『ニコマコス倫理学』 アリストテレス
利用資料:ΗΘΙΚΑ ΝΙΚΟΜΑΧΕΙ, アリストテレス全集 第13巻『ニコマコス倫理学』, 加藤信朗訳, 岩波書店, 1973年, 第一・二・五・八巻を抜粋



【なぜいまアリストテレスなのか】
 アリストテレスの生い立ちについてまとめると、彼は紀元前384年にギリシア北方のマケドニアに生まれ、プラトンのアカデメイアにて学び、343年にはアレクサンダー大王の家庭教師になる。その後、335年にアテナイに戻り、リュウケイオンに学園を開く。アレクサンダー大王の死去した一年後の322年に没。著作の内容は、広範囲にわたり、550巻もの作品を残したといわれるが、現存しているのは、およそ3分の1とされている。テキストとして取り上げるニコマコス倫理学は、編者ニコマコスの名前が冠されていて、アリストテレスの晩年期に近い作品といわれている。

 異文化間交流としてみるアリストテレスの受容史は、通時的な終着点として与えられている西洋の学問的な源流という呼び名にとどまることはない。むしろ異時空間・異文化間の交流としてアリストテレスを捉え直すならば、縦に横にと、幅広い広がりを巻き込んでいるように思われる。同じ時代の異なる文化、そして時代差のある別の文化において、人と人との関係/人と自然との関係の一定の共通理解が存在している可能性―つまり現代に生きるわたしたちも、異時空間の連なりのうちにあることを呼び覚ましてくれる。

 アリストテレスの思想は、その伝播の過程において、様々な異文化に影響を与え、受容され、トランスファーされていく。ヘレニズム文化圏の拡大とその衰退、ローマ帝国の分裂などの政治的・地理的などの勢力拡縮に伴い、実際にヨーロッパにアリストテレスの学問体系が根付くのは、12世紀のスコラ哲学以降となる。つまり、ヨーロッパの学問が本格的に芽吹く以前には、アリストテレスの学問体系は、イスラムの文化圏において摂取涵養され、特にイスラムにおける自然科学を支えたといわれる。既に、8世紀の時点で、イスラムの勢力圏は、地中海を一周し、イベリア半島にまで、文化圏を拡大していた。その拡大に伴いアリストテレスだけでなくかつて、イスラムが東ローマ帝国から摂取したギリシアの学問は、ヨーロッパ大陸に上陸することとなる(後ウマイヤ朝以降)。そして、イスラム勢力の政治的な後退に伴い、ヨーロッパ世界にとってイスラムは文化的先進国であったために、文化交流の所産としてヨーロッパ世界に流れ込むギリシアの学問は、アラビア語からラテン語に翻訳されながら、12世紀当時のスコラ哲学へと注がれ、その結実へと至る。13世紀までには、スコラ哲学の教育機関として大学は、数の上で大幅に設立と整備を重ね、現在に通じる大学はヨーロッパの各地に設立されることになる。大学において主要な教科として取り上げられた artes liberales (自由七科)は、アリストテレスの思想と神学の伝統が融合されたものであり、「神の書いた書物」として、神の言葉(聖書)と神の創造した自然(アリストテレスの自然学)を結合した総合的な学問体系を築くにいたった。

 言語伝達ゲームの例を挙げるとよくわかるが、当初語られたことは、最後にはそれぞれの状況に応じながら内容を異にしていく。この問題は、アリストテレスの受容史についても適合することであり、大幅な時間・空間的な隔たりを伴う伝達と、それに加えて、(ギリシア語→)アラビア語→ラテン語と二重の翻訳(言語上のトランスファー)を経験することとなる。その限りでは、言語上においても意味内容においても、全くそのままのアリストテレスの姿を伝えているわけでは、当然、ない。「歴史には単なる寓話や年代記以上のものが含まれている」ならば、残された問題は、現代のパラダイムに生きる現代人が現代のものの考え方に色づけされたフィルターを帯びながら、古代のパラダイムに出会う。その出会いは、絶えず現代人のフィルターに変換して、否、そうでなければ読めない危険につきまとわれながら、古代の語法と接していかざるを得ないと指摘されよう。むしろ逆にいえば、現代の問題は何か、そして近現代人に色づけとして帯びているフィルターはいかなるものか、という問題意識を忘れては、時代も場所も格段に離れた異・時空間を支えているものの考え方と現代のものの考え方の「間」を聴き比べる対話的な視座は生まれえないだろう。その対話的な「間」への尊敬は、過去にとどまらない現在の地平をより明るく照らす可能性の一つをなさないだろうか。

【読書案内の問いと解答】
[1]善はどのように描かれているか。また、アリストテレスにとって、善を描くにあたって、問題になったのはどのようなことか。[参考箇所:特に第1巻の1、6、7、12、 13章・第2巻の第1、4章など]

●活動する関係体としての善=ポリスの有様
 アリストテレスによれば、善を主語化することはできない。つまり、善とは何かという問いに対し、答えを一つに求め、「善とはXである」、と実体化することはできない。善の表現するのは、ポリス全体の調和を目的とし、そこに向かっていくことである。しかしまた同時に表現されているのは、ポリスに生きる職人も医者も将軍も皆それぞれのステータスと術に応じて、一つに生み出されていくネットワークとその総体を表現でもあった。その限りでは、一つの意味においては、共同体の政治術により人間の最高の善=ポリス的なあり方、へと向かっていくために目的を終極としてもつ、といえよう。また他方の意味においては、ポリスの全体はそこに生きる様々な社会的な階層がもつ(生み出す)術に応じ、善の総体として成立している、といえるのではないだろうか。

 まず確かに、アリストテレスにとって問題であったのは、プラトン「主義」のメンタリティがなす善の措定の仕方にあった。アリストテレスにとっての関心は、「端緒からの論=イデアの分有」であるか、「端緒への論=イデアの獲得」であるかの、二者択一に問題があったのではない。むしろどちらもが相互の関係を崩すことのない複雑性の保持に、ポリス性を見いだしていたからである。アリストテレスの思想的伝統の周辺としかし同時代の異空間においても、類比的に同じような共同性理解を挙げることができる。それは聖書における聖霊論、原始仏典におけるミリンダ王の問いや老荘の道に現れている。これらの声は、裏側にポリス的共同性のひそやかな危機を感じ取る<東西の洋を問わない>感受性のなせるわざであったこととして指摘されうる。古代のうちにひそやかに忍び寄る危機は、人為(ノモス)としての法の一義性であり、また個の排他性が生み出す人格の疎外と読みとることもできる。それだから古代的な自由とは、一面は束縛によってであり、また一面はポリスを生み出していく活動にあるといえるのではないだろうか。それらの限りでは、アリストテレスのものの考え方を単なる一元的な目的論と括ることはできない、むしろ相互連関する有機体的な発想をポリス社会に重ね合わせていた、とも言えるからである。

 また翻って、近代性の思想を返りみれば、近代にとってのアリストテレス理解は、相互性を把捉し直すことで提出された発想と誤解であったともいえる。二つのものをあわせて、一つのものへと構成していくフレームワークは、古代の危機を引きずりながら啓蒙の時代を支えた存在構築の思考方法であり、存在構築の重荷は個により担われるものであった。それでも近代性は近代における別のシーンをもつならば、共同性の危機と個の意志による克服が企画されていたことにも配慮したい。というのも、近代における共同性理解をアリストテレスのバリエーションに全面的に委ねてしまうとすれば、いうまでもなく今度は逆に近代の共同性の危機的な状況を解釈するには、明快さが失われてしまうからである。

 従って、善の主語化の問題は、アリストテレスとプラトン(主義)がもつ共同体観の違いとして伺い知ることができる、と予想できる。プラトン(主義)(特にローマ時代の新プラトン主義の登場を待つ)とアリストテレス(主義)の共同体観にズレがあるとすれば、それは両者の善の捉え方に現れている。この違いは共同性が善の別名ある点においては、決定的な差異にはならない。むしろ両者の善の描き方がポリスの変容に応じていると解釈できる。アリストテレスに関係の深いマケドニアはヘレニズム時代における最大の地理的拡張とその崩壊を同時に経験していたために、彼の社会観は一方で、大きなポリスの構想を支えながらも、他方で、ポリス的なつながりを一つにつなぎ止めておくために絶えず社会的な関係を生み出していく、この二つの層を同時に保持するモティーフを根底に持っていたと考えられる。そのアリストテレスの社会観は、善が個人によって達成されるような狭きものではなく、共に生み出していく―今様にいえば個と共同の相互作用のうちに開かれたポリスの構想をもっていた考えられる。これ以降の新プラトン主義などにおける善の措定(すべての存在は、一つであることによって存在なのである)などをみても、共同性の求める社会のあり方に応じて、全体としての一なる善と、善を生み出していく活動的なあり方との二層間のバランスシートに基づいて、位置づけることが可能となろう。

【引用】
・最も専門知識の名に値する、最も統括的な専門知識の扱うものである・・・政治術の目指す目的こそ「人間の善」であろう。というのは、一個人にとっても、ポリスにとっても、・・・ポリスにとっての目的を実現し保持することの方がいっそう終極的なものであるのは明らかだからである。なぜなら、ただ一個人の目的を実現し、保持するだけでも、満足すべきことではあるが、種族や諸ポリスの目的を達成し、保持するのはいっそう美しく、いっそう神的なことだからである。 p.4-5
・それぞれの術における善とは何であろうか。「そのものを得るためにそれ以外のことがなされるもの」のことではなかろうか。 p.16

[2]中間と善の関係を述べよ。[参考箇所:第2巻の第6章]
●アリストテレスの自然観と人間観の交錯点。
 [1]で考えたように、ポリスは、ネットワーク的なシステムをなし、その階層的な秩序にしたがって、人々はそれぞれに応じた術を用い、それぞれの善の「生産」に従事していた。術<技術、テクネー>は、完成図を頭の中で思い浮かべることによって、それに向かって何かを生み出すわけである。しかし、生み出されたもの(Goods)は、自らの手を離れていくために、本来頭の中に内在していたGoodsとの連関を制作者は失う。これは自然の本性(一なる生み出すものが一なるものになる)に逆らう。この生産(produce)の行為は、Goodsを目の前に現実的に引き出すことによって、逆説的にも、その行為の中に<ものとものとの連関>からの疎外を生み出す契機を内在している。つまり、道徳的なあり方においては、ポリス的な善を技術で引き出そうと努力しても、それは逆にポリス的なあり方から離れていく個の孤独を表現することに終わってしまう(人間は本性上、ポリスをなして存在する)。

 その意味では、道徳における生産的なあり方は、ポリスと人々の行為との間の円環をなすものでなければならないはずである。つまり、技術とは異なる意味をもつ行為は、実体としての善の追求でもなく・技術による善の生産でもなく、人と人との関係における「中間」を保つ仕方において、自分の位置を照らし出す器量<卓越性、隠れなきさま>でなければならない。

【引用】
・術と器量とでは似ていないところもある。術(技術、テクネー)によって作り出されるものにはそのものの善さがそのもの自体に含まれている。したがって、そのものがある一定のあり方のものになりさえすればそれで足りる。ところが、器量(卓越性、隠れなきさま、真理)によって生まれる行為はそれがそのもの自体としてある一定のあり方でありさえすれば、正しい仕方、あるいは節制のある仕方で行われているというわけではない。正しい仕方、節制ある仕方で行われているといえるのは、同時に、行為するものがある一定のあり方を保ちながら行為する場合である。 p.47-48
・中間性は器量に備わる特徴である。・・・器量とは選択に関わる性向であり、(この選択において)われわれに対する中間を保たせる性向のことである。・・・器量はその(あるべき)中間を見いだし、これを選びとることによるのである。したがって、そのものの実体、すなわち「(そのものの)元々何であるか(本質存在)」を言う定義にしたがえば、器量とは「中間」である。 p.53

[3]愛はどのようなもので、どのような問題があるか。愛はポリス的共同体においてどのように描かれているか。[参考箇所:第8巻]

【引用】
・友人なしには誰も生きることを選ぼうとしないであろう。 p.250
・すべての共同体は、明らかに、ポリス共同体の部分をなすものである。そして、このような種々の共同体に応ずるものとして、種々の愛がある。 p.273

[4]ニコマコス倫理学から読みとることのできる、古代社会における人と人との関係について述べなさい。(グループワーク)[参考箇所:第1巻の第7章・第5巻の第1〜6章、第11章など]
●アリストテレスの変遷が様々な文化領域を通じて受容伝達されてきたことの意味は、古代伝統社会が一貫して涵養し続け、しかもニコマコス倫理学に、それぞれの文化圏がもっている共同性理解の齟齬を感じなかったためと考えられる。部分と全体との関係における中間性は、自己中心性からの解放と共同性への拘束として表現されていたと考えられる。
 

対比(古代社会における共同体理解)
「ポリスを共同にする人々の間に分割されうる限りのものの分配における正義であり、他の一種は人と人との係わり合いにおいてその関係を正しく規制するものである。」 p.150-151

(1)「体は一つであっても肢体は多くあり、また、体のすべての肢体が多くあっても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、ひとつの聖霊によって、一つの体になるようにバプテスマを受け、そして皆ひとつのの聖霊を飲んだからである。」
コリント人への第一の手紙 12, 12-13
(2)「自分の体は、神から受けて自分のうちに宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。」同上 6, 19

【引用】
・正義の性向は、ただ一つ「他人のための善」であると考えられている。・・・正義の性向は器量の部分ではなく、器量の全体である。・・・(正義)が「何である」(と定義されるか)という点が同じではなく、他人に対するものとしてみれば正義の性向であるが、そのもの自体として、その人のもつそのような性向としてみれば器量なのである。・・・法律にかなう行為の大部分は、全体としての器量という観点から命じられることだからである。 p.147
・正しさは、中間であると共に、平等であり、さらに、それはある特定のものとの関係における、ある人とある人にとっての中間であり、平等でなければならない。すなわち、それは中間である限り、ある特定のものの中間であり、平等である限り、二項の間の平等であり、正しさである限り、ある人とある人の間の正しさでなければならない。 p.152
・友人なしには誰も生きることを選ぼうとしないであろう。 p.250

[5]アリストテレスの貨幣論に関係して、現代の消費社会と古代社会を比較して述べてください。(グループワーク)[参考箇所:第五巻 5、6、11章]
●アリストテレスに代表される古代の貨幣観は、ポリス観の裏返しである。貨幣の交換は、「約束(信頼関係)」にもとづくため、異種の相互関係を比例にしたがって露わす関係によって生まれるクオリティーである。ポリス社会圏における階層の交錯といえよう。これに対して、近代の消費社会における貨幣(価値)観は、人と人との係わりから離れていく<差異なき差異の>個の欲求充足に支えられている。

対比(近代の大衆消費社会)
(1)「貨幣は、単なる交換手段としてまったく無性格であることによってまったく統一的な性格をもっているが、多面、あらゆる多様な営みを楽しみと変じ、無色透明のスペクトルのすべての色が含まれているように、潜在的な形で、経済生活のあらゆる色合いをそれ自身のなかに結合している。つまり、貨幣は無数の諸機能の結果と可能性を、いわば一つの点に集中しているのである」『社会的分化論』p.534 第六章 分化と力の節約の原理より ジンメル
(2)「クイズ番組に参加することの意味・・・大多数の出場者が望んでいたのはコミュニオン(聖体拝領)、というよりその現代的かつ技術的で無味乾燥の形態であるコミュニケーション、つまり「接触」だったのである・・・コミュニオンはもはや象徴的媒体によってではなく、技術的媒体によって行われるのである」『消費社会の神話と構造』 p.141 第三部 マス・メディア、セックス、余暇より ボードリヤール
(3)「生産の増加には限界があるが、欲求の増加には限界はない。社会的存在(つまり意味の生産者であり、価値において他社に対して相対的である存在)としての人間の欲求には限度がないのである。」同上 第二部 消費の理論より p.73

【引用】
・交換のための結びつきは二人の医者からは生まれず、医者と農夫、一般的に言って、異なる種類の人々であって、平等ではない人々から生まれる。ただ、これらの人々は(交換によって)平等なものになされなければならないのである。交換の対象となる全てのものが何らかの意味において比較しうるものでなければならないのはこのゆえである。貨幣はそのために生まれてきたのであり、それがある意味における仲立ちとなる。ある一つのものとは、本当は、需要であり、需要がすべてのものを結びつけるのである。人々が(相手のものを)何ら必要としなかったとしたら、あるいは、同じ程度に必要としなかったとしたら、交換は成り立たなかっただろう、あるいは、同じ(対等な)ものとしての交換は行われないだろう。だが、いわば、需要のかわりに約束に基づいて貨幣が生まれたのである。このゆえに、それはこの「貨幣ノミスマ」という名称を持っている。すなわち、それは自然の本性によるのではなく、「法律ノモス」によるのであり、これ(ノモス)を改変したり、無効なものにするのはわれわれ自身の自由(孤独)になることなのである。このようにして相互間の応報が実現されるのは、双方の間に平等が実現され、農夫が靴作りに対して持つのとちょうど同じ比例関係を、靴作りの製品が農夫の製品に対してもつ場合なのである。 p.159