『社会学と経験的研究』  T.W.アドルノ     

『社会科学の論理−ドイツ社会学における実証主義論争』 アドルノ・ポパー他 著・河出書房新社

担当:井上・大頭・小山・関戸・高島


Q1・「アドルノの考える理論とはどのようであるべきか、又、どうあるべきではないのか。それぞれを言い表している箇所を1から抜き出してください。(1章)」  

 A1;「相対的なものを構成する営為の第一条件は、事態についての概念、つまりそれをもとに相異なる諸々のデータが組織化される事態についての概念である。この構成の営為は、社会的に備え付けられている統制諸機構にそれ自身必ずしも適応させられてはいない生きた経験から、かつて考えられたものの記憶から、自らの熟慮の誤りなき帰結から〔出発しつつ〕、あの事態についての概念をいつも素材にまで接近させ、この素材との接触の中でその概念を再び変化させねばならない。だが、もし理論〔つまり相対的なものの構成の営為〕がそれにも関わらず独断論―思考を禁ずるまでに至った懐疑は、この独断論を発見して歓声を挙げようと待ちかまえている―に陥らないようにしたいのであれば、右のような営為に安住することは許されない。理論は〔さらに〕、それがいわば外側から持ち込む諸概念を、事態が己自身についてもっている諸概念に、事態が自らそうあろうとするものに、置き換えねばならない。そしてこれを事態が現にあるところのものと対決させねばならない。理論は、いまここに固定されている対象の硬直さを解きほぐして、可能的なものと現実的なものとの緊張の場の中に放してやらねばならない。つまり可能的なものと現実的なものとは、そのいずれもが相手の方を指示しているのでなければ、存在することさえ不可能なのである。言い換えれば、理論とは、無条件に批判的なものである。」

 A2;P87、逆に、科学の一般的慣例にしたがって、個々の調査から、社会の総体性にまで上昇しようとすれば、せいぜい分類上の上位概念が得られるにとどまり、社会の生そのものを表現する上位概念は決して得られない。

  ;P88,いわんや、社会学の草創記以来繰り返し与えられては〔その実現が〕延期されてきた、理論と経験との総合という約束―それは理論を形式的な統一性と誤って等置し、事態の内実から純化された社会理論が全てのアクセントをずらせてしまうということについては何ら認めようとしない―からは、なおさら期待され得ないのである。  (P89、社会理論は、具体化と拘束力とを獲得すると、その代償として洞察力の喪失を支払わざるを得ない。つまり、原理に関わるものが、その原理をそれに即して再吟味するところの現象と、対等にされるのである。)

  ;P88,つまり経験と理論とは、一つの連続体に持ち込まれはしないのである。

 上にあげたアドルノの叙述から見て、アドルノは徹底して絶対化を行わない姿勢を有していたと思われる。 一見アドルノは経験的科学への批判ばかりを行っているように見えるが、p86において「社会の理論は哲学から発生してきたが、他方ではそれは同時に、社会を、伝統的哲学にとっては永遠の実在或いは精神を意味していたあの基体(ズブストラート)として規定することによって、哲学の問題設定の機能変換に努めるのである。」といい、哲学のみでは社会の問題を解決できないと言う。 これは、経験的社会学が哲学の機能を見失っていると批判しているのと同時に、哲学は思弁のみで構成されているがゆえに、現実に現象としてあらわれている社会の諸問題への実際のアプローチ(たとえば何らかの政策を立てる)に欠けると批判しているのである。 これは16世紀以降二百年ほど哲学が神学の代替物であったために、哲学が絶対化されるという危険があったということと関係していると思われる。しかし、絶対性を哲学ではなく、科学に求めるようになった近代においては、総体的に哲学の機能がクローズアップされるべきであるということではなかろうか。


Q2,。アドルノは経験的社会科学の不完全さを主張するために、経験的社会科学の持つ2つの特性について言及していると思われるが、その部分を2、3章からそれぞれ抜き出してみてください。            

Q・方法を絶対化してしまうのは、経験的研究のどのような特性か。あるいはどういうことか。2章)

 A;p91,方法の即物性、諸々の事態を固定的に釘付けしようとするこの方法の生来の傾向は、その諸対象、まさに調査される主観的諸事実にまで伝染され、こうして、あたかもこの主観的諸事実が物自体であって、物証化されたものではないかのように取り扱われることになる。方法がその事態を物神化するよう脅かすとともに、方法自身が物神に変質するよう脅かすのである。
 

(Q、第2の自然を作ってしまうのは、経験的研究の、どのような特性か。3章)

 A;p95,必然的であるというのは、対象、つまり社会が〔その本質を〕名指しで呼ばれることを何よりも恐れ、それ故に、社会〔の本質〕からそれるような社会自身についての認識だけを、知らず知らずに促し、受け入れてしまうからである。


Q3・第1の自然、本質をどのようなものとして描写しているか。  

A;伝統的哲学にとっては永遠の実在あるいは精神を意味していたあの基体。
 ;本質に向かうための方法 

A;〔一般意志と万人の意思との〕宿命的な二者択一から脱出することができるのは、ただ専ら内在的分析、つまり意見の一致或いは不一致をそれ自体において分析し、意見と事態との関係を分析するという内在的分析によってであり、客観的に妥当するものを意見に対する抽象的アンチ・テーゼとしてたてることによってではない。 

 アドルノは、上以外にも本質をこのように言い表していると思われる。

p99、100「しかしながら、この媒介的概念性は、諸々の平均的期待を一般的に定式化したものでもないし、秩序を建設する科学が切りつめて作りあげる添え物でもなくて、社会それ自体がこれに従うのである。そしてこの概念性が、これに従属する個別的な人間達の意識からも研究者達の意識からも独立した、客観的に妥当な、一切の社会的に本質的なできごとのモデルを提供するのである」

 これは、本質がそれを探求する学者からも、大衆からも独立したものであるといっていると思われる。つまり、人間が捉えることのできる世界あるいは社会についての概念は、どうあっても事態全体を言い表しているとはいえず、本質は人間がデータとして並べ立てるものを超越したところにあるとするのである。 ところで、アドルノの「誰のものでもない本質」という言葉は、大乗仏教や老子を思い起こさせる。  


・アドルノの社会学観、理論観が現れている箇所を7から選んで抜き出してください。

A;〔一般意志と万人の意思との〕宿命的な二者択一から脱出することができるのは、ただ専ら内在的分析、つまり意見の一致或いは不一致をそれ自体において分析し、意見と事態との関係を分析するという内在的分析によってであり、客観的に妥当するものを意見に対する抽象的アンチ・テーゼとしてたてることによってではない。意見はプラトン的傲慢さで排斥されてはならず、意見の非真理は真理から、つまり〔意見を〕担う社会的関係から、結局はこの社会的関係自身の非真理から、推論されねばならない。しかしながら他方、平均的意見が示すものは、真理のいかなる近似値でもなく、社会的な仮象なのである。この仮象に関与するのは、無反省な社会研究が最も現実的な存在(ens realissimum)と考えているもの、つまり諸々の被質問者、諸々の主観なのである。彼ら自身の状態、彼らの主観としてのあり方は、客観性に、つまり彼らが従い彼らの概念を構成しているメカニズムに、依存している。だがこの概念は、人が諸事実そのものの中に、これらの事実を乗り越えさせる傾向を認めることによってのみ、規定されるのである。これが経験的社会研究における哲学の機能である。この哲学の機能が見失われ、或いは抑圧されるならば、従って単に諸事実が再生産されるのであれば、そのときこのような再生産は、同時に諸事実をイデオロギーへと偽造するものとなる。

 アドルノは、経験的社会科学をp102の「個々人の自発性をほとんど摩擦係数としてしか認めない研究過程の整備を通じて制度化されている」としている。

 これは、本来は人間がもってしまう概念と現実の現象の矛盾(摩擦)を問題、あるいは研究の発端として社会学は研究を進めていかなければならないものであるにもかかわらず、経験的社会学が安易に理論と経験との総合を求め、そこで使用する方法に、自然科学で用いられるような客観性を求める方法を駆使し、そこから得られた結果を客観的として、絶対化してしまうことの問題点を指摘していると思われる。さらに、結果の絶対化以上に、方法の絶対化にもアドルノは強く批判をおこなっている。

 あらかじめ欲しい答えが提示されており、その答えに向かって必要なデータを採集していくという手法を用いる経験的科学では、特殊なデータは欲しい解答をはじき出す障害となる。ところが社会学では、特殊なデータは新たな問題を提示する非常に有用なものとして見るのである。 特殊なデータを障害と見る経験的科学では、その特殊なデータは、トマス・クーンも類似したことを言っていたと思うが、仮説の中に取り込もうとするか、いずれ解決されるものとして先送りされてしまう。そういった行動が導くものは、結果と方法の絶対化である。

 そもそも、人間が持っている概念と現実の現象との間に観察される矛盾から問題を発見するという、ヘーゲル的な思想を持つアドルノにしてみれば、自然科学が結果と方法の絶対化を行うのはまだしも、経験的社会学が当然おこなうべき相対化をおこなわず、無反省のまま突き進んでいくことは、社会学という名をもつ科学として、自らの土台を見失っているとしか言いようのないことであったのであろう。


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