[10] 「それゆえ社会化の事実はそれとともに、我々が出発点とした二重の位置に個人を置く。すなわち個人は社会化の中に包含されると同時にそれと対立もし、その有機体の成員であると同時に、それ自体で完結した有機的な全体でもあり、社会化のために存在であるとともに、自己のために存在でもある」『社会学』p.51