聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法 1.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法  厚生労働省(2002)の『身体障害児・者実態調査結果』では、聴覚障害者のコミュニケーション手段の状況(複数回答)は、補聴器 79% 、筆談・要約筆記 24.6% 、手話・手話通訳 15.4% 、読話 6.2%、その他 17% 、不詳 43.9% 、となっています。高等教育機関における状況は明らかにされていませんが、同様だと推測されます。  聴覚障害教育の場で使用されるコミュニケーション方法は、感覚モードの数によって単感覚法か多感覚法かにまず二分されます。さらに単感覚法では手話のみ、読話のみ、聴覚のみに分けられます。単感覚法では、複数の感覚モードからの刺激に対してはお互いが干渉しあうと考え、単一の感覚モードだけを使用します。それに対して多感覚法では複数の感覚モードからの刺激は補完しあうと考えます。例えば、人工内耳を装用した者が読話からの情報も利用していることが多くの実験で明らかにされています。すべての聴覚障害者にとって唯一効果的なコミュニケーション方法というものは存在しないと考えた方がよく、個々人のニーズや状況に応じて組み合わせて使えばよいということになります。 2.聴覚口話法(ちょうかくこうわほう)  読話と発語を中心とする口話法(こうわほう)が戦後のオージオロジーの進展により聴覚補償を基礎とした聴覚こうわ法へと変化してきました。聴覚補償によって保有聴力を最大限に活用し、音声言語を主な媒体としています。発音指導によって聴者とも音声によるコミュニケーションが可能となることを目指しています。  早期発見と早期教育が重要視され、「保護者が子どもの耳の代わりをしろ」とか「ことばの風呂につけろ」と言われるように、保護者による徹底した関わりと最適な聴覚補償が成否を分けるとされています。発音指導は職人芸とも言われるほど熟練を要するものです。  板橋(1997)は、聾学校小学部6年生15名の平均発音明瞭度が55.0%で、これは岡(1996)の分類によれば、母親・担任なら「十分わかる」程度、一般社会の人々にとっては「部分的にわかるようになる」程度であったと報告しています。これまで発音指導と言えば、忍耐や苦闘というイメージで捉えられ、明瞭度の向上にのみ目が奪われがちでしたが、板橋(2006)は、発音専科として小学部から高等部卒業後まで一貫して発音指導を行った経験から、発音の学習では発音技能の向上だけでなく、発話の模倣・拡張を通して日本語で適切に表現する力と日本語の感性を育成する観点が必要だと述べています。  聴覚こうわ法では聴覚活用が大前提です。最新技術のデジタル補聴器や人工内耳がそれを支えます。  近年は人工内耳を装用する聴覚障害者が増えていますが、装用後の指導では聴覚こうわ法が主となっています。アメリカの国立聾工科大学(2004)では、約1100人の聾学生のうち150人が人工内耳を装用していますが、日本では人工内耳を装用して高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生はまだ数が少なく、指導は手術を受けた病院、以前在籍した聾学校、難聴学級等でフォローしてもらうのが一般的でしょう。でも今後増加してくれば、教育オージオロジストや言語聴覚士による専門的な指導が受けられるような体制作りが必要になってくるでしょう。 読話シミュレーション体験 最初から口を開けた状態で「イ・ウ」と口を動かしていますが、さて、何を言ってるのでしょう? 「イ」と「ウ」の口唇運動を自分もやってみて何を言っているか考えてみよう。 思い浮かぶのは、言う、居る、要る、行く、犬、イス、聞く、利く、菊、キス、キヌ、着る、切る、キフ、敷く、詩句、質、シヌ、師父、知る、汁、地区、チル、ニル、ニク、ニス、昼、蛭、比す、ヒフ、リス、リク、率、急、州、週、注、ニュウ(英語 新しい)、竜、理由など。 思い浮かぶ限り調べてみると、ざっと60語くらいはあるそうです。 また、例えば「イル」には、存在するの意味の居ると、必要の意味の要るがあるなど、同音異義語があるものもあります。 3.キュード・スピーチ  聴覚こうわ法における読話(どくわ)の補助として指の形と手の位置で表したキューサインを併用する方法で、1960年代にアメリカで開発されました。日本では、それまでの発音誘導サインとして使っていたサインを流用し、構造的でわかりやすいキューサインが考案されました。母音は口形(こうけい)で識別し、子音は手の位置、形、動き等を組み合わせたキューで識別します。音韻への意識を高め、どくわの不確実さを補うものとして効果をあげてきました。学校によってキューサインが異なり、聴者で使用できる者が家族などに限られるため使用範囲が狭いという面があります。 キューサインの例 例1 さ 右手(左手でもよい)の指をそろえて口元にあて、前に引き出す 例2 な 右手(左手でもよい)の人差し指を鼻にあて、軽く前に引き出す 4.手話法  ろう者同士がコミュニケーション手段として用いているものです。手の動きを中心として身振りや表情で、意思や概念を伝えます。日本では、長い間、こうわ能力の発達を妨げになる、抽象的思考には向かないとされてきました。音声との対応の程度により、日本手話、日本語対応手話、中間型手話に分けられます。日本手話は、単語や語順など表現に関する規則が日本語とは異なる部分があります。日本語対応手話は、単語も語順も日本語の話ことばをそのまま置き換えたものとなっています。中間型手話は文字通り日本手話と日本語対応手話との中間型です。日常のコミュニケーション場面においては、相手、内容、場面などで複雑に混在しているため、明確に区別することが難しく、連続体として捉えています。  現在は、多くの聾学校で手話法の効果が見直されています。日本語と手話の橋渡しとして対応手話を用いたり、乳幼児期に日本手話の活用も実践するなど、さまざまな指導法が検討されており、乳幼児期から積極的に取り入れている学校も増えてきました。早期からの保護者の関わりが重要なのは聴覚口話法と同様であり、保護者の手話獲得についての支援が重要となります。 イラスト 手話の違い 例文「男が女をしかる」 日本語対応手話の場合 男(手話単語) が(指文字) 女(手話単語) を(指文字) しかる(手話単語) 中間型手話の場合(音声を併用する) 男が(手話単語) 女を(手話単語) しかる(手話単語) 日本手話の場合 男(手話単語) (大きいうなずき) 女(手話単語 左手) (左手そのまま) しかる(手話単語 右手) 日本手話では「しかる」の手話が「男」が表現された場所から「女」が表 現された場所に向かって働いている(動詞の一致)が、中間型手話や日本 語対応手話には動詞の一致が見られない。 (1)同時法(同時的手指法)  音声と同時に手話や指文字を使用する方法です。読話(どくわ)で弁別できる音節が少ないため、手話や指文字を早期から使用します。日本では、1968年から栃木県立聾学校で実践されてきました。1つの手話にいくつもの日本語が対応する場合、手話を「枠記号」、口形は「分化記号」の役割を果たすと考え、手話とこうわを常に併用し相互補完させる必要性を唱えました。  栃木校では、音声が1音1音出て消えていきながら言葉としてのまとまりを作るという性質を持つことから、継時的パターン認知能力を重視し、その能力を育てるためには聴覚が有効だと考えています。しかし音韻表象を形成するためには聴覚障害による限界があるため、音声と指文字を併用して音韻表象を形成しています。  日本語の習得状況としては、1.音韻表象の形成は、ほとんどの子が日本語の音韻に分化している。2.文法能力について、特に付属語の理解使用能力がよく形成されている。3.語彙の習得状況にはまだまだ不十分なことがある、と報告(森,1998)しています。 (2)早期の手話導入(日本手話の活用)  我妻(2004)によれば、幼稚部の教諭全員が手話を使用している聾学校の割合(平成14年度)は55.1%であり、手話使用による改善点として、幼児の様子では「コミュニケーションの改善」「心理状態や態度の変化」「コミュニケーションへの意欲や態度の変化」「言語学習での変化」を挙げています。また教師側では「コミュニケーションの改善」「手話に対する認識や態度の変化」「子どもに対する認識や態度の変化」「コミュニケーションへの意欲や態度の変化」等を挙げています。多くの聾学校で手話を使用することの効果が認識されていることが明らかです。この傾向はさらに高まるでしょう。  足立ろう学校幼稚部では、1994年から聴覚と手話を併用する「聴覚手話法」を採用しましたが、こうわを併用するからと言って「日本語対応手話」である必要はなく、同音異義語などは場面によって手話を変える方が幼児には望ましいことなどを指摘しています。「日本手話」の利点と解釈できます。  手話の導入にあたって、「日本語対応手話」か「日本手話」かという議論がなされますが、全日本ろうあ連盟(2003)も「手話はさまざまな形で使用され、安易に二分できません。(中略) 抽象的・理念的定義に無理に当てはめ二分してしまう考え方は、ろう者の現実を無理に分類することであり、結果としてろう者を分裂させる恐れを孕んでいます」と述べ、「もっと広い意味での手話の導入と、児童・生徒間での手話による自由なコミュニケーションの保障を全国のろう学校で実現させることが、現時点における全国共通の目標になる」と主張しています。  今後、手話による教育実践が積み重ねられて、日本手話の利点や課題がより明らかにされてくるでしょう。    執筆者 太田富雄(おおた とみお) 福岡教育大学附属障害児治療教育センター教授 2007年8月1日 第2版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。