アイディアはどこから生まれるのか〜共同体における個の創造力低下問題一考察〜

序論 

 モノを手にいれることでしか、欲求が満たされない。そしてその欲求はどんなにモノを手にいれても満たされることがない底無し沼である。「モノ」そのものではなく、マスメディアによって付加された「イメージ」を購入する現代人は、与えられた情報を鵜呑みにするだけだ。その与えられた氾濫する情報を頭の中にいれて、自分の言葉で、経験で、噛み砕き正しい判断を下すことができない。経済が成長するためには、どれだけ多くの人間にモノを売るかにかかっている。与えられた情報を「鵜呑み」にできる人間が多ければ多いほど消費行動は激しくなる。思考と行動の間隔がどんどん狭くなり、頭で物事を反芻する時間が減ってくる。人間は、目の前にある「快」につながりそうなモノに飛びついてしまう。頭の中に情報を入れて、ミックスして、自分の考えを「創る」作業をしなくなってしまう。「大衆消費社会」という社会は、個人に選択する自由が与えられているように見える。個性や、創造性、新しいモノを常に追い求めているかのように見えるが、その奥深くには情報過多による画一化とメディアによる大衆操作の影が見えている。

 大衆消費社会の中で人間が自分の考えを「創造」することができなくなっていること。これが問題の所在である。個性を求めるはずの現代人はそれを求める余りに画一化されつつある。個性とは何か。それはどのように構築されていくのか。大衆消費社会の限界が見えたとき、その次に人間が向かう価値観はどのようなものなのか。

 現代大衆消費社会で、人間は創造する力=考えることを失いつつある。どんなにモノがあふれても満たされることのない人間の欲求は人と人との関わりの中で、見えないモノによってしか満たされなくなっているのではないだろうか。共同体が壊れつつある現在において、もう一度それを作るためには「創造力」が重要だと考える。「創造力」はどこから生まれ、共同体の中でどのような役割を果たしているのかをこの論文で述べていきたい。

 

本論

  1. 人生にとって必要な孤独
  2. ○自我の発達、個性を作り出すことは精神的孤独と深く関わっている

    1−1アイデンティティとはなにか

     アイデンティティは自己の成り立ちを知り、ルーツを知ることで自己確認する心理と深く関わっている。アイデンティティという言葉を今日使われている意味に広げ「アイデンティティの心理学」を作り上げたのはEHエリクソンである。エリクソンは1902年にドイツのフランクフルトで生まれている。母親はユダヤ系デンマーク人だが父親の名前は知られていない。エリクソンは、「所属することのできない周辺的な存在」として、「自分」はいったい誰なのかを考えていた。このことが、結局は「アイデンティティ」という生涯の研究テーマにつながったのである。エリクソンは、人間はライフサイクルに基づいて発達しており、そのときの環境、他との関係性が自己形成に大きな影響を与えると説いた。

     またW.ジェームズとフロイトの書簡集では「人間の性格は精神的、道徳的な態度で決定される。どのように積極的に物事に対応しているか、という態度が性格を形づくっている」という内容の記述がみられる。

     アイデンティティとは、エリクソンが生涯追い求めた「自分」の姿であり、その「自分」というものを他者との関係性の中で見出していく作業が、「自我」を形成するということである。つまり、アイデンティティは、その人の「個性」でありその人自身が、その人であるということを認識するための「自分像」である。

     パスポートは「自分」が「自分」であることを証明するIDカードの一種であるが、「自分」が「自分」であることは「他者」によってしか証明されない。社会が大きくなるにつれて見知らぬ人の数が増える。そのとき、自分という人間を証明してくれる他者の数は相対的にみて減少する。自分を保証してくれる他者を見つける機会も現代では少なくなっている。そのことから、どのようなことがおこっているのだろうか。

    1−2現代人は何が寂しいのか

     携帯電話の普及や、自己啓発本、セミナーの流行はいったいなにを物語っているのか。心理学や哲学の流行と同時に「人とどうして付き合うか」「自分をどうやって変えるか」などのハウツー本も流行しており、現代人と他人とうまくやっていきたい、むしろいかねばならないという心理が読み取れる。携帯電話でどこにいても誰かと連絡がとれるようになった。しかし、どこにいても連絡がとれる状態、にいなければならない人は本当には少ない。いくら時間に追われている現代人といえど、実際は急を要する用事というのは少ないのだ。なぜなら、携帯電話で話す内容は、他愛もない話が多いからである。しかしこの「どうでもいい話」はグルーミングトークと言われ人間がかつてサルだった時代から、社会的動物としてやっていくためにしていたことなのである。社会は1人ではなりたたないのであって、他者と関係を作っていくことが不可欠なのである。そのときに、このような他愛もない話は、内容でなくそれをする行為自体において重要なのである。携帯電話の普及はそのような社会的行為をツールの力を借りずにできなくなった現代人、また自己啓発セミナーの流行は、その社会的行為に対する現代人の不安を表していると読み取れるのである。

     なぜ現代が、そのような不安を与えてしまう時代なのか、ということに関しては先に述べたように、人間が増えたこと、資本主義社会が席巻し共同体が崩壊してしまったことによる、「見知らぬ人」の増加があげられる。プライバシーの考え方や間違った「個」の考え方は、他との関係性を絶ち、うちに引きこもる人を増加させ、「見知らぬ人」はその人にとってますます多くなってくる。同時に自分を証明してくれる人もいなくなってしまう。彼は孤独の中で、自分という存在が消えてしまうのではないかという不安に縛られつづける。これが現代人に特有の「寂しさ」なのである。現代人の寂しさは孤独の中で自分の存在が揺らいでいることに対して向けられるものだ。

    1−3 孤独とは何か

     現代人は孤独と表現したが、孤独という言葉の意味について次に考えてみたい。もちろん自分1人でいるときに、孤独であると感じるが、反対に他との関係性を持ったときに「孤独」と感じることもある。他の中での孤独と、そうでない孤独とはいったい何が違うのか物理的孤独と、精神的孤独の二つの類型に分けて考えてみたい。

    1−3−1物理的孤独

     物理的孤独とは、自分1人のプライベートな空間やその中にいる状態を指す。具体的には1人部屋などが小さいころから与えられ、そこに閉じこもったりすることを指す。そこで、人間は誰からも傷つけられることがないという安心感で満たされる。また人間は1人でも生きていけるのではないかという奇妙な錯覚にも襲われる。しかし人間は社会的動物本能の組織に対する帰属欲求やコミュニケーション欲求をも持ち合わせているため、共同体や他人との関わり方において自己中心的なイメージを持ち始める。そして1人の時間になれてしまった人間はその肥大化したイメージを無理やり適応させてしまい、相手とのギャップがうまれ、それで対人関係で大きなストレスを感じてしまうようになるのである。

     昔と違って核家族化が進み幼少期から多くの人間に囲まれてすごすことができなくなった。学童期においても、大勢で遊ぶことをせずにテレビゲームなどで遊ぶ子供達が増えた。思春期になってもかつてのようにクラブ活動に参加したいという生徒達は減少しており受験のための学習塾に通う生徒が増えている。つまり、成長していく過程において人と関係性を結ぶ機会自体が減少している。その中で子供達は物理的孤独の状態に閉じ込められ、そこから出ていってもよいときにすら、個の閉ざされた空間から出られなくなってしまっているのである。

    1−3−2精神的孤独

     精神的孤独とは、物理的孤独とは違って、個の空間や状態の中での孤独ではない。他者との関係性の中で感じる孤独を、ここで「精神的孤独」と呼ぶ。なぜたくさんの人に囲まれているのに人間は孤独を感じるのだろうか。たくさんの人と関わる中で、コミュニケーションを持つ中で、人間は他との違いを意識する。他と違っていることに対して不安になる。これが「精神的孤独」である。しかし、この精神的孤独は人生にとって必要な孤独である。なぜなら精神的孤独を経験することで、アイデンティティが形成されていくからである。他との違いを経験し、自己を内省的に見つめることが自分という存在を認識するということであり、アイデンティティを形成することにつながるのである。

     

    1−4アイデンティティはどこからうまれるのか

    つまり、アイデンティティ=自分という存在を認識することは、他者との関係性の中で、違いを認識することで可能になる。そしてその孤独は共同体の中で自分が他人にその存在を認められることで癒されていくのである。そこで自分が自分であるという証明を、他によってなされ、社会の中での自分の位置付けをする。これが生きる指針となり、生きていると感じられる要素になるのである。アイデンティティを形成することは生きることそのものに関わってくるのである。

  3. 共同体

2−1 共同体とは何か

 まず、個々人の相互作用が、単に彼らの主観的態度や行為の中に存在しているというだけでなく、さらにここの成員からはある程度まで独立したある客観的な構成物が作り出されるというような場合にわれわれは真に社会といえる存在がそこに存在しているといえる。つまり個々の関係性があるということに加えて、そこから何かが作られている場合それを社会と呼ぶということである。人間は社会的動物であり集団を作って行動するが、その集団を集団たらしめるためには、一定の秩序と凝集性が保たれなければならない。現代はその凝集性が薄まり、アノミー(無秩序)状態であるといえる。デュルケムは「ギルド」の重要性を最後に述べていたが、ギルドのような小人数で各個人が役割を持ち、責任をもってその役割をこなしていくという組織形態を共同体とここではよびたい。デュルケムは現代のような巨大なアノミーの中では、このような小規模の共同体が非常に大きな影響をもたらすであろうと考えている。

2−2 共同体はなぜ破壊したのか

 個人主義の発達はそれに伴う労働力の分化と深く関係していると考えられる。社会が巨大化かつ複雑化するにしたがって、職業の専門家は個人個人の区別をますます大きくしたのである。そして親密性が弱まった。個人としての自由を得る一方でアノミー(社会的無規範状態)を引き起こした。伝統的なおきてや秩序は強い拘束力を持つことができなくなり、それによって凝集性が低下した。個々人の関係は疎遠になり、それに付随するかのように「個」という言葉や「自由」という言葉が持つ価値は高いものになっていったのである。産業革命によって機械化された社会は、人間の間に格差を作った。それだけではなく、人間のための共同体が、モノや機械のための共同体、機械を操作していたはずの人間が機械やモノに操作されるような社会をもつくってしまったのである。

2−3 個が生かされる共同体

 個性が他との関係性の中で育まれることはすでにのべた。しかしその他者との関係性を育む土壌であったはずの共同体が崩壊してしまっている現在において、個性が発揮されることが難しくなっている。共同体の秩序を理想として、世俗的価値よりも超越的価値に、個人的価値よりも、社会的価値に、利己的価値よりも利他的価値に重きを置いていたかつての時代のように、「信じるべきもの」「理想」を人々はなくしてしまった。

 自らで理想や信じるべきものを作ることは、不安で恐ろしい作業である。それは1章でのべたような「精神的孤独」を通しての自己内省のプロセスが必要であるからである。その精神的孤独になれていない、現代のように超越した理想のない状態では、深い落ち込みと軽いやる気のない状態を人は余儀なくされているのである。この問題を解決するためには共同体の意義が見出されるべきであり、「個性」が個をただやみくもに尊重するだけで生まれてくるという短絡的な思考から抜け出す必要があるのである。個性や創造力が大きな価値をもっている反面、その個性や創造力が実際どこから生まれているのか、というところに現代社会は気づかないふりをしているのではないだろうか。

  1. 創造

3−1 アイデンティティの表現

3−2 芸術家は なぜ 芸術家なのか

3−3 芸術家の孤独

3−4 現代における芸術の役割

  1. 個の表現と、協同作業
  2. 4−1 共同体における自己表現の重要性

    4−2 協同作業が、共同体を成り立たせる

    4−3 個々の関係性を 創造すること

  3. だからどうなんだ、大衆消費社会

5−1 ものづくりができない現代人

5−2 考えることができない現代人

5−3 創造することは 生きることである 生きることは芸術である

結論

 現代社会のさまざまな問題は一概に解決することができない。しかし一つの視点としてその問題にある共通点を読み取ることが可能である。それは、現代人のアイデンティティ崩壊の危機である。個性重視の教育や、クリエイティブということば、また自分探しや自己啓発セミナーの流行など、現代人が自己の内面に目を向け始めていることはよくわかる。自分とは、個性とはいったいなんなのだろうか。自は他、個は全体、という相対する概念からその言葉が存在することができる。つまり、自我も個性も、全体、共同性の中でしか存在しえないと考えられる。個は個からでなく、他との調和の中で生かされる。現代社会のさまざまな問題の根底にあるものの一つにこの「他との調和」つまり「共同体」の崩壊からくるアイデンティティ崩壊への不安があると考えられるのである。では、その共同体が再生することは可能なのか。本当の個性とは何なのか。どのように個性は生まれるのかをこの論文で問いたいと思う。自らのアイデンティティを共同体の中でどのように表現してよいか「わからない」人間が増えているのはなぜか。自らの表現を作り出すことができないのはなぜか。自らを知らないからであろう。自らに向き合うことなしに、自らを知ることはできない。現代人が自に向き合うことができないのはつまりは共同性が崩壊してしまい自の位置をはっきりと確かめることができなくなってしまったからなのである。これから共同体を再構築するために必要なことは何か。これがこの論文で述べたかった点である。以下に、図式化する。


 

 

@岸田秀 竹田青嗣著「対論」幻想論対欲望論 現代日本人の恋愛と欲望をめぐって

 1992年 KKベストセラーズ

A岸田秀 町沢静夫「なぜ日本人はいつも不安なのか−寄る辺なき時代の精神分析」

2000年 PHP研究所

B43人が語る「心理学と社会」21世紀の扉を開く第三巻

性格・産業・社会 1999年 編者 安藤清志 

   金井篤子 「組織の中で個人がいかにその碑とらしく在るかを科学する」

Dジェームズ・w・ヤング「アイディアの作り方」1988 TBSブリタニカ

F現代企画室「小さな人々の大きな音楽〜小国の音楽文化と音楽産業〜」1996

Gたたら幹八郎「アイデンティティの心理学」講談社 1990

Iアンソニー・ストー「孤独」創元社 1999

Jロバート・W・ワイスバーグ著 大浜幾久子訳「創造性の研究」1991 株式会社メディアファクトリー

K和辻哲郎「風土〜人間学的考察〜」1979 岩波書店

L神島次郎著「日本人の発想」1975 大進堂

M中村雄次郎「術語集〜気になる言葉〜」1984 岩波新書