ジャン・ボードリヤール「現代消費社会の神話と構造」講義録



 この著書で、ボードリヤールはマルクスの価値形態論とソシュールの記号論とを結合させることで社会現象を読み解こうとした。彼は従来の経済学者が取った生産圏における現象にとどまらず、社会圏全体に視野を広げるという新しい視点をとることで、現代の消費社会についてより深く分析することを可能とした。

 ボードリヤールは、現在の消費社会でモノは本来の使用価値ではなくバーチャル的価値が優先されており、モノが記号化されているとした。記号には、「本来の意味(本質的な部分)を伝達する働き」と「本来の意味を抑圧し、それとは別の意味(別の部分)を強調する働き」がある。これはマス・メディアに当てはめて考えるとわかりやすい。マス・メディアによって伝えられる情報はすべて記号化されたものであり、それは偽りの現実である。事実を画像や文字で伝えることにより、その事実はある部分は強調され、ある部分は隠される。現実世界から距離をおいて事実を情報として受け取るとき、人は自分たちの生活の平穏さを再確認する。また、その両義的な働きから、記号は大きく二つに分けて「シニフィアン(意味するもの、指すもの)」と「シニフィエ(意味されるもの、指されるもの)」があり、またシニフィエには本来価値を表すものとバーチャル的価値を表すものとに分かれる。現在の消費社会では人々は、バーチャル的価値(他者との差異や同一性など、モノのイメージにおける価値)のあるモノ、つまり、「記号としてのモノ」を手に入れるために消費活動を行う。本来の使用価値を求めない、こういった消費活動はイメージを追いかけているだけに過ぎず、モノはすべて代替可能である。ボードリヤールのいう「生産」とは、「イメージの生産」であり、者に対して付加価値を与えることは無限に可能であるということから、「イメージの生産」の増大に限界はない。また、「欲求」はシステムの一要素として生み出されるため、代替可能である。人々は社会の一個人として自己および他者を意識し、常に他者との差異を求める(差異化への欲求)ため、次々と生産されるイメージを際限なく追いかけることになる。つまり、人々の消費活動は無限であり、個人的活動ではなくむしろ社会的活動であるといえる。

 さらに、ボードリヤールは、このような現代の消費社会は真に豊かではないとし、「真に豊かな社会」を未開社会に見出している。未開社会は、必要最低限の財だけを手に入れてすべて消費してしまうという意味で物質的には豊かではないが、人々の間に豊かに信頼関係が成り立っているという意味で真に豊かであるという。

 この著書を通して、ボードリヤールは社会システムに組み込まれ無限の欲求に突き動かされている大衆に警告を発し、また、真の豊かさを失った現代の消費社会について考えるきっかけを与えてくれたのではないだろうか。