大塚久雄 『共同体の基礎理論』


≪略歴≫

1907年 京都に生まれる。
1924年 中学4年から三高(文乙)入学。
1927年 東京帝国大学経済学部入学。内村鑑三の聖書講義に出席(大学生の3年間)。
1929年 信州で内村鑑三に会い、マルクス主義とキリスト教信仰について示唆をうける。
1930年 東京帝国大学経済学部卒業、東京大学助手(任期3年)。
1933年 法政大学講師。
1938年 『株式会社発生史論』、『欧州経済史序説』出版。
1939年 東京大学経済学部助教授。
1944年 『近代欧州経済史序説(上巻)』出版。
1945年 東京大学経済学部教授。
1948年 『宗教改革と近代社会』出版。
1949年 『近代欧州経済史入門』出版。
1955年 『共同体の基礎理論』出版。
1965年 『国民経済』出版。
1966年 『社会科学の方法』出版。
1967年 『社会科学と信仰の間』出版。
1968年 東京大学定年退職、東京大学名誉教授となる。『近代化の人間的基礎』出版。
1969年 日本学士院賞。
1970年 国際基督教大学教授。
1975年 文化功労者。
1977年 『社会科学における人間』出版。
1978年 『生活の貧しさと心の貧しさ』出版。国際基督教大学客員教授。
1979年 『意味喪失の時代に生きる』、『歴史と現代』出版。
1985年 国際基督教大学を定年退職。
1992年 文化勲章。
1994年 『社会科学と信仰と』出版。
1996年 死去。

*『共同体の基礎理論』はなぜ著されたか?*

 「資本主義の発生と発展の過程は、他面からみれば、古い封建制の崩壊の過程であり、そのなかに「共同体の解体」(=「封建的共同体・ゲルマン的共同体」の解体)という重要な一節を含んでいる。したがって、資本主義の発展史を研究しようとするばあい、この「共同体の解体」の問題を避けてとおることはできない。…そうした共同体の究極的な崩壊を論ずるためには、まえもって、…「共同体」なるものの本質、成立と解体の諸条件を総体として少なくとも理論的に見とおしておく必要が生じてくる。」(第一版はしがきより)


≪読書案内≫

1.「土地」とは何であるか。

 「土地」とは、その内部に原始的な生活諸手段を包みこんでいる自然それ自体、ないしはその諸断片である。それはまた生産する諸個人にとって自然から与えられた労働の場所であり、生産活動にとって必要不可欠な原始的労働諸手段の一大倉庫でもある。そして生産力の発展段階に止っているかぎり、ある程度まで労働によって加工された生産諸手段(例えば労働要具、原料、助成材など)や生産諸資材、さらに消費諸資材までもが「土地」には含まれるのである。この段階においては、人間は未だ母なる大地の懐に抱かれたままの状態なのであり、人間はこのような「土地」に密着してのみ自己の生活を再生産できるのである(P.15〜19参照)。このように「富」の包括的な基盤ともいうべき「土地」は、「共同体」が成立するための物質的基礎であり、「共同体」が何よりもまず占取する対象なのである(P.12参照)。

※ 原始的=人間の手が加わることなしに、なお伏能的に自然から与えられたままのものであり、労働の成果ではなくて未だ自然そのものであるという意味

* *人間は自己が直接に占取する「土地」のなかから、生活手段として必要であるすべてのものを獲得できるとはかぎらない
  ―→「共同体」間の商品交換 ⇒⇒ 貨幣の発生
    =「「土地」の補充物として「貨幣」の堆積が形づくられる」(P.22〜23参照)

2.「共同体」とは何であるか?(第2章ー2)

《引用》
p、19> 人間は「土地」に密着してのみ自己の生活を再生産できるだけでなく、その限りで、自己の生活を十分に再生産できるのである。
p、29> 「共同体」は、…農耕生産力の一定度の発達を基盤として一連の段階的発展をとげた原始的な「血縁的共同組織」(単なる部族共同態)が「農業共同体」へと発展することによって成立したとされている。
p、55> 「共同体」とよばれる生産様式がたえまなく再生産されえていく過程においては、物質的土台である「土地」の占取についても、また成員諸個人の私的活動を全体のうちに包み込んでいく「共同態規範」についても、「共同体」自体(=共同組織)がまず主体として前面に現れてくることになる。
p、26> 「共同体」はなによりもまず、このような生産する自然的諸個人が「自然」状態から「歴史」のなかへ直接にもちこんだ原生的集団ないし血縁組織…そうした「原始共同態」と、根底において何らかの形で連関をもちつづけているような社会関係だ…。

「共同態」 → (土地の占取) → 「共同体」
 「共同体」="土地#という前提があって成り立つ社会的関係。
 「共同体」の成立≫
    血縁的共同組織(原始共同態) → 農業共同体
  土地≫占取された「大地」      生産的≫経済的な要素を帯びている
     根底: 共同態 ( 共同組織 )

《解答》
「土地」に根ざした共同組織。血縁関係から始まる集団が、生活をするために土地を耕し食べ物を生産する。その生産のための工夫が技術を生み出し、農業機具などのモノの生産を生み出す。しかし、この集団の成員である諸個人はまだ土地と密接に繋がっており、モノの交換だけで成り立つ生産様式に至っていない。諸個人は共同組織の中で再生産を行い、「共同体規制」によって諸個人の恣意は抑圧されている状態。

p、18> 労働主体である人間およびその労働手段の土地からの分離の度合いは、…「共同体」諸形態の差異を生み出す。

3.「アジア的形態」の共同体とはどのようなものか。

 アジア的形態の共同体とは、基本形態が血縁関係にもとづく「部族共同体」である。ここにおいては、共同体の成員諸個人に対する部族的「共同態規制」が圧倒的に強く、そのため私的個人はきわめて幼弱であるため、部族のなかに彼らは埋没している状態である。また「土地」の占取関係においては、部族あるいは血縁集団が土地の共同占取の主体となっており、わずかに「ヘレディウム」(宅地および庭畑地)だけが各家族によって永続的に私的占取(=私的所有)される土地の対象となっている。残りの「土地」、つまり富の基本形態である「土地」の主要部分は、「共同地」(=共同マルク)として、全面的に部族の共同占取(部族的共同所有)と規制のもとにおかれており、各家族は共同マルクの個別的利用は認められているが、それが永続的な私的所有となることはない(=「所有の欠如」)(P.75〜77参照)。このような「ヘレディウム」の私的占取と「共同マルク」の一時的利用は、「共同体」の成員である各家長(家父長制家族)の家族経済の必要と能力という実質に応じて行われ、その意味で共同態規制をささえる「平等」法則は「実質的平等」という姿をとっているのである(P.110参照)。
 以上より、アジア的形態の共同体とは、土地の私的な占取関係の進展度は低く、また血縁関係の弛緩度もごく弱いものである。

* *「「アジア的共同体」というカテゴリーは、実際には大塚史学の西洋中心主義が創出したフィクションにほかならない」(P.164 L9〜10)

4.「古典古代的形態」の共同体とはどのようなものか?(第三章―二項)

 「農業共同体」の第二形態とも考えられているのが、「都市」を中心として発達した「古典古代的形態」である。この形態はギリシア・ローマを中心とした古代地中海周辺地域で発達し、奴隷制社会の基礎を形作るものであった。
 「古典古代的な共同体は、その内部にアジア的形態の場合に比べて、はるかに高度な社会的分業(=生産諸力の分化)を包含している。」(P.99)このような進化が可能であったのは、原始ローマ人の共同体がすでに血縁制的規制が弛緩していたという理由があげられるが、またこの「社会的分業」がよりいっそう血縁制的規制の弛緩を促したともいえる。
 このような分業関係の拡充は=生産諸力を高め、それによって労働用具などの家族内蓄積は増大した。このことは家族内部における「家父長制支配」を強烈なものとし、その物質的基盤である「ヘレディウム」(宅地および庭畑地)の私有制もいっそう強固なものにした。
 血縁制的規制の決定的な弛緩、そして「ヘレディウム」の明確な形成とそれに照応する成員諸個人の私的活動の著しい高まりは、共同体内部における土地占取関係を「アジア的形態」の場合とは異なったものにした。「共同体」の全占取地は、私的かつ個別的に占取されている「私有地」と、「共同体」自体が所有している「公有地」とにわけられる。「アジア的形態」の「共同マルク」と比較した場合、「公有地」は「部族」共同的な「血縁制的規制」からすでに基本的に解放されていた点で異なっている。そしてその結果、ローマでは各市民は、この「公有地」に対して平等の権利を持ち、その一部を必要と能力に応じて「私的に」占取することができたのである。しかも、「私有地」は先占によって、たえず「公有地」を侵蝕していく。また、「公有地」は「共同労働としての戦闘」によってたんに防衛されるだけでなく、たえず新たに占取され追加されていくのである。
 「アジア的形態」では、血縁(部族)集団が基本的関係を形作っているのに対して、「古典古代的形態においては、私的諸個人がすでに共同態に対立していちおう確立されている。そしてアジア的形態では、「私的占取」と「共同マルク」がはっきりと分けて考えられていたのに対し、古典古代的形態では、土地の「私的占取」は明確かつ格段に「公有地」にむかって前進している点で異なっている。

5.「ゲルマン的形態」の共同体とはどのようなものか?(第三章二十三項)

 「ゲルマン的形態」は「農業共同体」の第三形態と考えられている。「ゲルマン的」共同体は、フランク王国の形成と拡大とともなって、その広大な征服地の各所に広がっていき、この「ゲルマン的」共同体を基盤とし、その内部から生じる階級構成を機軸としてヨーロッパ封建社会の全構造が形成されていった。
 「ゲルマン的」形態の共同体において、土地の共同占取および成員の私的活動に対する共同態規制の主体は、もはや古い「部族」的血縁組織や「半=都市」的戦闘組織なのではなく、土地占取者の隣人集団である「村落」になっている。このような「村落」を構成する個々の「家族」共同態は、「家父長制小家族」の形態をとっており、前述の「アジア的」な「家父長制大家族」、「同族団」と対照的である。また、「古典古代」形態におけるローマの「家長権」に比べ、支配の様相が異なったものとなっていた。「ゲルマン的」家族の場合には、家長の「保護の権力」は「保護の義務」も伴っており、したがって家族の各成員は、家長権に服しながらも、土地・財産の私的占取において、家長に対してある程度相対的に独立した地位をもつようになっていた。これから、「村落」共同体内部における成員諸個人の相対的自立と私的活動の度合いが、前述した他の共同体に比べて、いっそう進展していると言えるのである。
 次に、「土地」占取の概念についても、他の形態の共同体との間で差異が見られる。「ゲルマン的」共同体においては、「村落」全体によって「共同」に占取された土地は、その内部においてさらに各共同体成員(家長)によって、すべて「私的」に占取され、所有され、相続された。ここでの「土地」の私的占取は近代における、「個人による自由な私的占取」というわけではなく、共同体による一定の「共同体規制」の元での「総有」関係であった。
 「ゲルマン的」形態における「土地」概念は、「古典古代」形態の「公有地」と全く異なり、「共有地」も一定の大きさの共同権という「持分」の形で私的占取の対象となっている。つまり、「ゲルマン的」形態における「土地」概念は、「宅地および庭畑地」・「耕地」・「総有地持分」を指す「フーフェ」を私的に占取することによって、村民としての資格を得、また一個の「フーフェ」を各村民に対して同量分配することによって、「共同体」の基礎事実という「平等」法則を達成しているのである。つまり、「ゲルマン的」形態の共同体においては、他の諸形態の場合のように各成員家族の必要と能力という実質に応じて「土地」を私的に要求しまた与えられるというのではなく、「形式的」に「フーフェ」を割り当てあられているのである。この「土地」概念に対しての変化がもっとも、特筆すべき点であった。


★ディスカッションテーマ★

1. 共同体はどのようにして崩壊したか?その要因と考えられるものは何か。

キーワード
 土地の私的占取、個人的欲望、分業、「商品」と価値、余剰、
「再生産構造としての「共同体」は、決して、資本主義社会の基礎を形づくる「商品流通」のように全社会的な規模における単一の構成として現われるものではありえない」(P.55 L6〜8)

《引用》
≫共同体崩壊に繋がる性格が共同体の要素の中に既にある、
p、28> 「共同体」という基盤の上に築かれている社会諸関係が、何らかのかたちにおいて、つねに「経済的」な性格をおびて現れてくる…この事実がすでにそうした「共同体」のもつ原始的な性格のうちに深く根ざしている…。

p、41≫ …「分業」の展開として、すなわち個人的な生産諸力の新たな形成と拡充という形をとって進展することになっていく。こうして、生産諸力の発達にともなって、とくに牧畜から定着農耕への移行の過程に、「共同態」をなして生産しつつある諸個人のもとに「生産された労働要具」の私的な蓄積がしだいに増大してくる。
p、42> 分業が古い血縁的秩序の中に一つの裂け目が、、、
p、55> 生産力の発達に伴い、分業が諸個人の生産力を増加し、私的占取が、土地を前提にした生産から離れ、土地に代わる貨幣に見られる物物交換の生産が成り立つようになったとき、生産を「土地」を基礎において成り立つ「共同体」は崩壊する。

"共同体#の崩壊= 商品および流通が基礎基底となっている。
             (資本主義の成立(封建主義の崩壊))

 大塚久雄は、史実を理論の材料にする歴史理論のアプローチをとり、経済学の研究結果(特にマルクス、ウェーバー)を手がかりに、共同体の崩壊という現象を説明している。
 歴史の中で見られる生産様式の諸段階を捉え、共同体の崩壊を資本主義的生産様式が境界になっているとした。資本主義的生産様式は、商品または流通を基礎として成り立ち、「共同体」の基礎・前提となる「土地」と関わりから生まれる生産から離れた私的占取が膨れ上がった生産関係といえる。従って、「共同体」の崩壊は、資本主義的生産様式の成立といえるのである。
 「経済学は資本主義以前の諸社会の基本構成をも資本主義社会との対比において照らし出すという成果を、いわば副産物としてあげている(p、9)」ことから、彼は共同体の崩壊を説明したため、全てを対象化するという前提をもつ経済学の基礎的な見方を疑うことをしてない。

2.共同体は現代において回復可能なのかどうか?

『生活の貧しさと心の貧しさ』より
 「自分は人なみではない。恥ずかしくて人前になど出られない。彼は自分の内面において名誉感といいますか、そういうものを完全に喪失してしまっている。自分がこの世の中に生きている積極的意味などどうしても見出せない。人々に誇り得るような、あるいは、分け与えうるような内面的な財というものを、何ももっていない。こうして内側がまったく空っぽになっている。…これが精神的貧困であり、心の貧しさだと思います。
 …現在わが国においては、いわゆる高度成長によって、社会の経済的な諸事情がひじょうに変わってきた。いってみれば、経済的な貧しさとははっきりと違った心の貧しさがしだいに前面に出てくるようになった。心の貧しさの問題というものが、生活の貧しさの問題と並んで、しだいにはっきりと認識されるようになり、重要な意味をもつようになってきた、…経済的貧困という重要問題のいわば付録として精神的貧困の問題が現われてくるというものではなく、むしろ、そもそも精神的貧困の問題が何らかの形であらかじめ解決されているのでなければ、経済的貧困の問題も解決のめどが見出されない。…
 …奴隷たちがどうしても奴隷の境遇から脱れ出ようと決意するようになるのは、奴隷状態が自分たちに人間としての品位を失わせ、この社会で生きていく積極的な意味を見出すことができないと感じて、心がほんとうに貧しくなったときです。それによって彼らの価値観が転倒したときです。経済的貧困のばあいも同じで、そうした状態にあるだけでは、それを無くそう、現状を乗り越えてさらによい状態を作り出そう、というような理想を追求する行動は出てこない。それが精神的貧困あるいは心の貧しさを生み、それに裏打ちされて、彼らの内面で価値の転倒がおこなわれたときにはじめて、現状を変え、理想により近い状態を作り出していこうということになるわけです。」

『意味喪失の時代に生きる』より
 「現代の、とりわけ文明諸国においては、世界が、そしてそのなかでおこなわれている人間のすべての営みが急速に意味を失いつつある。いや、世界はそうした意味に満ちていた、といってもよいでしょう。ところが、その、世界がおびていたさまざまな意味が、いまやかき消すように失われつつある。そういう「世界の意味喪失」ともいうべき現象が現在文明諸国に拡がりつつある。…
 …世界の意味喪失の動きはそうしたことだけに止まらないで、ちょうど赤ん坊を湯桶の水といっしょに流してしまうように、人類の生存にとって不可欠と考えねばならぬさまざまな意味、それを究極においてささえる諸価値とのつながりをさえ消し去ってしまう、そうした結果を生みはじめたのです。
 …しかし、なかでももっとも重大なことは、人々が生きることの意味を見失ってしまったように思われることです。何のために生きているのか、その意味が分からない。生きていることの意味が分からなければ、人々の生きがいも失われてしまう。
 …現代文化を貫いている形式合理的な思考、その原則にしたがう思索のなかにわれわれが止まっている限り、この問題の解明はありえないのではないか」




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