[30] ただし、ルーマンは人間は意識の主体ではないという。なぜなら、人間は社会それ自体の部分ではなく、社会の環境の一部であるからである。本来、社会の外部にある人間はコミュニケーションによってしか社会に関わることはできないのである。
しかし、そのコミュニケーションもコミュニケーションによってしかコミュニケートできない。人間は、「社会とコミュニケートできた」と思うことはできても、直接社会に対してコミュニケートすることはできないのだ。この、人間の主体的な思考分野と、情報・伝達・理解分野とを分解し、後者をコミニュケーション・システムとして再定義したのが、ルーマンの特徴であり、ピアジェとの相違点でもある。ピアジェは相互作用という概念を使うが、それはまさに主体と客体の相互作用を意味している。しかし、ルーマンは相互浸透という概念を使う。それは、ルーマン自身が人間は社会と直接コミュニケートできないと考えているからであろう。