授業における教育的配慮 1.聴覚障害学生への情報保障の意義 聴覚障害学生を対象とした情報保障について「なぜ特別扱いをするのか」といった声を聞くことがあります。しかし聴覚障害学生の立場でみれば、授業に出席しても情報保障がなければ教員等が発する音声が聞き取れず、ただ教室にいるだけという状況に陥ります。車椅子の人がスロープなしには建物にアクセスできないのと同様に、聴覚障害学生は情報保障なくしては授業に“参加”することができないのです。学生は当然ながら授業に参加する権利があり、これを保障することは教員や学校の責務です。 1)全般的な留意事項 a.聴覚障害学生のコミュニケーション特性 聴覚障害学生にあっても障害の程度や生育環境によりコミュニケーションの特性には個人差があります。詳しくは他シートに譲りますが、情報保障の具体的な方法は個々の学生に即して検討する必要があるので、授業に先立ち、学生本人および情報保障者に確認しましょう。 b.聴覚障害学生との対話 授業以外の場で聴覚障害学生と対話する際は、通訳を介さず、直接コミュニケーションしましょう。このことは教員と学生の間の信頼感を高めることにつながります。学生の発話がわかりにくいときは、わかったふりをせずに言い直しや筆談を求めましょう。また学生の様子を見ながら話し、伝わっていないと感じたときには躊躇せずに書いて伝えましょう。 c.補聴器の限界 重度または最重度の聴覚障害者は、補聴器をつけても話しことばを聞き取ることは困難です。また、一対一の対話では補聴器を介して話しことばを聞き取ることができる学生であっても、離れた距離での話し声や騒音がある中での聞き取りは困難になります。教室では教員と学生が離れているのが一般的で、板書の音、紙をめくる音、学生同士の話し声など様々な音が充満しています。したがって聴覚障害学生が補聴器を装用していたとしても、授業においては視覚的手がかりが必要であると考えるべきです。 d.学生自身の情報保障に関する意識 障害に対して十分な配慮がある授業に参加したことのない聴覚障害学生の中には、高校までの経験から、授業は分からなくても「仕方がない」、勉強はテキストを使って「自分ひとりで」行うものと考える者もいます。しかしテキストに頼らない大学の授業ではそのような訳にはいかず、情報保障の必要性に気付いた時には多くの授業の単位を落としてしまっているということも珍しくありません。このような事態に陥らないよう、新入の聴覚障害学生に対しては、情報保障のある授業を体験したり、情報保障に関わる講習や会議などに参加したりする機会を与え、その有効性や方法について、理解を促すことが肝要です。 e.情報保障の役割と範囲 授業内容を学生に理解させることが教員の責務であるとすれば、授業内容を伝える情報保障者はその教員を支援していることになります。授業では、全ての音声情報が情報保障の対象であり、教員の発言のほか、学生の発言や聴覚障害学生自身の発言も保障される必要があります。また冗談や授業内容に直接関係がない挿話なども、授業の雰囲気や教員の人柄を把握する上で欠かせない情報です。このことを念頭に置き、通訳環境には十分に配慮しましょう。 2)授業における留意事項 (1)講義形式の授業 a.座席位置の配慮 a-1.教室前方で、教員、黒板、スクリーンなどすべての視覚情報が見やすく、情報保障者が教員の声を聞き取りやすい場所が望ましい座席です。 a-2.情報保障が付く場合は、学生本人と情報保障者とで話し合って、適切な座席を確保しましょう。 b.教員の話し方 b-1.いくつもの従属節をともなう文は内容が曖昧になりがちです。不要なことばを省き、短い文で話しましょう。 b-2.早すぎる話し方はノートテイクや手話通訳が追いつけません。ややゆっくり、明瞭に、しかし大げさでなく自然に、そして文の切れ目で間を空けるように話しましょう。 b-3.話者の口の動きから話の手がかりを得ようとする学生に対しては、板書しているときは説明を止め、書き終わってから正面を向いて話しましょう。 c.板書 c-1.視覚教材が用意されていない部分では、項目やキーワード、新出の専門用語、固有名詞、数式などは書き示しましょう。 c-2.授業展開における時系列や文脈が分かるよう板書のしかたを工夫しましょう。 c-3.連絡事項や注意事項の板書は聞こえる学生にとっても確認になります。 d.資料などの教材とその説明 d-1.聴覚障害学生は「聞きながら見る」ことができません。机上の資料と前方の通訳者を同時に見ることも困難です。レジュメや資料の説明をする際は、説明箇所をパワーポイントやOHPで示したり、学生が読む時間を与えた後に説明するようにしましょう。 d-2.情報保障者には、配布資料や使用する教材を事前に提供しましょう。 e.音声をともなう教材の使用 語学におけるヒアリング教材や音声教材の使用に際しては、文字等に変換した資料などの代替教材が必要です。・教材を使用する際には、教材の音声にかぶって説明をしないようにしましょう。 f.映像教材の使用 f-1.ビデオは、音声を字幕化するか文字化した資料を事前に渡しましょう。要旨や項目だけでも有用です。 f-2.教室は完全に暗転させず、手話通訳やノートテイクが見えるようにある程度の明るさを残しましょう。 g.授業の展開 g-1.授業の冒頭にその日の授業で扱う項目を示すことは、聴覚障害学生や情報保障者だけでなく、聞こえる学生の内容理解をもうながします。 g-2.授業の最後に授業のまとめや要点を示すことで、学生が授業内容を復習することが容易になるでしょう。 g-3.時間配分が適切でない授業、特に授業の後半に時間が足りなくなり授業の進め方を早めるといった授業は、情報保障が追いつかなくなるだけでなく、全ての学生にとって内容理解が困難になります。 (2)ゼミ形式の授業 a.座席位置の配慮 聴覚障害学生から全ての発言者が見渡せ、かつスクリーンやホワイトボードおよび情報保障が受けやすい配置を工夫しましょう。 b.司会と進行 司会者および参加者は以下の点に留意しましょう。 b-1.複数の人物が同時に発言すると、通訳等が付く場合でも情報保障はできません。ゼミでは必ず司会者を立て、一人の発言が終わってから次の人が発言するようにしましょう。 b-2.司会者が発言者を指さしたり、発言者に手を挙げてもらうといった方法で、発言者が誰かがわかるようにしましょう。 b-3.誰の発言であるかが通訳等を通してきちんと伝わるように、話し始める前に自分の名前を明示するようにしましょう。 b-4.通訳にはタイムラグがあるため、間断のない進行では情報保障が追いつかず、聴覚障害学生は発言するタイミングを失します。発言者は、直前の発言が伝わったことを確認してから発言を開始しましょう。 b-5.FM補聴器を使用する場合は、発言者にマイクを使って発言してもらいましょう。 b-6.司会者は必要に応じ発言の要旨を復唱しましょう。 b-7.レポート発表者は、発表原稿や配布資料を用意したり、読み上げる箇所を明示したりするなど、分かりやすい発表方法を工夫しましょう。 (3)体育などの教室外の授業 a.説明と活動 身体活動をしながら説明を聞くことは困難なため、説明と活動の時間を分けましょう。ただし体育などで教員の模範演技を真似ることにハンディはありません。 b.指示の伝え方 屋外などの広い場所での指示は、近くにいる聞こえる学生を通して知らせたり、バディシステムを採用するなどの工夫をしましょう。 (4)実験や実習 a.実験の時などは指示した物や手順を聴覚障害者が確認する時間を与えましょう。 b.課題の指示に際しては、実際のデモンストレーションをともなうと理解が促されます。 c.聴覚障害が参加することが困難であると思われる実験、実習は、まず補助者を付ける等の措置で参加する可能性を検討しましょう。 d.聞こえないことで明らかに生命の危険を伴う事柄については、どのような事態が予測されるのかを学生に対して十分に説明しましょう。また危険が予測される活動を除いての参加について、学生とともに検討しましょう。 執筆者 石原保志(いしはらやすし) 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター教授 2006年8月3日 初版 以下クレジット 発行 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) URL http://www.pepnet-j.org 郵便番号305-8520 住所 茨城県つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター支援交流室 聴覚系WG 内 担当 白澤麻弓 E-mail pepj-info@pepnet-j.org 以下添書き PEPNet-Japanは筑波技術大学の運営による高等教育機関間ネットワークで、文部科学省特別教育研究経費を用いて運営しています。活動にあたっては、一部日本財団の助成によるPEN-Internationalからの支援を受けています。本シートは、アメリカ北東地域テクニカルアシスタントセンター(PEPNet-Northeast)の作成によるTipSheetを基に、PEPNet-Japanが独自に作成したものです。本シートの内容の無断複写・転載を禁じます。