学術的自己紹介−「組織としての国家社会」



目次

  1. はじめに

  2. 人間観

  3. 国家と企業の相違点と共通点

  4. 教育の役割

  5. 最後に



1 はじめに

 現在の私達の生活環境は、多くの問題を抱えている。環境汚染、経済問題、教育問題、犯罪そして政治問題などである。また、国際的なものとしては、民族間、国家間における紛争や、貿易に関する問題なども含まれる。これらの問題は、私達の日常生活には表面上、顕著な影響を及ぼすことが少ないため、深刻に受け止める人は少ない。このことが、問題解決への大きな障害のひとつであることは、確かなことであろう。
 これらの問題を引き起こし、かつその影響を受ける人間は、社会生活をする上で、意識的に、または気づかずに、実に様々な組織に従属している。身近な組織の例としては、部活、学校、自治体、企業、そして国家である。その国家も国際的には、国連などの国際的組織の一員をなしている。
 そこで、私は経営学理論の国家経営、国際社会の領域における可能性を考えたいと思う。この研究において、私は、C・I・バーナードおよび、H・A・サイモンによる経営学の理論を用いることにする。同時に、組織論及び、システム論による組織体の分析を用いる。また、組織を構成する最も重要な要素を為す個人の研究に加えて、国家をも一人格として捉えるホッブズの思想もここに取り入れることにする。
 最後に、私が何よりも重大な注意点として考えたいことは、理論の実用性と現実性である。社会の構造の分析や、人間とはどのようなものであるのかといった研究は、あくまでも問題解決の必要条件であり、目的ではない。そこから得られた情報を実践可能領域まで引き上げること、そして、そのための手段を考えることが重要であるのだ。

2 人間観

 組織論を用いての国家社会の考察を行う上で、まずは、その成員の最小レベルである個々の人間について考察したい。これまでの社会学者、経済学者は彼らの理論を述べるにあたりそれぞれの人間観を明確に示すことから始めている。その中で、私が最も興味を抱き、かつ企業のみならず国家経営に際しても応用可能な人間観として取り上げたいのが、C・I・バーナードの全人仮説註1 だ。「これまで経済学ばかりでなく、他のほとんどすべての社会科学において、『経済人』の仮説にもとづいて理論化が行われてきた。伝統的な経営学も例外ではない。バーナードは、この経済人仮説を批判して、自由意志と責任とを具備した新しい自立的人間仮説を提示する。経営学に関するかぎり、その基本的前提となる人間観を明示的に論じたのは彼が最初である。そればかりでなく、その人間観において、すでに決定論と自由意志論の二つの立場が統一的に受け入れられている。」註2 『バーナードによれば、個人とは「物的、生物的、社会的要因である、過去及び現在の無数の諸力や素材を具現している…全体」(一三ページ)であるが、そのような性格ゆえにこれら諸要因によって制約されている(決定論的)けれども、次のような一定の人格特性(自由意志論的)を具備しているものとみなされる。すなわち、(1)活動する、(2)その背後に動機をもつ、(3)選択力、自由意志をもつ、(4)目的を設定する、ということである。このようにバーナードの人間規定のなかには、環境に影響される、物的、生物的、社会的要因の統合物としての人間の「決定論」的な側面と、環境に対して主体的に作用する人間の人格的な「自由意志論」的な側面とが含まれている。』註3 この全人仮説をわかりやすく言い表した言葉を紹介すると、「非経済的動機をも併せ持ち、限られてはいるが合理的な選択力、自由意志を持って行動する人間像 」註4である。この人間観の中に、生物的要因とあるが、このことは、今期のゼミで扱った文献「裸のサル」著者デズモンド・モリスが発表した動物学的人間像も何らかの関連を見出し、研究の助けになるのではないかと考えられる。

3 国家と企業の相違点と共通点

 組織の運営において、最も純粋かつ確実に研究を進めてきたのは、企業であると私は考える。というのも、そこに従属する人、そして組織を運営する者が最も、その組織への従属を意識していると共に、そこには、互いの同意の上での協働関係が成り立っており、その組織の経営が、そのまま彼らの生活に直結しているためである。
 さて、企業及び国家はともに、他人と他人が同一組織に属することで何らかの便益を得ようとする行為であるといえる。しかし、この2つの組織が持つ性格はまったく異なったものであるといえよう。まず、企業を構成する人、と、国家を構成する人、の違いを考える。企業における各個人の最大の動機は、金銭的利益、つまり、経済的利益の追求であるといえるだろう。また、そこに従属することは、各人の自己責任に任せられるものであると同時に、各人の組織への従属は、日常からも十分認識しうるものであるといえる。一方、国家の場合はどうであろうか。国家という組織の成員である国民が、国家を構成する際だの動機は、治安維持・教育・福祉など非金銭的なサービスである。これらのサービスは、国民であるというだけで受けられるものであり、それが日常で当たり前のものであるという錯覚に陥ると同時に、自分達が国家という組織の成員であるという事実認識が明らかであるかは疑わしい。

4 教育の役割

 現在の日本における教育についても、言及したい。というのも、これまで述べてきた通り、組織を構成するのは人であり、その人がもつ考え方いかんによって、組織経営への影響が顕著であると考えるからである。また、ここでいう教育の最も大きな役割として、各人が、自分の現状及び、そこに及ぼしうる問題を十分に認識させうる教育が望まれるのではないだろうか。戦後、日本の経済成長を高める一旦を担った義務教育は、確かに国民全体の教育水準を上げることができた。しかし、一方で“義務”であるがゆえに、自ら学ぼうというモティベーションの低下を招いたとも言えるのではないだろうか。このことが、与えられた仕事はこなせても、自ら創意工夫するという能力が低い、という事態を招いたとも考えられるのではないだろうか。さらに、この受動的な態度は、国家という組織全体における協働の能率を極度に低下させているとも考えられよう。

5 最後に

 準備不足と勉強不足のため、現段階では、説明不足な論文ではありますが、今後、各分野において、より詳細な情報を得ると同時により掘り下げた研究を続けるとともに、随時更新していくつもりであることを述べて、この中途半端な発表の謝罪とさせていただきます。




脚注

註1 人の行為は経済低要因のみによって決定されるというもの[本文]
註2 引用 「バーナード 経営者の役割」p20 飯野春樹 編 有斐閣新書 1979[本文]
註3 引用 「バーナード 経営者の役割」p20 飯野春樹 編 有斐閣新書 1979[本文]
註4 引用 「バーナード 経営者の役割」p4 飯野春樹 編 有斐閣新書 1979[本文]


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