づけの枠のうちで、真なるものとそうでないもの、正しいものとそうでないものとが区別されるようになる。」(P.205)
「イデオロギー的なものとユートピア的なものを、ひとしく避けようとする努力のうちで、もともと究極的に求められているのは現実である。」(P.209)
「『事実』は認識にとって、そのつど思考や生活の連関のなかで構成される。」(P.213)
「こうして、同一の元素材の特定の側面が異なった視点から別々に把握されるという、概念に独特な『遠近法的性格』が成立する。」(P.214)
「あらゆる立場の部分性を認め、それを繰り返して確認する場合にだけ、すくなくとも人は、求められている全体性へ近づきつつあるといえる。」(P.216)





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