平和哲学の原点

1945年8月6日午前8時15分、男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘッタ。

この日人間が人間をあらためて人間であると確認した日であった。また多くの人が人間を失った日であった。この日この時間、人間の1945年間の歴史での転機が訪れた。広島に原子爆弾が投下されたのである。爆心地付近では、死者はすべて空をつかむ姿で、あるいは、逃げようとする動作のまま焼死していた。あるものは赤ちゃんを抱きながら片足をあげて守るようにして焼死していた。朝の朝礼で整列のまま蹲り、黒く焼死した全校生徒の姿もあった。また体を残さず影だけをこの世に残して消える者もいた。生き残った者は、みな髪の毛を天に逆立て、唇を腫らしながら、眼球を垂らしつつ、焼け爛れた手を前に出し、手から今にも落ちようとする自分の皮膚を前にかざし、ゴーストのように灼熱の体温を低下させるためだけに生きた。「水ヲクダサイ、助ケテクダサイ」これしか彼らは喋ることができなかった。あるものは口を天に大きく開け、黒い雨を飲んでいた。そこには地獄を求める人の姿があった。川の中には水死した死体が、赤、青、緑、紫色など3倍、4倍もの大きさに膨れて、川が水ではなく、ヒトツノ型ニカエッタ死体によって川になっていた。内臓は業火の炎で焼かれた。あるものは草むらで腹からゴム風船のような腸を出していた。毒素のような泡を吹いて死んでいるものもいた。水槽や防火水槽の中には、水を求めるヒトが群がって多数のヒトがその中で死んでいた。眼球を飛び出した生徒達を水槽の中に入れ覆い被さるようにして庇い、そのまま死んでいた先生が居た。かろうじて生き延びて、立ち上がろうとしてそのまま死んでいたヒトが居た。その人は眼球を地面に支えてもらいながら死んでいた。原爆の被害をこうむったのは、人間だけでは無かった。動物もそうである。牛は爆発のショックで荒れ狂いあらゆるところに突進していった。下半身と腰のあたりを切断したように焼けきれた状態で、馬の胴体は2倍に膨れ上がりヒトと重なりあって倒れていた。夜になると傷ついた犬達が食い物を求めて人間の死体に近寄って来た。また至る処に小さな死体を見ることができた。居たと言っても死体の状態で居た赤ちゃんである。タル木が頭に刺さったままの子供を乳母車に乗せ、それを押すしかない母親、荒縄で黒い子供を背負いながら足を引きずる若い母親、母の乳を吸おうとし死んでいる小さい子、子供の指先が母親の肌に深く食い込むぐらい母に守ってもらった子供、門に縋りながら泣きつつ死んでいる男の子、そして子供を焼こうとしている母親が居た。背中に背負っている子供の火傷跡にはウジ虫が動きまわっていた。手には拾った鉄兜を持ち、それに子供の骨を入れるつもりなのであろう。「死んだ子供をどこで焼こうかしら・・・」なんとも悲惨な叫びである。このような光景は幾多で見られた。日陰の無い炎天下でわが身の負傷を省みず重症の夫をせめて顔だけでも陰を作るため、帽子を夫の頭にかぶせる妻の姿。水をあげたくてもあげることができない歯がゆさ。熱によって溶けた腕時計を取ろうとしても手の皮がずるずるとむけて取ってあげることができない悔しさ。人を助けることができない心を抉るような光景はいったい私達に何を教えてくれるのであろう。人はこの時初めて地獄を見たのである。
 上の光景は被爆者達が自分の目で見たものである。数ヶ月後の写真では無い、原爆が落ちたその瞬間に起こった出来事をつづったものである。原爆の真の恐ろしさ、悲惨さを教えてくれるのは、この被爆者達が見たものを投射した絵でしか感じることができない。写真は真実をありのままに映すかもしれないが、しかし、そこには感情は無い。絵には感情がある。この絵から私達が学ぶことができることは何であろうか。それは平和哲学しかない。註1
 平和哲学者、岡本三夫は彼の著書「平和学」で高橋眞司の「長崎にあって哲学をする」を習いながら、次のことを述べている。「広島にあって平和を考える者としては、平和学は究極的には哲学者の仕事ではないかという気がしてならない。ヒバクシャが体験したこの世の地獄は平和学の原点だが、彼らの証言を聞き、半世紀以上におよび身体的精神的な不安や病苦を知るにつけ、人間の原罪、生と死、権力欲、権謀術数、弱肉強食、愛憎、苦難、赦しなどの問題を根源的に捉え、解明することの重要性に突き当たらざるをえないのである。註2」また平和学に関して次のように述べている。「平和学は、世界を社会科学的あるいは、社会工学的に捉えて、゛こうすれば平和になる゛といったようなノーハウの問題ではないことに気づかざるをえないのである。平和を包括的に理解すればするほど、そのホリスティックな輪郭はまさしく全体であるがゆえに、哲学あるいは平和の哲学たらざるをえないのではなかろうか。」註3 上記のことは、私の学術的関心を端的に述べている。つまり、平和がすべての存在に内在するものである以上、それを捉えるためには全体によってのみ、すなわち、哲学においてのみそれが可能である。そして、平和を理解するには、平和哲学という新しい学問領域が必要とならざるをえないであろう。
註1 財団法人広島平和文化センター「原爆の絵」童心社、参照[本文]
註2 岡本三夫「平和学〜その奇跡と展開〜」法律文化社、p88[本文]
註3 岡本三夫「平和学〜その奇跡と展開〜}同上[本文]

インデックスへ戻る