@ マ ー ケ テ ィ ン グ 概 論

 

マーケティングについて、かろうじてわかること。

マーケティングという言葉をよく聞きますが、意味がわかりません。どういうことなのでしょうか。わかったようなフリをしていればよいのでしょうか?たぶんそれでいいと思います。しかしここでちょっと考えてみてもいいと思います。マーケティングということばが表すものは何なのか?それから、これはどういう動機に基づいて行われているのか??

まず、広辞苑をひいてみます。マーケティングの項には「商品の販売やサービスなどを促進するための活動。市場活動」とあります。さらにそこから派生語としてマーケティング・リサーチという語が「市場動向に加えて、製品・価格・広告・販売・経路などマーケティング全般について調査をすること」だと説明されています。つまり、何を売るのかを考えて、どう売るのかを企てることが、大雑把にいってマーケティングということのようです。

上の定義によるとマーケティングはものを売る「What」「How」のことだそうですが、いま世間でいわれているのは、「What」がネタ切れ寸前だということです。20世紀の社会において、ありとあらゆるものは「需要」を無理強いされてきました。皆さんはスーパーマーケットの「アイデア商品市」を見たことがあるでしょうか?あるいは、王様のアイディアという店を覗いたことがあるでしょうか?台所の引き出しをカオティックにさせるだけの「ちょっと便利なもの」がこの数十年の間に大量に生み出されてきたわけです。エジソンに始まり、ドクター中松に終わったのが20世紀でした。

そういうわけで「What=モノ」が飽和した世の中では「何を売るのか」ということは、いまいち説得力を持たなくなってしまったのです。そこで日本では1980年代頃から、記号論化されたマーケティングというのが流行りになってきたようです。それはポストモダンな世の中の動きに沿ったのか、あるいは便乗したものと言えるでしょう。具体的にどういうことかというと、言葉(キャッチコピー)やイメージで従来のモノに新鮮味を与えて売ろうとしたのです。これがマーケティング「How」です。糸井重里や仲畑貴志といった超有名コピーライターが台頭してきたのもこの時代です。基本的に現在の広告界、ひいては日本消費社会はこの流れの中にあります。

 

わからないこと(リサーチ不可能)。

ここまでは色々な本に書いてあります。しかし、まったくわからないのは「Why」、なぜマーケティングをするのかということです。モノを売るためじゃないか、というのは短絡です。お金を儲けるためというのも然り。しかしながら、どうも多くの人(マーケティング企み人)はこの短絡でもって思考停止しているのかもしれません。そんなことで稼いだご飯を食べておいしいのでしょうか。

というのは意見としてちょっと手厳しすぎかもしれません。というのは、私もまた彼らと同じだろうからです。私たちは既存のシステムから完全に自由な状態で、物事をあれこれいうことはできません。お金が目的手段かということを考えだすとキリがないので、ここでは述べません。しかしもっと広い視野で考えるべきだというのが、私がこのウェブサイトを通して言いたいことです。

 

消費者の立場として目を向けるべきもの

とはいえ少なくとも、従来のマーケティング手法のカモになるには我々も十分に学習済みです。全てのテレビCMがアメリカのプロパガンダと考えるのはいささか病的ですが、だれしも宣伝が馬鹿馬鹿しいと考えてはいるでしょう。うんざりしているひとは多いと思います。そこで我々が幾許かの希望を得るために、新しいマーケティングの可能性についてこのサイトで言及します。そこで我々が失っていただろうものを再獲得できるかもしれないという、ひとすじの希望があります。

蛇足ながら、以下に挙げるマーケティングの書籍を私は読んでみたのですが、マーケティングの何たるかについてまったくわからなかったということで、紹介しておきます。後者についてはマーケティングの本質論について書いてあるはずなのに、その本質が何かを見つけることはできませんでした。困ったものです。この二冊はあくまで代表であり、ほかも似たり寄ったりだと思います。

 

参考(にならなかった)文献:
『日本一わかりやすいマーケティングの教科書』重田修治・明日香出版社
『表層マーケティング批判』松井睦・日本コンサルタントグループ

 

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