(10)「経験的社会学の実践は、いかに大規模に行われても、諸仮説の必然性について自ら認じているものに決して合致していない。一方で不承不承、諸仮説の必要を認めはするが、他方ではその各々の仮説を疑ってかかる。というのも仮説は、「偏見」に、先入観にとらわれない研究の妨害になりかねないからというのである。(そうする)根底には「真理の残余理論」、すなわち真理とは、いわゆる単なる主観的付加物を、つまり一種の生産費を差し引いた余りであるという考えが横たわっている。・・・研究は白紙−−前提なしに現れるもろもろのデータがこの白紙の上で整理される−−の形で開始されねばならぬという迷信から、経験的社会研究は徹底的に脱却しなければならないのであろう」社会学と経験的研究 P101-102