ジンメル「社会的分化論」講義録(5月10日)
ジンメルは、デュルケムと同じ時代に生きた社会学者で、ユダヤ人であった。ベルリン大学で哲学、心理学、史学を研究した。多くの主題を取り上げることから、哲学的視野を持った人であったという。そのような点から、ジンメルは社会学者であると同時に、哲学者でもあったと言えるだろう。
当時のヨーロッパは、ドイツでは普仏戦争の勝利によって、隆々たる帝国の発展を迎えたが、その後の第一次大戦では惨敗を喫した。他方、この時代には大陸の産業近代化が著しく進行し、これに伴って労働問題やいろいろな社会主義運動が起こった。この時代のドイツにおける社会学の地位は低かったが、ジンメルは社会学を近代化させた。ジンメルは、既存の諸分野とは区別させ、社会という対象を作り出し、独自性を確保しようとした。ジンメルは社会学を、いわば「社会の幾何学」であると考え、彼の社会観は「社会名目論」的であった。ジンメルの社会学は、同時代を生きたデュルケムとは異なっており、デュルケムは、今までの既存の科学を統合して総合的視野で見るという総合的社会学であるのに対し、ジンメルは、まったく別個の社会学(形式社会学)としてとらえていた。ジンメルは、社会学について、ほかの諸科学は、研究対象となる材料そのものに直接向かうが、社会学はほかの諸科学が取り扱う材料そのもの(個)からではなく、一般的見地、究極目的の統一、研究の方法など(全体)を重要視することが必要であると考えた。ジンメルは、人と人との関係、個と集団の関係、集団同士の関係に着目して、社会を捉えようとした。
ジンメルが、分化が社会発展の必然だと考えていた理由には、「個人心理学的なもの」、「個人的動機と社会学的動機の混ざったもの」、「純粋に発展史的性格のもの」があげられ、人は他者との差異に対して非常に関心を持つ傾向にあり、他者との関係の中でなされる個人の行動は他者との差異によって規定されているとした。また、統一性の生じた集団においては、個人の持つ他者との差異に対する関心によって、その集団内における差異に焦点が当てられ、その結果、統一性の合ったはずの集団において必然的に分化が起こるとした。また、分化が進んだ社会においては、「ほかの集団に対する統一感を持たせる」、「集団的共感を呼び起こす」、「模倣から集団的感情を高める」といった水準がなされていた。水準化の例として、ヒトラーのナチシズムがあげられた。
ジンメルの社会学的考察の観点から見ると、現代は、発展途上の段階でありながらも、高度に発展し、高度に分化した高等な社会に近いように思われる。分化した社会の人間というのは、代価不可能な人間が多いはずなのに、あたかも未分化な社会の人間であるかのように、代価可能な人間が増えてきている。それは、個人主義と自由の矛盾にもあるように、個人主義が発展したことによって画一化が進んだ。それによって、匿名の人間が増えたのである。このことから、現代は、原始的状態にも進んだ状態だといえる。
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