(22)「・・・私は実証主義に抗して、主体によって企てられた研究過程は、認識されるべき客体的連関に認識の働きを通じてそれ自身帰属するという観点を正当化したいと思う。  この研究過程の社会的生活過程との連関が形成される次元は、事実の領域に属するのでもなければ理論の領域に属するのでもない。それは、経験科学的理論にとって初めて意味をもつところの二元論の此岸に横たわっているのである。科学的批判の包括的なコミュニケーション連関においては、むしろ、一つの契機は他の契機と結合するのである。古風な言い方をすれば、可能的認識の先験的条件は、この経験的条件のもとで生起するのだ、と言えるであろう。従って、この反省段階では、知識社会学にも純粋な方法論にも決定権はないのである。決定権をもつのはむしろ、人がかつてイデオロギー批判と呼んだ両者の結合である。・・・私が取扱っているのは、そのつど研究の全体系の根底に横たわっている、認識を導く関心である。実証主義的自己了解とは反対に、私は、経験的−分析的諸科学の技術的認識関心との連関を指摘したいと思うのである。」第二論文 P264