7 同上 P241を参考  「どの教派においてもつねに宗教的な「恩恵の地位」をば、被造物の頽廃つまり、「現世」から、信徒たちを分かつ一つ一つの身分と考え、この身分の保持はーその獲得の仕方はそれぞれの教派によって異なるけれどもーなんらかの魔術的=聖礼典的な手段でもなくて、「自然」のままの人間の生活様式とは明白に異なった独自の行為を持ってする証明によってのみ保証されうるとした。このことから、個々人にとって恩恵の地位にあるや否やを知るために生活方法を審査し、その中に禁欲を浸透せしめようとする機動力が生まれてきた。ところで、この禁欲的生活様式は、すでに見たとおり、神の聖意を目標として全存在を合理的に形成するということを意味した。しかもこの禁欲はもはや(義務以上の行為)ではなく、救いの確信を得ようとする者すべてに必要とされる行為であった。こうして、宗教的要求にもとづく、「自然の」ままの生活とは異なった、聖徒たちの特別の生活はーこれが決定的な点なのだがーもはや世俗内部で行われることになった。このような、来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化こそが禁欲的プロテスタンティズムの帰結だったのである。」