目次

1、研究の目的
2、中国の人口高齢化の原因と特徴及びその影響
3、アンケートの結果
4、中国の高齢者問題対策


1、研究の目的

中国は世界で人口が一番多い国である。2000年までに中国の人口は約13億になると言われている。 [1] 膨大な人口は未だ発展途上の中国にとって重い負担だと言える。人口増加があまりにも速ければ、雇用、教育、住まい、交通、医療保険、社会福祉、資源、生態環境に甚大な圧力を加える。中国政府は人口増加の抑制を目的として、70年代末に「計画生育」いわゆる一人っ子政策を「中華人民共和国憲法」の中に書き込んだ。その時から、中国政府はなによりもこの一人っ子政策を重視している。「晩婚、晩育」の政策もその時以来政府に支持されている政策である。「晩婚、晩育」とは遅く結婚し、遅く子供を産むことを国民に要請する政策である。政府がこれらの政策を実行して以来、中国の人口出生率は著しく低下している。その結果、多くの人口学者と経済学者が中国の国情を鑑みて、今まで行った一人っ子政策は唯一でありそして正確な政策だと認定した。中国は、一人っ子政策を強制的にでも実行しなければ今にでも人口13億人を超えてしまうのではないかという脅威を無視できないのである。 [2] 一人っ子政策は人口抑制の面では成功した政策といえるが、反面、マイナスの影響もある。それは近年ますます深刻になっている高齢者増加の問題である。「国連は1956年に『人口老化及び経済意義』という本の中で満65歳以上の人を高齢者と呼ぶが、中国では満60歳以上の人を高齢者と呼ぶ。」 [3] 「1994年の年末に中国では60歳以上の高齢者は11697万人となり、1990年の10246万人から1451万人の増加を記録した。高齢者人口は4年間で14.16%の増加となり年平均増加率は3.37%である。それに比して総人口の年増加率は1.19%に留まっている。中国における高齢者人口の増加率は総人口の増加率に比べて極めて高いのである。」 [4]
高齢者人口の増加に伴って、国が高齢者政策に支出する費用の総額も増加している。例えば、年金・医療費など、多方面に渡る福祉費用の膨大な支出は国税収入の再分配に直接に影響する。家庭で老人を介護する中国の伝統的な介護の方式は近代化に伴う急激な家庭規模の縮小(核家族化)によって、ますます難しくなっていく。多くの高齢者は社会の援助に頼らざるをえず、それに応じて社会の負担がますます重くなっていく。 [5] これから先、中国の高齢者達瀕するであろう様々な問題を我々は真剣に考えてゆかねばならない。特に高齢者介護はこれからどんな方式を取ればよいかを具体的に考えていくことは必要不可欠の課題である。以上が、当論文を書くに当たって私を支えている問題意識である。
この論文では、はじめに中国の高齢者問題の現状と特徴、その原因と影響を明らかにする。次に、中国人が高齢者介護に対して抱いている意識をアンケートの結果を通して明らかにする。最後に、現在高齢者が瀕している様々な問題、特に介護の方式の問題に対してどのような対応策によって解決してゆけばよいかを述べる。その上で、それらの対応策の個々の問題点を明らかにし、今後の課題の指摘をもって本論文のしめくくりとする。

2、中国の人口高齢化の原因と特徴及びその影響

(1)「中国政府は1990年の第四回目の人口調査において、中国の人口年齢構造及び出生率と死亡率の変動についての未来予測を行っている。その資料によると、この先の数十年間で中国の人口高齢化は次のような3つの時期を経験するとされている。すなわち、一番目の時期は1990年から2000年までの人口高齢化の前期段階である。この時期に満60歳以上の高齢者人口は9719万人から1.36億人までに増加する。高齢者人口が総人口の中に占める割合は8.6%から10.2%に増加する。
二番目の時期は2000年から2020年までの人口高齢化の発展段階である。この時期に高齢者人口は1.36億人から2.3億人に増加する。高齢者人口が総人口の中に占める割合は10.2%から15.6%に上昇する。
三番目の時期は2020年から2050年までであり、この時期に中国は人口高齢化のピーク段階を迎える。何故ならこの時期にベビーブームであった60年代に生まれた人々が一斉に高齢期に入るからである。高齢人口は2.3億から4.1億までにも上昇する。総人口の中に占める割合は15.6%から27.45%までに上昇する。」
[6]
 それでは続いて、50、60年代に生まれた人が高齢期を迎える2050年になると人口高齢化のピーク段階になる理由を多角的に探ってみる。

表1 中国人口出生率(%)

上の表から読みとれるように、「50年代以降の出生率の変化は六つの時期に分けられる。1949年から1957年までが出生率の一回目のピーク時期である。1958年から1961年の3年間は経済危機の影響で、出生率が低かった。中でも1960年の全国人口自然増加率はマイナス4.57%である。」 [7]  これは二回目の時期にあたる。三回目の時期は1962年から1971年までの時期である。1959年から1962年まで中国は3年連続の自然災害にあった。この時期、出生率は平均的な水準よりずっと低くなった。1960年の全国の人口出生率は死亡率以下であった。この一年は建国以来全国の人口がマイナス増加した唯一の一年であった。この時期が終わってから後、出生率は急激に上昇し始める。経済危機の時に結婚の時期を延長した若い人たちは急いで結婚し、子供がほしかった人は急いで子供を産んだからである。1965年以降の60年代の後半にかけて社会は「文化大革命」 [8]  の下、無秩序状態になっていたため、仕事や生産労働はすべて停止した。その結果、この時期にたくさんの人が家で子作りや子育てに集中したため、1962年から1971年までの時期は中国二度目の人口出生率ピーク時期となった。1972年以後、中国政府は人口の増加が社会に様々な悪影響を与える事実を確信、強力に人口増加の抑制を推進した。その時期から中国の人口の出生率は下降の一途を辿ることとなる。 [9]
以上の分析から中国では50、60年代に生まれた人はだいたい2050年に人口高齢化のピーク段階になるのが一目瞭然である。
(2)また国際的に見ても、「中国では高齢者の規模が大きく、増加率も速い。現在、中国の満60歳以上の高齢者人口は1.2億に近づいており、全国の総人口の9.5%を占めている。現時点において世界で高齢者人口が一番多い国であり、世界の高齢者人口の5分の1、アジア高齢者人口の2分の1を占めている。予測によると、2000年までに、中国の高齢者人口は1.32億に達する。その数は中国総人口の10%以上を占めることになる。
今世紀の中葉、中国の高齢者人口は4100万になり、世界の高齢者人口の22.5%を占める。1975年から2050年の50年間に世界の高齢人口は245%増加し、中国の高齢者人口は285%増加する。中国の人口年齢の構造は青年型から高齢型に入るのにたった18年間しかかかっていない。青年型から高齢型への移行にドイツとイギリスは45年、スウェーデンは85年、フランスに至っては115年を費やした。歴史的に見ても中国は世界中で人口老化のスピードが最も速い国である。」
[10]
(3)「中国の高齢化現象は地域によって異なる。上海、北京、天津、江蘇、山東等の地域は既に高齢化社会に入ったが、ほかの地域は21世紀になってから高齢化社会に入ると予測されている。近年の中国では、都市部と農村部の人口出生率の違い及び都市と農村の経済格差の拡大によって過剰労働力となった農村の若者達が続々と都市部に出稼ぎにやって来るため、農村部の高齢化は度を増して展開している。現在、中国における75%の高齢者人口は農村部に集まっており、農村人口高齢化の社会保障問題が次第に注目されるようになってきた。」 [11]
また、「中国の高齢者人口の中で子供あるいはほかの親戚から財政援助を受けている人の割合は一番大きく、57.07%である。次は収入を依頼する人で24.83%を占める。退職金いわゆる日本の年金を依頼する人は15.82%を占め、社会保障と社会援助を受けている人は1.22%を占める。ただし、都市部は農村部と大きな違いがある。都市部の高齢者人口の中では年金で暮らしている人の割合が一番大きく、49.31%を占める。次は子供あるいはほかの親戚から財政援助を受けている人であり、34.53%を占める。3番目は収入を依頼する人であり、14.0%を占める。一方、農村の高齢者人口の中では、子供あるいはほかの親戚から財政援助を受けている人の割合が一番大きく、64.26%を占める。次は収入を依頼する人であり、29.06%を占める。3番目は年金を依頼する人であり、4.46%を占める。この違いの由来は主に社会保障制度と関係がある。現在、中国の年金保険制度は農村部では都市部ほど普及していない。農村部では年金がもらえる高齢者が非常に少ないのである。彼達は主に自分の労働で稼いだお金と家族からの財政援助で暮らしている。」 [12]
しかしながら近年農村部から都市部へ出稼ぎに行く若い労働力がたくさん増えている。これら若い出稼ぎ労働力は都市部での雇用機会を期待していたが、実際には都市部の人にも余り仕事がない。さらには農村から来た若い人達のなかには本当に仕事ができる人は少ない。にもかかわらず、彼らは仕事を手に入れる機会を待つために農村部に戻らない。そうして、多くの村では労働能力のない子供と高齢者が残されることになる。それ故、農村部の高齢者問題は大変深刻である。
(4)「中国の高齢化は経済の発展と矛盾している。先進国の人口高齢化は工業化と並行して起こってきたのであるが、中国の人口高齢化は経済がまだ豊かではない時にやって来たのである。先進国はまず、豊かになってから、高齢化が到来したのであり、経済発展は高齢化とだいたい一致している。中国はそうではなく、まだ豊かになっていないのに、高齢化が先に到来した。経済の発展は遅いが、高齢化のスピードは速い。経済発展と高齢化が一致していない。そのため、国と社会の負担は大きくなる一方である。」 [13]
(5)中国の儒教の思想は世界でもとても有名である。長い歴史を持つ儒教はたくさんの中国人の考え方を影響している。例えば中国人は儒教思想の影響の下 で敬老と養老を伝統的な美徳だとしている。
儒教は「孝」をとても重視する。「孝」は人間として最も基本にあるべき道徳である。親孝行の人だったら、父母を養うべきである。そしてただ養うだけでは不十分であり、尊敬も不可欠である。子供は年を取った父母に財政の援助をしなければならないだけではなく、父母に楽しい日々を過ごしてもらうよう努めなければならないのである。 [14] 「孝」の教えの深さを反映して、中国にはたくさんの親孝行の伝説が存在する。その一例として、コウキョの伝説を挙げよう。

   昔、コウキョという男がいた。彼には年老いた母親と幼い子供がいた。しかし、飢餓が年々続いていて家の食糧は尽きようとしていた。コウさんは仕方なく母親を養うために自分の子供を埋めるつもりであった。彼が庭で子供のお墓を掘っている時に土の中からお金がたくさん入っている大きな箱が出てきた。箱の上には「天賜孝子」と書いてあった。

 「天賜孝子」とは<天は親孝行の人に贈るものだ>という意味である。 [15]  この伝説は親孝行にしていたら、天からよくしてもらえるものだということを人々に教えている。中国ではこういった親孝行の伝説の例は枚挙に暇がない。
中国は5千年の歴史がある国である。儒教の代表人物の孔子はたくさんの中国の古代文化を集めて、儒教の思想を創立した。その時から、儒教の思想は中国の文化の主体となっている。ずっと今まで多くの中国人は依然儒教の思想に深く影響されている。儒教の思想の中の親孝行の思想は今でも学校、家庭と社会の中で若い人に教えている。特に年配の人の儒教の思想はとても固く、中国の大多数の高齢者は自分の子供あるいは親戚と一緒に暮らし、家庭の介護と手伝いを受けている。一人暮らしの高齢者は大変少なく、高齢者総数の7% [16] しか占めていない。 また、中国の社会保障システムはまだ不充分なので、社会側から提供する養老保険と援助を受ける高齢者はとても少ない。故に現在の中国の高齢者の介護の方式はやはり家庭を中心とする介護の方式に落ちついている。しかし、近代化の発展と核家族の増加と伴に家庭の中で高齢者を介護することができる家庭はだんだん減少している。家庭養老と介護の機能もおのずと弱くなってきている。 [17] 中国において高齢者の介護問題はもっとも深刻な問題である。これからの介護の方式はどういう方向に向かっていけばいいのかを我々は真摯に考える必要がある。
それでは次に、アンケートの結果を通して中国人は高齢者介護に対してどう思っているのかを見てみることにする。

3、アンケートの結果

  

  アンケートを行った時期:1998年の8月と9月
                  対象地域:中国瀋陽市内
                  回答方式:選択様式
                  対象年齢:14歳以上の男女
                  採取人数:377名
                  設問内容:中国の高齢者問題に対する意識等
  
 ※ 問題は全部で7つあり、選択様式である。選択する際に複数の答えを選ぶこ    とは可能であるとした。
設問1. 高齢者介護問題に対してあなたはどう思いますか?
@子供は老人を介護する義務があるので、老人を介護するのが当たり前のことである
A老人はできるだけ自立すべきだが、動けない場合はやはり子供は介護するべきである
B老人はできるだけ自立すべきだが、動けない場合には在宅介護者に来てほしい
C老人は養老院でも幸せに暮らせる
Dその他

設問1の回答集計(表2)

表2から@番の答えを選んだ人が一番多いと分かった。対象者全員の377人の中で240人が1番を選び、全体の64%を占めている。年齢からみると14歳以上、60歳以下の人の中では@番を選んだ人は多かったが、60歳以上の人の中で@番を選んだ人は4人しかおらず60歳以上の人数の20%である。その代わりに、A番を選んだ人は一番多かった。8人で、60歳以上の人数の32%を占める。次はB番を選んだ人で7人で、60歳以上の人数の28%を占める。つまり60歳以上の高齢者は子供が老人を介護することを当たり前だとは思っていないのである。彼らはできるだけ子供に迷惑を掛けないようにと考えている。もちろん介護を受ける場合には、やはり家で子供にと望んでいる。養老院で幸せな暮らしができるとは誰しも思っていない。60歳以上の高齢者は自分の年齢の老化を自覚すると同時に真剣に老後の生活を考えはじめている。彼達は子供に介護してもらいたいが、今の社会状況を見ると無理な所が多いと知っている。彼達は自らの経験を元に答えを選んだのである。ただ昔の養老院の悪い印象のせいか養老院で幸せな暮らしもできると信じる人はほとんどいなかった。
 40歳以上60歳以下の人の答えを見てみると、彼達の回答のばらつきはどの世代よりも大きいことが分かった。その主な原因は2つあると予想できる。1つにはこの世代の人達は文化大革命を経験したことがあるので、教育の水準が高い人だったらとても高く、低い人だったらとても低い。だから、この設問に対する考え方もそれぞれであった。もう一つにはこの世代の人達は建国から今までの中国の歴史と社会の状況がよく分かる人達だということである。建国以来現在に至るまで、中国の政府は適切な政策を用いて社会を安定させたいと願ってきた。しかし、現実には中国の社会は建国してから何回もの大きな変化をかいくぐりながら生き続けている。例えば今、中国では「毛沢東一揮手―文化大革命、トウ小平一揮手―“下海”、江沢民一揮手―下崗」という言葉が流行っている。毛沢東の命令の下で文化大革命が始まり、 小平の命令の下でみんな重商主義になったが、江沢民の命令の下でみんな失業したという意味の言葉である。この言葉は中国の社会の変化をよく表す言葉である。つまるところ中国の政策はいつも変わるのであり、あまり安定ではない。こういう社会の状況をまざまざと体験してきた40代から60代までの人達が中国の政策に対して不信感を持つのは当然のことである。彼達は一応子供に介護してもらいたいが、もし中国の高齢者向け対策が少し変わってよくなってきたら、彼達はほかの道を選ぶかもしれない。だから彼らは迷いながら答えを選んだのである。30歳以上40歳以下の人の答えはとても明確である。@番を選んだ人は29人で、30歳以上40歳以下の人数の78%を占める。一方、14歳以上30歳以下の人の中では@番とA番を選んだ人は多く、そして@番とC番を同時に選んだ人も多かった。10代と20代の若い人は主に学校やマスコミや人の話などから情報を集める。この世代の人達は比較的教育の水準が高い。彼らは学校で中国の伝統的な儒教教育、「親は子供を扶養する権利がある。子供は親を介護する義務がある」、を受けている。それゆえ@番とA番を選んだ人は多かった。それと同時に、彼らは社会の新しい思想や新しい情報などをすぐ受け入れられる素地も持っている。社会の進歩につれて若者の考え方もだんだん変わっている。だから彼らは養老院で暮らすことに対してほとんど拒否反応を示さなかった。しかし、養老院はどうして近年ますます発展しているのか、養老院はこれから社会でどれぐらいの役割を果たすのかなどの問題に対して、彼らが実際にはまだはっきりと意識していないだけなのかもしれない。

設問2. 体の調子が悪くなって動けなくなった場合、誰に介護してもらいたいですか?
@家内あるいは主人       
A子供     
B養老院  
C在宅介護者       
Dその他

設問2の回答集計(表3)

 表3から@番とA番の答えを選んだ人は最も多いことがわかる。対象総数377人中、125人が@番を選び、全体の33%を占めた。A番を選んだ人は110人であり、全体の29%である。@とA番を同時に選んだ人は53人で、全体の14%を占める。次にB番の養老院を選んだ人は39人であり、10%を占める。C番の在宅介護者を選んだ人がもっとも少なく20人で、5%を占める。以上の回答傾向は中国人は今でもやはり家庭を中心とする介護の方式を望んでいるということを証明できる。年齢からみると60歳以上の人の中で、A番の子供に介護してもらいたい人は11人であり、60歳以上の人数の44%を占める。次点で@番の家内あるいは主人に介護してもらいたい人達が7人で、28%を占める。養老院に行きたい人は1人しかいなかった。C番の在宅介護者を選んだ人は4人で、16%を占める。60歳以上の人は結婚相手を失った場合あるいは体の調子が悪くなった場合が多いので、自分が動けない時に、結婚相手に介護してもらいたいと言っても、できない場合が多い。よって子供に介護してもらいたい人が一番多かった。養老院より在宅介護者に介護してもらいたい人は4人いる。ここで60歳以上の人の家族観が強いことが分かった。60歳以上の高齢者が養老院で暮らしたくない理由は恐らく以下の3点に絞られる。
*お金がない
 *養老院のイメージが悪い
 *家に親孝行ではない子がいると言われたら、面子がない
 14歳以上20歳以下の人の中でA番を選んだ人は68人おり、14歳以上、20歳以下の人数の36%を占める。@番を選んだ人は41人であり、22%を占める。@とA番を同時に選んだ人は32人で、17%を占める。B番を選んだ人は20人で、11%を占める。C番を選んだ人は8人であり、4%を占める。
この若い世代の人達も自分の子供に介護してもらいたいという希望を持っている。しかしながら彼らの回答傾向は60歳以上の高齢者とは異なる。子供は親を世話する義務があるという伝統的な教育の影響でA番の子供を選んだ人は多かった所は60歳以上の高齢者と共通するが、養老院で介護してもらいたい人が在宅介護者に介護してもらいたい人より多かったというところは60歳以上の高齢者と大きく異なる。
表3から20歳以上60歳以下の人の中では@番を選んだ人が最も多かったと分かった。次はA番の子供である。@番とA番を同時に選んだ人も多かった。BとCに関しては、養老院で介護してもらいたい人が在宅介護者に介護してもらいたい人より多い。
以上の分析を通して、中国人が望む介護の方式は家庭を中心とする介護の方式であることがわかった。同時に、60歳以上の高齢者以外では、比較的に若い世代に家庭での介護ができない場合には養老院に行く意思を持つ人が多いことも分かった。

設問3. 中国の養老院のイメージは次のうちどれに最も当てはまりますか?
@子供と一緒に暮らせず、家のないかわいそうな老人が行く場所
A老人のために便利で自由に暮らせる施設
Bわからない

設問3の回答集計(表4)

表4から養老院に対してよいイメージを持つ人は多いということが分かった。対象総数の377人の中で、196人が養老院に対してプラスイメージを持っている。特に60歳以下の人はそれぞれの世代の総人数の半分以上を占める。しかし、知らないと答えた人も多く93人であり、全体の25%を占める。この中で60歳以上の人が占める割合は一番高く、36%を占める。次に14歳から20歳までの人で、28%を占める。30歳から40歳までの人が占める割合は最も低く、11%であった。養老院に対して悪いイメージを持つ人は全部で83人であり、対象総数の22%を占める。この点において年齢からみてもそれぞれが占める割合はあまり変わらなかった。
養老院に対してよいイメージを持つ人は確かに多かった。しかし知らない、つまり関心度が低い人も少なくないということも事実である。特に60歳以上の人と20代と10代の若い世代にその傾向が顕著である。設問2において分析したように、60歳以上の人の家族観は強く、家族を中心とする介護の方式を望むために養老院にあまり関心を持たないからである。若い世代は毎日受験勉強のために社会勉強を無視しがちであるし、学校でも養老院を見学するような活動をあまり行わず、生徒に高い進学率を望んでいるだけである。従って、若い世代の中には今の社会の中の養老院は一体どんな場所であるのかを知らない人が大勢いる。また、若い世代は学校で子供は親を世話する義務があるという伝統的な教育を受けているので、自分の親を養老院に行かせたら、親孝行ではない子になると思い込んでいる。だから養老院は若い人にとって選択肢としては考えられない所なのである。これは若い世代が養老院に関心を持たないもう一つの原因であると推定できる。
1998年の9月21日、私は瀋陽市の大東区にある養老院を見学し、院長の張 余論さんにインタービューしてきた。張院長は「現存する中国の養老院はほとんど国によって設立されたものです。上海、広州等の経済特区には個人が経営する養老院もありますが、まだ少ない。その主な原因は経営者が背負う責任が重いということです。例えば、老人が孤独で自殺した場合に死亡した老人の家族は「どうしてうまく介護できなかったの!」と厳しく責め立てます。個人単位では多大な賠償金をとても払えません。大東区にあるこの養老院は国立の養老院です。しかし、資金は民間部門にも支援してもらっています。現在この養老院には全部で107人の老人が住んでいます。みんなここでは比較的快適な暮らしをしていると思います。例えば定期的に身体検査を行ったり、老人のために食べやすくて、老人病を防ぐ料理を考えたりと色々な工夫をこらしているからです。ここのみなさんが楽しい生活を送れるように、みんなが連れだって散歩に行ったり、旅行に行ったりして、祭日にはいろいろな楽しい活動を行う。また社会の中には老人の暮らしに関心を持ち、ボランティアの形で、食料品や日常生活用品などを援助してくれる方もたくさんいます。」と話してくれた。院長のインタービューをしてから私は養老院の中を自由に見学したが、院長の言った通りであった。その養老院は私が行く前に想像した養老院よりもっと便利できれいな所であった。ちょうどその時麻雀を遊んでいた老人達がいて、私が「ここでの生活はどうですか?」と尋ねたら、みんなが「とてもいいです。」と答えてくれた。そのままの養老院の風景を見るために、その日私は院長に事前に電話をせず、急に行ったのである。養老院に赴く前の養老院のイメージは悪かったが、見学後、こんなに明るくてきれいな所だったと知り正直驚いた。張院長に、全国でこの養老院と大体同じような養老院はどれぐらいあるのか聞くのを忘れたのが悔やまれる。しかし、張院長は話の中で「地方によって施設やサービスなどがこの養老院ほどよくない養老院もある。」と言っていた。人や地方によって、養老院に対して抱くイメージも違うのである。私が調査した人の中では養老院に対していいイメージを持つ人が大多数を占めている。
それでは、次の問題に入りたいと思う。

設問4. 経済条件が許す場合には養老院へ行きたいですか?
  @行く     A行かない    B考えたことがない

設問4の回答集計(表5)

設問4では対象総数377人の中で156人が@「行く」を選んだ。これは全体の41%に当たる。中でも、20歳から60歳までの人が@「行く」を選んだ割合は高い。逆に60歳以上の人と14歳以上20歳以下の人が@「行く」を選んだ割合は低い。60歳以上の人の25人の中で12人がA「行かない」を選んだ。これはこの世代の48%を占める。60歳以上の人が養老院に行きたくない理由は設問3の分析で3つあると推定した。すなわち*お金がない*養老院に対するイメージが悪い*家に「親孝行」ではない子が言われたら面子がないという3つの理由である。しかし表5を見てみると、*お金がないが主な理由ではないことが分かる。表4から養老院に対して良いイメージを持つ60歳以上の人の割合は全体に割合より低かったが、悪いイメージを持つ人の割合より高いことが分かった。よって、一番主な理由は*面子がないと確定できる。それは中国の伝統的な介護の方式、すなわち家庭を中心とする介護の方式に深く影響されているからであると私は思う。
14歳以上20歳以下の人の中でA「行かない」を選んだ人は54人であり、29%を占める。これは対象総数に占めるA「行かない」を選んだ人の割合である28%とあまり変わらないが、B「考えたことがない」を選んだ人は64人もおり、34%を占め、世代別では一番高い。B「考えたことがない」を選んだのは60歳以上の世代で一番少なく、5人しかいない。表5からすぐ分かるが年齢が小さければ小さいほど、B番の「考えたことがない」を選んだ人数は多くなっている。この点から、人は自分に一番身近なことは考えやすいが、一番遠い将来のことはあまり考えられないことを証明できる。
表5から30代と40代のほとんどの人が養老院に行く意思を持っていることが分かった。この世代の人達には普通一人の子供がいる。彼らは中国の現状をよく知っている。市場経済に変わった今の中国社会は競争が激しい社会であり、一人の子供が二人の老人を介護しながら、仕事をすることがこれからますます難しくなるとよく分かっている。だから、30代と40代の大多数の人は経済条件が許す場合には養老院に行きたいと思っている。

設問5. お年寄りの人が倒れたらどうするつもりですか?
@すぐ助けに行き、安全な場所まで送る
A私とは関係がない。きっと他の人が助けるから
B助けに行きたいが、「大きなお世話だ」と周りの人に言われたら困る

設問5の回答集計(表6)

この設問に対しては、@番を選んだ人が一番多かった。対象総数377人の中で306人が@番を選び、81%を占める。年上の人が占める割合は若い人が占める割合より高い。A番を選んだ人はほとんどいなかったが、B番を選んだ人は多かった。特に若い世代に多い。今若い世代の中で儒教とは外れた考え方を持つ人が少なくない。例えば、倒れた老人を手伝いに行く人を見たら彼らはその人が思いやりがあると思わず、「先生に褒められたいの?いい格好ばかりつける。あなたと関係がないじゃない?」と皮肉っぽく言うのである。そういう話を聞いた若い人はみんなに「格好をつける人だ」と言われたくないので、つい、助けることをやめてしまう。この現象は学校での教育と関係がある。すべての学校に校則があり、校則の中には老人を尊敬しなければならない等のことが書かれてある。しかし、生徒はみなそれはただの形式だと思っており、本当に老人の辛さをよく分かる、あるいは分かろうとする人は少なくなってきている。先生は学生の点数ばかりを考えていて、学生達の基本的な道徳の教育を真面目に考えてはいない。口先だけで、高齢者に優しくするべきだと言うが、実際、本当にそれを聞いてくれる人はあまりいない。何故なら道徳を説く行為自体が形骸化しているからである。だから、若い世代の考え方は次第に他人への無関心へと移行していっている。
それでは次に中国人の環境保護と環境問題に対する関心を見てみたいと思う。

設問6. 川や道にゴミが捨てられる現象に対してどう思いますか?
@厳しく禁止すべきだ  Aみんなが捨てるので、私もつい捨てるようになった
B私と関係がない      Cよくないと思うが、仕方がない

設問6の回答集計(表7)

この問題に対しては、@番を選んだ人が一番多く256人で、全体の68%を占める。年齢別に見てみると、@番を選んだ人は40歳以上60歳以下で最も多かった。逆に10代の若い人で一番少なかった。全体的にA番とB番を選んだ人は少なかったが、C番を選んだ人は多かった。全部で103人で、全体の27%を占める。C番を選んだ世代は、10代の若い人は一番多く、64人である。これは10代の人数の34%を占める。10代についで多いのは60歳以上の人達の8人であり、32%を占める。
以上の分析により、世代を通じて半分以上の人が環境保護の意識を持っていることが分かった。特に成年の人達である。しかし、C番を選んだ人も少なくないことは環境保全に対する住民参加の意欲はまだ弱いことを証明できる。特に10代の若い人と60歳以上の人達が環境保護の意識に乏しい。

設問7. 私達が住んでいる街をもっときれいにしたいと思ったことがありますか?
@ある  A時々ある  Bそれは政府の人が考えるべきことである
C考えたことがない  Dその他

設問7の回答集計(表8)

表8から全体の半分以上の人は環境問題に関心があることが分かる。30歳以上の中年達と高齢者の関心は10代と20代の若い人達の関心より高い。一方、政府にまかす考え方を持つ人は、若い人より中年に多かった。年寄りの人は若い人より長い間町で暮らしていたので、いろいろな問題意識を持っている。だから、若い人より関心が高い。しかし、中国の社会では、官僚が法律より強いという現象がまだ存在している。つまりたくさんのことがまだ民主主義のシステムでは解決できないのである。たとえ住民が町をきれいにしたいと思っても、政府の役人は住民の意見をなかなか採用しない。次第に住民に諦めの感が募ってゆき腰を上げなくなってゆく。住民が町の環境を変えようと思いたっても、政府の役人が全然動かないので何も変えられないのだ。だから、彼らは仕方がないことを一生懸命に考えても意味がない、政府の人にまかすほうが楽なのだと思うようになった。それ故にB番を選んだ中年達には環境問題への関心がないのだとは簡単に言え切れない。
以上が中国における高齢者問題のアンケート調査を分析した結果である。分析の結果により、現在中国の住民に求められている高齢者介護の方式はやはり家庭を中心とする介護の方式であることが分かった。中国人は本音では親類縁者に介護してもらいたいのである。将来、家庭で介護ができない場合に経済条件が許せば養老院に行きたい人は、若い人が年上の人よりも多い。それに関連して、年上の人が困った時に助けようと思うのは、若い人より年上の人に多いことが分かった。環境問題に対して、大多数の人が関心を持っており、大多数の人は現社会の中で存在している様々な問題に関心を持っている。しかし、如何に行動していったらよいのかといったいわゆる住民参加レベルでの意欲はまだまだ弱い所もある。
以上にまとめたように、中国の高齢者問題は様々な形で存在していることは言うまでもない。それでは続けて、高齢者達が瀕している問題をどんな政策で解決してゆけば良いのかを述べる。

4、中国の高齢者問題対策

中国の高齢者問題は山積みである。そして高齢化の進展は都市部に限らない。農村部の若い労働力の大量の流出(盲流)によって、農村部には労働力が弱い子供と年寄りの人しか残っていない。だから、農村部における高齢者問題は都市部よりも更に深刻な問題である。
この問題に対しては、都市部と農村部の経済格差を縮小し、両地域の過密化と過疎化の問題を解決しなければならない。そのために農村部の経済や文化などの領域の開発をもっと促進すべきであると私は思う。
また、中国の高齢者問題は先進国と異なり、経済がまだ豊かではない時に到来したのであるゆえ、この問題の解決は行政に頼っていれば自然と解決されるものではない。住民自らの力で解決する努力が望まれる。
しかし、なんといっても一番大きな問題は高齢者介護の問題である。中国の満60歳以上の高齢者の人口は1億2千万人と、すでに日本の総人口とあまり変わらない数に達している。さらに毎年3%のペースで増加しており、2000年には1億3千万人と全人口の10%に達する見込みである。
急速な高齢化は社会の変化、中国の経済の発展、人民の生活スタイルの変化、医療保険水準、社会保障の改善で平均寿命が伸びた結果とも言える。計画生育のために出生率が相対的に減少し、高齢化速度が加速された側面もある。都市部では少子化が進行で家庭の構造が、いわゆる「四、二、一」型になってきた。一人っ子を持つ夫婦二人が四人の両親を養うという逆ピラミッド構造である。 [18]
中国では儒教の影響で「子供をたくさん産み育てて老後に備える」「子供は親の面倒を見る」といった「孝」の倫理観念が自然に受け入れられてきた。上のアンケート調査の結果を通して、家族が高齢者扶養を担うという伝統は変わっていないことが分かった。しかし、これからは家族、特に子供が仕事をしながら、年老いた親を介護していくことはとても難しくなる。中国はいわゆる事実が人々の理想と矛盾している状態に突入していくのである。
この事実を直視し、中国人は「子供は老後の親の面倒を見る」という「孝」の倫理観念の内実を見つめ直すべき時はすでに今ここに来ている。確かに儒教は「子供は老後の親の面倒を見る」という「孝」をもっとも重視する。「孝」は中国で長い歴史を持つ伝統である。しかし、儒教がもっとも重視したのは「孝」の形式ではなく、「孝」の中身である。つまり、儒教は伝統的に保たれた「孝」の形を重視するのではなく、伝統的に保たれつつも時に応じて形を柔軟に変化させる「孝」の美徳を重視するのである。例えば儒教は「子供は老後の親の面倒を見なければならない。そして老後の親を尊敬しなければならない。尊敬がなければたとえいくら面倒を見ても面倒を見てないことと同じである。」と教えている。 [19]  それ故に儒教は子が親を介護する態度を大変重視する。「子供は老後の親の面倒を見る」のは儒教が主張している「孝」ではない。儒教が主張している「孝」は子供がどれぐらい親を幸せにすることができたのかということなのである。
だから我々は「孝」の形骸化した形より「孝」におけるより柔軟な美徳をもっと大切にすべきである。特に時代と社会の状況の変化とともに自分に無理強いして、老後の親の面倒を見ることこそが「孝」だと考えるのならば、それは大きな間違いである。実際に自分のことをおろそかにしたら、自分の肉体や精神の健康を害するだけではなく、親のことをもうまく介護できなくなるかもしれない。養老院と在宅介護者に頼る行為は親に対する「不孝」の行為ではなく、親のことを本当に思い遣って行う「孝」の行為である可能性も存するのである。例えば、親が養老院で生活していれば、子供は安心して仕事ができる。そして毎週定期的に養老院へ親に会いに行く。こうすれば、親は養老院で十分な介護をしてもらえるし、子供は安心に自分の時間を失うこともないし、我が子の面倒をみることもできる。親は年老いてから子供が親を離さずに親が他界するまでずっとそばで介護することは、必ずしも親に対する「孝」だとは言えないのだ。特にこれからの高齢化社会の大波の中では、ずっと親のそばで親の面倒を見ることこそが親に対する「孝」だという考え方は変えていくべきである。なぜなら、昔の高齢者問題は今ほどひどくなかったので、大多数の人は家庭で親を介護することができたが、現在ではできない場合が多いからである。だから、老若男女を問わず、儒教の中の「敬老と養老」という伝統的な美徳を捨てないように、社会状況の変化と共に伝統的な倫理観念を柔軟に変化させていくことがより妥当な選択ではなかろうか。若い人達の負担が重くならないよう、年寄りの人はできるだけ人に頼らず、自立していくべきである。年寄りなので、すべて世話してもらえるのを当たり前のことのように思わないように、1人でできることならば、1人でするほうがよい。
しかし、どんな事でも光と闇の二面性を持っている。年寄りの人は自立生活をしたら、当然若い人と一緒に過ごす時間が少なくなる。若い人達との交流も少なくなり、お互いの心の距離が時を経るごとに遠くなる。お互いの気持ちをだんだん理解し難くなってゆく。そのような事態のもとでは、今私達が望んでいる「人と人との共生」の理念が実現し難くなる。だから、家庭と社会の中で、どういうふうに年寄りと若い人の間の交流を促進できるのかという問題はこれからも考えてゆく必要がある問題である。
確かに高齢化社会の進展に伴う養老院の重要な役割は否めない。しかし、長い間暮らしていた家を離れたくないという気持ちは普通誰しも持っている。アンケートの結果から中国の介護の方式はやはり家庭を中心とする方式だということが分かった。しかし、若者の減少と高齢者の増加の置き土産、すなわち仕事をしながら老後の親と小さい子供を世話するというトリレンマ(三重苦)を背負っていくことが誰にできようか。だからこそ、これからの中国は在宅介護サービスをもっと促進・拡充すべきである。
中国の高齢化は昨今始まったばかりなので、高齢化の前期段階であると言える。一方、日本が高齢化社会に入ったのは1975年から1985年の間であり、当時、日本の高齢者人口比は7.9%から11.2%へ上昇した。 [20]  日本の高齢化では中国の高齢化よりだいたい20年ぐらい早く始まっている。もちろん中国は日本と国情が違う。だが、日本は今では高齢者福祉対策の面で比較的に経験が豊かな国である。日本の高齢者福祉対策の中で中国にも適用できる所が数多くあると私は考える。
例えば「1977年に日本は在宅福祉サービスの必要性を提言した。1985年からディケア [21]ショートスティ [22] 等の社会サービスが現れた。サービスにおけるマンパワーの養成に関しては、1987年に国家資格として社会福祉士、介護福祉士が設けられ、専門家としての地位が福祉の分野でも認知されることになった。福祉専門学校や大学の福祉学科も増えてきた。」 [23]  1990年を境に住民が直接参加する地域密着型の福祉サービス団体が全国に広がっていた。主として高齢者介護を目的としたこのサービスの担い手は中年の主婦達である。彼女たちは少し安い時給で、日常生活の起居に支障がある高齢者を訪問し、食事、洗濯、掃除、通院サービス等を行う。 [24]  実は、このようなサービスは中国にも存在する。しかし、このサービスにかかる費用は非常に高く、サービスの担い手に時給の形ではなく、月給の形で給与を支払わなくてはならないため、一般の家庭ではこのサービスを利用できない。されど、これから中国が日本の住民参加型の福祉サービスを導入することは可能であると私は思う。多くの中国の女性は確かに仕事を持つ。しかし、55歳で定年退職した中年の主婦の中には、まだ社会に出て、現役で仕事をしたい人は相当数潜在している。住民参加型の福祉サービスを導入した暁には、高齢者介護の問題もある程度解決できるし、まだ、元気な中年の主婦の再就職の問題も解決できる。
「日本は1992年の4月に老人訪問看護制度を創設した。これは寝たきりなどの在宅高齢者に対し、かかりつけの医師の指示により、地域の老人訪問看護ステーションから看護婦などが訪問し、看護サービスを行うものである。」 [25]  この制度も中国で現在採用している地域がある。当地でのこの制度の評価は極めて高い。
加えて、これからの高齢化社会の中で、もう一つ促進すべきなのはボランティア活動であると私は思う。中国は昔から「敬老と養老」という伝統的な美徳がある。その対象は自分の親だけではなく、社会全体の年寄りの人達である。中国では「遠親不如近隣」という言葉がある。「遠くの親戚より近くの他人」という意味である。日常的に少し様子がおかしいといち早く気がつきやすいのは近隣住民同士である。しかし、現代社会では都市化、産業や就業構造の変化、生活様式の変化を始め、様々な要因によって、地域のつながり、地域における相互扶助の働き、連帯意識が希薄になっていっている。
特に中国では養老院への入所というような生き方ではなく、可能な限り長年住み慣れた居宅で、住み慣れた地域で暮らしを維持したいという願いが強いため、地域での取り組みが重要になる。
  中国の学校では生徒達に休みの間にボランティア活動に参加することをすすめる。しかし、その教育の意図はボランティア活動推進そのものにあるのではない。多くの学校は学校の名声を高めるためだけに生徒にボランティア活動に参加することを要求しているのである。このような教育姿勢では生徒達がボランティア活動の真の意義と重要性を認識する機会を奪ってしまうことになりかねない。教育は、義務感に支えられたボランティア活動の大量生産を目指すのではなく、矛盾を孕みつつ展開する高齢者問題への対策の緊急性を切に説いていくべきである。そうすれば、おのずと生徒の自発性は芽生えてくる。若者が、ボランティアの形を通し、近隣に住む生活に困っている高齢者を手伝いに行くことを私はとても勧める。それは生徒達はこういった開かれた社会での経験を通して、日頃学校では意識されないことを勉強できると私は考えるからである。学校や親は生徒の成績を重視するだけではなく、人間性が豊かな学生を育つことを期して、生徒の内面に潜在するボランティア意識を閉ざさぬよう、ボランティア活動の受け皿づくりを積極的に推進していくべきである。
もちろん、学生だけではなく、地域住民によるボランティア活動、例えば、給食サービス、友愛訪問、外出介助、家事援助、介護、看護活動、手話、様々な交流活動、様々な相談援助活動、などのようなボランティアが今後ますます多くの人々に要望されていくであろう。中国においても世界においても今後の高齢化社会の進展のもとでは、住民の積極的な参加活動は欠くことのできないキーファクターなのである。