[17] <参考:尾高邦雄「世界の名著 ウェーバー」東京、中央公論社、1979、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、p.289> 『ピュウリタンは職業人たらんと欲したーわれわれは職業人たらざるをえない。何故というに、禁欲は僧房から職業生活のただ中へ移され、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に縛り付けられている近代的経済秩序の、あの強力な世界秩序を作り上げるのに力を添えることになった。が、この世界秩序たるや、圧倒的な力をもって、現在その歯車装置の中に入り込んでくる一切の諸個人ー直接に経済的営利にたずさわる人々のみでなくーの生活を決定しており、将来もおそらく、化石化した燃料の最後の一片が燃え尽きるまで、それを決定するであろう。………今日では禁欲の精神は―――最終的にか否か、誰も知らない―――この外枠から抜け出てしまっている。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。』