進級論文
「非人間化されていく子どもたち」


パウロ・フレイレは言う。
「教育とは相互により豊かな人間に生まれ変わっていくための永遠の過程である。自分が変わると同時に、他者が変わり、世界が変わる。」
「世界を変えるとは、世界を人間化することである。人間は世界の中に生きているだけでなく、世界と共に生きているのである 註1 。」

◆ ◆目次◆◆
 はじめに
 第1章 人間化された人間、非人間化された人間
   第1節 人間化
   第2節 非人間化
 第2章 「子ども期」
   第1節 ヨーロッパでの「子ども期」の出現
   第2節 日本での「子ども期」の出現
 第3章 非人間化していく子どもたち
   第1節 つめこみ教育の無意味さ
     1. 伝達を行う教師
     2. 暗記者である生徒
   第2節 相互承認の関係の欠如
     1. 相互承認
     2. 待命状態
 第4章 人間化への道
   第1節 抑圧者と被抑圧者の関係
   第2節 自由への恐怖
 第5章 結論 〜自らの解放〜


はじめに
 産業革命以降、産業の発達に伴ない、今の先進国と言われる国々では「分業は、それが採り入れられるだけで、個々の職人すべての技能の増進を導き、ある種の仕事から他の仕事へを移る場合にふつう失われる時間の節約もする。労働を促進し、短縮し、しかも一人で多くの人の仕事がやれるようなさまざまな機会の発明を生み出すことから、どんな技術の場合でも、労働の生産力をそれに応じて増進させる註2」 という考えに基づき、分業化が進み、その利益の結果として、さまざまな職業や仕事が互いに分化していった。そして、アダム・スミスやジンメルの言う通り、「分化は力の節約の原理に従属する註3」という原理に基づき、多くの力の節約を生み出し、そこから新たな発明や技術の進歩を生み出した。その結果として存在するのが今の社会である。そしてその職業や仕事の分化が促進し、それは次第に社会の分化へと繋がっていった。

 社会の分化は私たちの社会に生産性の増進や技術の進歩など多くの利益をもたらした。しかし、その一方で社会の分化の進展は急激に早くなり、より社会が複雑化するようになり、社会の構造も変化していった。

 社会の分化における力の節約が生み出した技術の進歩は、社会の産業構造自体にも変化を及ぼした。産業革命以前は、産業の大きな役割を占めていた第一次産業に大型機械が投入されていき、その使用により、効率良く、その上小人数での作業が可能になり、第二次産業、第三次産業に従事する人々の割合が肥大していき、それらの産業が発展していった。そして、人々の流れは村から都市へと流れていき、その流れにあわせて家族のあり方も大家族から小家族へそして、核家族へと変化していった。大家族時代の村での生活は、人々に自然との触れ合い、人との触れ合いをもたらし、その喜びを日々の生活を通して感じることができるようなものだった。しかし、都市での生活は一転、自然との触れ合いはおろか、人との触れ合いの場を持つ機会さえも難しくなるようなものになってきてしまった。

 そして、そのような自然や人とあまり関わりを持たないで育った現代の子どもたちの間では、「いじめ」、「登校拒否」、「学級崩壊」、そして「自殺」などと言った多くの問題がはびこっている。このような問題は社会の分化と共に出現したものであり、近年に入り急速にその数を増している。これらの問題に根ざしているものとは奥深いものであろう。しかし、私は社会の分化にともなった人間のあり方、生き方の変化に目をつけて、これらの問題の根底にあるものやこの問題の解決の糸口を探っていきたいと思う。


第1章 人間化された人間、非人間化された人間
「人間の生きる力や人格は他者や世界、自然とのふだんの具体的な相互関係(働きかけあい)の中で形成されるものである註4 」。

第1節 人間化
 人間は母親の胎内から産まれてきたと同時に、無条件に一人の人間であることが認められる。では、その人間が人間として生きるということはどういうことなのだろうか。「人間としていきるということは、他者並びに世界との関係を引き受けて生きていくことである註5 」。そして、「人間の生きる力や人格は他者や世界、自然とのふだんの具体的な相互関係(働きかけあい)の中で形成されるものである註6」。

 人間は他者との関係性の中で多くのことを知る。自分について、他者について、自然について。そして世界について…。自分とは同じものをみつけたり、違うものをみつけたりする中で新たな自分というものを知っていく。そして、知るということは人間に新たな欲求を生み出していく。触れてみたい。食べてみたい。聞いてみたい。見てみたい。行ってみたい。もっと知りたい…。このような人間の行動のあらゆる基盤となる欲求を生み出していく。そしてその欲求こそが人間の生きる力となっているのだ。人間は他者や世界、自然との関係の中から新たな価値観を発見し、生み出す。そして、その価値観がさらなる新たな価値観の発見や生成を生み出す。そのような循環の中で人間は生きていく。そうすることにより、人間は多くの経験を重ね、更なる他者や世界との関係を作り出していくのだ。そして、その関係の中で人間は人間として生きながら、「自分とは何か」という人生における永遠のテーマを追求し続ける。もちろんそのテーマの答えは自分自身にしか分からないし、定まった答えなどはないだろう。なぜなら、人間は自分の意志で自分という人格を作りあげ、変化させていくことができる能力を持っているからだ。人間は自分自身で自らの主人(主体)になり「自分」という人格を作り上げていく。それこそが人間化された人間であり、人間のあるべき姿そのものなのだ。

第2節 非人間化
 全ての人間には、人間として生を授かる以上自分自身を人間化していく能力を持っている。しかしそれにも関わらず、今の世界にはその能力を他者により奪われてしまっている非人間化された人間が大勢いる。彼らは、「彼らの言葉を奪われ、誰かの言葉を自分の言葉のように受け入れさせられ、彼らは自分自身に、つまり自らの主人(主体)になることができず、制度や他者に依存しなければ生きられない存在(モノ=物)になって註7 」しまっているのだ。そのような非人間化された人間には大人もいれば子どももいる。そして第三世界に、先進国の片隅に、そして日本に存在しているのだ。

 そして、一つの現実として日本の全ての子どもは、「「社会」「現実」「世界」「他者」、そして「自分自身」からさえひきはなされて、ナショナリズムとコマーシャリズムにコントロールされた管理教育のネットワークにからめとられ、人間の自由と個人の尊厳を圧殺されようとしている。彼らは、人間である前に、管理・調教されるべき「子ども(児童)」や「生徒」や「学生」とみなされて註8 」いる。このような非人間化を試みる教育システムの下において、非人間化されていく子どもたちと既にそうされてしまった子どもたちが大勢存在する。このような子どもたちが育ち、彼らがおとなになっていく頃には、日本は非人間化された大人があふれる社会となっていくであろう。


第2章 「子ども期」
「日本では学校が「子ども時代」をのみこんでしまったのである註9。」

第1節 ヨーロッパでの「子ども期」の出現
 ところで、現在では子どもという言葉を使い、何を意味するのか分からない人は全くと言って良いほど存在しないだろう。しかし、子どもという概念は人類が誕生した時から当たり前のように存在していた概念ではなく、人類の長い歴史の中で生まれてきた。 

 そもそも「「子ども期」あるいは「子ども時代」という概念は、「教育(Education)」という概念同様、ヨーロッパ中世の共同体社会が崩壊し、近代国家(近代市民社会)と近代家族に人びとが帰属するようになる時に生まれた。それまで子どもたちは、大人とだいたい同じことができるようになる七〜八歳を過ぎると、「小さな大人」(半人前)とみなされ、乳幼児時代のように特別に保護されることなく、共同体の正式メンバーとして迎え入れられたのである。なぜこのヨーロッパ中世の共同体社会が崩壊し、近代国家(近代市民社会)と近代家族に人びとが帰属するようになった時に「子ども期」という概念が誕生したかというと、この時期に子どもが労働しなくともなんら動じないだけの高い生産力をもった社会が誕生したため、次に教育と学習によって限りなく発達する可能体としての人間(子ども)の発見、さらに人権のコロラリー(系)としての子どもの権利と尊厳の発見がなされたからである。「子ども期」という概念が誕生し、子どもは共同体社会から引きはなされ、子どもとして特別保護区(学校)に収容され、国家(市民社会)と家族の有能な一員となるべく教育を与えられたのである註10。」

第2節 日本での子ども期の出現
 「日本でも≪パックス・エコノミカ≫(人間が経済に隷属することによって得られる平和註11)に支えられて高度経済成長期が始まる1960年代以降になりやっと、子どもの労働力に頼らなくても良いだけの生産力をもった社会が誕生し、ごく普通の庶民レベルでの「子ども期」が出現した。そして、この時代にいたってはじめて日本(とくに農山村、漁村)の子どもたちの多くは、きびしい労働から解放されて、10代の大部分の時間を学校で過ごすこととなったのである註12。」

 ところでこのように生まれてきた「子ども期」の概念、そして教育という概念だが、日本でこのような概念が生まれる高度成長期を向かえるまでの過程には、第二次世界大戦で完敗し多くの犠牲者を出したという背景、そしてその戦争の後に無残に取り残された荒廃した日本の都市を懸命に立て直してきたという背景が存在する。このことから分かるように、「日本の戦後教育の出発理念が≪平和≫であった。しかし、日本はアジアの戦争と悲惨を自国の経済復興の基盤にしてしまったため、≪平和≫が変質してしまい戦後教育の理念たりえなくなってしまった。そして、戦後教育の理念であった≪平和≫は、やがて国家と企業主導の≪パックス・エコノミカ≫に変質していった。そして、戦後日本のこの≪パックス・エコノミカ≫の実現の過程は、「開発」と「高度成長」による、日本の諸地域と第三世界諸地域の≪サブシステンス≫(民衆が自分たちに特有の文化を形成していくために必要な自律的で最低限の物質的・精神的基盤註13)の破壊の過程でもあった。≪パックス・エコノミカ≫がつくりだしたのは、飢えと繁栄(貧困)、支配と依存(従属)の構造と、そして人間=自然の調和的関係の破壊であった註14」。そして、そのような子どもたちは「≪パックス・エコノミカル≫を担う予備軍として、「社会」「現実」「世界」「他者」、そして「自分自身」からさえひきはなされて、ナショナリズムとコマーシャリズムにコントロールされた管理教育のネットワークにからめとられ、人間の自由と個人の尊厳を圧殺されようとしている。彼らは、人間である前に、管理・調教されるべき「子ども(児童)」や「生徒」や「学生」とみなされている註15」のである。


第3章 非人間化していく子どもたち
「日本の子どもたちは、目に見えない巨大システムの暴力によって管理・洗脳 され、現実や他者、それに自分自身であることから引きはなされ生への欲求を 枯渇させられ生か死か定かでない時間を浮遊している註16。」

第1節 つめこみ教育の無意味さ
1.伝達を行う教師
 非人間化された人間やそうされる危機に陥っている人間を多く生み出している日本の教育のシステムとはどのようなものか、ここで目を向けていきたい。日本の教育とはどのように行われているだろうか。

 日本の教育は義務教育である小、中学校、そして高校、大学で見られるように、大部分が、教える側に立つ教師とそれを聞きノートを取り、それを頭に叩きこんでいく生徒という関係で成り立っている。もし、授業が60分だとしたら、教師は永遠とその60分間を生徒に語り続けることに費やす。そして、生徒はその60分の間、必死に教師から語りつげられる言葉の一次一句を逃さぬよう、その言葉に必死に耳を傾ける。しかし、その語りかける内容が、世の中に存在するものの価値についてであろうと現実に関する経験的事柄についてであろうと、それらは教師の口から出、生徒に語りかけられる過程で意味をなくし、ただの文字となってしまう。なぜなら、「その内容は、現実から切り離されており、内容を生みだしそれに意義を与えることのできる全体性とも断たれている註17」からだ。そして、そのような語りかけを一方的に行なっている教師は、生徒に何かを教えているのではなく、ただの伝達を行なっているにすぎない。

2.暗記者である生徒
 そして、そのような語りかけを受けられる生徒は、もちろん先生の語りかけている事柄が一体どのような意味をもたらしているのか到底理解などしていない。それは、生徒にとって意味の分からない暗号を浴びせられているようなものだ。しかし、生徒はひとすら耳を傾け、意味の分からない暗号をひたすら暗記することに専念する。

 そのような教育の中では、教師は生徒に多くの暗号を伝達することで、生徒の頭を満たすことばかりに専念し、それに満足を得る。そして、生徒はその先生の指示に従って暗号の暗記に走る。たくさん暗記できたものは、優等生と呼ばれ、教師や親から賞賛される。周りのものは彼に憧れ、あるいは彼のようになることを良いことだと、他者から強いられ彼のようにより多く暗記しようと懸命に努める。そして、その暗号の暗記量こそが、子どもの学力として数値化され、人々はそれを、人を知るときの大きな価値基準の一つとするようになった。「点数によって数量化された能力、学力というものはわずかな能力です。そういう能力で人格までも推し量るような傲慢なことを日本の学校教育はやってしまっている註18。」

 ところで、意味のない暗号を覚えるという行為自体、どこに意味があるのだろう。もちろん暗記するために費やした努力は無駄にはならないだろう。その努力をすることに費やしたエネルギーは、自分自身を大きく成長させるものへと繋がるであろう。しかし、努力をしても自分の頭に叩き込んだ暗号が意味の分からないものだったら、その暗号は頭の中から引き出されることは決してないだろう。もしくは、引き出されても役に立たないガラクタで終わる。このような意味のないように見える教育でも、義務教育などという名目からはじまる強力な管理教育システム下にある子どもたちは、日々この教育方法を繰り返し与えられ続けるのである。

第2節 相互承認の関係の欠如
1.相互承認
 「人間の本質は、他者や世界や自然との関係性の中に存在する。人間の生きる力や人格は他者や世界、自然とのふだんの具体的な相互関係(働きかけあい)の中で形成されるものである註19。」この相互承認の関係やネットワークは人間にとって、とても重要である。なぜなら、この相互承認のネットワークが存在することにより、人間は誰か(他者)が自分を受け入れてくれるのだ、そして自分は誰か(他者)をきちんと受け入れてあげているのだという自分の居場所や存在意義を認識でき、そして安心する。そして、このような相互承認の関係、例えば両親と自分、祖父母と自分、姉妹と自分、友人と自分、自然と自分、動物と自分、遊び道具と自分、学校と自分の関係性の中では全く異なった価値の発見があり、その中で子どもは育ち、あらゆる価値や価値観、大切なことや間違ったこと、楽しいこと、尊いことなどを知っていくのだ。子どもの場合も同じだ。「他者や世界や自然との相互関係・働きかけあいのネットワークを周りにたくさん持っている子どもは、強く逞しくなり、自分の中に埋めこまれている能力や個性を自分の力でどんどん引きだしながら自主的に生き始める註20」のである。

 しかし、昔は仕事場や田畑で無意識のうちにも築き上げられていった他者との関係性が社会の分化が進むにつれて、他者と関係を持つ機会が次第に減り、またその関係性も希薄になっていった。そして、人間は自分から働きかけていかなければ他者との関係性を作り出すことができなくなったり、他者との関係を作り出す際に働きかけるための労力や精神的負担が大ききなり、人間はこのような関係性や相互承認のネットワークを築くことが難しくなってきた。そして、他者との関係は相互関係というよりは、必要条件だけをその会話に支障のない程度の距離を取って行う一方的な伝達や指令の関係に変化していった。

2.待命状態
 このように相互関係や相互承認のネットワークを築けなくなってきた子どもたちは、一方通行的な伝達や指令の関係の中に生きるようになる。そして、子どもという教育を受ける側に立っているがゆえに、学校や両親から膨大な伝達や指令の荒らしを浴びる。はじめのうちは、それも絶えうることができるだろうが、次第に伝達や指令の荒らしの量の多さや、その無意味さに絶えられなくなり、その関係から自ずから飛び出してしまう。そこで子どもは「自分たちが暗記者として荷を負わされ、そのような任務を与えられてきたことに飽き、わずらわしい命令から解放された時を楽しむ。今までの指令にわざと反発し、命令からの解放が動力となり、社会のルールさえもやぶってしまう。昼夜自分の好きなように振る舞いながらまるでお祭り気分で。しかし、祭りは長く続くものではない。一定の仕方で生きることを強制する戒律がなければ、われわれの生は、まったく待命状態になってしまう。そして、自分が何であるのか、自分が何のために生きているのかさえも分からないそのような虚無感を感じてしまう註21。」そしてそこに残されるのは、一方通行な伝達や指令の関係のみ。そこで彼らの虚無感を取り除いてあげることができるような相互関係や相互ネットワークはそこには存在せず、その子どもは他者との関係はおろか、自分の存在意義さえも完璧に見出せなくなる状態から抜け出すことができなくなる。そのような「待命状態の生は、死以上に自分自身を否定するものだ。なぜなら、生きるとは、なにかを特定のことをしなければならないこと―ある任務を果たすこと―であり、われわれの生存をなにかに賭けることを避ける度合いに応じて、われわれは生を空虚なものにするのである註22」。そして、その自分自身の否定に絶えられなくなった子どもたちは、待命状態よりも楽である死を選んでしまうのだ。


第4章 人間化への道
第1節 抑圧者と被抑圧者の関係
 子どもは教育システムの中で非人間化されている。つまり、それは教育というシステムの中でナショナリズムとコマーシャリズムにコントロールされた管理教育のネットワークという抑圧者に命令(一人の人間の選択を他人に強制することはどのような命令にも見られることである註23)され、それによって命令される、被抑圧者である子どもの意識は命令者、抑圧者の意識にしたがうものへと変えられてしまう。そして、この抑圧者から発せられるものは常に命令であり、それが命令だからであるがゆえに被抑圧者の側はそれに従うより他ない。ここに抑圧者と被抑圧者の命令という一方通行な伝達でつながれた従属の関係が見て取ることができる。

第2節 自由への恐怖
 この関係が明らかになると、被抑圧者である子どもがこの従属関係、非人間化を強いられている状態から抜け出すためのは簡単なように見えるかもしれない。しかし、ここにはまた複雑な問題が存在する。

 まず一つ目の問題は、この両者で成り立っている世界の中では、この両者以外の存在というものはなく、彼らの中では人間化するということは抑圧者として生きることであるからである。つまり、抑圧状況から抜け出そうと子どもが必死で闘う中で、人間化した新しい自分がうみおとされても、人間化するということを間違えて理解している彼らは、その状況に気づく由もないのである。

 二つ目の問題は、この抑圧者と被抑圧者の関係の中で、実は両者とも非人間化されているということである。被抑圧者が非人間化されている状況は前にも述べた。では、抑圧者がなぜ非人間化されている存在なのだろう。その答え「抑圧者は、他者を非人間化することによってかれ自身非人間化されている註24」という構造の中にある。つまり、人間化とは新しい自分をみつけていくということである。しかし、抑圧者は被抑圧者に命令を下すばかりで、常に気にしていることは被抑圧者の状態である。彼らは、新しい自分の発見などには目もくれていない。しかし、彼らは自分が被抑圧者でないということから、自分は非人間化されていない、人間化されている存在だと思いこんでいる。したがって、抑圧者も被抑圧者も非人間化されているということが言える。

 そして、一番大きな問題として三つ目の問題が存在する。それは、抑圧者と被抑圧者という関係が存在する際に、被抑圧者が人間化を求めるために闘おうとする際には、抑圧されていた状態から抜け出さなくてはならない。しかし、彼らは被抑圧者として抑圧されている状態で長く居続けたせいで、抑圧されていない状態、つまり自由な状態に恐怖を抱いてしまい、みずからその状況をなかなか抜け出すことができないという問題である。抑圧されている状況とは、彼らにとって非人間化されている状況であり、それは苦痛をともなう。しかし、少なくとも彼らは自分たちが抑圧されている状況にあり得る被抑圧者であること。そして、抑圧者により非人間化されている状況にあることは分かる。それに比べて自由の中には、抑圧されずにすむであろうという希望は見えても、果たしてそれが一体どのような状況であり、自分は本当に人間化できるのかという保証はどこからも見出せない。自由とは彼らにとって未知な状態であり、そこに足を踏み込むこもうとすることは彼らにとって一生一大の大冒険をするようなものなのである。そして、そのような自由への恐怖を目の前にし、かれらは、「自由および自由の追求そのものから生みだされる創造的な親交(communion)よりも、不自由な状態のままでえられる従属の安全性の方を好んで」しまうのである。そして、子どもはこの矛盾した教育システムから一向に抜け出すころができず、日々教育システムという抑圧者に抑圧を受け、非人間化への道を歩む。

 しかし、彼らは自由の恐怖から脱しなくてはいけない。そしてその恐怖から抜け出て、自由を手にするために抑圧者と闘わなくてはならない。その闘いは抑圧者への弾圧であり、それが抑圧されている側の仲間への弾圧の力をも強め、それは自分の仲間に被害を与えることとなるだろう。そこで、彼らは一人では自由になりたいという強い願いを持ったとしても、それが自分一人であればそれは叶わないということを知る。自由のための闘いには、同じように自由になりたいと熱望する抑圧されている仲間達が必要なのである。その仲間たちと共に立ちあがり、自由を手にするために闘うという決意を共にしなければ、その闘いへは出ることができないのだ。

 けれども、その闘いに出る以前に人々が「自由への恐怖に支配されているあいだは、かれらは他者に訴えたり、他者の訴えに耳をかしたり、あるいは自らの良心の声に耳を傾けることさえ拒んでいる註25」のである。自由への恐怖は、自由を手に入れることはおろか、自由を手に入れる闘いに出ることさえも拒ませる。そして、抑圧者と被抑圧者との関係を永遠に継続させていく要因となるのである。


第5章 結論 〜自らの解放〜
 自分が長年暮らしている慣れ親しんだ場所に住むということは、何とも居心地の良いものだ。私は今、三田で下宿をしているので実家に帰った時などにつくづく思う。見なれた景色や顔なじみの人との出会いや存在は、全く知らない土地に行った時や見ず知らずの人と出会った時は決して与えてくれない安心感を私に与えてくれる。なぜなら、そこにはこれまでの経験を通して、そこに何があるのか全てを知りつくしている自分がい、それまでに築いてきた人間関係も存在することから、自分が築いてきた相互関係や相互ネットワークを感じることができるからであろう。逆に、三田に引っ越してきた時には、私に大きな精神的なプレッシャーがのしかかった。新たなものとの出会い、異質なものとの出会い、それらと相互関係を築いていくことは簡単なものではない。それらの出会いは予測不可能で突然私たちに飛び込んでくるからだ。しかし、いくらかの時が流れると私にとって新しい土地であった三田も、もはや新しい土地ではなくなる。自然に見慣れた土地へと変化していくのだ。

 「自由は与えられる贈物ではなく、闘いとるものである。それは、たえず責任をもって追求されなければならない。それは、人間の完成を追求するうえで不可欠な条件である註26」。新しいもの、未知なるものへの第一歩は誰にとっても恐怖でつつまれているだろう。しかし、その恐怖は自分自身以外の何ものによっても拭い去ることはできない。そして、自由こそが人間化の原動力となり、そして不可欠な要素となるのである。

 しかし、今まで被抑圧者は被抑圧者の状態から抜け出すには自分の手で自由への恐怖を打ち破っていかなかればならないと述べたが、もしその被抑圧者が「子ども期」に属し、自分が非人間化されているという事実にさえも築いていなかったらどうだろう。彼らは自分たちの手ではその状況から抜け出すことはほぼ不可能であろう。

 私たちは、これまで社会の分化が私たちに与える利益ばかりに目を向け続け、これらが生み出した問題に目を背けて生きてきた。しかし、子どもたちの周りから、生きようとする欲求を育んできた、子どもたちが自然や他者や世界と切り結ぶ相互的・直接的関係がどんどん消え去っているという事実を註27

 そして、今抑圧者たちは充分に認識しなくてはならない。自分が抑圧者であるということを。子どもたちは、教育を与えられ、言葉を与えられれば与えられるほど、自分自身の言葉が持てなくなり、現実世界に介在し、自らの世界を命名することが難しくなるということを。そして今の教育は、一人一人の中に眠っている力を発見させてくれるようなものでは決してないということを。

 「教育とは相互により豊かな人間に生まれ変わっていくための永遠の過程である註28。」



◆◆註◆◆
  ・註 1 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』亜紀書房、1991年、p133参照[本文]
  ・註 2 アダム・スミス『国富論T』大河内一男監訳、中央公論新社、1978年、p13,15参照[本文]
  ・註 3 ジンメル『社会的分化論』石川晃弘・鈴木春男訳、中央公論社、1980年、p504参照[本文]
  ・註 4 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p99参照[本文]
  ・註 5 パウロ・フレイレ『伝達か対話か』楠原彰・里美実・檜垣良子、亜紀書房、1967年[本文]
  ・註 6 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p99参照[本文]
  ・註 7 楠原楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p99引用[本文]
  ・註 8 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p19引用[本文]
  ・註 9 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p21引用[本文]
  ・註10 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p17,18参照[本文]
  ・註11 イバン・イリイチ『暴力としての開発』坂本義和編『暴力と平和』朝日選書、1984年[本文]
  ・註12 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p17,18参照[本文]
  ・註13 イバン・イリイチ『暴力としての開発』坂本義和編『暴力と平和』朝日選書、1984年[本文]
  ・註14 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p15,16参照[本文]
  ・註15 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p19参照[本文]
  ・註16 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p22引用[本文]
  ・註17  パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』伊藤周・小沢有作・柿沼秀雄・楠原彰、亜紀書房、p65引用[本文]
  ・註18 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p37引用[本文]
  ・註19  楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p66引用[本文]
  ・註20 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p67引用[本文]
  ・註21 オルテガ『大衆の反逆』寺田和夫訳、中央公論新社、1979年、p495参照[本文]
  ・註22 オルテガ『大衆の反逆』p495引用[本文]
  ・註23 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』p21[本文]
  ・註24 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』p22[本文]
  ・註25 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』p23[本文]
  ・註26 パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』p22[本文]
  ・註27 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』p80参照[本文]
  ・註28 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』亜紀書房、1991年、p133参照[本文]


◆◆ 文献一覧 ◆◆
  ・ アダム・スミス『国富論T』大河内一男監訳、中央公論新社、1978年
  ・ イバン・イリイチ『暴力としての開発』坂本義和編『暴力と平和』朝日選書、1984年
  ・ オルテガ『大衆の反逆』寺田和夫訳、中央公論社、1979年
  ・ 楠原彰『南と北の子どもたち―他者・世界へ―』亜紀書房、1991年
  ・ ジンメル『社会的分化論』石川晃弘・鈴木春男訳、中央公論社、1980年
  ・ パウロ・フレイレ『伝達か対話か』楠原彰・里美実・檜垣良子、亜紀書房、1967年
  ・パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』伊藤周・小沢有作・柿沼秀雄・楠原彰訳、亜紀書房、1979年