6.なら、私はどういうのが理想と考えるのか

 

少人数、大人数、二つのパターンでこういうのだったら行けそう(あったら良いんじゃないのかなぁ?)というのを考えた。
当たり前のことだろうし、既出である率の方が高いと思う。でも、これが一番良いと思ったんだから書く。
オブジェクションはぜひぜひBBSに。

 

少人数

 少人数を望む、ということは他人に対して警戒心が高くって上がりやすいとか緊張しやすい人を想定しているから、サバイバーの
安心感を満たすことが一番大切。クローズな関係を作りながら、というと、どうしても治療できるレベルを見直すような客観性が
なくなってしまう。その危険性があるけれど、治療に辿り着く前に、その治療者を見つけるまでの道のりが遠くなって、その探す過程で疲れて探すのをやめてしまう可能性もある。深刻ならば必死で探すだろうけれども、虐待にもいろいろあるし、被虐待児の中での虐待の影響もその後に虐待の心の傷が出来るかのも、全て個人差があって、全然大丈夫な人もいるし、軽度の人だっている。精神科の医者の中にだって、デリケートなサバイバーの気持ちを無視したようなひどい言葉を投げつけるような人もいる。ちなみにその人は治したいと思ったけれど病院探しをやめた、と言っていた。病院探しのストレスと比べるならまだ我慢できる、と言って…。

 だから、家族やパートナーに治療者の役を担ってもらうのが一番だと思う。もちろん家族から虐待を受けていたなら他の人だけれど。身近な人、と言うのはやっぱり身近に置くべき努力をしていて、その上で付き合っているのだからサバイバーのことを良く知っている=サバイバーがまったくの他人よりは緊張せずにいられる人だから。

 因みに被虐待児によく見られる症状として境界性人格障害(境界例)というのがあるんだけど、それの一番自然で簡単であろう治療方法は”パートナーにフツーに愛される”、らしい。境界例によくある症状は簡単に言って、普通の愛情がどういうものか知らなくってワガママな子供みたいに周囲を振り回したり、愛情にしがみついたり、と心の未成熟が起こすことだから、成長に必要な愛情を十分もらえば自然に治っていたという例もある。(*1)

 ここで、心配なのが最初に示した客観性の欠如。そして素人がやるという危険性。境界性なんかは特にパートナーなどを共依存という状態にするのが得意だ。お互いなしに生きて行けないようにするために全てを捨てさせたり、わざと治療が終わらないようにしたり、そういうことをしてしまうのだ。本末転倒、である。万一家族で、とかパートナーに治してもらう、と言う場合は信頼できる医師などのサポートがすぐに受けれることが必要になる。でも、良いお医者様って日本にどれだけいるんだろう…。

 

 

大人数

 大人数で何が良いかって、自分だけじゃなかったんだ!と世の中から排他的に捉えていた自分を肯定的に捉えなおす事が出来ること。誰に話したって「え?そんなことないでしょ?それは違うよ」と言われることを「うんうん、そうだよね」と言われるだけで救われるのだ。経験していないことを共感してくれって言われてもやっぱり想像には限界があるわけだし。

いろいろ調べて思い至ったことは”サバイバーの自助グループって東京・大阪に限定してるんじゃないの?“てことだった。虐待が大都市限定だとは絶対に思えない。核家族で暮らす家庭でなくても、虐待を受ける人はいるし、虐待する人が親だけとは限らない。
祖父・祖母・おじおば・幼稚園の先生・見知らぬ人。可能性が散らばっているのに自助グループは広がっていない。

 そう思ってネットを開くと、たくさんのサバイバーのHPにヒットした。虐待認知と同時にその症状を持っていることをあくと考えず
にすむ風潮が出来たんだなぁと思ったのと同時に、こっちは個人サイトの多さにびっくりした。まとまることはない、そして専門家の
いない世界。書くことで客観的にものを見られるのはいいことだ。でも、それだけじゃ治らない。

 

 じゃあ、ネットの世界に「森」を落としたらどうなるだろう?

 

 当事者だけ、じゃない。治療者だけ、でもない。それに専門家や興味のある人も巻き込んだコミュニティーの形成。穂積氏は閉鎖性を持って実現させた世界をネットという世界にまで開かれた世界で展開するのは理想論だと思う。なら、セキュリティーを万全にしたら?

 「森」がなくなってしまったのは前章の通り。持続発展可能(ああ、なんて総政らしい響き…)な組織にするなら、ワンマンを複数に分担すればいい。その一端を医者や専門家が持てば本当にギリギリを生きているサバイバーに対して救いの手を伸ばすことも出来る。

 また、境界例などは長い期間の治療が必要だし、傷の深さというのも個人差がある(2度目だけど、虐待がきつければ心の傷が深いとは限らない)。なら、学校みたいに一定の期間を決めて、原則的に途中からの参加を断ればいい。その一定期間は同じ顔ぶれで進むのだから、まったくの他人でもなくなっていく。書き込みはいつでも自由だし、冷やかす人もいない。サポートするメンバーが専門的な意見を挟んだり、当事者が共感したり。早く抜けることも、もう一度他のメンバーと話すのも良い。

 これって、やっぱり、理想論なのかなぁ?

 

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