老子


―その人物とは―
 老子の生涯は謎である。架空の人物とみる説もある。司馬遷の「史記」では、老子の名は耳、字はたん (漢字が出ませんでした)、姓は李。周の蔵室を管理した史官とする。彼は周の国力の衰えを見て、 周を立ち去り函谷関まできた。その時関所の役人に求められて、五千字余りからなる「老子」を書き 残したとされる。
―歴史的背景―
 紀元前480年から前222年までの二百数十年、いわゆる戦国時代の中国は、諸子百家と呼ばれる思想家 やその諸学派が栄え、哲学の黄金時代であった。
 その時の王朝、周は一族・功臣を支配地に諸侯として封じ、土地(封土)と農民を世襲的に支配させ ていた。このような封建制度は、西ヨーロッパや日本のそれとは異なり、血縁的なつながりを基礎にし たものであった。功臣を封じた場合も、周族と姻戚関係をつくり、その子孫と血縁関係ができていった 。この体制の維持のため、礼法として本家を中心に分家を団結させる宗法が定められていた。
 春秋時代(戦国時代の前)初期には周の王室はいちおう尊重されていたが、諸侯がしだいに自らの領 域を固めて独立国のようになり、その勢力を広げていった。
 前5〜前4世紀、農村では鉄製農具がしだいに普及し、とりわけ牛にひかせる鉄製の犂によって農業生 産力が飛躍的に高まった。このため、各農家が自立する傾向が生まれて、邑(小さな集落)を構成する 農民の間に貧富の差が生じ、邑の血縁的な結びつきが弱まっていった。また青銅貨幣が流通しだして、 商人や手工業者が活躍するようになり、なかには富を蓄える者も現れた。有力諸侯はこの変化に対応し て、各地に官僚を派遣し、農民や商工業者を直接支配する中央集権を進めた。諸侯の中には、他の諸侯 に滅ぼされたり、有力な卿・大夫たちに位を奪われたりする者もあった。こうして宗法は無視されるよ うになって周王朝の権威は失われた。前四世紀中ごろから諸侯たちは王を自称するようになり、戦国の 七雄をはじめとする諸国が合い争うようになった。戦国諸侯たちは、富国強兵策をすすめ、荒地に水路 を通して広大な耕地を開き、農民を徴発して強大な軍隊を作った。このような時代の中、中央集権化を 進める君主らに、その政治の有り方を提言する多くの思想家達、諸子百家が現れた。
―その思想―
 孔子・孟子に代表される儒家は周代の封建制を理想として、孝・悌の家族道徳を基礎にする人間の有 り方を仁として、これを政治の基本とした徳治主義を唱えた。
 それに対して、老子は「大道廃れて仁義あり」と説いた。老子の考えをついだ荘子は次のような比喩 を用いてこの考えを表現している。「泉が涸れて干上がってしまった魚たちが、互いにあぶくをかけあ ってぬらしているのは、美しい姿といえばいえるが、満々たる大河や湖の中で、悠々と泳ぎ、互いに相 手の存在も忘れているのにはおよばない。」「道」とは、言葉では元来表現できないけれども、強いて 言うならば自然のままの有り方である。人間が自然のままののびやかな有り方を離れ、こざかしい「人 為」の文化が作られたために、仁義や礼智をわざわざ説かなければおさまりがつかない世の中になって しまった。だから仁義や礼智を説くよりも、これらのものを必要としない自然の有り方(大道)にかえ り、各自がのびのびと自由自在に生きることこそ好ましい(無為自然)と、道家の思想家たちは考える 。
―老荘思想の影響―
 その後、表向きの学問の王座を獲得したのは儒教であり、その権威は衰えることなく、中国革命まで 継続した。しかし、「老子」「荘子」は正統的な古典ではなかったのに関わらず、常に愛読者がいたと いわれている。儒家の人々もやはり読みふけっていたのである。それは、やはり儒教だけではまかない きれないすべてのものを寛容に包み込む、老子の魅力の所以であろう。
 道家の思想は、中国の民間信仰をもととした道教という宗教の支柱ともなる。また一方、インドから 伝えられた仏教の思想とも結合し、中国的色彩の強い禅宗と浄土宗の形成と発展に大きな影響を与える ことになる。
 そして中国だけでなく、日本や西洋などの思想家にも強い影響を与えている。松尾芭蕉や森鴎外、島 崎藤村など、数多くの日本人も老子の愛読者である。晩年大きな影響を受けたと言われているトルス トイはこう述べている。「人がもし老子のいわゆる無為を行うならば、ただちにその個人的な災禍を のがれるのみならず、同時にあらゆる形式の政治に固有する災禍をも免れるだろう。」
 
 老子の思想は、形式と人為に縛られた現代社会を生きる我々に、一筋の光を与える。
 
―2000年もの時を越えて生き続けてきたこの思想に敬意を払い、その大きな懐に飛び込む気持ちで読 んでください。頭で理解するのでなく体で感じよう!!−


1.「無名」、「有名」とは何か?
引用:第一章「名無きは天地の始めにして、名有るは万物の母なり。」
回答:「無名」とは実体があっても名称の与えがたいもの。隠された本質<妙>。
 それに対して「有名」は私達が簡単に見ることのできる<徼>(その結果)である。

2・「聖人は仁あらず。」となぜ老子は言ったのか?
またそれに対してあなたはどう思うか?
回答:天地は我々生き物に恵みの雨を降らすが、その一方で、雷を起こし、洪水をもたらせ、地震で人 を殺すこともある。その行いは万物に対して愛情がないように見える。これと同じように、人民に対し 愛情を持たないものこそが「聖人」であると老子は言っている。「不仁」すなわち非情がただちに「無 為」につながり、むしろ政府は人民に対して無関心であるような態度を取るべきだと説いている。老子 に言わせれば「大道廃れて仁義有り」であり、「仁」とは人間を自然の状態から限定させる「人為」で ある。
 現実的に考えれば、「そんなのただの理想であって、現実にかみあわない」というのが、答えのよう な気もする。今もしも、小泉総理が「後は君達好きにやりたまえ。僕は黙ってみてるよ。」と言い出し たら、日本は大変なことになるだろう。しかし、あえて逆説的に言う事によって、私達にその人為を気 づかせ、自然の姿を省みる機会を与えてくれるのではないだろうか。

 3.聖人はどのような人であるか?
自らを知っており、あらゆる欲望(顕示欲・支配欲)を押さえ、満足することができる人。だから、 みせびらかさず、自分を誇らず、戦うことをしない。そして、過度な行為を避け、浪費を避け、傲慢に 成ることを避ける。
 また、何もかも他人のために自分のものを出し尽くして、何人も見捨てない。
 道の価値を知り、それを行い「((太始めの)『一』をしっかり握り)、天下のあらゆるものの規範 」となるが、行動しないことによって、言葉のない教えをづつける。このように、行動しないで本来自 然がもつ流れにまかせれば、事がうまくいくことを知っている「道」を心得た人であり、「聖人は、出 かけていかないでも知り、見ないでもその名をはっきりいい、何の行動もしないで成し遂げる。」とい う超人的な面を持つ人である。

<引用>
「聖人は、行動しないことにより、言葉のない教えを続ける。」
p、70
 「彼の行動のない行動(無為を為す)を通して、すべてのことがうまく規制されるのである。聖人は人 民に対し愛情をもたないもの、…。」 
p、75
「自分の身体を天下を治めることよりも重しと考えて初めて、天下の政治を寄託することができる。」
p、84 
「聖人は、(太始めの)『一』をしっかり握り、天下のあらゆるものの規範となる。
自分をみせびらかさないから、はっきりとみられ、自分を正しいとしないから、きわだってみえる。自 分をほめないから、成功し、自分を誇らないから、いつまでももちこたえられる。争うことをしない、 だからこそ天下の人でかれと争うことができるものはいない。」
p、94
「聖人は、いつも人々を救い出すことにおいてすぐれている。何人も見捨てない。いつも物を救い出す ことにおいてすぐれている。だから、何物のみすてない。これが明(明察)をつづけることと言われる 。」
p、100
「聖人は、過度な行為を避け、浪費を避け、傲慢に成ることを避ける。」
p、103
「道を有するものは武器を案じない。」
p、105
「聖人は、出かけていかないでも知り、見ないでもその名をはっきりいい、何の行動もしないで成し遂 げる。」
p、121
「聖人には、定まった心はない。人民の心をその心とする。」
p、122
「聖人はいう「私は、行動しない、それゆえに人民はおのずから教化され、私が静寂を愛すれば、人民 はおのずから正しく、私が手出ししなければ、人民はおのずから『削られていないあらき』のように簡 素であろう」
p、129
「聖人は、決して(自ら)大となろうとはしない。だから、大となることを成し遂げる。」
p、135
「聖人は、欠点はない。自分の欠点を欠点と(自覚)する。それゆえに欠点とはならない。」
p、141
「聖人は、自らを知るが見せびらかさない。愛するが自らを持ち上げようとはしない。まことにあのこと (見せびらかすことなど)を投げやり、このこと(自ら知ること)をとるのである。」p、147
「聖人は、(物を)たくわえない。何もかも他人のために出し尽くして、自分はさらに所有物が増し、何 もかも他人に与えて、自分はされに豊かである。」
同上
「聖人の道は、行動して争わないこと。」
同上

4、「徳」のある人とはどのような人であるか?
 「徳」のある人とは、聖人のような‘超人的’な存在ではなく、道に従う志(規範)を持つ人である 。『徳』を豊かに持つ人は、赤子に比べられるように、(身体は)完全で、精(生命力)・和(の気) が最高である。『徳』を積み重ねた者は、何一つ打ち勝てないものはなく、極限はしられない。極限が 知られていないとき、国家を保有する君主にもなることができる。
 このように「徳」は、「道」に従う人がもつ規範であり、常に規範を知ることは「神秘の徳」と呼ば れる。神秘の徳を得た人というのは、道を知った‘聖人’に近い存在となるのではないだろうか。

<引用>
「(ものを)生み出し、それらを養い、それらを生み出してもわがものだと主張せず、それらを働かせ ても決してそれらにもたらかからず、その長となってもそれらをあやつることをしない。それが神秘の 「徳(ちから)」である。」
p、80
「「徳」のある人はの立ち居振舞いは、ただ「道」にだけに従っている。」p、93
「『道』によって君主を助けようとする人(将軍)は、目的を遂げればそこでやめる。」
p、104
「高い『徳』のある人は、『徳』を自慢することがない。だから『徳』を保持する。何の行動もしないで しかも何事もなされないということはない。」
p、112
「道が失われた後に、『徳』がそこにあり、『徳』が失われた後に仁愛が来る。仁愛が失われたとき道義 がきて、道義が失われたときに礼儀が来る。礼儀と忠誠は信義のうわべであり、争乱の第一歩である。と いわれるのだ。…予見することは…愚行の始めでもある。」
p、113
「最もすぐれた士は「道」ついて聞かれたとき、力を尽くしてこれを行なう。…最上の徳は、(深い) 谷のようである、…広大な徳は欠けたところがあるように見える。…健やかでたくましい「徳」は怠け 者に見え、質朴で純粋なものは色あせて見える。」
p、116
「最も完全なものは何か欠け落ちているように見えるが、それを用いても破損することはない。」p、 119
「『道』は生み出し、徳は養う。そして、成長させ育て上げ、凝縮させ濃厚にし、食物を与えかばって やる。生み出しても、自分のものだと主張せず、働かせても、それにもたれかからず、その長となって も、それらをあやつることをしない。
これが『神秘の徳』と呼ばれるもの。」
p、124
 「一人身においては(完全に)修めれば、その徳(結果)は有り余るほどであり、…
ひとりの身については、その人の身(の修め方)によって見て取れるし、…天下全体については、天下 (における修め方)によって見て取れる。」
p、126
「『徳』を豊かに持つ人は、(生まれたばかりの)赤子に比べられる。骨は弱く筋肉は柔らかだが、 しっかり握り締める。(身体は)完全につくられている。精(生命力)・和(の気)が最高だから。 この和を知ることが「永久であるもの」とよばれ、「永久であるもの」を知ることが「明察」とよば れる。」
p、127
「人民を治めるにも天に仕えるにも、(君主にとって)もっともよいのは物惜しみすることである。 これにより、君主は始めから道理に従うことで、『徳』を積み重ねたとよばれる。
『徳』を積み重ねれば、何一つ打ち勝てないものはない。そうなれば、極限はしられない。
極限が知られていないとき、国家を保有することができるであろう。」
p、131
「常に規範を知ること、それは「神秘の徳」と呼ばれる。」
p、137
「すぐれた戦士は荒荒しくない。戦闘にすぐれたものは怒気をあらわさない。…これが戦わないこと の「徳」といわれ…天の至上さに匹敵する。」
p、139

5、老子のいう「自然」の状態とは?
 万物の母であり、全てを覆う大きな力をもつ自然のサイクルは、人間社会が栄え滅びる間も絶え間 なく続き、その姿は変わることなく存在し続ける。雨が降り、山を伝い、大地を濡らし、様々な生物に 命を吹き込む。またその命は、大地へ帰ってゆく。このように、森羅万象としての悠久の自然は、私た ち人間に見かえりを求めることなく、惜しみなく恵みを与えてくれる。多くの小国が生まれては滅び ていった戦国時代に生きた老子は、このような永久不変な自然の姿から、人間も自然のように在れば、 争いを起こさず安らかに長く生きることができると考えたのではないだろうか。
 人為を加えなくとも、そのままの状態でおいていれば万物はその本性に従い、それぞれが機能し、物 事はスムーズに流れてゆく状態を、老子は、人間を取り囲む万物自然の中に見、そして、それを人間そ のもののあり方、人間社会にも当てはめ理想とし、「道」という教えのあり方として説いたのであろう。 
 このような「道」を心得た聖人は、欲望を断ち、行為を行なわずに静かにその教えを説く。あえて行 為を為さないことを為すのである。これが老子が理想とする(無為)自然の状態である。

<引用>
「最上の君主について、言葉の価値を高めれば、なすべき事業は完成し、仕事は成し遂げられ、臣下 たちもそれはひとりでになったのだというだろう。」
p、89
「『道』はつねに何事もしない。ただそれによってなされないことはない。」
p、110
「欲望を絶って静かならば、天下は自然に安らかになるであろう。」
同上
「『道』が(全てを)生み出し、『徳』がそれらを養い、物それぞれに形を与え、環境に応じて成 熟させた。それゆえに、あらゆる生物はすべて「道」をうやまい、「徳」を敬い、尊ぶものである 。…それは、自ずから然(そう)なのである。」
p、124
「聖人は、何もしないから何物をもそこなわず、何物にも固執しないから何一つ失わない。欲望を 起こさないように望み、手に入れにくい品物を尊いものとはしない。学ばないように学び、大衆の 通り過ぎてしまったあとへみなを戻らせる。こうして万物がその本性に従うことを助けてやる。し かし、行動することを進んではしない。」
p、136

6.☆ディスカッションテーマ☆
  無知・無欲が人間の自然であるとすれば、鎌田ゼミで
  やっていることとは一体何か?

7.「道」とは何か?

<引用> 第1, 4, 9, 14, 15, 16, 21, 23, 25, 32, 34, 35, 40, 41, 42, 48, 51, 62, 65, 73, 77, 79, 81章
第1章 「「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。」
第4章 「「道」はむなしい容器であるが、いくら汲み出しても、あらためていっぱいにする必要は ない。それは底がなくて、万物の祖先のようだ。(そのなかにあっては)すべての鋭さはにぶらされ 、すべての紛れは解きほぐされ、すべての激しいようすはなだめられ、すべての塵は(はらい除かれ )なめらかになる。つねにふかぶかと水をたたえた深い池のようだ。それは何ものの子であるのか、 われわれは知らない。(だが、それは実質のとらえがたい)象として、(太古の)帝王より以前から存在 していた。」
第21章 「「道」というものは実におぼろげで、とらえにくい。とらえにくくておぼろげではあるが、 そのなかには象がひそむ。おぼろげであり、とらえにくいが、そのなかに物(実体)がある。陰のよう で薄暗いが、そのなかに精がある。その精は何よりも純粋で、そのなかに信(確証)がある。昔からい まに至るまで、(「道」の)その名がどこかへ行ってしまうことはなかった。そして(「道」は)、す べてのものの父たちの前を通りすぎる。」
第25章 「形はないが、完全な何ものかがあって、天と地より先に生まれた。それは音もなく、がらん どうで、ただひとりで立ち、不変であり、あらゆるところをめぐりあるき、疲れることがない。それは 天下(万物)の母だといってよい。その真の名を、われわれは知らない。(仮に)「道」という字をつ ける。真の名をしいてつけるならば、「大」というべきであろう。「大」とは逝ってしまうことであり 、「逝く」とは遠ざかることであり、「遠ざかる」とは「反ってくる」ことである。だから「道」が大 であるように、天も大、地も大、そして王もまた大である。こうして世界に四つの大であるものがある が、王はその一つの位置を占める。人は地を規範とし、地は天を規範とし、天は「道」を規範とし、「 道」は「自然」を規範とする。」
第32章 「「道」は永久であって名がない。」
第40章 「あともどりするのが「道」の動き方である。弱さが「道」のはたらきである。」
第42章 「「道」は「一」を生み出す。「一」から二つ(のもの)が生まれ、二つ(のもの)から三つ (のもの)が生まれ、三つ(のもの)から万物が生まれる。」
第48章 「「道」を行うときには、日ごとに(することを)減らしてゆく。減らしたうえにまた減らし ていって、最後に何もしないことにゆきつく。この何もしないことによってこそ、すべてのことがなさ れるのだ。」
第51章 「「道」が(すべてを)生み出し、「徳」がそれらを養い、物それぞれに形を与え、環境に応 じて成熟させた。それゆえに、あらゆる生物は「道」をうやまい、「徳」をとうとぶものである。」
<解答>
 「道」とは無限なるものである。これは人間の感覚や知識を超越した存在であり、言葉では表現でき ないため、語りえず名づけることもできない。よって「道」というのは字であり、あえて真の名をつけ るならば「大」である。また「道」とは恒常不変で永遠である。そして万物の根源であるから、あらゆ る物に先行し、それはすべての物が成立する根拠であり、万物の母である。よってあらゆるものをその 中に包みこむのである。「道」はまたおぼろげでとらえがたい(=恍惚)ものであるが、象〈かたち〉 をもっており、実体があるということができる(=「道」の神秘性)。その内容は静と結びつき、「道 」の動きはそこに向かっていくのではなくて、「帰ってゆく」のである。そして「道」の働きとは自然 であり、その働きはそれ自身の内にそなわっている。「道」は何事もしないが、何もしないこと(=無 為)によって全てをなしているのである。つまりあらゆる物事は「道」のはたらきなのである。

8.「道」に反することとは何か?

<引用>
第30・55章 「これ(粗暴)は「道」に反することとよばれる。「道」に反することは、すぐに終わっ てしまう。」
第31章 「すぐれた武器は、不吉な道具である。生物のなかにはこれを嫌悪するものがある。だから、 「道」を有する人は(それを使用することに)安んじない。」
第53章 「朝廷はきれいに掃き清められていても、畑はひどく荒れはて、米倉はすっかりからっぽであ る。それでも色模様の美しい上衣を着かざり、鋭い剣を帯に下げ、腹いっぱい飲み食いして、財貨はあ り余るほどである。これこそ盗人のはじまりというものだ。道にはずれたことではあるまいか。」
<解答> 
 「道」に反することとは、自然から離れること、すなわち人為的なもののことである。具体的には、 知識、学問、欲望、粗暴、技術、道徳(老子は孔子の説く道徳を批判)、法律などのことであり、これ らは人間の意識的かつ人工的なものである。よってこれを不自然なものとし、またこれらはすぐに終わ ってしまうのである。

9. なぜ老子は「柔弱」をよしとするのか。

<引用>
第8章 「最上の善とは水のようなものだ。水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身 は争わず、それでいて、すべての人がさげすむ場所に満足しているいことにある。このことが、(水を )「道」にあれほど近いものとしている。」
第36章 「柔らかなものが剛いものに、弱いものが強いものに勝つ」
第40章 「弱さが「道」のはたらきである。」
第43章 「あらゆる物のなかで最もしなやかなもの(水)が、あらゆる物のなかで最も堅いものを( 無視して)突進する。」
第52章 「柔弱(すなおさ)を保持することが(真の)強さとよばれる。」
第76章 「人が生まれるときには柔らかで弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。草や木が 生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。だから、堅 くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。それゆえに武器があ まりに強ければ勝つことがないであろうし、強い質の木は折れる。強くて大きなもの(たとえば木の幹 )は下にあり、柔らかで弱いもの(たとえば枝や葉)が高いところにある。」
第78章 「天下において、水ほど柔らかくしなやかなものはない。しかし、それが堅く手ごわいものを 攻撃すると、それに勝てるものはない。ほかにその代わりになるものがないからである。しなやかなも のが手ごわいものを負かし、柔らかいものが堅いものを負かすことは、すべての人が知っていることで あるが、これを実行できる人はいない。」
<解答>
 世間一般においては、柔弱よりも剛強が尊いとされるが、老子はこれと反対の立場をとる。これはな ぜなら、柔弱とは自然の状態にほかならないからである。ここにおいて、老子は嬰児、赤子、水を例と してあげる。人間のうちで最も自然の状態に近いものは嬰児・赤子であり(第10, 20, 28, 55章)、ま た水は最も柔軟で従順であるにも関わらず、時には岩をも砕くような強さをもつとともに、その態度は へりくだっており、下〈ひく〉い地位につくのである(第8, 66, 78章)。つまり、嬰児、赤子、水は 「道」の象徴なのである。ここをもって老子は柔弱をよしとする。また剛強という状態は、意識の不断 の緊張と努力の持続という不自然によって支えられているためくずれやすい。これとは反対に、柔弱は 静けさに結びつき、永続性をもつ。よってこのことにおいても、老子は柔弱をとうとぶのである。 (また老子は柔弱を女性と結びつけるが、女性や水の柔弱が下位につくという特性は「他と争わない 」という徳に結びつき、これが戦争の否定へとつながっていくのである。)

10. 老子の理想とする国はどのようなものであるか?

<引用>
第80章 「国は小さく住民は少ない(としよう)。軍隊に要する道具はあったとしても使わせないよ うにし、人民に生命をだいじにさせ、遠くへ移住することがないようにさせるならば、船や車はあっ たところで、それに乗るまでもなく、甲や武器があったところで、それらを並べて見せる機会もない 。もう一度、人びとが結んだ縄を(契約に)用いる(太古の)世と(同じく)し、かれらの(まずい )食物をうまいと思わせ、(そまつな)衣服を心地よく感じさせ、(せまい)すまいにおちつかせ、 (素朴な)習慣(の生活)を楽しくすごすようにさせる。(そうなれば)隣の国はすぐ見えるところ にあって、鶏や犬の鳴く声が聞こえるほどであっても、人民は老いて死ぬまで、(他国の人と)たが いに行き来することもないであろう。」
<解答>
 老子は「足ることを知る」〔満足を知る〕ことが必要であるという。もし人々がある一定のところ で満足をすれば、原理的にそれ以上欲は生まれないことになる。小国でしかも人民が少ない(=小国 寡民)時、人々が自らの生命を大事にし、自国にとどまることをもって満足とすれば、武器や船、車 などの人為的なものは不必要であり、また他の国へと領土を広げることもなければ、自国と他国を行 き来する必要もなくなる。そして老子は「自然に帰れ」と説くのである。彼が考えたのは、国がその 素朴な自然状態を守り、育ててゆくことであった。そのためには国や君主が人為を捨て、自然の道に 帰る必要がある。したがって、老子の理想とした国とは、自然に帰ることを目標とする自然国家のこ とである。

11. ☆ディスカッションテーマ☆
 「腹をだいじにし、目をだいじにしない」(第12章)とあるが、これは可能なのか?

 これは老子の快楽主義に対する非難である。ここにおける「目」とは、外界の事物のことを指す。 「五色、五音、五味」など感覚に訴える物に刺激されて人々に欲がうまれ、またそれを増長させてい く。そして本来、人間の欲とは無限のものである。老子はこのことを重々承知しながら、知や欲を完 全に捨て去ることは不可能であるが、ある程度で満足することが必要であると説く。このことは、『 老子』第46章「故に足ることを知るの足るは、常に足れり。」〔(かろうじて)足りたと思うことで 満足できるものは、いつでもじゅうぶんなのである。〕という箇所から導きだされる。つまり、老子 はどこかで満足することを知らなければ、充足した状態にはなれないという。そして一定のところで 満足することによって、老子は「腹をだいじにし、目をだいじにしない」ということが可能となると 考えているのではないだろうか。しかしながら、このことを実行できる人は実際にはおらず(第70章 )、理想と知りつつも、教えとしてなげかけることによって、老子は人々にこのことに気づいてほし かったのではなかろうか。
 現代においては、現状に満足しないこと(=向上心)がよしとされる。発展が奨励され、このため には向上心が必要不可欠であり、またこれが美徳となっている。よく言われるように、現代の人々は 物質的には(あり余るほど)満たされているのだが、精神的には満たされていない。この部分を満た そうとして、実際に目に見え、ゆえに安心感を得られる物質にまた走ってしまう。このようにして、 永遠に欲求充足のループは終わることがないのである。現代の大衆消費社会は、このことに起因する ところがあるのではないだろうか。  ここにおいて、ある程度で満足することが必要であると説く 老子の教えが思い起こされる。老子がこの教えを説いたのは2000年以上前のことであるが、大変広い 視野から世界や人間を見た彼の教えは、現代においても十分通ずるものがあると思われる。したがっ て、老子は現代の社会に対しても問題を投げかけていると見ることができるのではないだろうか。


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