[8] 「こうした文化発展の「最後の人々」にとっては、次の言葉が真理となるであろう。「先進のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、かつて達せられたことのない人間性の段階にまで既に登りつめた、と自惚れるのだ」と」『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』p.290