[11]「子の曰く、蓋し知らずしてこれを作る者あらん。我れは是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びてこれに従い、多く見てこれを識すは、知るの次ぎなり。」(述而篇、二十七章)、あるいは、『老子』においても同様の主張が見られる。「学を為すは日に益す。道を為すは日に損ず。之を損じて又損じ、以て為す無きに至る。為す無きにて而も為さざるは無し。天下を取るには、常に事とする無きを以てす。其の事とする有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。」『老子』(下篇、四十八章)。つまり、人格的完成と、外界現象への対応は不動であることとが密接な関係にあることを示している。