老子

≪老子≫
 老子は、「道」を大切にし、自然の有り方(大道)に返り、各自がのびのびと自由自在に生きることこそ好ましい(無為自然)とした。「道」というのは、「無名」なものである。「有名」なものが私たちに簡単に見ることができる<徼>(結果、現象)であるのに対して、「無名」なものとは実体があっても名称の与えがたいものであり、隠された本質<妙>のことを言う。なぜ老子が「無名」が良いと言ったかというと、人間は一度実体のあるものを手に入れてしまうと、新たに次のものを求めようとする。だが故に、「無名」、つまり実体のないものが良いと言っている。だから、「道」をどのようなものかという風には表現できない。ただ強いて言うならば自然のままの有り方のことである。

 では、老子の言う「自然」の状態とはどのようなものなのか?それは、自分の持つ力や聖なる力、生命力のことを指している。つまり、「道」とは自分の持つ力や聖なる力、生命力を信じることなのである。自然は、人間社会が栄え滅びる間も絶え間なく続き、その姿は変わることなく存在し続ける。多くの諸国が生まれては滅び、伝統的な共同体が崩壊していくというような不安定な戦国時代に生きた老子は、このような永久不変な自然の姿から、人間も自然のようにあれば、争いを起こさずに安らかに長く生きることができると考えたのであろう。そして、人為を加えなくても自分の持つ力や聖なる力、生命力を信じてそのままの状態でいれば、万物はその本性に従い、それぞれが機能することを、人間を取り囲む自然の中から見出し、それを人間そのものの有り方や人間社会に当てはめたのだ。

 「道」とは無限なるものである。老子がこの「道」や「無為自然」という教えを説くことにより、道があるから人はその道を歩くようにこの教えに従い、人が歩くから道ができるようにこの教えをしっかりと社会に浸透させていったのである。これは「共生」の規範である。個々人が作り出したものではないが、その力が合わさることによって新たなものができる。個人を生かし、共同的な行為につながる個人的な行為を為すということが「共生」の場では重要なのだ。老子は、このように不安定な社会をいかに安定させ、崩壊し始めた伝統的共同体を再度作りなおすかを考え、教えを説いていったのである。