[19] デュルケムなら以下のように述べるであろう。
そもそも、「心の教育」は当たり前のように行われなければならないが、これまで全くなされなかった。それは「心の教育に関心を行う能力のない教師」採用し続けた地方自治体の責任である。元から当たり前のように「心の教育」をできない教師が、「『心の教育』をしましょう」の一声で果たして実践できるのか。問題は、教育にあるのではなく、教員の採用試験、つまり教育を産み出しているバックボーンにあるのではないか。よって、教育による改革を考える前に、社会全体を見直さなくてはならない。