『目標を喪失した日本人』

CONTENTS
1 序論
2 マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について
3 日本の近代化
4 ライフスタイルの変容
5 近代社会の問題点
6 ライフスタイルの変容と環境問題
7 社会の分化と個人の行方
8 結論
9 付録 この論文で取り上げた思想家たち


1  序論

 現在、世界規模の問題は山ほどあるが、その中で、環境問題は、科学技術が進歩し、物質的に豊かさを手に入れれば入れるほど、深刻になっている。現在の日本のように、経済的に豊かな状況の中では、自分がなんでも手に入れられるような錯覚を抱き、それ故に、人々にとってあらゆる制限はますます耐え難くなっているのではないか。そしてそれが環境問題の解決が一向に進まない原因を生み出しているように思えてならない。そこで、私は豊かさを起因として起こる道徳的な危険性を見逃してはならないという考えから、日本人のライフスタイルの変容をベースに「人と人、人と自然の共生関係」を読み取りたい。
 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、私は「プロテスタントが神の救いを得たいがために、ひたすら禁欲し、その精神が資本主義の発展に繋がった」というヴェーバーのテーゼが戦後日本の成長過程に比せられることに着目した。日本は先進国であるアメリカやヨーロッパに追いつけ追い越せという精神でひたすら働き、貯蓄をし、欲望によって自分が動かされることがないように努めてきたから発展途上の国から現在のように経済的先進国にまで発展できたのだとも言える。しかし、バブル崩壊後、経済的にトップに立ってしまった日本はかつてのような精神で物事を対処することはできないし、先進国を模倣しながらトップに立った我が国は自らの目標が設定できないでとどまっているのではないだろうか。さらに、私たちは、経済的に豊かになればなるほどその過程でエネルギーを消費していることに目をむけなかったがために世界規模にまでいたる環境問題をもたらしてしまったことを忘れてはいないだろうか。それぞれが自己を自覚することによって、自分自身を孤立したものと見るようになり、集団という束縛から離れ、孤独の中からいろいろと選択することを自由だと認識する傾向が強くなった。国をあげて経済成長を促進させ、人は豊かさを手に入れることができたが、それと同時に人々の向上意欲が変化し、多様性によって分化されてしまった社会と個人が人々の共生、人と自然の共生という意識を失わせたことが環境問題を引き起こした最大の理由だと私は考える。
 そこで私はマックス・ヴェーバーの思想のエッセンスとも言える「理念型」を社会学史の視点から方法論的に検討する。

2  マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について

 ヴェーバーは合理性という概念を一義的なものとして捉えるのではなく、その背後に存在する多様性を考えた上で、一見矛盾しているように思える複雑な要素間の関係を解きほぐそうとした。その方法として彼は、地域的あるいは時代的に異なっていながら反復してみられる特性を個々の事例の中から抽出し、それをもとに「理念型」を作り上げた。それは一種の虚構で、現実には起こり得ないものだが、そのようにして整合的に作られたモデルをもとにすることによって仮説や理論の構成に方向性を与え、現実の現象に対して発見的な役割を果たすものとして用い、プロテスタンティズムの禁欲精神と資本主義のように、一見繋がりのないように見える社会事象どうしにも繋がりを発見できることを説いた。[1]
 ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義という新たな経済システムを成立させた要因は一体何であったのかという疑問を抱いた。彼は資本主義の勃興を促すことに貢献した経済主体のなかの中心的存在であったプロテスタント、特にカルヴィニズムの予定説に基づく神による救済の強い希求、それを実現する為の方法である禁欲的な性向にその要因を見出した。
 予定説とは、「神を超越することは知的に操作することができないので、結果を受け入れることしか方法はない。それはあたかも神が予定したかのようだ。よって人間の人生も操作することは不可能である。」というものだ。[2]
 この予定説の存在によって、それまでの救済手段は無効となり、人々は「内面的孤立化の感情」を味わうこととなった。 [3]  しかしカルヴィニストたちは自分たちが選ばれた人間であることを確信しようとした。その証拠として、日常生活における徹底した禁欲と職業労働に専念した。 [4]  ここでいう禁欲とは、対象にたいして自分が欲望をチェックし、欲望によって直接自分が動かされることがないようにすることである。 [5]  欲望のままに動くことが「自然」であるならば、欲望にとらわれている自己を否定し、それを超えようとすることは、「自然」からできるだけ遠い地点に行くこと、ヴェーバーの言葉で言うならば「自然の地位の克服」を意味する。欲求の充足は誰にでもできるが、「自然の地位の克服」の方はそうではない。 [6]  したがってそれができるということはそれだけでその人が「選ばれた人間」である証拠となり、禁欲は救いの確信となり得た。瞑想や修道院での反世俗的生活などを推奨する立場からは資本主義に必要な職業倫理も労働倫理も出てこない。 [7]  カルヴィニストたちは欲を抑えるというよりも職業労働に専念することによって生活を厳しく律し、怠惰を押さえ、行動を組織化した。単に利益を得て富裕な生活を送りたいという欲求を押さえ、神からの救済をうる為に、自らの与えられた生きる機会を最大限に活用し、禁欲的な生活を送ろうとした彼らの職業観 [8]  が多大な影響を及ぼし資本主義を生み出す主要因となったのではないかというのがヴェーバーの主張である。 [9]
 こうして人々は一方でひたすらに営利活動をしつつ、他方では徹底的に消費を抑制するようになった。そうなると当然彼らの手に多くの富が残るようになる。消費的使用を禁止されたこの富はもっぱら生産的利用に投資された。このようなかたちで拡大再生産の過程が始まり、近代的資本主義の出発点が形成され、人々の目的は次第にものの交換である売買取引から売買取引をしながらお金を増やすことへシフトしていった。 [10]
 以上見てきたように、近代化とは西欧による資本主義が成功した時代といえる。つまり近代化は、西洋世界が自力によって創始した歴史的な社会変動である。今日では、近代化は日本をはじめとして非西洋社会にも広まっているが、非西洋社会の近代化は、それらの諸国が自力によって創始したものではなく、近代化を先に実現した西洋世界からの強いインパクトを受けて、西洋の文化伝播を通じて作り出されたものである。 [11]  それではなぜ日本で近代化が他の地域より早く起こり、今日に至るまでに発展していったのかについて以下に述べる。

3 日本の近代化

 ヴェーバーは日本についての独立論文を出さなかったが、『ヒンドゥー教と仏教』において、日本人の生活態度の精神は、宗教的要因以外のところから来ていると主張する。すなわち、日本が中国と異なって、早い時期に中国タイプの家産制からヨーロッパタイプの封建制に移行したからである。封建制のレーエン関係(封土を介した封建領主と家臣との関係)は、ヴェーバーの解釈では、家産制における絶対的従属とは異なり、主従のあいだに「解約可能の強固な契約的法律関係を作り出す」。このことが日本に西洋的意味での個人主義の基盤を提供した。かくしてヴェーバーは「日本は資本主義の精神を自ら作り出すことはできなかったとしても、比較的容易に資本主義を外からの完成品として受け取ることができた」と結論した。 [12]
 このことはつまり、日本人はテクノロジーと制度の面で西洋資本主義のコピーを作り出したけれども、そのことは必ずしも精神面において西洋資本主義のコピーを作り出したというわけではない。 [13]
 ただ明らかなことは戦後日本の高度経済成長の中で日本人は実に良く働いたということである。それはまさにヴェーバーが「職業労働への献身」と表現したものにほかならない。しかも日本人はただ勤勉に働いただけではなく、高貯金率に表されているように、 [14]  たいへん禁欲的に行為した。日本にはキリスト教徒は人口の1%に満たないから、 [15]  この事実は、日本においてはプロテスタンティズムの天職意識と禁欲倫理なしに高度の勤勉と禁欲主義が実現されてきたということを物語る。 [16]
 明治維新以後に日本が最初に達成した近代化は経済的近代化すなわち資本主義的経済発展であった。日本人は幕末の「黒船」ショック以来、西洋の「物質文明」すなわち経済的生産における進歩に驚嘆し、これに追いつくことを国民的目標とした。明治政府は1874年に殖産興業政策を開始し、これを出発点として日本の産業革命である近代企業の形成が、1890年代から第一次世界大戦を経てほぼ1920年までの間に達成させた。政府主導による経済発展というパターン(「上からの近代化」)は、敗戦によって一度挫折したが、戦後再び復活して1960年代を中心とする高度経済成長の成功となった。かくして日本は明治維新から通算ほぼ100年でついに西洋先進諸国に追いつくという国民的目標を達成した。
 これに対して日本の経済的近代化すなわち民主化には、当然のことだが政府主導はなかった。明治政府は憲法も議会もない専制政府として天皇主権の下に出発した。明治維新後の1874年に始まる自由民権運動が「下から」の民主化運動を開始したが、これは1889年の明治憲法制定および1890年の国会開設と共に消滅した。1910年代から20年代にかけての大正デモクラシーは日本の政治に政党民主主義を一度は確立したけれどもそれは1930年代以降の軍部ファシズムによって破壊された。だから日本の政治における民主主義の本格的定着は第二次大戦後の戦後改革を待たねばならなかった。
 日本における社会的近代化は明治民法における家父長制家族の制度化のために戦前には実現されず、また村落共同体も戦前の日本ではまだ伝統的形態を保持していた。第二次大戦後の戦後改革においてはじめて改正民法による家制度の解体が実現され、さらに高度経済成長による急速な都市化によってはじめて村落共同体の解体が実現されるにいたった。また戦後日本における社会的近代化の進行が、機会の平等を推進したということも重要である。 [17]
  日本では1950年代から、政府が5ヶ年〜10ヶ年計画の経済計画を策定してきた。その中で10〜13%の経済成長率を目標としていた。すべての政府の政策はこの計画をベースに作られ、実施されてきた。 [18]
 それらは環境に対する配慮を怠ったため、公害や環境破壊が起こった。そのような政策は大量生産、大量消費を目指した。物を節約する社会から大量に使わせて捨てる社会が生じた。このためおびただしい資源が消費され、そのために自然を汚し公害を発生させた。
 プロテスタントの精神では節約をするということは周りとの関係を絶ちきって神からの恩恵を受けるということを意味していたのだと捉えることができるが、 [19]  ものの交換である売買取り引きをしながらカネを増やすことが目的となった近代以降、節約をするということは自分の貨幣をいかに減らさないで、取り引きできるかということであり、 [20]  その交換ゲームが競争に発展した。また、その際、意思決定の持たない自然は人間によって支配されるがままとなった。この交換ゲームと無秩序的な自然の利用が度重なり、行き過ぎた結果が今日の環境問題へと繋がったことは否定できない。

4 ライフスタイルの変容

 戦後、日本は朝鮮戦争による特需で経済復興を果たした。高度経済成長と共にエネルギー革命が起こり、日本の主力産業は農業から工業へシフトし、 [21]  急速な都市化をもたらした。 [22]  1960年ぐらいから、日本の人々の自然との接し方が大きく変わったといわれている。このころから人々は、排水を小川に流すようになった。江戸時代に日本には上水道はあったが、屎尿などを有効に使っていたため上水道はきれいであったし、自治組織もしっかりとしていた。 [23]
 急速な都市化は過疎過密問題と電化製品の普及など私たちの生活の変化をもたらした。そしてそれは日本の既存のコミュニティが急速に崩壊し始めるきっかけとなった。コミュニティ組織の崩壊に伴い、お互いの監視意識が薄れ、排水を小川に流すなどといった行為に目をむけることができないようになった。 [24]  さらにそれが発展して熊本水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病をはじめとして、さまざまな公害病を引き起こすまでにいたった。
 1965年頃から公害反対運動が起こり、国側も1968年に公害対策基本法、1971年には環境庁ができたこともあって、高水準のレベルで、省エネルギーと環境対策を行うようになった。 [25]  技術者は汚染物質を他のものに利用する技術も身につけた。その結果、工場が加害者、住民が被害者となる産業公害は減少した。しかしその一方で、私たちも加害者という都市生活型公害が増加し、表裏一体で身近な自然が消えていった。 [26]  その原因として公共事業のあり方が大いに関わっているが、 [27]  これらの問題を単に公害として捉え、他人に責任を押し付けるのではなく、生活の質の問題として各個人がこれまでの生活のあり方を見直すことが必要不可欠だ。
 柳田国男をはじめとする民俗学の研究成果によれば、かつて日本社会は農耕儀礼と関わる多くの年中行事を行なっていた。農事と関わる儀礼は、産育や生育をつかさどってきた神社とも深い関係をもって行われていた。しかしながら現在は、産業構造や生活構造の変化によって伝統的な年中行事の多くは消滅してしまった。 [28]  ここで、ヴェーバーの議論に立ち戻ってみると、

 「富の増加したところではそれに比例して宗教の実質が減少していると思う。それゆえ事物の本性にしたがってまことの宗教の信仰復興を長い間継続させるような方法は私には分からない。なぜというに宗教は必然的に勤労と節約を生むほかはなくこの2つは富をもたらすほかはない。しかし富が増すとともに、高慢、激情、そしてあらゆる形での現世への愛着へも増してくる。・・人々が勤勉であり、質素であるのを妨げるべきではない我々はすべてのキリスト者にできる限り利得するとともにできる限り節約すること、すなわち結果において富裕になることを勧めなければならない。」 [29]

 結果において富裕になること、その基準は以前の自分、また他者よりも富裕になっていることで明瞭だ。しかし、目先の利益に目が眩んでいたものにとって、第3者の被害をどれだけ考慮に入れていたのか。近代社会の問題点として、近代社会は、人間のトータルな商品化(奴隷制)を派生させつつ、人間の労働力を商品化し、資本主義と呼ばれる商品経済システムを完成させてきた。 [30]
 近代社会の問題点はすべてを一様化してしまう物質主義的で合理主義的な考え方に基づいている点である。現在、世界中で進行している最大限の利益追求という道は、すべての関係を商売的なものにしてしまう危険性がある。いろいろな社会関係が世界には存在しているが、儲かるか儲からないかという基準ですべてを計ってしまうことによって、その他の社会関係のすべてが破壊され、断ち切られてしまう。 [31]
 

5 近代社会の問題点

すべてを二項対立的なものとして捉えてしまう考えは近代科学の発展と共に生まれた考え方である。近代科学的な考え方とはまずデータを集め、データを見て仮説を立て、それをもとにして検証するやり方だ。 [32]  しかしそこにはさまざまな問題をはらんでいる。

第1に、そこにはデータを集めた人間の主観が入っており、意識的に理論を構築している。そのような人間は数字やデーダとして捉えられることのできるものだけを信頼するので、はっきりと論理的な言葉によって言い表すことができ、かつ経験によっても言い表せるものだけを採用し、実証できないものは認めない。 [33]  したがって、そのような人間にとって都合のよいものだけを集めるので本当にその科学が検証されたとは言えない。しかも、もし構造そのものが変わると、今までのデータは単なる寄せ集めとなってしまう。 [34]
第2に、 普遍法則を求めること、つまり最終的には答えが出るものとすることだ。知や真理を得るために対象をまるでパズルのように押し込み、自分の目的にそぐわないものは論理的ではないとして切り捨てつつ、目的に添うケースを増やし、それらを客観的なものとして取り扱っている。 [35]  また、科学の普遍性はさまざまな考え方を認めない。 [36]  事実は一つ、という考え方は民族によって、文化によって何が正しいか、何が事実かの捉え方が違うということを否定することにつながる。
第3に、主観的なものをを排除して、AとB、イエスとノー、人間と自然というようにあらゆるものを二つに分けて物事を分析的に現象を把握する。よって科学主義の方法論によって結論づけられたことは絶対的なものになり、人間はそれに従わなければならない。つまりそれは人間の機械化である。 [37]

 これらの特質は今日におけるさまざまな問題(6章において例を述べる)の原因でもある。二項対立に基づく科学の特質によって、自然や社会の連続性や曖昧性が捉えられなくなったどころか、人間さえも道具であるかのように支配するようになった。今日あらゆる問題が複雑に絡み合っているのは、各事象に名前を与えることによって、認識しやすくなったが、 [38]  その一方で個々を捉える関係性が失われたといっても過言ではない。
 鎌田ゼミで「人と人、人と自然の共生」をテーマに近代社会における人間の行動を歴史、比較文化、学際的視野から分析してきたなかで、私は、この世のすべての物はそれぞれが関係を持ち、複雑に絡み合ってできているのだから物事を一面的な側面から見ることの危険性を学んだ。なぜなら、私たちは日常見ている世界をすべてそのまま自分自身に取り入れているのではなく、それを一回自分自身の心の印象に翻訳し、中に取り入れている、つまり主観が強く働いているからだ。人間は経験の中で生き、そして新たな概念を経験の中に取り入れることができるから成長できるという利点を持っているが、逆に自分の経験にないものは排除してしまいがちなので、例えば、いくら世間で、無駄遣いは止めようと言われていても、自分の欲求を押え込む習慣がない人々にとっては受け入れることはできない。
 だからと言って私は社会をもっと客観的に把握するべきだと言っているのではない。社会的な現象は数学の方程式のように永久不変のものではないし、因果関係というものも、単に一方向からのものでなく、背後に地域性や時代状況も含めた相互関連的なものも考慮しなければならないので、みんなが共通の価値判断を持っている時は客観性も可能だが、それぞれ文化も異なるような時はそれは戦争を引き起こすことにもなり兼ねない。
 日本では、人間は自然の一部だと考えられてきた。自然に囲まれて、自然の中で生きるのが人間であった。それ故に日本には「自然観」という言葉は存在しなかった。 [39]  一方、欧米では自然は人間と対立するものと考えられている。 [40]  自然をもっと暮らしやすいものに変えるのが人間の知恵であり、科学なのだと考える。 [41]  にもかかわらず、日本は欧米に根づいた文化、慣習、地域性や時代状況などあらゆる関連性を無視し、科学技術などを取り入れ、近代化を達成させた反面、世界規模にいたるまでの環境破壊を引き起こした。
   

6 ライフスタイルの変容と環境問題

 かつての日本は自然と密着していることを実感していたが、 [42]  皮肉なことに自分たちは良かれと思った欧米型の生活様式の模倣が世界規模にいたるまでの環境破壊を引き起こした。現代の産業技術には集中化を起こす要因がある。それは大きいことを目指し、人々が自家製のもので満足であるといえる領域を減らし、私たちを巨大な市場に従属させ、絶えず収入の増大を求めるように駆り立てる。管理技術は自然科学から生まれた技術に適合させられ、ますます非人格的な関係を促進している。もし、私たちが自然と密接にしかも直接関わりながら生活し、かつ天然資源からのエネルギー供給を盛んに行っていたならば、地球資源の豊かさ、ありがたさを感じとることもでき、複雑な環境問題を引き起こすことはなかったであろう。しかし、現代の産業社会の生活では、大量の温水を蛇口から出しながら、途方もない豊かさを喜ぶことがなく、時には贅沢を享受する喜びを感じることもない。 [43]  そのような現代社会におけるライフスタイルとの関わりで環境問題についてまとめてみると、
・生産された生活財が十分生活に生かされず、消費されないままに起こる問題
 例えば、食料は摂取もされずに大量に廃棄されている。さらに廃棄によって生活財が無駄になるのみならず、その生産のために大量の水やエネルギー資源が無駄遣いされ、水質汚濁や大量汚染をもたらしている。
・利便性、快適性を追求するライフスタイルが環境負荷を増大させている問題
 カップ麺や缶飲料などの個別使い捨て容器はいつでも1人で飲食できる利便性をもたらした。合成洗剤は電気洗濯機の普及を促し、洗濯労働は飛躍的に軽滅された。また、合成洗剤は食器の洗浄を楽にした。しかしその結果、正分解性がなく自然環境ができにくいプラスチック類の大量廃棄や大量の洗濯排水が環境負荷を増大させている。さらに住生活においては技術革新による住宅設備機器の普及と向上がもたらされ快適な空間を創出したが、エネルギー消費の増大による環境汚染をもたらした。
・利便性、快適性を追求した生活を支える生活様式の問題
 これらの生活を支える生活財は、安全性よりも廉価性や生活効率を重視する大量生産方式によって生産されている。  
 省力化、生活効率を重視した農作物の生産には大量の化学肥料や農薬が使われるが、生産過程で生じる有害物質は費用削減のために処理されずに放流される。その結果、農薬により田畑が汚染され、また工場排水によるカドミウム、水銀などの汚染が公害として深刻な問題を引き起こした。
 また大量生産によりコストは削減されるが、一個所集中的な生産は、より広範囲の消費地を必要とし、これまで以上に長距離輸送、長距離保存が求められる。食品には保存のための添加物によって汚染され、個別包装による資源の大量使用で資源環境を破壊する。
 廉価性、生産効率を重視した生産方式は、衣料の新素材、住居の新建材などの開発を促し、その消費量の増大はアレルギーの誘発や分解性の少ないごみの大量発生など新たな環境問題をもたらしている。
・大量消費型の日本のライフスタイルの多くは、発展途上国との経済格差による、南からの大量の生活財の剥奪の上に成り立っていること
 経済効率化によって各地域の生活基盤の確保とは無関係に、価格によってのみ物が流通する。自由貿易、世界経済かの進展で、日本では安い南洋材や食料が大量に手に入るようになり、南洋材の大量使用や南からの食糧の大量輸入、大量廃棄のライフスタイルが可能となった。その結果、南の森林破壊や食料生産体系を破壊し、その地域の生活環境を破壊している。
 ・消費と生産が分離されたことによる生活環境破壊
 大量廃棄物の排出による生活環境の破壊:消費と生産の分離は飽くなき消費を追求するライフスタイルを確立させた。生活は商品依存を強め、加工品・既製品に利用を促進させた。家庭からの生産機能が失われることによって家族はいっそう小規模化し、商品の少量個別包装の需要が増した。その結果、家事時間は減少するが大量の生活廃棄物を排出することとなった。
・伝統的地域生活環境の変容
 食料の輸入依存率の上昇は消費地と生産地の隔離をもたらし、日本の農水産業を衰退させた。その結果、急速な産業構造の変化によって伝統的地域産業は変容した。
 ・ 地域コミュニティの弱体化
 消費と生産の分離、大量生産大量販売の商品社会の発達は、会話のある小売商中心から会話の少ないデパートやスーパーマーケットへの移行を促した。消費者一人一人の要求が直接伝わる販売様式や、商品を核とした地域コミュニティの形成に変わって、広範囲の多数の消費者を対象とするデパートやスーパーマーケットによってコミュニティは拡散した。
 ・都市集中・過疎化による社会・生活環境の変容の問題
 大都市部人口集中は自然破壊をもたらしヒートアイランド現象をもたらし、生活が自然から離脱し子供の教育環境は変容する。人口集中した都市における移住形態は人間関係が希薄化し、他方、農村部は過疎化しコミュニティは崩壊する。都市移住者の増加によって核家族化が進展し家族が小規模化するが家族の小規模化は家庭内の共同関係をも弱体化させる。一方、保育園、高齢化介護システム、子供の遊び場といった都市生活に必要な環境整備が立ち後れた結果、介護や保育の環境は不十分となっている。
 ・職業生活の変化と環境問題
 働く女性の増加、就労形態の多様化などの結果、環境としての家族環境は変化した。これらは都市化によってもたらされたコミュニティの崩壊、人間関係を希薄化、核家族化、家庭内の共同関係の弱体化などを背景にこれらの家族ではでは保育園、学童保育、高齢化介護システムといった社会環境整備を必要とする。また情報化、技術革新は能力管理や人格管理を強化するが、こうした環境としての人間関係の変容は、成人、子どもを問わず、過食・拒食症、いじめ、不登校児童など、さまざまな人間関係の問題を生み出す。 [44]
 以上まとめると、自然環境の破壊は今日のライフスタイルの結果生み出されたものであるが、同時にそれらは私たちの生活の基盤を揺るがし、ライフスタイルのあり方を変えてきた。しかし、これらの問題がクローズアップされても、科学技術の発展が人々の幸福度合いを増大させると信じさせられるような現代の体制のままでは、環境問題に対する取り組みはその場限りの単なる穴埋めに過ぎない。また、たとえ環境破壊が人々の生活に影響することを耳にしたとしても、経済成長と生産増加をなによりも優先させる社会の下では問題解決に向けて、各個人による努力の必然性は生まれないのである。
 人間社会の「豊かさ」を実現してきたこれまでの近代化は常に大量消費、大量廃棄型の生活様式を普及していく過程であったといえる。大多数の人々が、消費は文化のバロメーターであると実際に感じ、信じていた時代、欧米流の生活様式は日本人のあこがれであるとともに達成されるべき「豊かさ」のモデルとなったが、 [45]  それらは少なくとも自然と人間を対立したものとは考えなかった日本人の価値観を変容させるものとなった。

7 社会の分化と個人の行方

   我が国は戦前、国家神道など精神的な価値を持っていたが、それが戦争の敗北をもたらしたことを反省して、欧米流の物質文明を追いかけ、追いつくことが国家目標となった。しかし精神的価値観の根本を揺るがされた多くの人々は戸惑い、自分1人ではどうしようもないのではないかと無力感に陥った。それは、一章で述べたプロテスタンティズムの「内面的孤立化の感情」とリンクできる。人々は自己の位置を確立するために禁欲的に労働した。それが発展して高度経済成長を達成できたのは、日本人のこれまでの精神的な価値観の名残があったこと、そしてそれが統一的な集団行動を促進させ、目標を達成させることを容易にしたからである。
 ここで、ジンメルの『社会的分化論』に立ち入ってみよう。
 「公的精神の目的は個人のそれよりずっと原初的で単純であるという前提のもとで容易に説明される。多数の人間が一致できる点は、前述のように、一般に、彼らのなかのもっとも低いものの水準に相当するものでなければならない。」 [46]
 日本が高度経済成長を為し得たのはこの最も低いものの水準、つまりテレビであり、車であり、マイホームを手に入れることに目標があったからである。 [47]
戦後の日本は、物質的な豊かさの実現に向かって、生産第一主義、発展第一主義でやってきた。ところがそうした方向性は、74年前後のオイルショック、バブル崩壊で揺るがされた。そして、これらによって戦前から続いていた日本人の精神、すなわちナショナリズムが崩れ、人々は「内面的孤立化の感情」を再び味わった。経済発展を遂げた日本には欧米に追いつけ、追い越せといったかつての精神を持つこともできないし、模倣となる国もない。どれだけ生産をし、消費をしても、自分たち独自の目標を見いださなければ、社会の統合は弱まるばかりだ。
社会の統合が弱まった時、社会的人間はもはや目的を持った生活を営むことができず、社会的人間としての生活に対応するものを社会の中に見出すことはできない。つまり高度な生活によって慣らされた人々は物理的な人間としての生活の中には彼らの努力を引き付けるような対象を見出すことができないのである。 [48]
そのような時、人々はよりいっそう教育に期待する。しかしデュルケームが言及しているように、教育とは社会を映し出す像であり、またその反映にすぎない。教育は社会を模倣し、それを縮小的に再現しているのであって、社会を創造するものではない。 [49]  高度経済成長を達成させる過程で、日本は経済的に世界のトップに追いつこうと必死になって競争してきた。その再現は受験戦争である。日本には成長の背後に徹底した教育制度があった。この教育制度によって、一方では精神的な水準の大きな差異を取り除き、他方ではある種の平等を作り出し、かえって各個人にたいして、以前には禁止されていた人々の個人的才能の行為ができるようになった。 [50]  しかし、経済成長のことばかり考えて、具体的にどういう社会を目指すのかなど考えてこなかった結果が今日、トップレベルの学校や企業に入るために偏差値や内申点のことばかり考えて具体的な目的を喪失していることが特に現代の子供たちの中に伺える。 [51]
 かつて人々は例えばある職人になるために、その親方のもとで習って、そして共に生活をしていたものだが、現在は、ある職人になるために、専門学校などに通って、放課後はクラブ活動に参加して、夜はアルバイトをするなど、多くの場所に所属し、そしてその場所ごとに個を発揮できる機会を獲得したことによって、個々がはっきり認識できることができるようになった反面、集団という束縛から離れ、孤独の中からいろいろと選択することが自由だと認識する傾向が強くなった。 [52]
しかし人々が手に入れた自由とは「〜からの自由」であり、大量に生産したり、消費すること、世間でよいと評価されている学校、企業に入ることが人々の精神的支えにはならなかった。結局人々は再び「内面的孤立化の感情」に陥るのである。つまり、個人とは社会が作り出すものなのであり、各個人が目的を見出すことはできないのである。 [53]
 今日、消費をすることが人々の精神的な支えとはならなくなったことを実感させるデータがある。総理府では毎年、国民生活に関する世論調査を行っている。その中に「心の豊かさと物の豊かさの、どちらを大切に思うか」という質問項目があるのだが、その答えが1976年を境に大きく変わっているのだ。
 この調査が開始された1972年には、「物の豊かさ」をあげる回答が「心の豊かさ」の回答を大きく上回っていた。もし戦後の混乱期にこの調査が行われていれば「物の豊かさ」を願う気持ちはもっと強かったであろうが、ある程度の豊かさを実現した1972年でも「物の豊かさ」を願い気持ちは上回っていた。ところが76年には両者の関係は逆転して94年の調査では「心の豊かさ」を求める回答が「物の豊かさ」のほぼ倍にまでなっているのである。 [54]
にもかかわらず、数年後日本の経済成長率がまた伸び、人々が消費意欲を取り戻すと予測しているのが日本の現状である。またそんな中、日本政府は先日、「こころの教育」について政策を発表したが、先ほど述べたように、教育は社会を映し出すものなのだから、数字で表された成長率に目を向けたままでは、「こころの教育」は空語で終わってしまうのである。
 私はGDPであらわされる数字上の豊かさではなく、本質的豊かさを問うこと,例えば、どういう社会を目指すのか、バランスの取れたゆとりある社会とはどういったものなのかなどあらゆる人と人、人と自然との関係性を考慮にいれた上での具体的な目標を短期的、長期的に見出すことが必要不可欠であり、そしてそのためにはそういうシステムを作らなければならないと考える。
 

8 結論

経済危機の背後で社会の危機も深刻化している。このような時期にこそ危機の源にさかのぼって考え、長期の展望の中で、どういう社会を目指すのかということを改めて問題にする必要がある。国家と社会の目標を根底から構築し直すという仕事を忘れてその場しのぎを繰り返すと、とり返しもつかないしっぺ返しを受けることになる。私が序論でも指摘したように、最大の問題点は日本人が目標を見失っているのではないかということだ。大戦後50年間、日本人は経済を成長させるということを目標だと考えてがんばってきた。経済以外のことはほとんど目に入らなかった。どういう社会を作るのか、どんな暮らし方がいい暮らしだといえるのかということを立ち止まって考えるということをしなかった。その結果、ものが十分に出回るようになってからも競争に煽られてあくせく働いた。そのことが今日の日本の経済の不均衡をもたらしてしまったといっても過言ではない。そう考えると、過去の延長として未来を考えるということができない時代となっているのではないか。人口の構造も変わってきているし、経済も成熟しているなど、さまざまな問題が複雑に絡み合っているということを考慮に入れて、私たちは何をするべきかということを考えなければならない。それは成熟した経済の中で日本人がゆとりのあるバランスの取れた暮らしというものを発見できるかということにある。つまり経済成長率よりも経済のバランスが重要である。もし政府の失敗が繰り返されると [55]  不均衡が拡大し、失業者が大量に出てしまうことになる。そして失業しないで企業に残った人たちは競争に煽られて無意味に長時間労働をするようになるといった姿が伺える。経済の転機を的確に読み取ることができれば危機は回避することも可能となるであろうが、動的な社会にデーターをうのみにし、読み間違えるとじりじりと危機が訪れる。これまで、転機を的確に読み、国民をリードして方向づけを示すなどといった責任のある政府が存在しなかったということ、また、かき集められたデータを絶対化してきた人々にも原因がある。
そしてさらに問題なのは日本の経済と社会が再生力を失いつつあるということだ。人は社会を作っていく力を養っていくことが必要なのだが、私たちの社会では子供の数がどんどん減少しているし、教育のあり方が全体として極めておかしくなっている。
現代の文明のもとで人間がものを作り出す力は高くなったが、社会を持続させる力はむしろ大幅に低下している。資源の浪費と環境の破壊もひどい状態になっているので20世紀の産業文明をそのまま21世紀に延長できないということが極めてはっきりしている。よって日本が歴史的転機を迎えていると捉えるだけでなく、世界も歴史的転機を迎える時期が来ていると捉える必要がある。資源浪費的、環境破壊的な20世紀の産業文明を克服して21世紀の新しい文明を創造するのだと考えなければならない。
さしあたり21世紀の日本の社会を作っていくための重要な手がかりは環境と人間にもっと着眼することだと私は考える。具体的に言うと、この世におけるすべてのものはあらゆる関係性の上に成り立っているということを考慮に入れた上で環境と福祉と教育を中心に据え、私たちの経済と社会のあり方を見直すということが必要だ。適切なシステムを採用し、不均衡と不安定を克服することによって国民の安心できる社会を作り上げるという目標をはっきりさせることが可能となる。それは今の日本の人たちが見失っている目標を手にすることであり、長期の将来に向けての確信を取り戻すということにも繋がる。今日、人々の確信を取り戻すということは当面の危機を乗り越えるための、国民の協力体制を作っていく上でも極めて重要である。

9 付録:この論文で取り上げた思想家たち

 *マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
 この本においてヴェーバーは、資本主義という新たな経済システムを成立させた要因は一体何であったのかという疑問を抱いた。彼は資本主義の発展を促すことに貢献した経済主体のなかの中心的存在であったプロテスタントの予定説に基づく神による救済の強い希求、それを実現する為の方法である禁欲的な性向にその要因を見出したが、富が増すと共に、高慢、激情そしてあらゆる形での現世への愛着をも増してくることによって、営利活動は宗教的、倫理的な意味を取り去られ、次第に営利活動を人生の目的と考えるようになったため、成熟した資本主義社会では、禁欲的プロテスタンティズムの文化的意議が限界に来ていると述べている。

*マックス・ホルクハイマー テオドール・W・アドルノ『啓蒙の弁証法』
 『啓蒙の弁証法』を導くモチーフは、序文の一説に集約されている。「人間はなぜ、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新たな野蛮のうちへ落ち込んでいくのか」。ホルクハイマーたちは、アウシュヴィッツを生み出したナチズム、亡命先アメリカにおける画一化的文化産業を「新たな野蛮」ととらえ、その根源を「啓蒙」自身のうちに追及する。同書で「啓蒙」が意味するのは、18世紀前後の進歩思想家だけではない。むしろ「啓蒙」は、「自然支配」に拡張される。人間は、外的な自然ばかりでなく、衝動や感情など人間の内なる自然を支配することで、自然の脅威と神話的野蛮を克服してきた。しかし、ホルクハイマーたちは、啓蒙の自然支配的なあり方自身のうちに、人間を支配する自然の暴力が再現する事態を見る。

  *ゲオルク・ジンメル 『社会分化論』
 原始社会にあっては個人間に差異はなく、集団内部は同質的であるが、集団間の異質性は大きいと想定され、社会進化は個人間での分化=差異化を増大させていくと想定されている。この条件の下でジンメルは社会分化が進むに連れて、集団と個人、集団間の関係がどう変化するか、教養水準はどう変動するかを考察した。その中で彼は個人が所属する共同体、他人との違いを意識することで自我が促進される。共同体と社会の関係は裏表であり、どちらかだけを強調することは危険を伴うと述べている。

 *エミール・デュルケーム『自殺論』
 「社会を構成する個人は孤立したバラバラのものではなく、社会もまた単なる個人の状態の総和ではない」と主張し、個人を大量に分析することによって社会を知ろうとしていた当時の社会調査法に反論した。また、「他者に対する共感や連帯感を我々に目覚めさせたのは社会の働きで、人間が意のままに型どり、人間の行為を支配する宗教、政治、道徳的信念を我々の中に植え付けたのも社会だから、社会の統合が弱まった時、社会的人間がもはや「目的」を持った生活を営むことができず、社会的人間としての生活に対応するものを社会の中に見出すことができない。」とも述べている。

* トマス・クーン『科学革命の構造』
 本書のキー概念は「パラダイム」である。クーンはパラダイムを「ある機関を通して科学研究者の集団に問題や解放のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果(achievement)」の意味で用いている。さらにこの概念により彼は欧米で支配的な科学哲学の科学観を批判し、また社会科学や心理学で基本問題についての論争が絶えぬのに自然科学ではそうでないのはなぜかを探り得たと述べている。
 

 *カール・R・ポパー『社会科学の論理』
 ポパーもクーンと同様、データを集め、何とかして鋳型の中に当てはめようとする科学者集団を批判する。なぜなら自分に都合のいいものだけを集めてくるため、本当にその科学が検証されたわけではないからだ。そこで彼は、命題を壊そうとするために反例を探す理論、つまり、普遍の科学理論から時間性、歴史性を考えた理論への移行を提示した。「社会とは(To be 〜である)と説明することはできないが、(As if 〜であるかのよう )と捉えることによって、さまざまな視点にリンクできる」という点はデュルケームの手法と類似性がある。

 *アダム・スミス『国富論』
 スミスは「利己心」=「自愛心」という機能の適性さのうちに市民社会における新しい徳性成立の根拠を求めようとした。利己的本能と利他的本能は全能の神が人間創造のとき、人間の幸福のために与えたものだから、これらを発揮することによって人間は最も幸福になり、またそれは神の「見えざる手」という意図でもある。
 「どうすれば一国の富を増大させることができるか」という提題に対してスミスは分業(職業分化)社会をあげている。分業は人間の本性に潜む交換という性向(人と人との協力)から生じる。また交換という性向は利己心(人と人とを対立させて分離させる競争)によって刺激されて分業へと導き、これらの矛盾した人間の社会的行為が市民社会の法則を作り出すと述べている。

* カール・マルクス『資本論』
 『資本論』は、経済学の批判を通して人間の自然的本姓の解放、実現を目指すというマルクスの思想の到達点である。労働と資本の関係の観点から資本制的生活様式の諸法則、諸矛盾を解明し、資本主義社会がやがて解体せざるを得ない歴史的必然性を説いた。

* アルネ・ネス『ディープエコロジーとは何か』
 ネスは、これまでのエコロジー思想は、最終的には先進国に住む人たちの健康と繁栄を意図しているだけの「シャロウ(浅い)もの」であるとして、それに対して、「ディープ(深い)エコロジー」を提唱した。彼は、生命体や人間を個々のバラバラなものではなく、相互に関連し、全体のフィールドに織り込まれた網の結び目のようなものとして捉えた。さらにすべての生命体は自己開花し、相互に関連して「自己実現」していく本質的な価値とそのための普遍的な権利を持っていると主張した。また、個々人の世界観や価値観に関わるような、つまり実践性が高い、叡智としてのエコソフィの存在を主張した。まさに「環境学は人間学」である。


参考文献リスト

 *『世界の名著』中央公論社より
 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 マックス・ヴェーバー
 『国富論』 アダム・スミス
 『資本論』 カール・マルクス
 『社会分化論』 ゲオルク・ジンメル
 『自殺論』 エミール・デュルケーム
*『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』富永健一 講談社学術文庫 1998年
*『戦後日本経済の50年 ―途上国から先進国へ―』小浜裕久 渡辺真知子 日本評論社 1996年 
* 数字で見る日本の100年  日本国勢図会長期統計版 
*『水とごみの環境問題』岡田誠之 TOTO出版 1995年 
*『環境社会学の理論と実践―生活環境主義の立場から―』鳥越皓之 有斐閣1997年 
*『データブック 現代日本人の宗教 ―戦後50年の宗教意識と構造』石井研士   新曜社 1997年
*『啓蒙の弁証法』マックス・ホルクハイマー テオドール・W・アドルノ   岩波書店 1990年
*『科学革命の構造』トマス・クーン みすず書房 1971年
*『社会科学の論理』カール・R・ポパー 河出書房1969年 
*『ディープ・エコロジーとは何か』アルネ・ネス 文化書房博文社 1997年
*『ライフスタイルと環境』 日本家政学会 1997年 
*『地球環境キーワード』植田和弘 有斐閣双書 1994年 
*『日本人の自然観』伊藤俊太朗 編 河出書房新社1995年