[4] ここで私が「今日に見られるような自殺」と表現しているのは、デュルケムが言うところの「自己本位的自殺」と「アノミー的自殺」のことである。確かに古代においても集団本意的自殺という自殺形態は存在した。例えば、「悪法も法である」といって毒杯を仰いだソクラテスのような例である。しかし、デュルケム曰く、集団本位的自殺は主に未開社会に残るのみである。よって、ここでは「自己本位的自殺」と「アノミー的自殺」に限定して考えた。