自身の研究テーマは「家庭における教育」である。家族成員が互いを理解し、共通の家族文化を持ち、家庭に対する自身の帰属意識を強めることでその家庭は安定し、各家族成員は自分の家庭に自身のよりどころを見出す。家庭教育はこれらを実現するために必要不可欠な手段である。
近代以降の核家族化にともない、家庭と他の社会集団(祖父母を含む親戚、地域や学校)の関係が変化し、家庭教育も大きく変わって、各家庭が安定を築くことが難しくなっている。それが少年犯罪、学級崩壊、家庭内暴力、家庭崩壊など様々な社会問題の大きな要因ともなっているのではないだろうか。そこで、「家庭教育のあり方」をもう一度考え直すことが現代社会において非常に有効であると考える。
核家族化という社会現象こそが家庭教育を大きく変化せしめ、現代の家庭を不安定なものにした要因であるとするならば、そのような研究テーマの足がかりとして、核家族化現象を考察しておく必要がある。よって、本論文では、家庭を最小単位の社会集団と位置付け、ゲオルク・ジンメルの『社会的分化論』のモデルを適応させることで、核家族化の原因とそれにともなう家庭への影響を思索する。具体的には、核家族化を引き起こした産業形態・社会形態の変化(社会の分化)がどのようなものであったのか、またそれが家庭と他の社会集団との関係そして家族成員同士の関係をどのように変化させたのかを述べる。
第一編 日本の社会分化と核家族化
第一章 核家族化とは
第一節 一般的な「核家族化」理解
第二節 「核家族化現象」の指す本当の意味
第二章 核家族化を促した要因とその動向(戦後日本における社会分化)
第一節 産業における分化(核家族化を促した要因)
第二節 地域における分化(家庭と地域の分離)
1.農村社会から企業社会へ
2.都市化現象
3.家庭と地域の分離(地域における分化)
第三節 親戚体系における分化(拡大家族から核家族へ)
1.産業構造の変化による影響
2.制度上の変化による影響
第四節 家庭における分化(家庭成員の分離)
第二編 教育と核家族化
第一章 教育における分化(日本における教育の変化)
第二章 核家族化と家庭教育
第一節 家庭教育の重要性
第二節 核家族化による家庭教育の変化
一般的に、「核家族化」は、核家族率の増加を表す言葉として理解され、その進行度は数値で示されることが多い。核家族率とは、前世帯数に占める核家族世帯数の比率であって、国勢調査では、核家族率を産出する際、「核家族世帯総数/普通世帯数×100」という方式(従来方式)が一般的に行われてきた。ところが、国勢調査では、核家族世帯は、夫婦とその子供からなる世帯だけではなく、夫婦のみの世帯、母子世帯、父子世帯をも含んでおり、正確な核家族率を表すのに不十分だと指摘する学者が多い。本論文で参考文献として使用する『新しい家族社会学』(培風館)でも、従来方式より「核家族世帯総数/親族世帯総数×100」の方式の方が妥当であるとし、これを用いている。
上記四種の世帯を含めて算出する従来方式では、核家族率は1920年から1955年まで35年間で3.2%上昇しており、1955年以降の20年間では12.1%の上昇を記録した。なお、1975〜95年の最近の20年間は5.1%の上昇に留まり、この間はむしろ明らかな低下を示している。一方、夫婦家族の比率を算出する方式では、1920年以降1995年の最近段階に至るまで、一貫して上昇している註2 。この二つの方式をとってみても、その数値には大きな差があり、核家族化の現象を核家族率の変化から数的に測定して捉えることは難しく、このような解釈では核家族化現象を正確に捉えることはできない。
さらに、核家族率の増加は世界の様々な国で著しく見られるにもかかわらず、核家族化という用語はどの国でも用いられない。というのも、この言葉は日本の造語であり、実際には日本でしか使われていないからである。また、核家族化は様々な社会変化を含む現象であり、本来複合的な概念を含んだ言葉である。したがって、核家族化は核家族率の増加だけでなく、それ以外の意味をも含んだ用語として捉える必要がある。
ゲオルク・ジンメルが社会学を確立する際、「社会」は単なる人口の総和ではなく、個人と個人、個人と集団、集団と集団の相互作用の合計であると定義づけた註3 が、彼の考え方をベースにするなら、社会の最小単位の集団である「家族」は、家族成員同士、家族成員とその家族全体、その家族と他の家族を含む他の社会集団との相互作用、関係の合計であると定義づけることができる。(以下の文では、このような意味で家族という言葉を用いる際は、「家庭」という言葉を用いることにする。)
家庭が単に家族成員の総和ではないとするなら、核家族化現象も、単に家族構成やその規模の変化を示す核家族化率の変動を見るだけでは十分に理解することはできない。(もちろん、数的測定の信頼性が低いという問題もある。)そこで、本論文では、核家族化を「各家庭が地域との関係、祖父母を含む親戚との関係を弱め、一個の家庭として独立して存在する傾向が強いような社会的状態」を指す言葉として用いることにする註4 。
したがって、このような核家族化現象を理解するためには、日本において、核家族と親戚の関係、家庭と地域の関係、そして家庭成員同士の関係がどのように変化したのかを見ていく必要がある。
第二章では、日本で核家族化が引き起こされた大きな要因として産業構造の変化(産業における分化)を取り上げ、その後、核家族化現象の側面として、家庭と地域の分離と核家族と親戚との分離がどのように進行したのか、そして家族成員同士の結束の弛緩について思索する。
日本では、戦後1950年代後半から70年前半にかけて、高度成長を達成したが、この間、産業構造も大きく変貌した註5 。就業者人口を産業別に見ると、第一次産業(農林水産業)の比重が低下し、第二次産業(製造業、建築業などの加工業)の比重が上昇している。また、近年では第三次産業(サービス業)に就業する割合が急激に増えている。
このような産業構造の変化が起きた大きな理由は、それぞれの産業の持つ特性にある。農業の役割は、基本的に人々の食生活を支えることであり、人々の最低限の満たされるべき欲求を満たすための生産を行なうことである。農業は土地に根ざした産業であるため、土地の生産性によって制限を受ける。そのため、資本主義が導入される以前の農村社会では、生活に必要なだけ生産を行なう。一方、農業部門とは異なり、商工業部門で生み出される製品やサービスは、人びとの生活によりいっそうの便利性を与えるものであり、その意味で、工業製品やサービスは、(工業が人々の生活に必要不可欠な衣・住を支える役割を多少担ってはいるものの)人びとが物質的不自由なく生活を送れるような社会においても、無制限にその欲求を刺激し、その都度新たな需要を生み出すことができる。
したがって、農産物に関しては、ある一定の生産量があれば消費者の需要が満たされ、人々の生活水準がある程度の段階に達すると生産を拡大するよりもその生産量を維持しようとする傾向が強くなる。ところが、商工業においては、技術の発達とともに新たな製品・サービスの開発がなされ、それによって新たに生み出された需要を満たすためにさらなる生産の拡大が行なわれる。また、商工業の分野では、その市場の拡大にともなって、様々な職業が分化し、新たな労働力の需要も生み出される。例えば、大きなレベルでは、もともと一企業で生産していたある製品が、生産量の増大により従業員も増大し、部品メーカーと組み立てメーカーとで分けて生産されるようになり、それぞれの生産ルートをつなぐための運送業や情報産業が生まれている。小さなレベルでは、一企業が、商品開発部や生産管理部、人事部、経理・財務などの部署に分かれており、多種多様に分業化が進んでいる。このようにして、分業化が進み職業が増えることで、その分、より大きな労働力が必要とされるようになっている。
以上のことは、「経済発展にともない、一人当り所得が増大するにしたがい、第一次産業から第二次産業、第三次産業へと労働力の比重が移動していく 」という統計的経済法則、「ペティーの法則」に当てはめると、より明確になる。この法則に基づくと、産業構造のこのような変化は資本主義体制を敷いた社会の自然な流れであると言える。その理由として、経済成長にともなう労働力の需要と消費者の需要の変化が挙げられる。生産力を高めることが比較的難しい第一次産業よりも、生産性の高い第二次産業の方がより高い所得を得られ、また労働力の需要も後者のほうが高い。また、所得水準が上がると、農作物などの一次産品の需要と比較して家電製品などの二次産品の需要が急激に高まる。したがって、農業技術の進歩や農業の機械化によって第一次産業の生産性が高まり国民の所得水準が上がると、必然的に二次産業へと労働力の比重が移動する。その後、さらに生活水準が上がって二次産品が普及すると、より高度な付加価値が得られるサービスの需要が高まり、今度は第三次産業へと移っていく。このように、より経済成長を促すような産業に重心を移していくことは国の経済力を底上げするため、戦後、資本主義体制の下で経済成長による国力の増大を図ってきた日本では、農業よりも工業、そして商業に力が注がれるようになり、現在の日本経済は、第二次・第三次産業に重心を置く構造になっている。
第一次産業から第二次、第三次産業へという産業構造の変化は、日本の地域社会に大きな変化をもたらした。一つは、農村社会として成り立っていた日本社会が企業社会に取って代わったことである。
日本が政治的に封建社会から脱却した明治初め、全就業者人口のうち8割以上は農業に従事していた。その後、資本主義対体制を導入し富国強兵政策をとった日本は、着実に経済を成長させ、それとともに農業従事者が徐々に減少していった。第二次世界大戦後には減少が加速化し、敗戦して20年経った1967年には2割を切り、さらに1978年には1割を切って、現在はほぼ0.5割にまで落ち込んでいる。労働統計年報によると、1995年における日本の全就業者のうち、農林漁業の自営業に5%、農林漁業以外の自営業に14%、その他は大小の企業および官公庁に81%が従事している註6 。したがって、現代の日本における労働者の大多数が、サラリーマンとして企業や官庁に勤めているということになる。このことから、日本の社会形態は、産業構造の変化によって農村社会から企業社会(工業社会)へと移行したと言える。
日本の伝統的な農村社会と企業社会の大きな違いは、その仕事の形態である。農村社会では、仕事場と家庭は密接しており、家が生活の場であり仕事場でもあった。家庭に生活する全家族成員が、家業としての仕事を担っていた。特に農業の機械化・農業技術の向上がそれほど進んでいなかった頃は、作業に多大な肉体労働を必要とし、すべての家族成員が労働に参加することで家業を成り立たせていた。したがって、家族成員同士が過ごす時間も多く、その関係も必然的に強固なものになっていた。また、農村社会では地域住民の助け合いも欠かせない。村落共同体と呼ばれるように、農村では水や土地の管理は地域全体で行ない、田植えや刈入れの時期には各家庭が共同して農作業を行なっていたため、隣近所の人々との付き合いは必須であり、各家庭の交流が盛んであった。しかし、逆に、地域全体のつながりが強い関係が強いがゆえに、他の家庭に縛られることが多いという面もあった。以上のように、職業形態によって規定される農村社会の主な特徴として、仕事場と家庭の一致、家族成員間および地域と家庭の強固なつながりが挙げられる。では、企業社会に移行した後、社会はどのように変わったのだろうか。
戦後、産業化によって工場生産が普及すると、人々は家庭から離れた職場で働くようになった。家庭から離れた場所での労働は、農業とは違い、他の家庭成員や地元の住民たちではなく、同じように地方から働きに出てきた他の労働者と共に働くことになる。したがって、職場の人間関係は、地域や家庭での人間関係とは全く別のものとして形成される。先述したように、第二次・第三次産業では、生産性の向上を目指して常に効率化が行なわれる。このような職業の分化が進めば進むほど、仕事にかける時間が増え、家族成員や他の家庭と過ごす時間が当然少なくなり、人々の関係が弱くなる。企業社会では、就業者の大多数がサラリーマンとして商工業に従事しているので、ほとんどの家庭が仕事場と分離し、各家庭内での家族成員同士のつながりや地域における各家庭のつながりが弛緩する傾向は非常に強い。以上のように、農村社会から企業社会へ移行したことによって、仕事場と家庭の分離、家族成員間および地域と家庭のつながりの弛緩、共同体の解体などが起こり、社会の特徴が大きく変わった。
日本では、商工業に重点が置かれたことによって、伝統的な農村社会から企業社会へと移行し、それと同時に農村から都市へと大量の人口流出が起こった。このような現象を都市化という。
経済が発展し、多くの工場が都市に建設されるようになると、多くの人が職を求めて地方の農村から都市へと流入した。都市化の初期段階では、出稼ぎとして都市部に働きに出ても、職を失ったりして生活に困った時は再び農村に舞い戻るというように、多くの人は生まれ育った農村をよりどころにしていた。しかし、経済が成長するにしたがって、都市部での労働賃金の上昇、労働条件の改善が進むと、農村から都会へと移り住み、そこで家庭を築く人が増え、都市部を中心として次々に新しい町ができていった。このようにしてできた町は、移り住んだ人々にとって、住み慣れない土地であり、見知らぬ人々の集まりである。そのような地域では、人々は一から人間関係を作り上げなければならない。でなければ、コミュニティーは未形成のままとなってしまう。ところが、都市化の進んだ企業社会では、各家庭の父親は労働者として働きに出て、家庭を任された母親は家事と育児に専念する。都市化によって進行するこのような家庭内の分業化は、個々人の仕事量を増やすことになり、人々が他の家族成員や地域の人々との交流に時間を割くことを困難にした。また、都会に住む人々の多くは、互いに忙しいということを知っているので、人々は次第に近所づきあいを省略する傾向が強まった。こうして、他者に対して無関心を装うことことが都会における「暗黙の了解」となり、これが一種の都会の文化とも言われている。
経済が発展し、農業よりも工業・商業が重視されるようになり、都市に人口が集中し、農村社会から企業社会へと移ってきたことで、社会の人々の関係が大きく変化してきている。ジンメルの言葉で表現するなら、これはまさに「力の節約」による「社会の分化」である註7 。産業化を推し進める中で、人々は重労働を分業化・機械化し、軽労働・高利益・高収入を実現した。このようにして、力の節約によって職業の分化が行なわれ、合理性が生まれたのだが、力の節約が行なわれたのは労働の場面だけではない。人々は、日常生活の上でも、できるだけ無駄な作業を省いた生活を送ることができるようになった。洗濯機、掃除機、冷蔵庫など家電製品の普及により、家事が分業化・機械化され、主婦は一日によりたくさんの仕事をこなすことができるようになった。しかし、企業社会の下では、他者との競争によって効率性・利潤の追求が求められる。将来、社会で働き手となる子供たちにとっては、競争に打ち勝つための学歴や能力をつけることが課題となり、多くの母親たちが余った時間を子供の教育に費やすようになった。
こうして、先に触れた企業社会への移行、都市化などの社会における合理化は、地域を分化し、それぞれの家庭を分離させた。それは、各家庭の地域からの孤立(家庭と地域の分離)という面での核家族化である。多くの都市で、犯罪率が高いのは、地域住民が互いに文化を共有したり共通規範を持ったりことができず、地域でコミュニティーがうまく形成されていないからではないだろうか。この意味で、社会の分化は合理性の正の要素だけでなく、負の要素も生んだのが現代社会であると言える。
産業構造の変化は、家庭と地域の関係だけでなく、核家族とその親戚との関係にも変化を与えた。日本の伝統的な農村社会の大多数を占めていた「拡大家族(祖父母や孫のような直系親族および/あるいは同胞の家族のような傍系親族を含む家族)」が解体し、「核家族(夫婦とその子どものみの家族)」および「小家族(家族成員が5名以下の家族)」が増加した。拡大家族は、家庭内で農業の働き手を十分に確保できるという点で、農村社会で生活するために最も有効な家族形態であった。しかし、多くの人々がふるさとの農村を離れて都会に移り住んだこと、産業化が進んで個人の収入が大幅に増え、たとえ小規模な家庭であっても自立して生活を営むことができるようになったことで、核家族、小家族の割合が急増したのである。核家族が都会で自立して暮らす傾向が強まったことによって、親戚とのつながりが弱まり、小規模家族、つまり子供が少ない家族が増えたことで、必然的に親戚の数自体が減ってきている。
家族の構成・規模の変化を引き起こした要因として、産業構造の変化だけでなく、制度上の変革も挙げられる。戦後、伝統的家制度であった「家父長制度」が廃止されたことによって、夫婦家族制の理念(夫婦単位の家族形成が模範・モデルとされる)が社会に浸透し始めた。各家族が個別に暮らすことが社会で容認され、核家族が増えるにしたがって、「家父長制度」によって保たれていた親戚同士のつながりが弱くなっている。このことも核家族化を促進する一要因となっている。
山根氏は彼の著作『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』において、日本では「核家族化」という言葉が家制度と対立するものとして用いられているということを指摘している。日本では、戦後、父系的な世帯連続を理想とする家父長的家制度が廃止され、新しい憲法に基づく民主的な家族法が制定された。日本において本格的な核家族化は、血縁を重視する伝統的家制度からの解放というこのような制度上の変革によって可能となった。
山根氏は、家族を「基本的に、姻縁と血縁の広がりからなる親族の一部で、そこには必然的に世帯構成、家族連続性、居住様式、親族結合、権威の所在に関してルールがある註8 」ものだとし、日本の核家族化をこれに基づいて次のように特徴づけている。
(以下、山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』p.64-65参照)
第一に、核家族が世帯として独立するということは、子が結婚または独立を契機として、親と生活を分離することを意味する。
第二に、核家族の独立は、家族が、世代から世代へと継承され連続的な性質から一世代限りで自己完結的な性質へ移行することである。
第三に、核家族は、居住様式の点で、結婚した夫婦が夫の親と居をともにするよりも、親と離れて新しく居を構える傾向にあると言える。
第四に、親族結合の点では、結婚後、妻は夫方に、子は父方に所属し、親族結合のあり方が第一義的に夫方=父方に偏向しているような形態から、家族員の所属が父方でも母方でもなく、核家族それ自体であり、家族ネットワークが原則として夫方、妻方のいずれにも偏向せず、専ら選択的である形態へ移行したと言える。
第五に、核家族化は、家族内の権威が第一義的に父に集中し、性・年齢のヒエラルキーが存して、強制と差別の原理が支配するような「家父長制」から脱却し、人格の尊厳、すなわち個人の自由意志を尊重し、選択と平等の原理に基づく「個人主義」を実現することである。
以上のように、制度の上で家父長制度が廃止され個人主義が重んじられるようになったことで、人々の意識が変化し、核家族が社会的に容認されるようになって、本格的な社会現象として核家族化が日本で見られるようになったと考えられる。
産業構造の変化によって、核家族が増えたり、家族の規模が小さくなったりしたこと、そして制度の変革により個人主義が尊重されるようになったことで、核家族と祖父母を含む親戚との分離という面での核家族化現象が進行している。この親戚との分離も、『社会的分化論』に沿って言い換えると、親戚体系の分化であると言える。生活水準の向上、個人主義の浸透によって、核家族が自立して生活を送ることが可能になり、個々人は自身の家庭を維持することのみに専念できるようになった。しかし、そのように各家庭が効率化を図り、親戚との交流を省略する傾向が強まったことで、その関係は非常に崩れやすくなっている。
以上、日本で核家族化現象が引き起こされた原因と、この社会現象の持ついくつかの側面について見てきた。ところで、核家族化現象を『社会的分化論』的に言い換えるならば、地域レベル、親戚レベルでの社会の分化現象であると言うことができる。社会の発達段階が進むにしたがって、産業の分化、職業の分化、地域の分化、親戚体系の分化が進み、他の社会集団とのゆるい関係の中で、各家庭は分離・自立して生活を営むようになった。しかし、分化現象はさらに進む。ジンメルは、「発達の過程は、異質的な諸圏から同質的な要素を取り出して連合させる方向に向かって進む。だから家族は、はじめはきわめて緊密にその結合に依存している多数のさまざま個人を包含している。だが発達が進むにつれて、家族の個々人は、この原初的な連合圏の外側にいて、その連合圏のかわりに素質や性癖や活動などの事実的な類似性によって関係しあう人々と、結合するようになる。註9 」とし、社会が発達することで、各家族成員が他の家族成員が関連していない社会集団に所属するようになって、家族成員同士のつながりが次第に弱まっていくと指摘している。これは、現代の日本の家族にも当てはまる。父親は会社、母親は家(あるいは共働きにより別の職場)、子供は学校というように、ひとつの家庭であっても、各人がまったく別の社会集団の中で人間関係を築くことが多い。このようにして、家族成員が家庭以外の社会集団で過ごす機会が多くなればなるほど、家庭で過ごす時間が減り、個々人の持つ知識や経験はほかの家族成員とは異質で個性的なものとなる。つまり、個々人の持つ知識や記憶のうち、他の家族成員と共有する割合が減る、その共通の家庭文化や規範を共有することが難しくなってきているのである。これは、核家族化現象の地域の分化や親戚体系の分化の過程にも見られた特徴であり、「社会圏が拡大すればするほど、その圏だけが共有しうるものはますます少なくなり、そして拡大そのものは分化が進むことによってはじめて可能となり、したがってこの分化の程度と共同的な内容の大きさとは、反比例する註10 」というジンメルの論理に当てはまる。互いに共有するものが減ると、その間に強い関係を結ぶことが難しくなる。このような悪循環によって、家庭の分化が促進され、現代日本で家庭崩壊が社会問題として表面化してきたのではないだろうか。
本論文では、ここまで核家族化現象がどのようなものであり、どのようにしてそれが引き起こされたのかを見てきた。そして、現代日本の家庭における傾向・問題にも触れた。本編では、これらのことを踏まえ、著者の真の関心である「家庭教育」について触れていきたい。以下、第一章で日本における教育について軽く触れた後、第二章以降で核家族化が家庭教育に実際にどのような変化をもたらしたのか述べる。
戦後日本では、経済成長によって国家の制度が整備され、教育制度も充実し、現在では教育一般はすべて学校に任せられられるようになった。従来の青少年の教育は、家庭・地域・学校が一体となって行なわれていたが、分業化によってそれぞれの機関が別々に機能するようになっている。農村社会では、子供たちは、農作業を通して地域の人、親戚、家族と人間関係を築き、生きていくための知識と知恵を学んだ。学校も地域に根ざしているようなところがほとんどで、先生と地域住民とは顔見知りであった。家庭・地域・学校の交流の機会が非常に多く、つながりも強かったため、すべての機関が共同で教育に携わっていたと言える。ところが、企業社会においては、家庭・地域・学校が分化し、それぞれが担う働きも専門化していったため、すべての機関の共同で行なわれていた総合的教育が不可能になってしまった。
また、社会の変化として、高学歴化が挙げられる。本論文の前半部分での述べたように、分業化が進んだ現代の企業社会の下では、他者との競争による効率性・利潤の追求が行なわれる。雇用者はより能力のある労働者を雇用し、その判断基準として学歴が用いられるようになった。労働者は、農村社会でのように実家の農業を継ぐという昔の形態が崩れたため、安定した生活を送れるかどうかはどれだけ学歴を積むかにかかっていた。こうして、産業構造が変化したことによって、学歴社会化が促進した。各家庭では、競争に打ち勝つための学力をつけるため、子供たちに多額の養育費を費やすようになった。多くの子供たちが、学校だけでなく塾にも通うようになり、勉強に時間と労力を費やすようになった。母親は子供の教育に専念し、父親は養育費を稼ぐために仕事に専念する。このようにして、さらに家庭における分化が進行し、各家庭が教育に力を入れれば入れるほど、競争率も高くなって、より学歴化が進められてしまった。
人間は、他者と共同生活を営み、互いに助け合うことで種を繁栄させてきた。そのような社会的な動物である人間にとって、他者と関係を築く能力、社会に適応する能力は必要不可欠である。そのような能力を築くための過程を社会化という。つまり社会化とは、動物として生まれた人間の子供が自身の属する社会の行動様式や生活習慣を学習し、その社会の正規の成員に仕立て上げられる過程のことである註11 。各個人は、所属する様々な社会集団における人間関係を通じて、社会の成員として生きるための知識や技術・規範などを身に付けていくのだが、中でも彼らが最初に所属する社会集団が家族であり、そこでの社会化は最も基本的で人格形成の上で非常に重要な意味を持つ。したがって、家族の持つ様々な機能のうちで最も重要な機能が教育機能、つまり育児を含む家庭教育であると言える。
家族は社会における一番基本となる社会集団であり、それ自体が社会の様式や文化によって成り立っている。産業化や都市化などの日本における様々な社会変化が核家族化現象を引き起こしたことからも自明であるが、社会の変化にともなって家族も大きく変化する。また、家族の変化は家族の持つ機能にも大きな影響を与えることになる。では、核家族化は、家庭教育という家族の機能にいったいどのような影響を与えているのだろうか。
家庭教育は、子供の人格形成において欠かせない。子供は自分の親や兄弟など家庭内での人間関係の中で、幼い頃から社会に適応するための能力を養う。ところが、核家族化が進み、子供たちは地域、親戚、他の家族成員と交流する機会が減って、家庭の持つ人間関係に対処する能力を養う機能が低下している。子供の教育にとって、地域、親戚との交流は非常に大切である。それは、一家庭の中だけで教育が行なわれると、偏った教育になりがちだからである。ここで私が言う教育とは、もちろん倫理教育のことである。倫理教育とは、本来人間が社会の一員として守るべき規範やモラルを養うためのものである。社会の規範やモラルは、その社会においては一般的に普遍的で、全社会成員が共通して持っているべきものである。核家族化が進行する以前、子供たちは、多くの大人たちとの交流によって、すべての大人たちが持つ規範を総合し、社会の倫理規範を学び取ることができた。ところが、祖父母とはなれて暮らす、親戚との交流があまりない、近所の人たちとの交流もない、学校の先生は倫理教育ではなく受験のための教育をする、という現在の生活環境では、子供たちにとって、正しい倫理教育を受けることは非常に難しくなっている。社会の分業化が進み、親戚や地域の他の家庭、そして学校との分離が進んでしまった今では、なかなかこのような状況を覆すことは難しい。しかし、家庭環境を支え、取りまとめる役割を担う親たちが、子供たちの育児・教育について改めて考え直し、親戚や地域との関係、家庭内の関係を大切にしようと心がけるならば、状況はよりよい方向に進むはずである。
(注1)
「核家族」に対する語として、祖父母や孫のような直系親族および/あるいは同胞の家族のような傍系親族を含む家族を指す「拡大家族」と、一夫多妻のような複数婚による家族を指す「複婚家族」がある。(山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』p.57参照)
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(注2)
森岡清美・望月嵩『新しい家族社会学』p. 158−160参照
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(注3)
「社会という概念はいうまでもなく、個々人のたんなる合計とはなんらかの意味で異なる場合にのみ意味があるのではないか」「社会という名称は、たんにそれら(社会の構成部分)の相互作用に対するものであって・・・」(ゲオルク・ジンメル『社会的分化論』p.390,p.393)
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(注4)
山根氏も、核家族化を「基本的に、父母子から成る二世帯の構成単位が、親族体系のなかで、より明確な境界(boundary)をもち、また生活単位として親族体系および地域社会から、より独立した私的存在となる過程である」と定義づけている。(山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』)
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(注5)
金森久雄・香西泰:編『日本経済読本』p.163-164
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(注6)
山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』p140-141参照
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(注7)
「目的活動をさまたげるものには三通りあり、これを避けることによって力は節約される。その三通りのものとは、手段の摩擦と迂回と重複である。・・・中略・・・分化の進化論的利点は、ほとんど、ここにしめされた三方向のすべてにおいて力を節約することである。」(ゲオルク・ジンメル「社会的分化論」尾高邦雄:編『世界の名著47』p.504-505)
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(注8)
山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』p.64
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(注9)
ゲオルク・ジンメル「社会的分化論」尾高邦雄:編『世界の名著47』p.185-186
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(注10)
ゲオルク・ジンメル「社会的分化論」尾高邦雄:編『世界の名著47』p.459
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(注11)
森岡清美・望月嵩『新しい家族社会学』p124-127参照
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ゲオルク・ジンメル「社会的分化論」尾高邦雄:編『世界の名著47』中央公論社S43.11.20
山根常男『家族と社会―社会生態学の理論を目ざして』家政教育社1998.10.15
森岡清美・望月嵩『新しい家族社会学(第四版)』培風館1997.12.18
金森久雄・香西泰:編『日本経済読本』東洋経済新報社1997.7.17
木下謙治『家族・農村・コミュニティー』恒星社厚生閣1991.3.25
匠雅音『核家族から単家族へ』丸善ライブラリー1997.4.20
第二次教育制度検討委員会:編『現代日本の教育を考える』勁草書房1983.5.30