聴覚障害学生の心理的支援 1.さまざまな聴覚障害学生 聴覚障害は、失聴の時期や聴力の程度、受けた教育等によって、その状況が一人一人大きく異なります。それゆえ、コミュニケーション手段も必要なサポートの種類も実にさまざまです。また、同じ一人の聴覚障害者でも、聴力の変動や意識の変化にともなって、必要とするサポートが変わっていくこともあります。とりわけ、手話を習得したり、同じ聴覚障害のある仲間と出会ったりする機会の多い大学時代には、2年間もしくは4年間のうちにめざましく変わっていく聴覚障害学生も見られます。 2.支援がもたらす心理的葛藤 このような過程では、「入学時はほとんど話さなかった学生が楽しそうにおしゃべりするようになった」「サークルのリーダーになった」といった学生相応の成長も見られますが、同時に、「いくらすすめても通訳を依頼しない」「話し合いの席にすら来ない」と、拒絶的な態度を示されることも多々あります。 現時点では、大学に入ってはじめてサポートを受ける聴覚障害学生が大半ですので、未知の経験に対する戸惑いが大きく、最初からスムーズに支援に入っていける学生はまれです。また、サポートを受けて授業を理解できるようになる半面で、サポートによって自分の障害とも向き合わざるを得ませんので、心理的葛藤を避けられません。一年生の時から「自分は聴覚障害がありますのでサポートをお願いします」と意思表明する学生は少数ですし、ましてや「読みにくいからもっと大きな文字にして」「この講義には手話通訳を、あの講義にはパソコン通訳を」と注文する学生は珍しいでしょう。時には勉学が手につかなかったり、それまでの生き方を疑ったりするほどの心理的負担を感じることさえあります。 つまり、授業がわからなくて困っているとはいえ、嬉々とサポートを受ける学生ばかりではないのです。はじめは喜ばれたサポートも時間とともにだんだん要求がレベルアップしていきがちです。必要と思って行なったサポートが必ずしも喜ばれるわけではないところに、サポートの難しさがあると言えるでしょう。 一方で、この時期に良質なサポートを受けることが、聴覚障害学生の精神的成長においてきわめて大切になることも事実です。サポート利用上のルールを守らない、手話以外のコミュニケーション手段を拒むなど、反発的な態度に出会う例も少なからずありますが、そこでの見守りや働きかけが、聴覚障害学生のまわりへの信頼感をかろうじてつないでいくとも言えます。 3.心理的葛藤から主体性形成へ サポートを受ける中では、具体的にどのような心理的葛藤が生じるのでしょうか。すべての聴覚障害学生が同じように感じ、受けとめているわけではありませんが、大きく以下の3つの段階に分けられ、ステップを追っていく点では共通していると考えられます。 図1 聴覚障害学生の支援に対する受け止め方の変化 (本文の説明を二次元の表で表示) (1) 消極的反応段階:支援を躊躇、拒否する段階 (2) 受動的利用段階:受け身で支援を受ける段階 (3) 主体的活用段階:自ら積極的に活用する段階 (1)消極的反応段階 a.無支援:支援があることすら知らない状態です。 b.支援認知:「手話通訳」「パソコン通訳」等の手段があることを知ります。しかし、高校まで一人で頑張ってきた聴覚障害学生には「自分は人に助けてもらうほど困っていない」「支援がなくてもやっていける」と思いがちです。また、「依頼しようかどうしようか」と迷っているうちに、4年間が終わってしまう学生もいます。 (2)受動的利用段階 c.支援依頼:やっと通訳依頼にふみきります。が、ここでも「まわりに聴覚障害を知られたくない」「隅っこの方で目立たないように」等の葛藤を抱えがちです。 d.支援体験:はじめて通訳をつけてみると多くが「授業ってこんなに面白かったのか!」と感激します。経験を重ねるとともに次第に「もっとたくさん情報を流してほしい」と要求が高まりますが、実際にそれを口に出すまでには時間がかかることが多いでしょう。 (3)主体的活用段階 e.要望提起:これまで受け身だった通訳に対して、ようやく自ら要望を出します。まさしく、情報保障の「依頼者」から「利用者」に転換していくときと言えるでしょう。それまで我慢を重ねたあまり、強い言い方で要望を突きつける学生も少なくありません。 f.支援活用:通訳者や支援者との距離のとり方を身につけていきます。「この授業にはこの手段を」と判断したり、まわりの先生や友達に配慮してほしいことを適切に伝えたり、通訳者にタイミングをつかんで声をかけたりすることができるようになっていきます。 4.各段階に応じた支援 それでは、大学としてはそれぞれの段階に応じてどのような支援を心がけたらよいでしょうか。 (1)消極的反応段階での支援 ある大学では、聴覚障害の新入生に「どのようなサポートが必要ですか」と聞いたとき、「口話でわかりますから大丈夫です」と返ってきました。先生から「入学前に一度授業を見に行ってごらん」とアドバイスしたところ、「やはり口話ではわかりませんでした」と、実際にどうするか話し合いが進んだとのことです。 また、他のある大学では、「本人はサポートを断っているが、一度、授業に通訳をつけてみて様子をみたい」と、動いたところ、本人も一年が終わる頃には積極的になってきたという例もあります。 本人の拒否する気持ちを受けとめつつも、「いりません」という言葉をうのみにせずに、潜在的ニーズを引き出す丁寧な対応が効を奏した例と言えるでしょう。 (2)受動的利用段階での支援 聴覚障害学生から「○○してほしい」と声があがっていないから大丈夫かなと、安心しがちな時期です。通訳に対してどう感じているか、あらためて話し合おうとすると、なかなか反応を得るのが難しいかもしれません。たとえば、養成講座では実際に通訳する様子を見ながら、聴覚障害学生に「この通訳はどう?」とさりげなく聞くと意外な答えが返ってくるときもあります。本人にとってはやっと出た一言ですので、このときに「でも・・・」と反論することは避けたいものです。 また、同じように通訳をつけて授業を受けている聴覚障害学生同士で「通訳についてどう感じるか」議論する場があると、なおよいでしょう。自分の思いが個人的な好みによるものなのか、ほかの聴覚障害学生にも共通する感情なのか、見極められるようになります。 (3)主体的活用段階での支援 ここにきて、ようやく一方的に支援を受ける段階を脱して主体的に動き始めます。不満が噴出しやすいときですが、自分の要求を言語化し始めた証として受けとめていきたいところです。ときには無理難題を突きつけられることもあるかもしれません。そのような場合を含めて、全ての要望をのむ必要はありませんが、「無理」と却下するのではなく、「それは○○という理由で厳しいけれど、こういう方法はどうか」と、大学として代替案を示すのが大切になるでしょう。 お互いの要望や事情をすり合わせて、建設的に話し合い、折り合っていく過程が、聴覚障害学生にとっても自信となっていくようです。 概して、既存の支援にはない新しい要求を出す学生や、一つの支援に多くを求める学生は、後々、支援を受ける立場から自らも後輩を支援する立場へと回ったり、支援者の養成に積極的に関わったりする例が多くみられます。ここも長い目で見守りたいところです。 5.全段階を通じての支援 日ごろからの関わりだけでなく、全段階を通じて大学と聴覚障害学生が定期的に(年数回)話し合う時間が持たれると、互いへの安心感や信頼感がより深まることでしょう。 大学にとっては、聴覚障害学生の本音を引き出すのは一仕事かもしれません。大学の事情が許せば、数々の聴覚障害者と接してきた通訳者なり聴覚障害者なりを支援スタッフに迎えるのが望ましいでしょうが、それが難しい場合でも、こちらのPEPNet-Japanなどのネットワーク等を活用して他大学と情報交換することで「(1)消極的反応段階での支援」で述べた例のような支援も可能になるでしょう。 強調しておきたいのは、同じ聴覚障害の仲間(ピア)を持つ大切さです。大学生ならば、「全日本ろう学生懇談会」「関東聴覚障害学生懇談会」等で討論会、講演会、キャンプ、スキーなどの企画が行なわれていますので、折をみて「こういう企画があるみたいね」と伝えるとよいかもしれません。卒業後、職場や家庭で何らかの問題が生じたときも、学生時代に培った同じ聴覚障害者のネットワークが大きな救いになってきます。 ケースによっては、まれに、聴覚障害に造詣の深い心理専門家による支援が必要な場合もあります。現時点では、このような専門家は限られていますので、都道府県の聴覚障害者向け情報提供施設に問い合わせるのも一方法です。 聴覚障害学生にとって、さまざまなコミュニケーション手段を身につけることが人間関係の幅を広げるように、さまざまな手段の支援を活用していくことが、社会的活動の場を広げていくことになります。社会的活動をより充実させていくためにも、支援によって生じる心理的葛藤を軽減するとともに、質の高い通訳を提供していくこと、きめ細かな支援コーディネートをすることが、非常に大切になってきます。 執筆者 吉川 あゆみ(よしかわ あゆみ) 関東聴覚障害学生サポートセンタースタッフ 2006年5月14日初版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。