「日本近代の発展過程と共同性」
〜共同の消費の場が失われた影響〜

目次

はじめに
第1章  「家族」共同体と「学校」主義
第1節 近代発展期特有の価値観の機能不全化
第2節 近代の発展と成熟をもたらした内面的孤独化
第2章  成熟社会における共同性の模索
第1節 共同性の及ぶ範囲の変化
第2節 共同体の流動化
結論


はじめに

 私は当初、卒業論文を「家族」によって構成される家内商業を基盤とした共同体を再構成する方法を探るテーマで書こうと考えていた。しかし、テーマに関する学習を進めいくうちに地域共同体も崩壊しているが、「家族」も崩壊しているということが明らかになった。商店街に関する書籍や、兵庫県三田市の古くからの市街地にある本町商店街の実例などを調べていると個別の商店が無くなってしまう理由のひとつとして、ニュータウン部での大規模店舗の出店による客足の減少があるのだが、もう一つ大きな要因として後継者不足という問題が大きいのだ。特に本町商店街の場合は家計を商売の収益によって支えなくてはならない店舗は既に現在無くなっており、今現在残っている店は他の収入源、(自分の所有地に立てたマンションの賃貸など)があって商業がもうからなくても存続できる商店ばかりであった。よって、最近無くなっていく店舗というのは戦後の近代発展が顕著だった時期に育った世代の息子、あるいは娘が店を継ぐ意志が無いということに起因することになる。ほとんどの場合、近代発展期が本格化する以前の戦前、村落共同体的価値観が優勢だった世代に育った高齢者の商店主の世代は自分の店を続けたいという意志をもっており、息子、娘達にも死後、継いで欲しいと思っている。ところが子供達はそんな親の意思に従うことなく、長年受け継いできた家業が大事という価値観を共有していないのだ。なぜなら、このことは近代発展期の最中に育った世代にとっては生産を共同でする場所として「家族」を捉えていないからである。 [1] 「家族」共同体に留まらなくても、近代発展期の社会には「会社」共同体という生産の機会があり、収入も得られるのである。ここで明らかになったことは「家族」を基盤とする家内商業はしっかりした共同体の基盤になりうるという考えは、思い込みであったということだ。
 よって、私は「家族」という場を近代以前は共同の生産の場、近代発展期には共同の消費の場、そして現代においては共同の場としての役割を喪失した場として捉えることを基礎として、本文のテーマ「日本近代の発展過程と共同性」を考えることにする。第1章では、「家族」という共同体が近代の発展過程でどのような機能があったのか、いつ、どのような理由で共同性を失っていくのかを近代の発展発展と成熟に伴う社会の変化、都市部の労働力需要によってもたらされた人々の村落共同体からの離脱による、共同の生産の場として役割の喪失。消費の飽和化、成熟化、そしてメディアの細分化によってもたらされた人々個々の消費動機の不透明化による、共同の消費の場としての役割を喪失したことに大きな要因があったものとして考える。そして第2章では、共同の消費の場としての役割を喪失し、「家族」共同体が崩壊した現代日本の共同性とはどのようなものかを模索することにする。

第1章 「家族」共同体と「学校」主義
 第1節 近代発展期特有の価値観の機能不全化

 神戸市須磨区の中学生「酒鬼薔薇聖斗<サカキバラマサト>」による小学生の殺人事件に見られるような凶悪な少年犯罪が近年郊外のニュータウンで目立つ。私は旧来の街とは異なるニュータウンの街としての機能、ニュータウンを大量に発生させた社会的な経緯と、その経緯がニュータウンで生活する人々のライフスタイルに対して与える影響である「純粋な学校主義」が、ニュータウンに住んでいる子供たちに従来とは異なる振る舞いをさせていると考える。
この節では近代発展期独自の目的志向の価値観と、物質的な消費の飽和状態を迎えている「成熟社会」 [2] で生まれ育った子供たちとの不適応を起こしている事柄を述べることにする。ソフト面では「純粋な学校主義」について、ハード面ではニュータウンの「単純な効率主義」について述べる。ニュータウンのソフト面、ハード面の問題どちらに関しても、それらが作られた共通して考えられる原因は、近代発展期において「家族共同体」が共同の消費の場として、共同性を確保してきたことに由来する。
まず、ソフト面について述べる。
「純粋な学校主義」とは日本近代の経済発展期の価値観「はっきりした目的のある明るい未来」が、自然環境の限界、資源の限界、消費物の飽和状態、といった要因による現在の滞った時代に、不適応になったことを象徴するものである。滞った、たった今を生きるしかない子供たちにとって、近代の経済発展期のみに有効だった、「よい生活のために、良い学校に入って、良い会社に入る目的を持って、将来のために今は我慢して苦しく、無味乾燥であっても受験勉強に励みましょう」といった未来の目的のために現在を犠牲にすることを奨励するメッセージはうまく届かなくなっている。なぜなら現在ではそのメッセージの前提が崩れているからである。物質的飽和状態の中で育った世代にとっては物質的に豊かな「よい生活」は必ずしも、共同性を保つものではないことに気づいているからである。子供たちにとって自分達の父親、母親、兄弟、そして自分の関係を見ていれば自明のことである。ただし、親の世代が育った時代は、経済発展期、社会全体にとって、効率よく物質的に充足すること、つまり上の「よい生活」が、共同性につながることは自明であった。なぜなら、実際、経済発展期の基礎的な共同体である「家族共同体」は消費を共同ですることによって共同性を保っており [3] 、そこには物質の充足を媒介にした団欒があり、効率的な物質的充足を目指すという目的のためには父親が仕事に没頭して家族に関わらなくても、母親が子供を、大企業に入れるために進学校に通わせ、子供の評価を学校の成績によって行うことも合理性があったからだ。子供もその目的、つまりは共同性、に至るための道であることを納得していたからこそ、無味乾燥な受験勉強も、平坦で退屈な学校の授業も耐えることができたのだ。経済発展期においては、目的は、誰にとっても、自明でありえたのだ。近代の成熟にいたる、経済発展期、つまりは過渡的な近代においては物質的欠乏がある故に、誰しもが互いに目に見える形で目的を共有することができたのだ。 [4]
ところが今の子供たちにとって「学校主義」は共同性への道として自明のものであるどころか、単にそれは、意味の無い苦痛なものになっている。「学校主義」は共同性を約束するどころか、犯罪を誘発するようなストレスの源になっている。なぜならば、物質的な消費において飽和した成熟した社会「成熟した近代」においては、近代発展期に失われた村落共同体の、代わりを果たしていた、共同の生産の場、共同の消費の場である「家族共同体」が失われているからである。「学校主義」は近代発展期の社会においては「家族共同体」の共同性を守るという目的にとっては合理的であったが、近代の成熟を迎えた社会においては非合理なものなのである [5] 。もはや「学校主義」は共同性を約束しないのである。
日本の近代発展期に「家族共同体」の共同性を維持するための、効率的な消費を第一の目的とする考え方があった証拠はニュータウンのハード面の特徴として如実に表れている。産業化がすすむ近代発展期の社会は効率的な生産、消費を生産者、消費者ともに要求する。そのため、ニュータウン計画に一貫して貫かれているのは、あまりに単純化された偽りの世界の捉えかたである客観的データに頼る、量的に数量化できる「単純な効率」主義である。 [6] それぞれの場所が数値化できる目的に奉仕する役割を担っている無駄の無い街は、数値化可能なデーターにはあてはめることのできない人と街との関係性には冷淡である。街の計画は数値化できる要望に基づいて作られるわけだが、現代人は数値化できる目的を持つことが正しいとされる近代に適応しているため、「客観的」データを提供するのには長けている。そのため計画は、近代人の目的を効率的にかなえるものとしてのみ一面的に作られるのである。
 人と街との関係性が考慮されない街でもっとも街を受けるのは子供である。なぜなら、近代発展期の効率の良い消費社会のもとで、数値によって物事が計られることを自明のものとして受け入れてきた大人は、子供は近代に適応する過程の存在としてしか捉えないために、近代的な数値化できるデータを提供することを期待し、数値化できないデータを切り捨ててしまうためである。子供達は自分達と自分に関る関係物である街との関係性の中に生き、そこで自分達と街との互いに柔軟な、互いにフィードバックしあう関係性の中で世界を認識していくものなのに [7] 、近代に生きる子供達もまた数値化できる「客観化」できるデータしか提供することを求められないために、肝心な関係性が街の計画に反映されることがないのだ。
 柔軟性のない、それぞれの場所に固有の目的が与えられているような街、ニュータウンでは、人間が街に対して働きかけて、形を変え、さらに形を変えた街からフィードバックが帰ってくるという相互作用を通じての街への愛着あるいは、社会的絆を育てるのは難しい。
このようなソフト、ハードともに、現在の子供たちを取り巻く不適応な環境、成長に際して不適応なニュータウンに人々が住まされること、「純粋な学校主義」によって目的も不明瞭なまま勉強を強いられる事態はどこから生じたのだろうか。それは、結果として近代の発展を導くこととなる村落共同体を喪失した人々の内面的孤独化に際して、共同性の拠り所として作り出した「家族共同体」「学校共同体」「会社共同体」が、近代の成熟化によって共同性を支える基盤を失い、崩壊していく過程からである。
次節では内面的孤独化が、結果として近代の発展と成熟をもたらした過程を詳しく述べる。

 第2節 近代の発展と成熟をもたらした内面的孤独化

 ウェーバーが記したプロテスタントの『自己利益への無関心に基づく経済活動と、内的要請に基づく経済活動へのエネルギー集中、という上に見たような特殊な事態が、資本主義の成立に大きな貢献をした。』<引用:作田敬一・井上俊 命題コレクション P.289(プロテスタンティズムの倫理と資本主義)>というきわめて特殊な事態とおなじようなことが日本においてもおこったのではないかと考える。私は、日本においては、村落共同体を失った都市労働者の内面的孤独によって引き起こされた経済活動が、日本近代の発展と成熟を促したと考える。
 ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で展開している西洋だけに資本主義の発展が起こったことの理由をプロテスタントの倫理に求める論理展開と、宮台の考える日本の「近代化の成熟と郊外化」 [8] での論理展開を参考にして、現代日本の近代の発展と共同性の問題を考えたい。
 ウェーバーと宮台の議論を対応させれば、プロテスタントにとっての神から選ばれることによる救いは、日本人にとっての共同体からの承認と考えられる。西欧人にとっての絶対者は神であるが、日本人にとっての絶対者は世間様、つまりは自らが所属する共同体と考えられるためだ。よって、プロテスタントの予定説における内面的孤独化の感情は、近代発展期の日本人の、産業化によって村落共同体からの離脱をよぎなくされ共同体からの承認を失う孤独化に対応する。農村から離れ、工業労働者やその妻として都市部に生活することは、以前とは異なる、周りは知らない人ばかり、という環境に置かれることになり、所属する共同体を失い、中ぶらりんになり、世間様という絶対者を喪失することにつながったのだ。
そして、プロテスタントが禁欲による「自然の地位の克服」を行い、特別な人間になることによって救いの確信を得ようとするのは、日本人にとっては近代化において、欠落した村落共同体を埋め合わせるための、メディアという日本人全体をつなぐ、いわば西洋にとっての神との存在に等しいような絶対者を通じて、村落共同体とは異なった、メディアを通じての日本人としての共同体への参加がおこなわれたといえるのではないか。 [9]
明治以降の近代化により都市部の工場での需要が増え、農村の次男三男が都市部で農村より多くの収入を得る確信が出てくると、大挙して工業労働者として都市部に出てくることになった。都市部に出てきた人々は、村落共同体から出て、都市労働者として都市部に住むことになった。住居としては多くの人々が都市部に流入したため、短期間にたくさんの需要を満たす、高層の団地がかっこうの住み場所となった。そして団地住まいの人々も徐々に収入を得て余裕が出てくると、自分の持ち家を欲するようになった。そのため男性は会社での労働に集中し、女性は家事、育児に集中する存在として専業主婦となった。専業主婦たちは子供により高い学歴を身につけさせるべく努力した。
これらの行動の原動力となったものは一体何であろうか。
 それは、村落から出たことによって失った村落共同体が与えてくれた社会的承認を、都市部においてもなんらかの形で再び得ようとする心情の働きである。
 たしかに、都市労働者が経済活動に専念した理由は表面的には自己利益の拡大を目指したように思えるし、仮にインタビューをその時代に行ったとしても、「自己利益拡大のため」という答えが帰ってきただろう。しかし、村落共同体から引き離された人々が、都市部で従来のような社会的に承認を与えてくれる村落共同体の代替の共同体が存在しないという事実と、その事実に対する人々の心情を考慮するとその限りではない。内面的な孤立化が必ずあったはずである。 [10]
 そこで、人々が欠落した共同体を埋め合わせるために、利用したのがメディアによって提示された「アメリカのホームドラマ的な物質的に豊かになり続ける進歩する未来」、近代学校教育による「がんばれば報われる」「未来は明るい」「家族は大切だ」という日本人全員の共通した価値観という前提を持つ幻想である。その価値観をみんなが共有しているという幻想がある中で、父親は仮の共同体である「会社共同体」の中で経済活動を熱心に行い [11] 、母親と子供は「学校共同体」の中での偏差値競争への取り組みを行ったと考え、そのことが結果的に組織に順応性が高い人間たちを産み出し、日本の経済発展期を支えたのではないか。
村落共同体から離れた人々にとって、近代の学校教育、メディアの果たした役割は大きなものである。
家というものが、村落共同体から離れることによる共同の生産の場所ではなくなったことは、子供の人格的な教育の機会が家の外部から与えられる傾向を強化することにつながる。 [12]
さらに現在日本では家族の構成員それぞれが個室で自分のテレビ、電話を持つことが多くなることによる情報入手の個別化、そして24時間営業のコンビニの普及により共同の消費の場としての家の立場すら、あやしくなってきている。この状況は家の教育的機能を低下させ、ますます、メディアに依存する傾向を強化することになる。
メディアは核家族化が進む中、アメリカのホームドラマによる電化されて豊かになる家族という家族共同体のイメージを提示し、経済的に豊かになり続けることが「家族共同体」を維持する必要条件となった。
メディアの影響を示すものとして、戦後日本家族の特徴として3つの特徴を挙げる。
1 女性の主婦化
2 二人っ子化
3 人口学的移行期における核家族化
[13]
 上に見られる特徴は農村の余剰労働力となった次男三男、次女三女が都市部に流出し、郊外の団地に住みはじめる時期に、テレビで人気のあったアメリカのホームドラマに出てくる家族の特徴とそっくりである。
当時のアメリカではテレビの急激な普及に合わせてたくさんのホームドラマがつくられ、日本にも多くのドラマが輸出されていた。その中でも代表的なのが『パパは何でも知っている』であり、『うちのママは世界一』である。 [14] それは、バラ色の郊外生活を描くものだった。電化製品で家事を合理化したケーキ作りの上手なやさしいママ、週末には車でピクニックに連れ出してくれる頼もしいパパ、誰からも好かれるかわいいボク。そんな夢が、日本人を覆ったのである。
つまり、人々はメディアが提供する豊かになる「家族」という新しい共同体のイメージに自分達を合わせることによって共同体からの承認を得ようとしたのだ。自己の経済的利益を追求するのではなく、「会社共同体」「学校共同体」「家族共同体」への同化によって。
そして結果として「純粋な学校主義」と言えるようなものが出てきた。
郊外に移り住んだ都市部の労働者は自らの土地を資産価値として大量に持っているわけでもなく、子供に親の努力によって与えることのできる資源は学歴だけのように思えるようになった。 [15] そして決定的なのは、日本近代発展期の子育てにおいて、母親達は自分達に託された過剰な負担を背負うために、近所や親類から見て明らかに良いことは、子供を偏差値の高い学校に入れることのみであるようしか思えなかったからである。 
 だから、それぞれの共同体によって承認される資格として、子供に学歴をつませることがもっとも重要なこととなり、子供の生活を囲む環境すべてが子供の評価を単一な尺度、偏差値という学校的な価値観ではかられるようになった。それが、前節で取り上げた子供自身の、あるいは子供周辺のさまざまな問題を引き起こしているのである。
伝統的な村落に「がんばれば報われる」「未来は明るい」「家族は大切だ」といった、従来はありえなかったロマンを注入するためにこそ近代学校教育は機能したが、いったんシステムが回転しはじめ、都会の会社で働いたり、サラリーマンと専業主婦からなる家族を営むことが自明になると、過渡期において必要だった動機づけ装置は相対的に用済みになっていく。運命は不幸にも、日本近代産業化に伴う、村落共同体を失った人達の内面的孤独化を埋め合わせるための、擬似的な共同体である「学校共同体」や「会社共同体」そして「家族共同体」への同化という「外衣」を、「純粋な学校主義」という形で「鋼鉄のように堅い外枠」へと化けさせたのである。 [16]
資本主義的精神の母体として宗教的勤勉主義が必要なのはあくまで資本主義的システムの立ち上げ期においてであって、いったんシステムが回転し始めるとそうした宗教的動機づけ装置が用済みになると説いていたのはウェーバーだった [17] が、近代学校教育もおなじことである。 [18]
経済発展期が終わり、自然環境の限界、資源の限界が明らかになり、物質的な消費の成長に担保された「明るい未来」なくなった現在の日本はどうすればよいのだろうか。それには「純粋な学校主義」を産み出した、不適応になった動機づけ装置である、近代学校教育のシステムを解体しなければならない。そのシステムは単に学校だけの問題ではなく、学校というものに大きな価値感を持つ考え方を含むものをも指す。よって、まずは、家で子供を評価する尺度を、決して学校と同じものにしないことが、解決の糸口になるだろう。それが、何であるかはそれぞれの状況に応じて模索していくしかない。

第2章 成熟社会における共同性の模索
 第1節 共同性の及ぶ範囲の変化

 「純粋な学校主義」となってしまった成熟社会に不適応になった「学校主義」を、近代成熟社会においては個々人の幸せになるための生活スタイル、価値観は個別であること認識するということによって解体した時、一体どのような共同性が代わりのものとして考えられるのだろうか。それをこの章で述べる。
近代学校教育のシステムが完全には解体していないものの、崩壊しつつある今、現代の子供たちにとって、実際に生活している中でリアリティのある共同体、あるいは共同体らしきもの、従来の村落共同体、「家族共同体」の代わりになっているものはどのような姿をしているのだろうか。それを認識することは、「学校主義」以外の価値をはかる尺度を考えるのに役立つはずである。
現代の成熟社会に育った子供たちの振る舞いである、夜中に家を抜け出してコンビニに買い物に出かけたり、駅のホームでキスを平気でしたり、学校の床に座ったりしていることが近代発展期に育ってきた人間にとって、不快であるという声をよく聞く。近代の発展期に育ち、生きてきた大人世代にとっては、現代の子供たちには一見、共同性が無いように見える。だが、従来の形とは異なるにせよ、共同性らしきものは存在するのである。では、なぜ近代の発展期を生きてきた人間にとっては現代の子供の共同性を感じることができないのだろうか。
それは、過渡的な近代と成熟した近代においては共同性の及ぶ範囲が異なるためである。過渡的な近代においては「家族共同体」「学校共同体」が共同性の及ぶ範囲であった。ところが、現代ではそれらのものが共同性の器にはならなくなっている。なぜなら、それらはもはや、共同で消費する場では無いからだ。では、現代の成熟社会においての共同性の器は何か。ということになるが、それは数人の仲間である。説明すると、過渡的な近代に生きてきた教師Aは、生徒Bを「学校共同体」の一人として、共同体の人間の一人だとみなしているのだが、近代成熟社会を生きる生徒Bとしては教師Aは共同体の外側の人間としてみなされるのである。
「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、それが示しているのは、共同体の外の人間に対しては恥知らずな行為をしても平気であるという社会的ルールがあるということだが、成熟した近代においては共同性の及ぶ範囲が異なるため、旅をしていなくても、恥はかき捨てられるのである。言い方を変えれば、成熟社会を生きる子供は街の中で、学校の中で、さらには家の中で旅をしているのだ。だから、人前でキスすることも、学校で地べたに座ることも平気なのだ。「仲間以外はみな風景」なのである。 [19]

 第2節 共同体の流動化

 成熟した近代においては共同体、共同体らしきものは数人の仲間である。と言ったが、「らしき」ということばをつけるのは、それは流動的なものだからである。きわめてそれは不安定であり、その共同体らしきものの中にいる構成員でさえ、共同性の基盤となるべきルールを互いに了解していることに確信を持っていない。 [20] なぜなら、成熟社会においては他者が何を求めているかは不透明だからである。前近代の「村落共同体」においても、近代発展期の「家族共同体」においても共同で構成員が求めるものは固定的であり自明であった。ところが近代成熟期においては、構成員それぞれが求めるものが一致しているのは偶然にすぎないのである。ある瞬間に共同体らしきものが存在していても、次の瞬間には消えているかも知れないのである。これは、共同体は、目的を共有することによって共同体は維持されるものであるとする認識の立場に立てば、共同体は存在しないことを示している。しかし、共同性らしきものは存在することは確かなのだ。
なぜなら、成熟した社会に生きる子供たちも、共同体らしきものの中でそこから突出しないように振る舞おうとする「郷に入りては郷に従え」の精神らしきものがあるからである。しかし、それは従来の固定的な共同体である、土地に固定されていた「村落共同体」、目的に固定されていた「家族共同体」とは異なって、固定されておらず流動的であるため、従来の共同体にあった、親密さは存在しない。ここに成熟社会を生きる子供たちの悲劇がある。偶発的な共同体らしきものを壊すのを恐れて、臆病な振る舞いをすることになるのだ。過剰なまでの同調によって [21] 。実際それは、最近の中学校でのいじめが、リンチの様相を帯びるような集団的なものであることに現われている。
では、どうすれば良いのか。偶発的に共同体が形成されることは、近代産業社会の帰結として、消費の飽和状態、情報入手経路の多様化などによってもたらされているため、変えることは困難である。変えることが可能なのは臆病な「郷に入りては郷に従え」の精神のほうである。同調することによって、表面的に取り繕うのは、成熟した社会においても、やはり生きるのには共同体からの承認が必要だと子供たちが考えているからである。それを変えるのだ。個人が共同体によって承認を得ることを求めるのでは無く、個人が個人を承認することによって生きていくようにしなければいけないと考えるのである。
それには、個人個人が、個人を互いに承認することを促進する社会システムへの転換が必要である。例えば、教育においては、一方的知識伝達のシステムを改め、自己責任にもとづく個別の試行錯誤をさせることによって、個々人それぞれにとって良きことは異なることを自明とした上での、子供同士の横のつながりによる情報交換による、個別の価値観を抱えてそれぞれ生きる、成熟社会を生きる判断能力の育成を促し。まちづくりにおいては、職住分離の画一的価値で働く労働者を産む大規模企業店舗ではなく、個別の価値観によって自己責任で選択的に離合集散ができる小規模商業店とそれらの試行錯誤をフォローする保険的な役割を持つ組織を中心とし、成熟社会に適応したまちづくりを行うべきなのである。ただし、その小規模商店のうち、「家族」の名において、家族の構成員によって労働力をまかなう性格を持つ家内商業は小規模ではあるが無条件に資格があるわけでは無い。なぜなら、近代発展の過渡期においては「進歩する未来」の名においてのカー、クーラー、カラーテレビなどの電気機器の消費の充実によって、共同で消費する集団として共同性を持っていた家族という単位も、成熟社会においては生活必要物質の飽和化により価値観共有の材料を失い、そして、多様な趣味嗜好を家庭内に持ち込む情報化が家族の価値観が分断しているため、家族の成員それぞれのより良く生きるための価値観は異なっているためである。

結論

近代の成熟を迎えた現代の日本においては、近代発展過渡期特有の価値観である「学校」主義、「家族」共同体を解体し、個人個人が、個人を互いに承認することを促進する社会システムへの転換をはかるべきなのである。なぜなら、近代発展期特有の価値観に固執しようとする今の日本の状態では成熟社会に生きる個人が、共同体からの承認も無く、西洋社会においての神との契約のような個人としての内的確かさも無く、内面的孤立化をして、「透明な存在」 [22] となってしまうからである。
 西洋社会の場合は、神は個人の内面に属するものであり、他者と共有するもののため、共同性をはぐくむ要因となる。ところが、それに対して、現代日本の成熟社会に生きる子供世代は他者と共有できる神をもっていない。近代発展期に、「神」としての機能を果たしたメディアも、情報の細分化によってもはや、その用を果たさないからである。成熟社会に生まれ育っている子供世代の心象を持つ者としての象徴といえる「酒鬼薔薇聖斗」も「バイオドキ神」という神を信仰していたが、それはあくまで彼個人の神であって、他者と共有する神ではないために共同性に結びつくことはなかったのである。
 よって、現代日本の成熟社会においては個人が個人を承認する機会を増やし、自分の行動の責任は自分でとるという自己責任原則を徹底するべきなのである。そのことにより、「世間様」や「神」が共同性を保証しない時代を生きていくための、一人の個人と個人という最小単位の共同性を根気よく積み上げ、個別のライフスタイルや価値観で生きることに付随する、価値観同士のあつれきや、不快感も含めて、他者に害を及ぼすことを最小限にするためのルールを積み上げていくべきなのである。


参考文献
尾高邦雄「世界の名著 ウェーバー」東京、中央公論社、1979
厚生省大臣官房政策課 山内、齋藤「98/07/31 第79回人口問題審議会総会議事録」、http://www.mhw.go.jp/shingi/s9807/txt/s0731-1.txt
鎌田ゼミHP講義録、http://www.ksc.kwansei.ac.jp/~95024w/kamata-s/kougi/97lecture.htm
宮台真司「まぼろしの郊外」東京、朝日新聞社、1997
アドルノ「啓蒙の弁証法」不明、不明、不明
落合恵美子「近代家族をめぐる言説」(「現代社会学」19巻<家族>の社会学)、東京、 岩波書店、1996年 
三浦展『「家族と郊外」の社会学』東京、PHP研究所、1995