計算可能性という意味での合理性を支える近代科学は、累積的進歩をその身上とします。近代科学が進む道は、「真理」に至る道であるとされるのです。しかし、この累積性にこそ、 危険は内在する のです。ここに、「思惟からの逃走」を生みだす源があるのです。この累積性を盲目的に信ずるとき、近代科学によって得られた知は、独断的な知へと変貌することになります。みずからの地盤を反省することないものは、その地盤の風化を察知し得ないのです。風化していく地盤の上にどうして累積性が確保され得るでしょうか。歴史の重みに耐ええない脆弱な土台の上にたち、どれほど独断的な計算を重ね、それを学問だと称したとしても、どうして「真理」などに到達することができるでしょうか。それどころか「真理」は、独断性からもっともはなれたところに存するものであるはずなのです。「思惟からの逃走」の途上にあるものは「真理」を語り得ません。 |