キリスト教学B    
               8班 #9114〜9130


課題:「前アメリカ大統領レーガンの友人であったジャスティン・ダートは言った。私に言わせれば、大勢の人間を雇い多額の金を生み出すような事業だったら、それがそのまま人類への奉仕となるということだ。われわれのやることの中に欲が含まれていないものはない。欲からしていることだからといって何らやましいことはないのだ。」
 これらの言葉と我々が総合政策学部でやろうとしていることとの間に矛盾があるかどうかを検証しなさい。
 “THINK GLOBALLY,ACT LOCALLY” また学部の聖句は「仕えられる為ではなく、仕える為に」である。

 まず、答えとして矛盾は存在すると言える。なぜかと言うと、ジャスティン・ダートが言っている人類の奉仕となる事業は第一にお金を生み出すことを目的としており、オプションとして、その結果として、人類の貢献になる。しかし総合政策学部においては第一の目的がお金を生み出すことではなく人類への奉仕であるから、まずその着眼点が違う。次に彼が考える事業とは経済面の利益追求を重視しており、私たちが考えようとしているのは、総合的、世界的視野に立って作る政策だといえる。私利、私欲、金儲けなどの特殊意志の総和である全体意思をもとに、ジャスティンは政策を考えている。言いかえれば、人々の私的願望を満たせればそれがそのまま人類への奉仕になる。しかし私達は一般意志、すなわち個々の利己心を捨てた一体としての人民の意志をもとに考えているところに大きな差がある。
 ジャスティンが言うように、我々のやることに欲が含まれていないことはない。欲を全否定することは、生物学的に見て不可能である。しかし、欲をすべて肯定してしまったら、人類は共に生きていくことはできない。個人がそれぞれ自分の欲を主張し、権利を主張すれば、それに伴って共同体に対する義務が当然必要なのだ。権利と義務が互いに抑制しあって、はじめてその意味が生きてくるといえる。
 彼が言っているような事業は、アメリカの個人主義を表している例といえる。確かに、個人主義は多くの金を生み出し、私達の生活を物質的に豊かにしてきた。しかし同時に、精神的荒廃をもたらし、その結果多くの問題を生みだしたと言えよう。環境破壊、南北格差に始まり、このままでは地球社会の持続的発展が危ぶまれるところまできている。そしてその問題は個人では決して解決できないものであり、世界的共同体意識が必要であるのだ。
 分離と個体化が進み、さまざまな問題を目の当たりにして、人々は新しい共同体を求めている。その共同体というのは個人に意を払う強力な集団である。いいかえれば、啓蒙と解放の運動によってもたらされた自律性と、失われつつある連帯性を併せ持つ共同体であるといえる。その釣り合いが取れた世界こそ次に生まれるべき新しい世界であり、その構築はまさしく、我々総合政策学部でやろうとしていることである。