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吉良 敦岐 1999年卒業
読売新聞社 勤務
大学1、2年のときは、本当にどこにでも顔を出した。校内で勉強会をすると言え ばすぐに駆けつけ、他大学と交流すると聞いたら率先して参加した。多くの人と話を することは、「常に新しい考え方に触れること」と思っていた。確かに、今もそう 思っているのだが、こと「学問を志す」という点に関しては、もっと自問が必要では ないか・・・そういう思いから、大学3年に進級するとともに鎌田ゼミを選んだ。 大学ではディベートが流行していたが、僕にはどうも「言葉の強い人間、パフォー マンスができる人間」が議論を操作しているようにみえた。そこで「じゃあ、プレゼ ンテーションの方法を勉強しよう」と考える手もある。国会を見ても分かるように、 内容を伴わないけれど相手にインパクトを与える答弁で議論を有利に運ぶことは可能 だ。でも、「それでいったい自分は何が成長するのだろうか」と思わざるを得ない。 内容が伴わないのに背伸びして声高に話をしてもいずれ限界がある。もともと自分は 口達者な方(!?)なので、まずは自分の「内容」を高めてみようと思ったわけだ。 ゼミが始まって一番初めに開いた世界の名著は、フロイトの「精神分析入門」だっ た。「まあ、読んでいけば、内容はつかめるだろう」と甘い考えでいたが、読んでも 読んでもページは進まず、結局第三章は読みきれなかったことを覚えている。次に読 んだ本は、ユングの「心理学的類型」だった。これは、読んでも読んでもまったく意 味がわからない。それなりに本を読んできたつもりだったが、まさかここまで何が書 いているかが分からないとは思わなかった。「前提として、自分が新しく触れるもの は『分からないもの』なのだ」という考え方が、このときに身に付いたと思う。 それは、新聞記者として働いている今でも同じことで、心がけとして「今から取材 をする事件・話題・人は、自分にとってまったく分からない・知らないものなのだ」 という考えをもっている。そして、いつも先輩に怒られる時は、決まって自分の中で 「こうだろう」と思い込んで取材をしたときだ。よく「一週間で●冊も本を読んでし まった」なんてうそぶく学生もいるのだが、それは「自分がもうすでに知っている思 考方法」をなぞって読んでいるだけか、もしくはウソをついているかのどちらかだと 思う。 二年間、世界の名著を読み続けて、「果たして役に立ったのか」と問いかけれられ れば、今のところ「分からない」と答えざるを得ない。今後も役に立っていくのか も、実際のところわからない。ただ、ゼミでの勉強に関しては、なぜか満足してい る。学生の時にしかやれない勉強ができたと思っている。そして、社会人として「仕 事」をこなしていく人間になった今となっては、あれだけ自由な発想ができた時期 は、なかなか戻ってこないと気づき始めている。 今でも覚えているのだが、ゼミ生の家でニーチェの「ツァラトゥーストラ」の発表 準備をしていたとき、「腹が減ったので、そろそろ何か食べに行くか」と友人の下宿 を出た。とあるラーメン屋に入ったのだが、ラーメンを食べ始めるとお互い無言に なった。ひたすら食べ続け、店を出たあと「まずくなかった?」と声をかけると、 「おれもそう思った」と笑いあった。いまだに、あそこまでまずいラーメンを食べた ことはない。そういう記憶も、部屋の中でごろごろとしながら何時間も本を読んだか ら、腹を空かしておいしいラーメンに期待したから。鎌田ゼミでしか味わえなかった 味(!?)だったと思っている。 正直なところ、今のところは日々の取材に追われて、「考える」時間というものが まったくない。前線で取材する新聞記者という仕事は、「寝る時間を削って取材をす る」仕事なので、頭は使わず体力勝負。これから、もし鎌田ゼミで勉強したことの効 果が「生き方」として現れてくるなら、その兆しが見えるまで、じっと待ち続けなが ら仕事を続けていきたい。 2002年4月30日 |
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