9 同上 P283〜286を参考「市民的企業家は形式的な正しさの制限を守り、道徳生活に欠点もなく財産の使用にあたって他人に迷惑をかけることさえしないなら、神の恩恵を十分に受け見ゆるべき形でその祝福を与えられているとの意識を持ちながら営利に従事することができまたそうするべきだったのである。このような職業としての労働義務の遂行によって神の国を求めるひたむきな努力と他ならぬ無産階級にたいして教会の規律がおのずから強要した厳格な禁欲とが、資本主義的な意味での労働の生産性をいかに強く促進せずにいられなかったかは明瞭である。」