文字による支援方法   1.文字による支援とは?  聴覚障害学生が望む情報保障手段は、その聴力の程度や教育環境、授業の形式などによってさまざまです。本チップシートでは、高等教育機関で用いることのできる各種情報保障手段のうち、文字による支援について概略に触れます。  文字による支援とは、教員などが発した音声を何らかの方法で文字に変換し、聴覚障害学生に提示することによって、聴覚障害学生を授業に実質的に参加させるための支援(講義保障)のことです。  音声を文字に変換する方法は様々で、手書きによる方法や一般的なパソコンを利用する方法、あるいは特殊な機材を利用する方法などがあります。また、速記入力のようにすべての言葉を文字化することが可能な方法もあれば、状況に応じて要約して伝える方法などもあります。さらに最近では遠隔地からの支援についても徐々に実用化されはじめています。  どの手法を利用するにしても、情報保障に対する教員や関係者の理解が必要となります。また、毎回の授業で情報保障を提供するためには、人員の確保はもちろん、誰がどの授業を担当するかを割り振るコーディネート業務なども必要となることがあります。  通常、アナウンサーの話す速度は1分間あたり350文字から400文字と言われています。手書きや一般的なパソコンを利用する方法では、この発話速度に追従することは困難です。そのため、話者の発話速度によっては発話者の話の中から重要性の高い内容を抽出して伝える(要約する)ことが重要な技術の1つとなります。  どの手法も、聴覚障害学生にわかり易く、そしてスムーズに実施するためのノウハウが蓄積されています。以下では、各手法に関して個別に概略を説明します。 2.ノートテイク  ノートテイクには、記録をとるという意味でのノートテイクとリアルタイムの情報保障としてのノートテイクがありますが、通常は後者を指します。情報保障としてのノートテイクでは、ノートテイクの担当者(ノートテイカー)が聴覚障害学生の隣に座り、2〜3名でルーズリーフ等に要約文を手書きで記入していきます。聴覚障害学生はノートテイカーが書いたノートを横から見ることで情報を得ます。聴覚障害学生が複数の場合は、OHCを利用してノートテイクしたものをプロジェクターやモニタに投影することも可能です。  手書きの速度は1分間で70文字程度なので、提供可能な文字数内に納まるように、効率よく内容を伝えることが重要となります。複数人で担当する場合には、筆記を担当しない人がサポート役になり、資料の提示などのサポートを行い、役割を10〜15分程度で交代しながら連携作業を行います。記入する内容は、教員や学生の発言内容だけではなく、その場の音環境も可能な限り伝えます。現在、高等教育機関において最も多く用いられているサポート手法で、学内で募った学生ボランティアに対して、養成講座を開講するなどして技術を伝え育成する場合が多いようです。 3.OHPを用いた手書き要約筆記  OHPによる方法では、ロールフィルムという透明で長いフィルムに、油性ペンで文字を記入していきます。その文字が、OHPによってスクリーンに投影されるため、複数人で見ることが可能です。通常3〜4名で担当し、メインの筆記者と補助の筆記者、そしてロールフィルムをタイミングよく引く、引き手で連携して実施します。  担当者はOHPの強い光から目を守るために偏光グラスをかけ、フィルムに貼り付かないように手袋を着用します。手書きによる入力速度は1分間あたり70文字程度と少ないため、より効率よく情報を伝えるために、よく使う言葉や長い固有名詞をあらかじめちいさなフィルムに記入しておいたり、文の前半をメインの筆記者が、後半を補助の筆記者が記入するなど様々な工夫が用いられます。  パソコン要約筆記の普及により、OHPによる方法の利用は減少してきましたが、記号や数式など手書きでないと対応が困難な場面では、引き続き有効に活用できるでしょう。 4.パソコンノートテイク  この手法では、文字提示のためにパソコンを利用します。最も簡単な手法として、ワープロソフト等を用いて文字を入力し、その画面を聴覚障害学生に提示する方法でも支援は可能です。一般的には専用ソフト(IPtalk(アイピートーク)、まあちゃん等)とLANを用い、入力者のパソコンで入力された文字を表示用のパソコンにネットワークを介して送信し、その画面を聴覚障害学生に提示します。  また、聴覚障害学生が複数参加している場合や場所を特定できない場合には、プロジェクターで表示用パソコンの文字情報を大きく投影して、見てもらうような方法もとることができます。複数人で担当する場合には、担当者の数に応じた台数プラス1台(表示用)のパソコンが必要です。また、各パソコン間の通信には、ハブやLANケーブルといったネットワーク用の機器(市販製品)も利用します。  手元を視認しないで入力する「タッチタイピング」を習得すれば、1分間あたり120〜180文字程度(熟練者であれば200〜250文字程度)の入力が可能となります。さらに、1文を複数人で入力する連携入力を用いれば、原文の8割程度を伝えることも可能になります。  習得にはある程度の訓練を必要としますが、熟達すればかなりの情報量が伝達可能なため、ノートテイクに並んで積極的に活用したい方法のひとつです。 5.速記による支援  速記技術を応用した文字提示方法で、特殊な入力装置(ステノキーボード、ステンチュラなど)を利用し、発話内容をほぼすべて文字に変換していきます。もともとは裁判所における速記を目的に開発された技術ですが、現在いくつかの企業や団体がこの方法を用いて聴覚障害者への支援を行っています。その中には、放送番組の字幕をリアルタイムに入力する業務を請け負っている企業や、高等教育機関における情報保障を目指して活動している団体などがあります。無償〜有償のサービスも提供されていますが、いずれも数はごく限られています。  入力は、メインの入力担当(1〜数名)と校正担当(1名)がチームを組み、複数チームで交代しながら文字を入力するものから、1名で担当する例まで形態はさまざまです。入力手法が特殊であるため習得に多くの時間が必要であり、人員の確保が今後の課題となっています。 6.音声認識による支援  通常のパソコンで動作する市販の音声認識ソフトウェアを利用して、情報保障を行おうとする試みもいくつか報告されています。現在、市販されている音声認識ソフトウェアの中には、ソフトウェアに適した発話を行えば、かなりの認識精度が得られるものがあります。しかし現在のところ、教員が発話した音声そのままでは十分な認識精度が得られず情報保障としては不十分であるため、教員の音声を担当者が“復唱”し、その音声を音声認識ソフトウェアで文字化する方法を採用しているグループが大半です。また、得られた文に含まれている誤認識文字を校正する作業も非常に重要になっています。そのため、通常はこの2段階のステップを経て、聴覚障害学生に文字が提示されます。  容易に多くの情報を聴覚障害学生に提供できるようなイメージがありますが、現在のところ人を介した入力ではありえないような誤変換が発生することも多いため、認識精度を上げるための人員配置や人材育成など、まだ多くの問題を抱えています。しかし、音声認識の技術は日々進歩を続けているため、認識率や話し言葉への対応状況が改善されてゆけば、今後有効活用の道が開けていくことでしょう。 7.遠隔地での支援  教員の発話内容をできる限り多く文字化し伝える技能には、速記による手法に限らず特殊な能力が要求されます。まして、高等教育のような専門的な場で情報保障を行うためには、高い専門技術の習得能力が必要で、そのような技能を有する人材は国内ではまだ少数と言えます。そこで、この貴重な人材による支援を国内の各所で利用するため、各種公衆回線(ISDN回線、インターネット)を使用して遠隔地からサービスを提供するという取り組みがなされています。通信手段を構築す るまでにはある程度の技術的なハードルが存在しますが、(映像、音声、文字情報の送受信体制)、一度構築してしまえば繰り返しの接続は比較的容易になります。現在は、遠隔でのパソコン要約筆記による支援や音声認識を用いたサービスの提供などが実施されており、日常的にこのような手法を用いている機関も出てきています。複数キャンパスを結んだり、学内の別の教室から支援を行うなど、学内の限られた人材の有効活用にもつながるため、今後さらに発展が期待される分野であると言えるでしょう。 8.おわりに  本チップシートで紹介した支援方法の特徴を下表に整理しました。どのような手段を利用するとしても、その手法に対する教員の理解と配慮は不可欠です。いかに有益な手段であろうとも、教員が自身の授業の場でその利用を認め、特性を知った上で、有効に活用されないと十分な効果を発揮することができません。大学の授業は聴覚障害学生を含めた学生全員に対して等しく提供されるべきものであり、それを行う責任は授業を担当する教員にあります。そのため、このような手段は聴覚障害学生のためだけに実施されるものではなく、自身の授業成立のためのサポート(教員に対するサポート)でもあるということをご理解頂ければと思います。 図 文字による支援方法の比較方法 必要な機材  情報量と特徴  求められる能力  養成上の課題 手書きによるノートテイク  読みやすさを考慮した筆記具、ノートやルーズリーフ  原文の2割程度(70文字/分程度)。箇条書き、体言止め、略語等を活用する 読みやすい筆記。要点と構造を理解し、構文を作成する力  授業を理解する専門性が必要。導入は容易だが、スキルアップに課題もあり パソコン要約筆記  一般的なパソコン、ワープロソフト等  1名での要約入力では原文の4〜5割。複数名による連係入力では8割程度  パソコンを筆記用具として活用する力。整文する力。連係した文章作成  パソコン操作の習熟が必要なので、人材が限られる OHPを用いた手書き要約筆記  OHP、投影用スクリーン、ロールフィルムやペン等 3名以上のチームで担当。筆記者が1名の場合、原文の2割程度。補助の筆記者との連携で3〜5割程度  機材の特性に即した使い方や連携作業。要約して文章を構成する力。連携した文章作成能力  地域福祉分野で養成を受けた人材の活用も可能だが、高等教育に対応可能な知識と技術の追加習得が必要 音声認識  音声認識ソフトウェア、マイク、一般のパソコン、通信用機材等  要約からほぼ全文まで多様。復唱者、修正者ともに1〜複数名が交代で担当  音声認識に適した話し方、教員の音声を聞きながら発話する能力。独特の誤変換を修正する能力  実験的な段階であるために、主に復唱に必要な技能やその養成手法等が明確ではない 速記(特殊な入力装置を利用)  特別な機材(キーボード、連携作業用の機材等)  ほぼ全文。1名ずつ交代で実施する他、入力担当と校正担当を組み合わせ同時に2〜6名で実施する形態もあり  特殊な入力装置に応じた入力技能、連携した文章作成能力。いずれも数年に及ぶ特別な訓練が必要  高速な入力が可能になるためには長期に渡る訓練が必要で、それに応じたコストがかかる    聴覚障害者に対する文字による支援は、現在のところまだ十分な状況にあるとは言えません。ここで紹介した手法にも、実際に授業における情報保障として利用されていないものや、すぐには実施できないものが含まれていますが、その詳細については各チップシートに委ねます。 執筆者 三好 茂樹(みよし しげき) 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター准教授 2007年8月1日 第4版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。