[18] <参考:宮台真司「まぼろしの郊外」東京、朝日新聞社、1997、p.150>
『伝統的な村落に「頑張れば報われる」「未来は明るい」「家族は大切だ」といった、従来はありえなかったロマンを注入するためにこそ近代学校教育は機能したが、いったんシステムが回転しはじめ、都会の会社で働いたり、サラリーマンと専業主婦からなる家族を営むことが自明になると、過渡期において必要だった動機づけ装置は相対的に用済みになっていく。資本主義的精神の母体として宗教的勤勉主義がひつようなのはあくまで資本主義的システムの立ち上げ期においてであって、いったんシステムが回転し始めるとそうした宗教的動機づけ装置が用済みになると説いていたのはウェーバーだったが、良妻賢母教育もおなじことである。』