聴覚障害幼児・児童・生徒を囲む教育環境 1.障害の早期発見と教育の開始  現在の日本では、新生児聴覚スクリーニング検査が行われるようになり、子どもが生まれた直後に聴覚の異常の有無が調べられるようになってきました。今の時点で高等教育機関に進学してくる聴覚障害者の場合には、そこまで早期ではありませんが、ゼロ歳代、1歳代に障害が発見され、補聴器の装用、両親への援助などの教育的な働きかけが開始されたケースが半数を超えています。  障害が発見された直後の子どもの教育は、聾学校での教育相談や就学前教育、難聴幼児通園施設、病院、クリニック、障害児療育センターなどのさまざまな場で行われてきました。いずれの機関でも、単に子どもに補聴器を装用させるだけでなく、発達初期における親子関係を重視し、親が子どもの障害を受け入れ、親子の間や子ども集団の中での豊かなコミュニケーションを確立し、遊びを中心とした生活全体を通して全人的な発達が進んでいくように指導が進められています。 2.幼稚園段階の教育環境  幼稚園段階になると、多くの聴覚障害児は聾学校幼稚部で教育を受けることになります。一部の子どもは難聴幼児通園施設に通います。聾学校で教育を受けた場合でも、聴こえる子どもとの交流を図るために、1週間に1日程度を一般の幼稚園や保育所で過ごす経験をしたケースが多くあります。  現在は幼児の段階から手話を取り入れる教育機関が増えてきましたが、以前はほとんどの場合、子どもが補聴器を使いながら話し言葉の口形や表情を読み取り、発音発語ができるように指導する聴覚口話法という方法がとられてきました。従って、現在の青年期の聴覚障害者の中で聾学校の経験がない人の場合には、補聴器を使って音を聞き取り、不明瞭ながらも話すことはできても、手話をほとんど使うことができないという人が多くいます。 3.小学校段階の教育環境  聾学校幼稚部で教育を受けた子どもが小学校段階に進む場合、そのまま聾学校小学部に入る場合と、通常の小学校に変わる場合があります。後者をインテグレーションといっています。難聴幼児通園施設や幼稚園・保育所のみで過ごした子どもの場合はほとんどが通常の小学校に入ります。  聾学校小学部では、聴覚障害児一人一人のニーズに配慮しながらきめ細かな学習指導がなされます。ただ、聾学校に在籍する児童の数は次第に少なくなってきており、1学級の構成員が1人あるいは数人というところが大部分です。そうすると、友人関係が固定される、競争心や協調心が生まれにくい、学習が児童の能力レベルに止まってしまって高められない、学校にいる時間の多くが教員と児童の1対1になり息が詰まる、伸び伸びとした子どもらしさや社会性が育たない、といった弊害が起きてくるおそれがあります。  小学校に入学する聴覚障害児の教育環境は次に示すようにさまざまです。 (1)固定制の難聴学級があって、ある程度の数の聴覚障害 児の集団が構成され、教科指導やその他の多くの教育活動が児童のニーズに添った形で進められる。 (2)国語や算数などの主要教科は難聴学級で学習し、その他の教科は通常の学級で聴こえる子どもと共に授業を受ける。 (3)通常の学級に在籍して聴こえる子どもと共に授業を受け、1週間に数時間、自分の学校、他の小学校、聾学校などに設けられている通級指導教室に通って、補聴器の活用、発音発語の指導、教科の補充指導、心理的なカウンセリングなどの特別な支援を受ける。 (4)通常の学級で学ぶ聴覚障害児のところに定期的に通級指導教室の教員が出向き、必要な相談や支援を行う。 (5)聴覚障害児が授業を受けている通常の学級に難聴学級や通級指導教室の教員、教育支援員が入りこみ、学級担任を助けて学習の個別援助、ノートテイク、通訳などを行う。 (6)何も特別な手立ては行われずに聴覚障害児が通常の学級で学ぶ。  固定制の難聴学級の場合を除いて、小学校で学ぶ聴覚障害児の大部分は多数の聴こえる子どもに囲まれて一人だけで学校生活を過ごさなければなりません。教科学習は教科書や黒板に書かれた文字を頼りにして、独学に近い形で進めます。子どもの能力にもよりますが、家庭学習で補うなどの方法で聴こえる子どもと同様の学力を獲得することは可能です。しかし、学級や学校全体で行われる活動になると得られる情報には限界があります。教室全体が教師の話でどっと沸いた場面でその事態がつかめずに作り笑いをしたり、集団の会話の輪に入れずにあいまいなうなずきでその場を取り繕う、といったことがしばしば起こります。常に周囲の状況や友だちの行動に注意を向けていなければならないので、過度の緊張を強いられることにもなります。  外向的な性格で集団活動にとけ込むことができる聴覚障害児もいますが、常に疎外感を抱いたり、孤独を感じたり、待ちの姿勢が身に付いてしまうこともあります。場合によっては孤立していじめの対象になり、不登校の状態に陥るといったケースも見られます。通常の小学校で学ぶ聴覚障害児の状況には環境によって大きな違いが見られます。 4.中学校段階の教育環境  中学校段階の聴覚障害生徒が学ぶ場には聾学校中学部と通常の中学校があります。中学生の段階は身体的、精神的に大きく成長していく時期であり、自己のアイデンテティが確立されていく時期でもあります。自分の障害を理解、認識して、将来の自立に向けた準備を始めることも求められます。  聾学校中学部には聴覚障害者の集団があり、アイデンテティの形成にはふさわしい所です。しかし、小学部と同じように生徒の数が少ない学校が多く、クラブ活動や学校行事が活発にできにくい面があります。学業面では小学部段階で育てるべき言語力や基礎学力の習熟が十分に進まず、学習の進度が遅れる場合があります。一人一人の生徒のニーズを把握し、実態に合わせた指導を進めていく必要があります。  通常の中学校で学ぶ生徒の場合には、小学校と同じように支援がなされるところもありますが、難聴学級や通級指導教室は小学校ほど整っていない地域もあります。そうしたところでは、問題が生じてもその解決を当事者だけで行わなければならないという事態が生じます。積極的な姿勢が持てる生徒はよいのですが、周囲の生徒も自立心が高まっていく中で、孤立無援で学校生活に対する意欲を失ってしまうケースが生まれます。  障害を持つ生徒自身も自立が進み、得られる情報が不十分な状況でもそれを当たり前と考え、自分で何でも出来るのだからあえて支援などは必要がない、他人からの援助は迷惑がって断る、という態度をとる事例も見られます。生徒の自主性、主体性を尊重しながら、聴覚障害に関する情報にも触れさせ、問題への対処の仕方を育てていく必要があります。 5.高等学校段階の教育環境  高等学校段階の聴覚障害生徒が学ぶ場は聾学校高等部と通常の高等学校です。大学・短期大学に進学する聴覚障害者の数は、聾学校出身者よりも高等学校出身者の方が多くなっています。  聾学校高等部には普通科と産業工芸、被服、機械などの職業専門教育を行う学科があり、普通科が置かれていない学校もあります。都道府県によっては高等部だけを独立させた聾学校があり、通常の中学校から入学する生徒もいるので、小・中学部と比べると大きな集団を構成している学校が都市部には多くあります。日本全体の聾学校高等部の1学年の生徒数は500人前後です。  聾学校の中では手話が日常のコミュニケーション手段として使われるようになり、聴覚障害者として生きていく姿勢が作られていきます。しかし、集団が大きくなったといっても、一つの高等部ではたかだか数十人に止まり、社会性、人間性の成長のためには十分な環境ではありません。生徒の個人差や能力差も大きく、学習面での到達度や進路も多様です。現在、大学・短期大学への進学率は全国平均で15〜20%程度です。  通常の高等学校に何人の聴覚障害生徒が在籍しているのか、はっきりした統計はありません。小・中学校のような特別な支援体制はなく、ごく一部の地域で授業における情報保障の試みはなされているものの、大部分の生徒は自分だけの努力で学習を進めています。多くの場合、授業内容の理解は教科書と板書が頼りになるだけで、友人の援助もさほど得られるわけではありません。基礎的な学力の獲得が十分ではなかったり、人間関係をうまく作ることができず、不登校の時期を経験する生徒もいます。  高等学校で学ぶ聴覚障害生徒の場合、聴こえる人たちと同じように生きることを望んで聴覚障害者集団に入ろうとせず、手話の使用にも抵抗を持つ場合があります。そうした状態で大学に入ると、自分の障害を他人に知られることをおそれ、情報保障に対するニーズを表明することを意図的に避けることになります。そうならないようにするためには、聴覚に障害を持つ同年齢の世代や成人と交流する機会を用意し、聴覚障害者集団に入ることがプラスの意味を持つことを実感させることが必要です。 6.障害とニーズの多様性  乳幼児期から成人に至る間の聴覚障害幼児・児童・生徒を取り巻く教育環境は極めて多様です。その中で、ほとんどの人は精一杯の努力を重ね、懸命に生きています。しかし、聴覚障害に起因する二次・三次障害が生じることも事実です。その実態は一つとして同じものはありません。教育に関わる者は、一人一人の障害の状態とそこから生まれるニーズを的確に把握し、きめの細かい対応を進めていかなければなりません。 執筆者 根本 匡文(ねもと まさふみ) 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター教授 2006年5月14日初版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。