デュルケーム「自殺論」講義録(2001年4月19日)




 デュルケームの生きていた時代は、フランスが普仏戦争でプロイセンに敗れ、第三共和国の時代にあった。この時代は、同時に、人々のあいだに近代個人主義思想が広まっていった時代でもあった。当時、社会的分業の発達した近代社会において、個々人は血縁関係による結びつきから離れ、次第に自由な一個人という意識を強く持ち始めていた。デュルケームは、自殺は三つのパターンに分類することができるとしている。第一に、ある個人の属する集団の凝集性が弱く、他者との結束力が低いことが原因となって起こる、「自己本位的自殺」。第二に、集団の凝集性がきわめて強く、その集団にたいする一体感や帰属性が強いことが原因となる、「集団本位的自殺」。そして、第三に、ある社会が危機に見舞われ、いわゆるアノミー、つまり無規制状態に陥る際に起こる、「アノミー的自殺」である。そして、デュルケームは当時商工業に携わる人々のあいだで自殺率が増加した原因を次のように説明している。「当時の商工業界は、19世紀初めからあらゆる産業において規制緩和がなされ、産業界は著しく繁栄していた。しかし、この社会的無規制状態(アノミー状態)が人々に限りない欲求を生み出させることとなり、社会における自殺率が急増したのではないか」と。そして、その対処法として、国家と個々人との中間にさまざまの地域集団や同業組合を結成し、これを政策決定や立法の基礎とすることによって人々の欲望は規制され、無規制状態を解消することができるとした。
 ところで、自由とはわれわれにとってどのようなものなのか。それは、何の抑圧もなく欲望を発することの可能な状態のことか。しかし、われわれの欲望は限りなく、もし何ものにも規制されなければ(アノミー状態)、それは過度にふくらみ、われわれを苦悩させることになる。つまり、自由とは束縛あってのものだといえるのではないか。
 さて、社会学が一科学としてまだ完全に確立されていなかった時代において、デュルケームは人々の行動あるいは思考の様式であるさまざまな制度から社会全体とらえるという総合的社会学の立場をとり、社会学とは客観的で経験的なものであるべきだとした。この客観性の重要性を強調する意味でも、彼は動機や原因などの調査、つまり意識調査が不可能な「自殺」をテーマとしてとりあげたのではないだろうか。そして、実際に「自殺」を取り上げることで、「自殺」を客観視させ、「自殺論」が人々の「自殺」の抑止力になることを願ったのではないだろうか。さらに、個人がその原因とされがちな「自殺」を社会に原因を求めることで人々に社会学の重要性を訴えかけ、「自殺」を三つに分類化することによって説得力を持たせたといえる。




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