はじめに
はじめに → エコツアーとは → 日本と海外の比較(1/2)

日本と海外での比較(日本では)

では、日本におけるエコツアーは一体どのように行われているのでしょうか?日本でエコツアーというと、なんだかあまりピンと来ない人も多いかもしれません。しかし、ここ日本においてもエコツアーの概念は確実に根付き始めています。

今年7月、石原慎太郎知事が小笠原諸島などにエコツーリズムを導入するための条例を制定しました。小笠原諸島は、東洋のガラパゴスと言われるほどに独特の生態系を保った珍しい諸島として昭和47年に全島が国立公園に指定されています。小笠原諸島は、現在の大陸地図が形成されるまでどこの大陸とも繋がった事がありません。そのため、珍しい固有種が植物、動物どちらにも非常に多く、そのすばらしい環境に魅せられた観光客の数は急激に、そして確実に増えつつありました。

小笠原の生態系は、インパクトを与える側、与えられる側で充分なバランスを保っていました。どれか一つの要素が致命的なインパクトを他者に与えるといった事は自然界では大災害をのぞいて滅多に見られないのは皆さんもお分かりでしょう。バランスの取れているものにほんの少しの振動を与えるだけで、それがガラガラと崩れていってしまう、そういう事が小笠原で起き始めたのは小笠原に観光客が増加傾向にあったその時でした。

従来の観光政策として最も重要視されていたのはインフラの確保です。そしてその最たるものは交通の整備でした。都の観光局は森を切り開き道路を作り、観光客が容易に島内を行き来できるようにしたのです。小笠原の敏感な生態系は、ちょっとした事で壊れてしまうのは先ほども述べたとおりですが、そういった開発の為に犠牲にされてしまった例として、土壌の流出が挙げられます。小笠原のような急峻な地形に台風やスコールといった激しい降雨が続くと、開発以前は流れ出る土壌を受け止めていた森の損失の為にその無為な流出が避けられなくなりました。利便性を得る為に犠牲にした代償は非常に大きいものだとこの時点で気付くべきだったのです。

その土壌の流出を食い止めるために、今度は砂防ダムが建設されました。もし、道路が建設されなかったならばこういった副次的な砂防ダムの建設は必要なかったはずです。このようなことが重なれば、ひとつの大きな負のインパクトが新たにさらなる大きな負のインパクトを生むというような、ゴールの無い悪循環に陥っていくのは目に見えています。

少々前置きが長くなりましたが、こういった状況をどうにかして改善しなければならないという名目の上で、東京都は小笠原を都要綱に基づく自然環境保全促進地域に指定し、色々な決まりごとを作りました。おおまかに説明すると次の4つです。

1. 公的資格を持つガイドが一緒で無ければ指定地域に立ち入る事が出来ない
2. 動植物の捕獲、採集を禁止
3. ガイドは関係町村に住む都の講習を受けた人の中から知事が認定
4. 地域によって一日に立ち入り出来る人数やツアー経路を定める

こういった決まりごとを定め小笠原をみんなで守ろう、といった運動が行政レベルで動き始めています。しかし、前項のガラパゴスがエコツーリズムを始めたのが1970年代、そして日本において初めてエコツーリズム的な観点から条例が制定されたのは世紀をまたいだ今年になってからです。ゆうに30年以上の時を超えて、やっと日本でもこういった運動が盛んになりつつあるのです。

やっと注目され始めたエコツアーという概念は、日本においてどのような形でこれから世間に伝播、そして啓蒙されていくのでしょうか。その可能性を次項のエッセイ、「日本におけるエコツーリズムとその展望」、そして「三田でエコツアー?」の項でもっと詳しく論じましょう。

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