「Think localy」の環境保全運動

5375 吉良敦岐

●1、初めに

 気候変動枠組み条約第三回締結会(温暖化防止京都会議)が 12月5日から始まった。この会議には、正式に参加している各国首脳だけではなく、COP3のようにこの会議を盛り上げることで、参加している団体もある。その意味では、この会議はただ単なる国際条約を締結するための会議というよりかは、私たち個人個人がどう環境問題に関わっていくかを占っていく指針となる会議であろう。また、この会議で出される決定は、後の地球環境に対して非常に影響の強いものになるといえる。

 このような大規模な環境会議を迎えて、いつも提起される問題は「お祭り騒ぎだけで会議に参加するのでは意味がない」ということである。したがって、この論文ではチェック機能として3つの論点を挙げ、それについて考察を加えることにより、新たなる地球環境保全運動の可能性を探っていくことにする。

 1)人間が実感できる距離はどこまでか?
 2)人々は合理的な判断を行って、環境保全活動に身を投じているのか?
 3)『「環境保全」それ自身が問題になっている』といわれるのは何故か?どうしてそのような状況が生まれたのか?

 この論点を、歴史的に考察していきたい。それというのも、環境問題はただ単なる現在の問題ではなく、環境問題には過去から脈々と続く人間の思想の変化が大きな影響を与えているからである。未来のデータを予測して環境保全運動を考えることが大切なのと同様、過去の歴史を分析して環境保護運動を考えることは非常に意義のあることではなかろうか?

 このことを論じる前に、まず記述しておかなければならないことがある。それは人々が環境保全を求める原因は二つあるということである。

 1)地球環境問題が深刻化 → 環境保全の必要性 → 環境保全運動
 2)自然環境は素晴らしという思想 → 環境保全の必要性 →環境保全運動

という二つの形式である。以下の論点1では環境保全の(1)の形式に着目することにする。そして論点2では環境保全の(2)の形式に着目する。

●2、論点1:Think globaly からThink localyへ

●2ー1、Think globaly とThink localy の環境保全

 「Think globaly, act localy」は、近年の環境運動のスローガンとなっている。このスローガンの持つ意味は、「環境問題を考えるときは地球的な視点をもち、行動は身近な事から始めよう」ということである。確かに、環境問題は国境では仕切れない地球規模の問題であるため、個々人が責任を持ち、身近なところから行動する必要がある。

 ところが、現在の環境問題の一見して、「何かしら行動を起こさないとまずい」という危機感を感じる人は何人いるであろうか。そして、実際に行動を起こしている人は何人いるだろうか。いくら「地球が温暖化している」といったところで、ほとんどの人は1度や2度の温度変化が実感できない。また、変化がはっきりと実感できないため「自分だけは大丈夫であろう」とフリーライドする人もいる。この様な背景があるため、環境問題はメディアで大々的に報道されながらも、なかなか解決に向かわないのである。今回の京都会議では、国レベルでCO2の削減量が決まるだけであり、個人の行動にまでインパクトを与えることはできないであろう。京都会議開催により、個人の中で一時的な環境への目覚めが起こったとしても、それに関する情報が途切れるや否やその問題意識は消え失せてしまう。つまり、メディアで大々的に京都会議について取り扱われている間は、個々人が「環境」に関して関心があるのだが、京都会議が閉幕し、「環境」に関する情報が途切れるやいなや、その関心は失われてしまう。

 そこで、学生がどれだけ「長良川河口堰問題と諌早湾問題」を覚えているかを確かめるため、アンケートを取ってみることにした(資料1参照)。このデータを見ると、あれだけ問題にあった「長良川河口堰問題と諌早湾問題」が、10%前後の学生にしか覚えられていない現状が分かる。これはおそらく、現地が自分の住んでいる場所と離れており、メディアの情報が途切れてしまっているからであろう。

 環境問題は、多くの国々、多くの人間が危機感を持ち、足並みをそろえて行動するからこそ解決していける問題である。「Think globaly」という視点は足並みをそろえるための一つの視点である。しかし、そもそも、人間は「Think globaly」に考え、なおかつ問題意識を継続して持ち、行動に移せるほどのキャパシティーを持っているのだろうかという疑問は残る。前述したアンケートの考察では、「人間がある問題をglobalに考えることができるのは、その問題に関する情報がメディアから入手できる限りにおいてである」ということを証明した。

 そこで私が提案するのは「Think localy」の環境保全である。私たちが環境問題を感じるときは、目の前の森林が枯れている、目の前の川が明らかに濁っている時もある。また、問題意識を継続して持ち続けるには、常に環境問題を身近に感る事ができる環境が必要であろう。「Think localy」の環境保全とは、利害関係が明白で、なおかつ体験できるところから環境問題を考え、そしてその問題意識を地球環境全体に広げていくという視点である。

●2ー2、儒家と墨家の教え

 この様な私の考えは、決して新しいものではない。儒家と墨家という古代の中国思想を見れば、以前からそのような二つの見方が存在したことが分かる。まず、儒家の思想であるが、論語の中で引用してみる。

「葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直、なるもの有り。その父、羊を盗みて、子これを証わせり。孔子曰く、吾が党の直き者は是に異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中にあり」

世界の名著「孔子・孟子」中央公論社 P269

これは、葉公が「自分の家来の中には非常に正直なものがいる。自分の父親が羊を盗んだのを、密告したのだから」と言ったのに対して、孔子が「本当に素直な人間は、親は子の事を思うがゆえに子どもの罪を隠し、子どもは親のために親の罪を隠すのが普通である。」と反駁したということである。ここから見れる儒家の愛は家族愛を基礎とした仁愛であり、その愛を近くから遠くに敷衍していこうとする。したがって、まずは自分の身近なところで仁愛を実践し、集団全体に共同性を広げていくのである。その意味では、儒家における愛は「Think localy」の愛だということができるであろう。

 ところが、この様な儒家の愛に対して墨家は差別愛だと反論する。墨家が説く愛の形式は、

「若し天下をして兼ねて相愛し、人を愛することを其の身を愛するが若くならしめば、猶不孝の者あらんか。」

「若し天下をして兼ねて相愛さしめば、国と国と相攻めず、家と家相乱さず、盗賊あることなく、君臣父子みな能く孝慈ならん。此の若くならば則ち天下治まる」

世界の名著「諸子百家」中央公論社 P91

というところにある。つまり、墨家が目指した愛は兼愛であり、家族愛を基礎とした仁愛を越えた、無差別平等の愛である。兼愛思想では、まずは全体を愛することによって、個々の愛が存在するのである。そして、儒家の愛は差別愛だとして非難するのである。その点では、墨家における愛は「Think globaly」の愛だといっても良いであろう。

●2ー3、人間は価値判断をするだけの情報量を持っていない

 環境問題は個人の努力無しには達成できないことは明白であるが、果たして個人は問題を合理的に判断して行動するだけの情報を持っているのだろうか?個人が環境問題に対する情報を十分に保有していれば、確かに個人の合理的な判断によって環境保全運動が進むであろう。ところが、武庫川ダムのアンケート調査によると、「武庫川ダム計画を知っていた人」はKSCで18.4% 、上が原では9.6%であった。これでは自然環境を破壊する可能性がある公共事業の一番身近な例である武庫川ダムについて合理的な判断が下せる人がほとんどいないことが分かるであろう(資料2参照)。また、KSCのダム反対者の68%、上が原のダム反対者の80%は、ダム建設予定が合ったという情報すら持っていないのである(資料3参照)。人間は環境にインパクトを与える活動の是非を判断するだけの情報を持っていないと言えるであろう。

●2ー4、総括

 以上の考察を経て私は以下のことを提案する。環境保全運動は、

 1)私たちの利害関係が明白であり、
 2)環境破壊が実感、体感でき、
 3)なおかつ情報を現状が一致しやすい身近なレベルから環境問題を考える

ことが大切になるのではないだろうかは。「Think globaly」 と「Think localy 」、どちらが良いというものではなく、二つの方法があるという事実を私たちに提供してくれる。人間にはさまざまなタイプがあるが、環境問題は全員が一致団結して一つの目的に向かわなければ解決しない問題である。ならば、一つの目的に対して、複数の方法論でアプローチすることが大切になるであろう。さしあたり、私たちはこの「Think globaly」 と「Think localy 」という二つの方法両方で地球環境にアプローチしていくことが大切になるのではないか。「Think globaly」の環境保全は、メディアでも大きく取り上げられているため、私たちが新しく目を向けていかなければならないのは、自分の身の回りで環境破壊を感じようとする働きかけ、つまり「Think localy」の環境保全であろう。

●3、論点2:共同体の変遷から見た環境保全への道

●3ー1、古代の共同体『墨家、ポリスの共同体』

 人間の最初の共同体を想定すると、狩猟をするための共同体、あるいは農耕をするための共同体ということになるであろう。しかし、ここでは歴史としてある程度さかのぼれる範囲で共同体を考えるため、墨家の共同体、古代ギリシャのポリスの共同体から考察を始めることにしたい。

 この時期の共同体は防御的な共同体であったということができる。墨子教団の場合は、春秋戦国時代を生き抜くために形成された共同体であり、多数の人間が力を合わせて何かを獲得するというよりかは、個人個人で分離していると外的圧力に耐えきれないという事情のもとに形成された。一方、ギリシャにおけるポリス形成にも同様の背景がある。プラトンの著作の『クリトン』の読むと以下の記述に出会う。

「むしろ、職場においても、法廷においても、どんな場所においても、国家と祖国が命ずることは何でもしなければならないのだ」

世界の名著「プラトン」中央公論社 P480

これを見てもわかるように、共同体という概念が個人という概念に先立っていたのだ。また、もしポリス同士の戦争に負けると、負けたポリスの市民は、勝ったポリスの市民に奴隷として使われることになる(あるいは和平交渉が結ばれることもあるが)。この二点を見てもわかるように、ポリスにいる市民の視点は外部に広がることはない。ポリスから一歩外に出るとそこには無秩序が広がっていると考えるのが普通であり、ソクラテスが『クリトン』の中で言ったように「一つのポリスの秩序に従えないと言って、別のポリスに行ったとしても、受け入れられることはない」。したがって、当時の人間はポリスの外に自由があるとは考えなかったであろう。ソクラテスが国法を遵守し、死を選んだのも、国法にこそ自由があると考えたからである。

●3ー2、古代から近世への展望

防御的な共同体が持つ視点は、徐々に外側に向いていく。その原因としては

 1)軍事活動による遠征
 2)商業活動による交通網の発達
 3)そして、それに伴うネットワークの形成

が挙げられるであろう。つまり、この時点ではじめて、人間は外的環境が「ある」ということに目覚めたのである。

 例えば、ルネサンス以後の絵画の背景に自然を描かれるようになったことなどがそれを表しているのではないか。以前までの環境はいわば「無」や「無秩序」であったと言えるであろう。なぜなら、絵に描かれないということは、人間が「意識していない」ことを意味するからである。この様な視点の転換は、以前の外部環境に対する「恐ろしい」印象はだんだんと薄れ、冒険心をそそるようなものになっていった。大航海時代などは、この様な思考の転換があったからこそ生まれたのである。

●3ー3、近世の共同体『功利主義の共同体』

 人間が外的環境に対して働きかけを強めていく結果、「外部から身を守る」という防御的な共同体は「目標に向かって団結する」という攻撃的な共同体に変容していった。人間はあらゆる束縛から開放される『自由』を手に入れた結果、各自の目標が設定できるようになった。人間は自分に対して何かしらの目標を設定して、同じ目標を持つ人が団結して共同体を形成するようになったのである。この様な攻撃的な共同体の確立に寄与したのが、18世紀から19世紀にかけて生まれた功利主義という思想である。

 ベンサムは功利主義について以下のように定義している。

「功利性の原理とは、その利益が問題になっている人間の幸福を増大させるように見えるか、それとも減少させるように見えるかの傾向によって、また同じ事を別の言葉で言い換えただけであるが、その幸福を促進するように見えるか、それともその幸福に対立するように見えるかによって、すべての行為を是認し、または否認する原理を意味する」

 世界の名著「ベンサム・ミル」中央公論社 P82

つまり、ベンサムは功利性の原則を「利益を増進させることが、ある行為を容認する基準だ」としている。ベンサム自身は、以前のすべての時代においても功利主義の原則が当てはまるとしているが、これについては慎重に扱わなければならない。「ポリスの共同体でも、『自衛する』という目的があったではないか」という問いかけに対しても、同様の姿勢が必要である。

 それというのも、<無意識的な目的>と<意識的な目的>を正確に分ける必要があるからである。もちろん、古代の共同体にも功利主義的な考え方は当てはまる。しかし、功利主義が現れた背景には、人間が利益を追求できる環境が十分に整備され、そこで意識的に利益を極大化しようとすることが可能になったからであろう。また、人間が意識的に目的を自由に設定できるということは、目的の為には手段を選ばないという思想を生む。マルクスは自然について以下のように書いている。

「土地は、彼の本源的な武器倉庫であるが、それと同様に彼の労働手段の本源的武器倉庫でもある。」

世界の名著「マルクス・エンゲルス氈v中央公論社 P219

環境は人間の目的実現の為の武器倉庫になるということは、「人間が環境を自由に制御できる」という思想と繋がってくるのである。古代の人間なら、「環境を自由に制御」できるという思想を持たなかったであろう。それは、古代の人間も合目的的に行動していたが、それは<無意識の目的>だったからでわる。

 こうして、環境を「目的の為の手段」と見なしていった人間は、環境を恐れる防御的な共同体を形成する必要性がなくなり、利益中心の攻撃的な共同体を形成していったのである。

●3ー4、第二次世界大戦前の共同体

 フロムは『自由からの逃走』の中で以下のような指摘している。「人間は有史以来「自由」というものを求め続けている。しかし、現在の人々はその自由という概念が重荷になり、その結果自由から逃避し、強制的な画一化を求めるようになった。それが、ナチズムである。」と。これまで、人間は欲望を満たすために共同体を作ってきたため、個々の欲望を共同体に投射した形で実現してきた。そして、その欲望は一次的欲求のようなものであるため、共同体の中の個々人で食い違うことはなかったと言えるであろう。ところが、もはやその一次的欲求は、確実に満たされるという信念が生まれてきた。それを受けて価値が多様化したことにより、個人の欲望は必ずしも共同体の欲望と一致しなくなったのである。

 このときはじめて、人間は自分の欲望を満たすために一人で歩かなければならなくなる。ところが、やはりデュルケムが指摘したように「個人と社会(=共同体)は相互浸透性があり、個人は社会を構築し、また社会は個人が危機に陥ったとき個人を助ける役目を果たしていた」のである。人間は自分の力で目標を設定するという権利を手に入れたが、結局のところ自分で目標を設定するだけの力を持つ人間が少なかった。したがって、もうそこに既に設定されていた目標、つまりナチズムのような思想に傾倒していくようになったのだ。

 19世紀において、デュルケムはもう既に「自殺論」の中でこの問題点に触れている。たとえば、

「社会的人間は必ず社会の存在を前提とする。彼が表現し役立とうする社会を。ところが、社会の統合が弱まり、我々の周囲や我々の上に、もはや生き生きとした活動的な社会の姿を感ずることができなくなると、我々の内部に潜む社会的なものも、客観的根拠をすっかり失ってしまう。・・・すなわち我々の行為の目的となりうるようなものが消滅してしまうのである。ところが、この社会的人間とは、実は文明人に他ならない。社会的人間があることが、まさに彼らの生を価値あるものにしてきたのである。」

世界の名著「デュルケーム・ジンメル」中央公論社 P161

という点をみるとよく解るのではないだろうか。デュルケムが「社会的なものがなければ行為の目的が失われる」と説く理由は、たとえ個人の目的が達成されても、それを共有する場がない場合、個人は不安に陥るのからである。つまり、人間は自分を表現する社会(=共同体)という場を必要とする。功利主義の時代はまだ、無意識のレベルで「共同体を形成しなければ個人の目的を達成できない」という通念があったのであろうが、20世紀に入ると、とにもかくにも「個人の目的を達成したい」という視点が全面に打ち出され共同性という概念が見失われていった。

 フロムの指摘から読みとれる共同体は、「何かをしたいが(しなければならないが)、何もできない」というアノミーが生んだ妄信的な共同体であろう。

●3ー5、その後の共同体は

 第二次世界大戦以後の共同体は、果たしてフロムが指摘した共同体の危険性を乗り越えたものであろうか?私自身は「乗り越えていない」と考えている。それというのも、ナチスが「環境保全運動」に変わっただけの可能性があるからである。そこで資料3を参照していただきたいのであるが、学内における武庫川ダム建設反対者のほとんどが、武庫川ダムの計画を知らなかった人である。これでは、ナチスが情報を操作することによって、ドイツ国民をマインドコントロールしていったことと同じではないだろうか。

●3ー5ー1、なぜ環境自体が目的になったか

 攻撃的な共同体に変容いった過程の中で、人間は目的を持たなければならないようになった。そして人間は環境を道具倉庫と見なし、そこから道具を創り出し、それを使うことによって自分の目的を達成してきた。

人間 → 環境 → 目的
(道具・媒介)

 ところが、フロムが指摘したように、人間は自分の目的というものを見失うようになった。そして、戦後に生まれたどの環境思想にも「脱人間中心主義」「自然は近代人が考えてきたような、征服される対象ではない」ということが明記されるようになった。ここで、人間が自己の目的を見失い、なおかつ「環境を道具倉庫」と見なす思想に問題点があると指摘されるなら、環境を目的とせざるを得ないであろう。

人間 → 環境 → (×)目的
(これ自体が目的)

 この様にして環境保全それ自体を目的とする思想は始まったのではなかろうか。

 環境保全の必要性は二つの側面があることは冒頭で説明した。その中の「地球環境問題が深刻化した結果の環境保全運動」に、「目的を失った人間が、目的を求めるが故の環境保全運動」が相乗りした形で、今の環境保全運動が行われている。環境保全を自己目的にして、その目的によって共同体を形成しようとしている人もいる人が多いのではないだろうか。

●3ー6、総括

 まず、環境保全が目的となり共同体を作ることはそれ自体は否定されうる行為ではないことを確認したい。功利主義の共同体以後、人間は目的に合わせて共同体を作っていく方法を採っているからである。環境に対して働きかけるようになった人間に対して、「環境を恐れるアニミズムを復活させよう」といったところで、もはや後戻りできないことは明確であろう。それは大人が子どもに戻れないのと同じ事である。

 ただ、問題なのは、情報ネットワークが発達した結果、大量の情報を手に入れることができ、その情報に基づいた目的自体が肥大化してしまっているところにある。つまり、地球環境の情報が大量に手に入り、環境保全という目的が肥大化してしまっているという事である。今の環境保全運動には、環境保全を目的として認知し、共同体を形成するというよりかは、環境保全を盲信して共同体を形成するという側面があることは見逃せない事実である。これに対する一つの打開策としては、「もう一度、自分の利益が実感できるレベルで問題を考える」という状態を造り上げるということが挙げられるであろう。

 これは決して単なる懐古主義ではないという事は特筆したい。なぜなら、以前は「自分の利益が実感できるレベルで問題を考える」という行動が無意識に行われていたが、「私はこれを意識的に行ってみてはどうか」と定言しているからである。もし今もなお、現代人の無意識の中にフロムが指摘した危険性があるとするなら、意識的なレベルでそれに対して対策を立てることが重要になるであろう。もちろん、すべての危険性が見渡せるわけではないので、この提案は可能性の一つとしての提示になる。

 これを環境保全運動に当てはめるとするなら、「まず、自分の身の回りにある身近な環境を考えてみる」ということになるであろう。これまで「環境問題は地球規模の問題で各国が足並みをそろえて行われなければならない」や「地球規模で温暖化が進んでいる」と言われ続けてきた。もし私たちが、その意見を安易な目標として受け取っているのなら、環境ファシズムの時代が訪れるといっても過言ではない。大切なことは、その「地球規模」視点はそのまま大切に保持し、なおかつ身近なレベルで環境問題を感じる必要があるであろう。これは、フロムが指摘した妄信的共同体から逃れる一つの手だてになるのではないだろうか?

●5、問題点の総括

 以上の二つの論点を歴史文化に沿って考察した結果、次の問題点が明らかになったといえる。

1)我々は、環境問題に関する情報が不足しており、合理的な判断ができない。また、情報が途切れると、その問題に関してはすぐに無関心になってしまう。したがって、いつも直接状態を見ることができる環境保全からはじめて、地球環境を考えてはどうかそこで「Think localy」の環境保全が必要になるのである。

2)また、現代は、情報化により目的が肥大化するため、目的との関係が薄くなりがちである。この関係を回復するためには、「自分の利益が実感できるレベル」で問題を考えてみる必要性がある。

●6、政策立案

 私たちの学部は総合政策学部と銘打っているからには、政策立案を行わねばならない。以下に、今のところ私が考えることのできる政策案を記載した。どの政策案も、国際協定の締結のような「Global」は政策案ではなく、地域住民に身近な環境を知ってもらう政策案である。

●6ー1、Globalな「Think localy」の環境保全保全

 月並みになるが、これには何といっても環境教育の整備が大切である。それぞれの地域に「どれだけの自然が残っているのか」、そして「どのような環境破壊が進んでいるのか」などの調査を行い、それを児童、学生、社会人に伝えていかなければならないだろう。例えば、温暖化の問題でも、「地球の温度が1度上昇すると大変です。たとえば、水面が・・m上昇する、云々」というのも良いが、京都のブナ林が枯れていっている現場を見せ、そこから温暖化を連想させるという方法もあるであろう(注)。

 また、早急に県レベルでのレッドデータブックを整備しなければならない。なぜなら、同じ種でも「地域性」が非常に重要だからである。「諌早湾を干拓するとムツゴロウが絶滅するという話もあるが、諌早湾のムツゴロウは日本全体のムツゴロウの、たった数%である。」と発言した国会議員もいたが、これは「種の地域性」という視点から見ると、間違っていることが分かるであろう。武田尾渓谷の貴重な約40種類の植物は県のレッドデータブックに記載されているが、その貴重な植物の記載方法は行政的な区切りに基づいている。これからは、生態系レベルで地域を指定し、それに基づいて貴重な植物種を指定しなければならない。そして、多くの人が閲覧でき、入手できるかたちレッドデータブックを出版しなければならないであろう。

 そこで、武田尾の自然を知っていて、なおかつ武庫川ダム計画に反対している人の割合を探ってみることにした。その割合は、武庫川ダム全反対者の中の、三田では40%、上ヶ原では29%であった。今後このような人をどれだけ増やしていくかが問題になるであろう。そのための第一の政策は、やはり小学校レベルからの環境教育となるのである。

 ここまで長々と書いてきたわけだが、簡潔にまとめると以下のようになるであろう。環境問題が解決に向かわない根本的な原因の一つに「環境破壊が実感できない」というものがある。それは問題が大きすぎるというところに原因があり、これからの環境保全運動は、多数の人が実感できるレベルの問題を扱い、なおかつローカルなレベルの情報をローカルなレベルで発信しなければならないということである。

★(注)京都のブナ林が枯れ

 京都府内のブナ林では大宮町のブナ林が有名だが、そのブナ林が現在枯れつつある。ブナは本来寒冷な地域で育つものであり、京都は丁度、常緑広葉樹林(シイ・カシ林)と、落葉広葉樹林(ブナ林)が混在している境目なので、気温上昇の影響を受けやすいのである。ブナは寒冷な気候を好み、山の上部に生息しているが多いが、気温が上昇すると、京都では山の頂上でもブナが生息できない気温になってしまうのである。

●6ー1ー1、武庫川ダムの例

 武庫川ダムの例でいうと、まず沢山の人に「武庫川の自然」や、「武庫川の環境破壊の実体」を知ってもらうことが先決になる。武田尾渓谷には約40種類のレッドデータブック記載されている植物が生息している。この約40種類というのは、アセスメントのデータが公開されていないため、具体的に植物種を羅列できるわけではないが(ここでも正確なデータの公開が大切なのだが・・・)、サツキ、アオヤギバナ、ルリミノキなどはその中に入っているようである。

 ここで「サツキなどは、どこにでも生えているではないか」と疑問をもたれる方もいよう。ところが、現在の植物種の保全は「地域性」というものを非常に大切にしなければならない。なぜなら、同じ種であっても、別のところで育ってきたものを植えると、環境に適応できず生き残れないケースが良くあるからである。

 武庫川ダムが完成すると、試験湛水をするため、これらの植物は確実に全滅してしまう。サツキの場合せいぜい1週間ぐらいは水に浸かりっぱなしでも支障がないらしいが、高さ73mのダムの上部まで水を満たすには、間違いなく1週間以上かかると思われる(ここでも正確なデータは公開されていない)。また、サツキは水面すれすれに生えているので、確実に死滅してしまう。ここで、良くあるケースでいうと、「いったんサツキを抜き、あとでサツキを植え直す」という案が提出されるのだが、この方法を武田尾渓谷のサツキには適さない。なぜなら、武田尾渓谷のサツキは、岩に根を張っているからである。一度岩から根をはぎ取ると、もう一度根付かせることは不可能である。

 また、たとえ試験湛水をしないとしても、武田尾渓谷のサツキは、「通常時は水面より上だが、大水の時は水の中に浸かってしまう」という微妙な位置で生きている。したがって、ダムを造ることによって少しでも水面が動くと、それだけで打撃を受けるのである。

 この様なデータを見てあなたはどう思われるであろうか。自然はそれだけで存在価値があり守らなければならないという人もいるが、それは結局個人の判断に任せるしかないであろう。私達にできることは、武田尾渓谷のデータを公開し、実際に行って見てもらうことだけである。

●6ー2、Localな「Think localy」の環境保全

 政策は公共政策から個人としての生き方まで含むものだと考えるべきであろう。すると、「Localな『Think localy』の環境保全」は「私個人として何ができるか」ということから始まってくるのではないだろうか。以下に私としてできる政策案を記載する。

●6ー2ー1、HomePageの作成

 近日中に「武庫川ダム」問題を取り扱ったHomePageを作りたい。これまで、たくさんの人に情報を伝えたいときは、本を出版したり、チラシを作ったりするしかなかった。この方法では大量の資金が必要な上、時間もかかってしまう。ところが、近年インターネットが発達し、個人の力でネット上に情報を公開できるようになった。また、その分、論文では書けないような現地の人の生の声を載せることができる。

 また、今ではロボット検索の検索エンジンも発達し、キーワードを入力するだけで、自分が入手したい情報を手にいれることができる。現に「武庫川を愛する会」が主催した勉強会のノートをHomePage上に公開すると、検索エンジンを経由して、何人かの人が私のホームページを訪れてくれた。

 前述したように、ローカルな環境問題に関していうと、個人が合理的に判断するのに十分な情報が不足している。インターネットは新聞や雑誌などでは扱えない、ローカルな自然環境を紹介していくための打開策の一つになるのではないだろうか?

●6ー2ー3、講演会の計画

 今年度末までに、武庫川ダムに関する講演会を開くことを考えている。これは、アンケート結果を見て、武庫川ダム問題について知らない学生が多すぎるからである。このことは、大学のレベルで環境教育を行うことと同じであろう。地域ネットワークから「切れてしまい」地域の自然環境を知らない人間を、いかにして「つないでいく」かが、これからの環境保全運動の重要な視点になるであろう。

●7、終わりに

 ここまで長々と書いてきたわけだが、簡潔にまとめると以下のようになるであろう。環境問題が解決に向かわない根本的な原因の一つに「環境破壊が実感できない」というものがある。それは問題が大きすぎるというところに原因があり、これからの環境保全運動は、多数の人が実感できるレベルの問題を扱い、なおかつローカルなレベルの情報をローカルなレベルで発信しなければならないということである。

 私はこの論文によって、「武庫川ダム計画に賛成か反対か」という意志表示はあえて避けている。なぜなら、私自身がまだまだ情報不足の人間だからである。私の活動として、これから更に情報を集めていくことになるが、その情報によって、人々が少しでも合理的な判断を下すことができる助けになれば幸いである。

 また、環境問題は経済学で扱うような数値的データを分析し危機をあおるだけで解決する問題ではない。そこには人間が背負ってきた歴史文化というものがあるはずである。したがって、これから地球環境を語るときには、歴史文化という視点が無視できないものになってくるのではないだろうか。

<<参考文献>>

責任編集:金谷治 世界の名著「諸子百家」 中央公論社 昭和41年
責任編集:貝塚茂樹 世界の名著「孔子・孟子」 中央公論社 昭和41年
責任編集:田中美知太郎 世界の名著「プラトン氈v 中央公論社 昭和41年
責任編集:鈴木鴻一郎 世界の名著「ベンサム・ミル」 中央公論社 昭和48年
責任編集:尾高邦雄 世界の名著「デュルケーム・ジンメル」 中央公論社 昭和43年
責任編集:鈴木鴻一郎 世界の名著「マルクス・エンゲルス氈v 中央公論社 昭和48年
エーリッヒ・フロム著 「自由からの逃走」 東京創元社 昭和40年
監修:小原秀雄 環境思想の系譜3「環境思想の多様な展開」 東海大学出版会 1995年