【目次】
第一章 「環境思想誕生のプロセス」
第二章 「ディープエコロジーとは」
第三章 「ディープエコロジーとアンリ・ベルクソン」
第一節 「直観と分析」
第二節 「アンリ・ベルクソン的視点でみたディープエコロジー」
第四章 「ディープエコロジーの役割」
第五章 「結び」
まずはじめにこの章では、環境思想というものがどの様なプロセスの中で生まれてきたものであるかということについてみてみる。次章で取り上げて説明を試みるディープエコロジーもこの環境思想のひとつである。
環境思想そのものの発端は明確にされていない。何かの出来事が起こったわけでもなければ指導者がいたわけでもない。また、この環境思想というものは、あるひとつの国で生まれそれが世界中に共鳴を呼び広く伝播したものでもなかった。それぞれが局部的な問題に端を発しているのである。人類の活動が環境に対し破壊や汚染という歪みをあたえるようになり、それについて正確な認識が広まるにつれ、世界の各地でごくごく小規模な運動が波紋のごとく広がりを見せたのである。この世界各地の環境思想の勃興を見ると、その発芽を促す一定の条件があった。
「往々にして刺激と反応は別々だったが、より広い運動が登場する前に満たすべき一定の客観的条件はあった。科学研究の進歩、個人の移動性の増大、産業の集約化、居住の広がり、社会及び経済関係におけるより大幅な変化である。」
[1]
この五つの条件が、環境思想を誕生させるのである。
イギリスの環境思想の歴史に目を向けると、自然誌(natural history)への関心の高まりがその発端となっている。この気運の下で、人類の自然に対する征服の連続の結果、どの様なことが起こっているかが広く明らかになった。この動きが、野生動物の保護運動となり、また人々に対して自然の持つ癒しの作用に目を向けさせるようになったのである。イギリスの環境思想の醸造に多大な影響を与えたこの自然誌は、さらに成熟を果たし
[2] 、自然との平和的共存のために後のディープエコロジーにおいてもよく聞かれる「簡素さ」や「謙遜」を主張するようになったのである。別の側面で観れば、イギリスでのこの環境への意識の高まりは、自然景観に対して向けられるようになり、文学の世界にもその影響を色濃く残した。この後、徐々に成熟の度を増していった環境思想は、自然界における人間の「位置」に関する見識に影響を及ぼすようになり、環境の支配は人類の進歩と生存のために不可欠であるという考え方に対して、「生命中心的な良心(biocentric conscience)」と呼びうるものが現れた。ダーウィンの示した「進化」
[3] は人々に対し、人間があらゆる他の種と一体であり、人間が自然から遠ざかったのは人間の責任であるということを示唆し、この新しい自然に対する考え方を後押ししたのである。
自然誌への関心以外にイギリスにおける環境思想の醸造を促したものは、反奴隷制運動を生んだ人道主義的情熱であり、そしてアメニティ運動である。人道主義的情熱は動物の保護に向けられるのであり、アメニティ運動は産業革命がもたらした繁栄と引き替えに工業化の波の中で汚染の進んだ街において、自然の慰めの価値を人々に再確認させたのである。
一方、アメリカにおいても自然環境への意識の高まりにおいて、イギリスと類似した経過をたどった。自然詩への関心が重要な役割を果たした点やロマン主義に反映されていった点においてである。しかし、古い定住・開発の歴史を持つヨーロッパとは違い、植民が急速に行われたという事実において、イギリスをはじめとするヨーロッパとアメリカでは相違していた。植民者にとっては、原野は安全・快適さ・食料といったものを手に入れる上で障害以外の何物でもなく脅威であった。森林管理技術を持ち合わせない植民者達によって、自然は征服され続けたのである。ロマン主義者達は急速に進む自然破壊を環境と人間の平衡バランスを乱すものと見なし、伝統的なキリスト教神学を受け入れるのではなく、自然を霊感の源泉として捉えるようになった。イギリスにおいて、自然誌への関心が自ずと「簡素さ」「謙虚」といった姿勢によりディープエコロジーの下地を生んでいったのと同様、自然に対しスピリチュアルなアプローチを試みるようになるなど、アメリカにおいてもその傾向が見られる。
アメリカでの環境思想は、この後大別して二つに分かれるようになる。そのうちの一つは、ジョン・ミューアに代表される保存主義者(Preservationists)であり、もう一つはギフォード・ピンショーらの保全主義者(Conservationists)である。
[4] アメリカで誕生した環境思想はこの後も様々に派生し、多くの潮流を生みながらアメリカの政治力と呼応して、多大な影響を持つようになるのである。
ディープエコロジーという名称が与えられたのは、1973年
[5] のことでありノルウェーの哲学者であるアルネ・ネスによって提唱されたものである。ディープエコロジーは、それまでに主流を占めていた環境問題の把握と解決を政治的・経済的下部構造に求める社会派エコロジー(Social Ecology)だけでは環境問題の解決には至らないのではないか、という気運の中で生まれた。よって、ディープエコロジーは現代社会や文明といったもののあり方を前提とした環境問題への対処を否定するものである。ネスは環境問題を引き起こした人類の精神の内面性を問題とし、環境問題に対してスピリチュアルなアプローチを試みたのである。これは、人生や社会、自然といったものに対する徹底的な問いという手法によって行われた。
ディープエコロジーには、二大規範と呼ばれるものが存在する。それは、自己実現であり、生命中心的平等である。まず、自己実現とは
「人間を越えて人間以外の存在とも一体感をもてるようになることである。我々は現代文化の狭い前提や価値、我々の時間、場所についての通念を越えなければならない。これは瞑想的な深い問いかけの過程を通じて最もよく達成される。このようにしてのみ、我々は十分に成熟した人格と独自性に到達することを望みうるのである。成長を促す、非支配的社会は全的人格になるという「真の仕事」を助ける。「真の仕事」は象徴的には「大いなる自己の中の自己」の実現として要約できる。「大いなる自己」とは有機的全体性のことである。」
[6]
ビル・デヴァルならびにジョージ・セッションズはこのように記している。つまり、自己実現とは自己の意識に目を向けることで有機的なシステムとして全体を捉え、果たすべき本来の役割を認識することを意味する。もう一方の生命中心主義的平等とは、
「生物圏におけるあらゆるものが平等の生きる権利および、より大いなる自己を実現しつつ固有の形で発展し自己を実現する権利を有すること」
[7]
と定義されている。
第三章 「ディープエコロジーとアンリ・ベルクソン」
第一節 「直観と分析」
では直観とはどの様なものであるか。それはものを知るという行為(認識)に際して我々が用い得る手法の一つである。この認識の手法には分析と直観という二つの方法が存在する。分析をその手段として用いるのが科学であり、直観を用いるのが哲学である。直観と分析はおのおのが互いに極として存在しているものである。ここでは直観をよりよく知るためにまず分析について考えてみる。
分析は先にも述べたように科学が用いる認識の手法である。これは、知ろうとするものを外から眺める方法である。知ろうとする対象を外から眺める以上、知ろうとする行為者には、対象をみるための立場が必要である。そこにみられる対象とみる行為者の間に「距離」が存在する。同じ対象に対し、同じみるという行為を行ったとしてもこの立場が異なればみえてくるものは対象の異なる側面である。Aという立場からみえる対象についての情報ははaであり、Bという立場からみえる対象についての情報はbである。aもbも同じ対象についての情報である。以上のように分析とはみる立場に依存した相対的な認識手法なのである。分析というものを端的に表した言葉として、イポリット・テーヌの「分析とは翻訳である」
[8] という言葉があるが、これは知ろうとする対象を、様々な立場からみて様々な概念を用いて表現することを翻訳と読んでいるのである。分析は科学を育み科学は分析を育む。概念を記号と読み替えれば分析は知ろうとする対象を記号によって、投影するのである。科学の発展はこの記号と記号との「距離」を縮めることと同義であり、科学はよりシンプルな記号である数式によって記号と記号の関係を示そうとするのである。
ここで、「概念」について掘り下げて分析を考えてみる。分析が相対的であり、「翻訳」に例えられるように記号的な読み替えを行うものであることは既述のとおりである。「概念」の定義は
「同類のもののそれぞれについての表象から共通部分を抜き出して得た表象」
[9]
とある。概念はより一般的なものであり、複数物の同類のものの共通項であるから変化するものでもない。概念とはより抽象であり、不変なのである。これはもちろん概念では個別なものを表現することができないということを意味するのではなく、概念そのものの性質について述べているのである。我々は日々日常の中で、個別なものを複数の概念を用いて表現している。概念では表現することができないのは一般的でなく、そして不変でないものである。換言すれば唯一無二であり、動くもの、というよりはむしろ動きそのものである。それは意識である。意識は言葉や概念では表現し得ない。よって、意識は分析不可能である。
意識は分析では知ることができない。ここに内よりの認識である直観が存在しうるのである。ものを知るという行為に際し、分析が外から眺める方法であるのに対し、直観とは内から眺める方法である。しかし、内から眺めるという表現の仕方は正確ではないかもしれない。あくまでこの表現は分析に対比してのものである。より正確に直感を簡潔に表すのであれば、ものを知るという行為を行う際に知ろうとする対象に同化し、対象となって内観・実感するということである。これは容易ではない。対象がいかなるもの、それが物質的であればなおさら、知ろうとする対象と行為者の間には「距離」が存在するからである。では直観することができる対象は何であるかというと、それは意識である。この意識は直観によってのみ知ることができるのである。分析について述べたところで、意識が唯一無二なものであり、動きそのものであることは述べた。これは、意識が時間の流れに沿うものであり全く同じ内容に留まっていることはないということである。ここに時間と意識と直観の密接な関係がある。この流れる時間をベルクソンは持続(デュレ)と呼んだ。直感的に知ると言うことは持続的に知ると言うことである。持続的に知るとはどういうことであるか。それは自らが持続となって流れ、持続の中で創造することである。別の言い方をするならば過去を否定し続けるのである。ベルクソンはこう語っている。
「直観は禁止するのです。世の中で認められている思想や、明白と思われていた説や、それまでは科学的と通用していた主張を前にして直観は哲学者の耳に「不可能だ」という言葉を囁きます。事実や理屈が人ににそれが可能で事象的で確実だと信ずるように仕向けると見えるときでさえも不可能だ。多分雑多ではあっても決定的なある経験が私(直観)の声をもって、人が言い立てる事実や人が与える理屈とは相容れないものであり、そうなった以上それらの事実が足らずそれらの理屈は誤っているのに相違ないのだと話しかけるのであるから、不可能だ。否定のこの直感的な能力というものは不思議な力であります。」
[10]
直観とは否定の連続による創造なのである。
概念、特に言葉はあくまでも道具であり、それ故に哲学には用いることができない。直観こそが哲学の用いる認識の手法である。科学と哲学はおのおのどういったものであるか。ベルクソンが両者をこのように語っている。
「科学は行動の補助手段です。行動は結果を目的としています。そこで科学的悟性はその欲する一定の結果に到達するためにはどういうことをしなければならないか、もう少し普遍的に言うと、一定の現象が生ずるためにはどういう条件を与えなければならないかと言うことを問題にします。科学的悟性は様々な事物の配置からは位置の変更へ進み、一つの同時性から別の同時性へ進みます。したがって必然的に科学的悟性はそのあいだに起こることを無視しなければなりません。そういうことを扱うとしても、その内で別の配置、やはり同時性を考察するためであります。できあがった全体をとらえるのを使命とする方法をもっては一般に言って科学的悟性は行われていることに立ち入り、動いているものをたどり、事物の生命である生成を取り入れることができないのであります。この後の方の任務は哲学に属しています。科学者は運動に対しては不動の姿を見て取り、繰り返されないものに沿って繰り返しを集めるほかなく、事象を人間の行動に服従させるためにそれが展開する次々の面の上につごうよく事象を分割することに注意するものであるから、どうしても自然を相手に詭計を用い、自然に対して警戒と闘争の態度をとらなければならないのに反して哲学者は自然を仲間扱いにしています。科学の方針はベイコンが提出しているように、命令するために服従することであります。哲学は服従も命令もしません。哲学者は同感を求めます。」
[11]
科学は相対的認識である。科学は知ろうとする行為の対象とその行為者、もしくは対象と対象との関係の知識である。科学においては対象と行為者、対象と対象は決して重なることはない。「距離」が縮まるだけである。であるならば、環境問題というコンテクストで考えれば、科学は自然を法則によって支配し、人間による自然の支配を促進しているという現実は、不思議ではない。
哲学は征服しない。なぜならば内観であり実感するのであるから。自然に対しても服従でもなければ征服でもない。そこにはただ同化による一つの自然しかないのであるから。
第二節 「アンリ・ベルクソン的視点でみたディープエコロジー」
ディープエコロジーは文字通り環境思想の一つであり、人類が自らの存在を取り囲むものについてその歴史の中で様々に思索をめぐらせた結果生まれたものである。それゆえ、当然環境並びに現代我々が抱える環境問題を見据えたものである。では、ここより私が考える現代社会においてディープエコロジーの果たしうる役割について論を展開する。ディープエコロジーの本質といえる基本的原則の一つに、生命圏平等主義(Biospherical egalitarianism)があることは既に述べた。この考え方はあらゆる生命体に「生を送り開花する平等の権利(The equal right to live and blossom)」を有しているということを認めるものである。言い換えれば、全ての生命は誕生の瞬間より生まれもった方向性に沿って成長するのであり、それは最大限に尊重されるべきであるという考え方である。ディープエコロジーはそれを阻害、または歪曲する権利は何者も有さないとしている。
一方ベルクソンの展開した論に目を向けるとディープエコロジーにおける「生を送り開花する平等の権利」という考え方の根底にあるものと本質的に合致すると思われる主張に出会う。それが、「生の躍動(エラン・ヴィタール)」である。「生の躍動」を定義することは非常に難しいが、
「生命の際だった特徴」「生命の内部から突き上げてくる力の運動」
[12]
ということばで表現されうるものである。
これより、まずベルクソンが展開した「閉じた社会」「開いた社会」という概念について説明を加える。なぜなら、この本質を異にする概念について知ることが、ディープエコロジーをそしてひいては環境問題を理解するにあたり重要な意味を成すからである。
ベルクソンは共同体について考察し、そのあり方によって各共同体に対し、「閉じた社会」「開いた社会」という名称を与えた。我々は「閉じた社会」の住人である。これは人類の成し遂げた進化の一つの到達点である。この「閉じた社会」は人類に特有のものではない。膜翅類の成す社会もまた「閉じた社会」といえるからである。人類の構成する社会も膜翅類の構成する社会も、それぞれが動物的生命の二大進化の現時点での頂点にあるのである。それを為しえたのは、膜翅類においては本能であり、人類の有する知性に他ならない。この本能と知性の源は先程述べた「生の躍動」である。
[13] 膜翅類と人類という両者が「閉じた社会」の住人であるという点において、そして本能も知性も道具を用いることをその本質的目的としているという点では同じである。ただ両者が異なるのは知性が発明された道具、すなわちこれは可変的で予見されなかった道具を、本能は自然の提供した道具、自身の身体的器官を利用することを目的としている点においてである。ここで道具という切り口で本能と知性について考える。道具にはそれがある以上、使用されるための目的があることが前提としてあるはずである。そして、その道具の用途が細分化され専門化していればいるほど能率の観点からみれば優れている。このように社会生活は道具によって導かれるのである。ベルクソンは
「社会生活は、漠とした理想として、本能にも知性にもこのように内在している。」
[14]
と語っている。
知性と本能が人類と膜翅類を動物的生命の頂点にまで押し上げたこと、そして知性と本能はその本質的な部分で(道具を用いることをその本質的目的としているという点で)共通点を持つ。ならば相違する点はどこにあるのか。それは、社会成員に圧力を加えているもの、つまり社会組織の構成の型が異なっているのである。膜翅類社会においては全ての役割活動は本能によって指示されているのであり、役割分担は各個体の身体の構造と結びついている。しかし、人類はその社会において各自の知性にしたがって自らの行動を統制している。これが責務とよばれるものである。この責務について述べることは容易ではない。責務と呼ばれる一般、もしくは責務の全体が知性ではなく本能に起因するものであり、知性ではこの責務の全体がなぜ存在しているのかということに対し、存在しているが故に存在しているとしか言い得ない。
[15] この関係をベルクソンは言語に見て、以下のように語っている。
「ものを言うという習慣の背後に存する本能と同じく、潜在的な本能である。実際、人間社会の道徳はその社会の言語に比較され得る。注意すべきことは、もし蟻が合図を交換するとすればーこのことはありそうなことと思われるがー、その合図は、彼らを皆相通せしめる本能そのものによって、彼らに提供される、という点である。それに反して、言語は慣習の産物である。自然に由来するものは、語彙のなかにも、語法のなかにも、ひとつとして存していない。しかし、話すということは自然的なことである、そして、恐らく昆虫社会で用いられる自然的起源の普遍的合図は、自然が話すという能力を我々に賦与しながら、同時にこの能力に道具を製作し利用するという、従って発明的な機能を、つまり知性を追加しなかったというような場合に、我々の言語はどの様なものであったかを、このような場合の我々の言語のあり様を、表している。人間社会が、知的である代わりに本能的であったならば、責務はどの様なものであったろうか、」
[16]
と。知性にしても本能にしても、その本質的な根底のレベルで、社会を構成することが必定である以上その社会を構成するもの同士で何らかのコミュニケートが図られることは「自然」である。しかしながらそれが言語というシステムに至るには知性が必要不可欠である。これは責務においても同じことがいえ、各個人(各個体)に対して圧力が存在する。これは「自然」なことである。その圧力とは、膜翅類にとって身体的構造であり人類にとっての責務である。我々は知性によって感ずることができるのであるが、その感じる対象たる責務は潜在的な本能に根ざすものなのであり、知性ではその本質に触れることができないのである。
ではなぜこの我々の構成する社会と、膜翅類の構成する社会が「閉じた社会」と形容されるのであろうか。この「閉じた社会」をベルクソンは
「どんな瞬間にも若干数の個人を包含し、その他の個人を排除することを本質としている」
[17]
社会と定義している。人類においても膜翅類においても、よく生きるために群居という手段をとるようになったわけであるが、この群居の単位はごくごく小規模のものであった。この社会の中で構成員はそれぞれの社会が有する圧力によって互いに結びついているが、この認識主体が存在する社会という単位の外にある社会に対してはなんの責務も負わない。むしろ敵対的であるとさえいうことができる。このことに関して、殺人という行為を例に挙げることができる。我々の社会において殺人は最も罪の重い犯罪のひとつとして数えることができるが、「閉じた社会」と「閉じた社会」がその本質的な関係を最も浮き彫りにしうる戦争という特殊な状況の中では、殺人は賞賛の対象ともなりうるのである。
さらに「閉じた社会」に対して、「開いた社会」について述べる。「開いた社会」を一言でいうならば、人類という単位である。「閉じた社会」については既に述べたが、閉じた社会がどんなに大きなものになろうとも人類という「開いた社会」との間には量的な拡大では決して越えることのできない壁が存在している。それは有限と無限、閉じたものと開いたものとの差異であり量的ではなく質的な問題であるからに他ならない。さらにいえば、人類という枠組みでさえ「開いた社会」を形容するには不足であるかもしれない。この「開いた社会」の住人の魂は、
「この魂の愛は、動物や植物や、自然全体にまで、及ぶ」
[18]
からである。これはまさに、ディープエコロジーの標榜する意識のあり方と協調するものである。
環境問題は人類が初めて経験する類の問題であるといえる。それは量的な意味ではなく、質的な意味においてである。なぜならばこの問題は我々に「開いた社会」の住人としての対応を求める問題であるからである。外部を想定したうえでの対応では問題の本質を把握したことにはならないのである。ベルクソンはこのように語っている。
「閉じた社会から開いた社会へ、都市(シティ)から人類への移行は、単なる拡大によっては決して可能ではないだろう。この両者は同一本質のものではない。開いた社会とは、原則的には、全人類を包含するような社会のことである。こうした社会は、若干の選ばれた魂によって、時折夢想されたものであって、創造の度毎にそれ自身の何物かを具体化する。こうした創造のひとつびとつが、深浅の差はあっても人間を変化させて、それまでは克服不可能だった諸困難の克服を可能にする。」
[19]
「開いた社会」とは、全人類を包含するような社会である。つまり、人類が最初に築くような未熟なそして小規模な社会とは異なり、外部を想定しない社会である。しかしながら、この社会は未だ実現をみていない。知性を与えられた人類も本能に依る膜翅類もである。
それはなぜか。「閉じた社会」から、質的な飛躍を遂げるには直観の力が必要だからである。私が、ディープエコロジーには環境問題に対して何らかの解決への糸口を見いだす手掛かりが在ると考えたのはこの為である。ディープエコロジーにおいて、このような既述が見られる。
「人間と自然とはそもそも一体である。自然の中で、自然に支えられて生きる人間という正しい世界観を我々が再発見することなしに、環境問題は決して解決しない。そのためには、我々自身がまず変わる必要がある。我々が見失ってきた「自然の声」「地球の声」を聞くとこのできる感受性を取り戻し、それたと呼び合うことのできるような人間へと、我々自身が変わってゆかねばならない。」
[20]
この文中にある、「自然の声」「地球の声」を聞くことのできる感受性を獲得することを、ディープエコロジーでは自己実現という言い方をしている。この自己実現を成し遂げるための方法が直観であり、自己実現を果たすということはベルクソンの言う、直観によって「開いた社会」へ成熟を遂げることと同じである。
「開いた社会」の住人となるためには人類という観点でものを見、ものを考え、行動する必要がある。つまりこれは個人が人類になること
[21] 、全人類と同一化することが必要である。自分の価値観や基準といった一切のものの投影による相対的な認識では、「開いた社会」へは到達できない。分析ではなく、直観が必要なのである。しかしながら、直観は容易な認識手法ではない。対象との「距離」を無くし、一切の記号を用いず対象を絶対的に認識する為の手段が直観である。「閉じた社会」は分析の社会である。
分析では認識することができず、直観によってのみ知ることができる対象が、唯一無二のものである「動き」であることは既に述べた。ディープエコロジーが提唱しているのは、全ての人類が自己に目を向け直すことである。それは、より大きな対象に対して認識するために小さな共同体から段階的に認識する対象を家族・地域・国家というように広げていくというのではない。人類という対象を直観を通じて認識するために、個人の意識に目を向けるという方法を採ろうとしているのである。家族や国家といった限定された対象にではなく、種としての人類に目を向けものを考えるようになるには、我々が自己に目を向けるというプロセスによって、自己実現を果たすことが必要なのである。ディープエコロジーはこのことを説いている。従来の社会派エコロジーのように問題点の把握と解決を、その政治的・経済的下部構造に求めるのではなく、直観という認識手法を用いることによって、自己を介して人類という「開いた社会」にアプローチすること。これこそがディープエコロジーが環境問題に対して果たしうる役割である。
環境問題が人類の脅威であることが広く認識されるようになって久しい。我々は世界をむしばみつつある環境問題に何らかのアクションを早急に打たねばならない。環境問題はこれまで私たちが経験してきたような問題とはその本質を異にするものである。環境問題は無差別である。問題を引き起こしている当事者にもそうでない大部分の人間にもふりかかり、人種・国家といったものに左右されることなく、影響を及ぼす。つまりは、私たちが用いている枠組みを越えての問題であるということである。
この問題に対するアクションは人・地域・国家などによってそれぞれであるが、私は様々な環境問題の礎となる環境思想について深く考察を加えることこそ、有効な方法であると考える。これが私の基本的な環境問題への姿勢である。
この様に考えるに至った過程は、私が様々な環境活動と呼ばれるものに身を寄せていた頃に遡る。私は、環境問題に対して問題発見を行ったわけであるが、問題解決のプロセスにおいて、その道程の最後にあるべき私が目的とする社会のあり方を見失ったのである。環境問題に関して、私が持ちうるあるべき社会の姿とはどの様なものであるか。どの様な状態を求めて私は環境活動を行うのか。この問題の答えに導いてくれるものと私が考えたものが、ディープエコロジーというひとつの体系であった。
私は環境思想という側面、就中ディープエコロジーを通して、この卒業論文においてまず環境思想全般についてふれた後、その後ディープエコロジーについて記述した。そして私がディープエコロジーにその価値を見いだすようになった理由である「直観」という手法について考察した。ディープエコロジーの提唱する直観という手法に目を向ければ、環境問題に対して我々が講じうる有効な手段への手掛かりを得ることができ、それこそが私がディープエコロジーの果たしうる役割であると考えたからである。ディープエコロジーの目指す社会もアンリ・ベルクソンの言葉を借りれば「開いた社会」であるということができる。ディープエコロジーは、枠組みにとらわれず全体の中の一部という意識を持つために一見逆のベクトルにも思える個人の意識に目を向けたところにその価値があるのである。
【文献抄】
小原秀雄監修『環境思想の系譜1 環境思想の出現』東海大学出版会(1995年)
小原秀雄監修『環境思想の系譜3 環境思想の多様な展開』東海大学出版会(1995年)
澤瀉久敬責任編集『世界の名著53 ベルクソン』中央公論社(1969年)
西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波国語辞典第四版』岩波書店(1963年)
アンリ・ベルクソン著、河野与一訳『思想と動くもの』岩波書店(1998年)
作田啓一、井上俊編『命題コレクション 社会学』筑摩書房(1986年)
ー作田啓一著「閉じた社会と開いた社会」
アンリ・ベルクソン著、平山高次訳『道徳と宗教の二源泉』岩波書店(1953年)
今西錦司責任編集『世界の名著39 ダーウィン』中央公論社(1967年)
小原秀雄監修『環境思想の系譜2 環境思想と社会』東海大学出版会(1998年)