(3)「・・・伝統的経験論が仮定していたように、認識のすべての情報が客体から発し、外側から主体に知らせにやってくるのか、それとも逆に、いろいろな種類の先験説や生得説のいうように、主体は、最初から、客体に課する内生的構造を身につけているのかどうかを、もっぱら考察することができる。しかし・・・既知の認識論の共通な公準は、一人の主体があらゆる水準に存在しているのを前提とすることだ。
この主体は、様々な程度で自分の能力・・・を認識したり、主体の目にとってあるがままに存在する客体・・・を認識したり、とくに、主体から客体へと導く道すじ、または逆に客体から主体へと導く道すじを決定する相互作用の道具や獲得の道具(知覚や概念)を認識したりするのである」発生的認識論 P18