聴覚障害学生支援の全国的状況 1.はじめに  近年、高等教育機関における聴覚障害学生支援の広がりが顕著になってきました。大学・短期大学(以下、大学)がボランティアの学生を募集して講習会を開催し、ノートテイカーを養成・派遣する、そんな支援体制が全国的に広がりを見せています。また、学内に障害学生支援のための委員会が設置されることも珍しいものではなくなり、先駆的な大学では、聴覚障害学生支援のために手話通訳等の専門的技能を持つ職員を専任で配置するなどの取り組みも行われています。  十数年前、筆者自身が聴覚障害学生支援に関わり始めたころは、まだ聴覚障害学生本人が友人を集めて手話やノートテイクの方法を教え、授業のサポートを依頼するのが常でした。ノートテイカーに謝金を支給しているごく一部の大学が、聴覚障害学生に優しい大学として注目されていた時代です。あれから十数年の月日を経て、高等教育機関における障害学生支援は大学による「公的保障」という新しいステージに足を踏み入れつつあります。  本稿では、変わりつつある聴覚障害学生支援の様相に焦点を当て、現在の到達点と課題について述べます。 2.高等教育機関における聴覚障害学生支援の現状  長い間、障害学生の高等教育については実態がつかめず、高等教育機関で学ぶ障害学生の数すら正確に把握されていない状況にありました。しかし、90年代中盤以降、毎年継続的に全国調査を行っている全国障害学生支援センター(参考文献1)に加え、2000年以降は国立大学協会(参考文献2)、日本障害者高等教育支援センター(参考文献3)などによる大規模な全国調査が実施され、断片的ではありますがその実態が浮かび上がってきています。最近では日本学生支援機構(参考文献4)が国の行政機関としてはじめて障害学生の実態を把握したことが大きな話題にのぼっており、ようやく障害学生支援に社会的なスポットがあてられるようになってきたことがわかります。  ここでは、日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)が、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターの協力を得て実施した聴覚障害学生支援に関する全国調査(参考文献5、6)の結果を中心に、聴覚障害学生支援の現状について述べることにします。 参考文献 1 全国障害学生支援センター(1994〜2005)大学案内障害者版.全国障害学生支援センター(旧:わかこま自立生活情報室) 2 国立大学協会(2001)国立大学における身体に障害を有する者への支援等に関する実態調査報告書 国立大学協会 3 日本障害者高等教育支援センター(2004)大学内の支援(サポート)組織に関するアンケート調査報告書 日本障害者高等教育支援センター 4 日本学生支援機構(2006)大学・短期大学・高等専門学校における障害学生の修学支援に関する実態調査報告書 5 白澤麻弓(2005)一般大学における聴覚障害学生支援の現状と課題 〜全国調査の結果から〜 第2回「障害学生の高等教育国際会議」予稿集pp.9-10. 6 白澤麻弓(2005)聴覚障害学生に対するサポート体制についての全国調査 http://www.PEPNet-j.org.  本チップシートのうち、引用元を付記していないデータはすべて5、6によるものです。 (1)聴覚障害学生の在籍状況  前項に述べた複数の調査の結果、全国の大学の約50〜60%に障害学生が、約30〜40%に聴覚障害学生が在籍していることが明らかになっています。  各大学に在籍している聴覚障害学生数は、約8割の大学で1〜3名となっており、逆に10人以上の聴覚障害学生を受け入れている大学は、全国でも6校とほんの一握りです。ここから、聴覚障害学生は全国の数多くの大学に点在して在籍している様子がうかがえます。  このように、聴覚障害学生が少数しかいない大学では、当該学生のニーズに応じて柔軟に対応できるという利点があります。しかし同時に、せっかく在籍する聴覚障害学生に対して支援体制を整備しても、当該学生が卒業してしまうと、それまでにつちかったノウハウや知識が消失してしまいやすいという問題もあります。実際、現在は聴覚障害学生が在籍していないという大学のうち、約10%が過去3年間には聴覚障害学生の在籍があったとしています。同時に現在聴覚障害学生を受け入れている大学のうち、約5%は調査年度に新たに聴覚障害学生を受け入れたと回答しています。これらの大学間で、十分に情報の交換が行われ、以前聴覚障害学生を受け入れていた大学から、新たに聴覚障害学生を受け入れた大学に必要なリソースが流れてゆけばいいのですが、現実的にはなかなかそのようにうまくはいっていないようです。そのため今後は、一度聴覚障害学生を受け入れた大学は、この経験や知識を制度的な裏付けのある形でしっかりと大学に残していく必要があるでしょうし、こうしたノウハウを他大学と共有していく方法を検討していかなければならないでしょう。 (2)聴覚障害学生に対する支援の現状  次に、在籍する聴覚障害学生に対して、大学側がどのような支援を行っているのかを見ていくことにします。まず、聴覚障害学生の講義受講に対する支援には、現在手書きによるノートテイクがもっとも広く用いられています。前述の複数の調査の結果では、聴覚障害学生を受け入れている大学のうち、約半数が何らかの形で大学が関与した形でのノートテイクを行っているようです。学生ボランティアに対するノートテイク養成講座を実施している大学や,ノートテイカーに対して謝金を支給している大学や、事務職員がノートテイカーのコーディネートを行っている大学はいずれもノートテイクを行っている大学の4〜6割になっていますが、この数は急激に増えている印象があります。また、手話通訳による支援、パソコン要約筆記による支援は、それぞれ聴覚障害学生が在籍している大学の18.8%、13.6%とまだまだ多くはありませんが、これも今後増えてゆくことでしょう。  このほか、在籍している聴覚障害学生に対して行われている支援の内容には以下のようなものがあげられています。   表1 入学時の支援の内容 個別相談の実施:障害の程度の把握、入学した場合の対応についての相談、本人や出身高校・保護者との面談 学内への周知:学内に向けた障害を理解するための資料配布、授業担当教員への支援依頼 予算の確保:情報保障者(ノートテイクやパソコン要約筆記・手話通訳などの情報保障を担当する人)への謝金、養成講座開講のための予算確保 オリエンテーション時の情報保障確保: パソコン要約筆記・手話通訳の配置、職員やチューターによる補助、教員による配慮 ボランティアの組織化:ノートテイカー講座の開講、ボランティアセンターとの連携、ボランティア学生の組織化 表2 物的な支援の内容 消耗品の支給 :ルーズリーフ、ペン、コピーカードの支給補聴器貸与・補聴システム整備: FM補聴器・骨伝導補聴器・小型高性能補聴器の貸与・磁気ループシステムの導入 通信手段の確保: 公衆ファックスの設置、寮へのファックス設置、携帯用ファックスの貸し出し、事務室でのファックス利用許可、メール連絡用パソコンの設置 視覚情報提示機器の設置: 字幕デコーダーの設置、OHC・プロジェクターの設置、非常用フラッシュライトの設置 情報保障支援:パソコン要約筆記用機材の貸与、音声認識システム、字幕作成ソフトの導入 表3 授業における支援の内容 教員への配慮依頼 :座席の指定、資料の配付、板書、話し方、個別指導相談体制の確立: 学期ごとの個別面談、各教員への配慮依頼、個別相談支援、Eメイルでのレポート指導、密接な連絡体制、支援室の設置 手話コミュニケーション環境の確保: 手話のできる職員の配置、手話に関する授業の開講、手話サークルへの連絡、福祉専攻学生との交流会の実施 情報保障者の養成、スキルアップ: ノートテイカー養成講座の開講(講義、集中講義、地域主催)、ボランティア学生の養成、技術向上  (3)全学的支援体制の整備状況  最後に、全学的な支援体制の整備についてふれておきます。まず、障害学生支援委員会等といった、障害学生支援について全学的に協議・検討を行う委員会を有している大学の数は、全国の大学の6〜10%程度に上っていて、最新の日本学生支援機構(参考文献4)の調査では114校(回答校全体の11.4%)に設置がなされているとの結果が出ています。この多くが、2000年以降に設置されたもので(参考文献3、5、6)、この数は年々加速度的に増えている感があります。  同様に障害学生支援のための専任スタッフの配置についても30校程度の報告があり(参考文献4)、少ないながらも大学として本格的に障害学生支援に乗り出そうとする姿勢がかいま見られます。また、手話通訳や要約筆記等の資格を有する専任スタッフを学内に配置する取り組みも徐々に広がりつつあり、毎年数校ずつではありますが、確実にその数は増えてきています。さらに、欧米のように専任の情報保障者による保障を標準としている大学も表れており、今後はこのような専門的人材を整えた全学的な支援体制の提供がよりいっそう広がることが期待されます。 おわりに  これまで、高等教育における聴覚障害学生支援については「公的保障実現」がひとつの大きな目標とされていました。しかし、大学の手によるノートテイカーの養成や派遣が全国的に普及しつつある今、単に授業に補助者を配置するだけではなく、その質の検証やより専門的なサービスの普及が強く望まれます。聴覚障害学生が受講するすべての授業において、ノートテイカーを配置することは、現在の聴覚障害学生支援にとっては大きな目標のひとつかもしれません。しかし、それは単なる通過点に過ぎないことを肝に銘じなければいけないでしょう。聴覚障害学生の快適な大学生活のために、今よりもう一歩進んだ支援を提供できるよう全国の大学が力を合わせてゆければと思います。 参考文献(前述と同様) 1 全国障害学生支援センター(1994〜2005)大学案内障害者版.全国障害学生支援センター(旧:わかこま自立生活情報室) 2 国立大学協会(2001)国立大学における身体に障害を有する者への支援等に関する実態調査報告書 国立大学協会 3 日本障害者高等教育支援センター(2004)大学内の支援(サポート)組織に関するアンケート調査報告書 日本障害者高等教育支援センター 4 日本学生支援機構(2006)大学・短期大学・高等専門学校における障害学生の修学支援に関する実態調査報告書 5 白澤麻弓(2005)一般大学における聴覚障害学生支援の現状と課題 〜全国調査の結果から〜 第2回「障害学生の高等教育国際会議」予稿集pp.9-10. 6 白澤麻弓(2005)聴覚障害学生に対するサポート体制についての全国調査 http://www.PEPNet-j.org.  本チップシートのうち、引用元を付記していないデータはすべて5、6によるものです。 執筆者 白澤 麻弓(しらさわ まゆみ) 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター准教授 2007年8月1日第2版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。