[20] もちろん、私は「正常なものと病理的なものの区別に関する個人的基準」があることを想定してはいない。しかし、個人は何かしらの真偽を判断する基準を求めているとはいえる。真偽の判断基準を把握することは、絶対善へ進む道しるべだからである。 これらの欲求に対する何かしらの解決法が与えられない限り、デュルケムの解決法は、現代人への解決法にはならない。