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■プロフィール 以下の二部構成です。 『新井 千賀子という生き方』 ここで新井は、世界における日本の姿を認識し、落胆する。 「日本はアメリカの属国か!?」 次第に、世界から国内政治に関心を強めた新井は、NPO法人ドットジェイピー主催の議員インターンシップに参加する。 そこで、神戸の市会議員、井坂信彦と出会う。 「ああこんな政治家もいるんだ。」 彼の謙虚さと日本のために働く一生懸命さに、今まで政治に抱いていたイメージを一新した。 「これはもっと政治のことを知るべきだ。そして、他の人にも伝えたい!」そう思い、ドットジェイピーのスタッフを半年やる。 特に、広報・宣伝に関心のあった新井は、デザインに興味を抱きはじめ専門学校に通い始める。 それが二回の春だった。 ちょうどそんな時、学校の「情報演習(表現)」という授業を受ける。 この授業で番組制作を体験。広告に目が向いていた新井は、新しいメディアの魅力にはまった。 そう、映像だ。声の上がり下がり、表情、ありのままを、臨場感を伝えられる映像というメディアの魅力にだ。 いろいろなものに関心のベクトルが向いていた新井も、この頃から映像制作に絞って活動を始める。 そして、本格的に映像をやっていくきっかけが二回の秋にあった。テレビ大阪の『いきなりTVディレクター』という番組への作品発表だ。 この番組は、学生から番組企画を募集し、審査を通過した場合には30万円を制作費として補助され、実際に番組制作をするものである。 新井の企画が通り、番組制作を6人で開始。 男5、女1。 誰にも女扱いされない日々が始まる。 番組タイトル『これが俺たちのリアル』。 車椅子バスケットを取り上げたスポーツドキュメンタリーである。 そこで新井は、一つの試みを行う。 実際にドキュメントする対象を制作メンバーに取り入れたのだ。 リアルな番組作りのためにだ。 これは新井にとって新しい試みで、いい作品作りができると意気込んでいた。 が、 実際には、制作する側とされる側との間には大きな意識の差があり、非常に悩まされる事となる。 ちょっとした脚色や演出に非常に過敏な反応を受ける。 話し合いを何度も何度も繰り返し、泣きそうになりながらも必死に涙をこらえ、妥協案を見出す日々。 そうして番組も完成し、TV放映された。そして様々な反響を受けた。 その中には、 「車イスバスケ知らんかったわ、あんなスポーツやったんや」「健常者も車イスバスケをしてるんや」といった言葉があった。 番組を通して新しい知識や概念をいろいろな人に知ってもらえる喜びを感じる。 新井にとって、ドキュメンタリーとは人に密着して人の思いを伝えるもの。 「人の魅力を伝えることで、今まで無かった新しい考えが見えてくることはすごく楽しい。」 ただ、ドキュメンタリーを撮る事は人を傷つける行為でもあった。 我々視聴者が知りたいものは、人の本音であったり、人が隠しておきたいものであったりする。 何気なくそれを引き出そうとした言葉が相手をひどく傷つけている事を知る。 人を傷つけてしまうかもしれないという危険性を孕みながらも実際にできてくる映像は力のある作品になる。 これをドキュメンタリーの面白さと感じる。 そして、 今日もまた新井は、”ドキュメンタリー映画制作”という夢を抱きながら走り続けている。 |